【仏教用語/人物集 索引】

大梅法常(だいばいほうじょう)

投稿日:0839年1月1日 更新日:

 
中国唐の時代の禅僧。襄州襄陽の出身。馬祖道一に就いて嗣法。弟子には迦智、天龍がいる。大梅山。

「正法眼蔵」行持・上より抜粋

大梅山は慶元府にあり。この山に護聖寺を草創す、法常禅師その本元なり。禅師は襄陽人なり。かつて馬祖の会に参じてとふ、如何是仏と。
馬祖云く、即心是仏と。
法常この言葉をききて、言下大悟す。ちなみに大梅山の絶頂にのぼりて人倫に不群なり、草庵に独居す。松実を食し、荷葉を衣とす。かの山に少池あり、池に荷おほし。

坐禅弁道すること三十余年なり。人事たえて見聞せず、年暦おほよそおぼえず、四山青又黄のみをみる。おもひやるにはあはれむべき風霜なり。

師の坐禅には、八寸の鐵塔一基を頂上におく、如載宝冠なり。この塔を落地却せしめざらんと功夫すれば、ねぶらざるなり。その塔いま本山にあり、庫下に交割す。かくのごとく弁道すること、死にいたりて懈倦なし。

かくのごとくして年月を経歴するに、塩官の会より一僧きたりて、山にいりて挂杖をもとむるちなみに、迷山路して、はからざるに師の庵所にいたる。不期のなかに師をみる、すなはちとふ、和尚、この山に住してよりこのかた、多少時也。
師いはく、只四山の青又黄なるを見るのみ。
この僧またとふ、出山の路、什麼の処に向ひてか去かん。
師いはく、隨流去(流れに隨ひて去くべし)。

この僧あやしむ心あり。かへりて塩官に挙似するに、塩官いはく、そのかみ江西にありしとき、一僧を曽見す。それよりのち消息を知らず。是れ此の僧に莫ずや否や。

つひに僧に命じて、師を請ずるに出山せず。偈をつくりて答するにいはく、
摧残の枯木寒林に倚る、幾度か春に逢うて心を変ぜず。樵客之に遇うて猶顧みず、郢人那ぞ苦に追尋することを得ん。

つひに赴かず。これよりのちに、なほ山奥へいらんとせしちなみに、有頌するにいはく、
一池の荷葉衣るに尽くること無し、数樹の松花食するに余有り。剛世人に住処を知らる、更に茅舎を移して深居に入る。

つひに庵を山奥にうつす。
あるとき、馬祖ことさら僧をつかはしてとはしむ、和尚そのかみ馬祖を参見せしに、何の道理を得てか便ち此山に住する。
師いはく、馬祖、我にむかひていふ、即心是仏。すなはちこの山に住す。
僧いはく、近日は仏法また別なり。
師いはく、作麼生別なる。
僧いはく、馬祖いはく、非心非仏とあり。
師いはく、這老漢、人を惑乱すること了期あるべからず。さもあらばあれ非心非仏、我れは祗管に心是仏なり。
この道をもちて馬祖に挙似す。
馬祖いはく、梅子熟せり。

生誕 752年

命日 839年

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