「仏教を本気で学ぶ」 一覧

鑑真(がんじん)

  鑑真とは、中国(唐)から6度の航海の末に来日し、東大寺に戒壇を開き、律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒を行ったとされる中国人僧侶です。 揚州江陽県に生まれ、14歳で智満について得 ...

正倉院ができる

756年、東大寺の宝庫、正倉院ができる。聖武天皇の遺品などを保存、校倉造り。 << 戻る

鑑真が律宗を伝える

  天平勝宝5年(753年)、鑑真(がんじん・688〜763年)が6度の航海の末に、唐から招来し、東大寺に戒壇を開き、聖武上皇、称徳天皇を初めとする人々に日本で初めて戒律を授けました。後に唐 ...

行基(ぎょうき)

  行基・668〜749年)とは、奈良時代に活躍したとされる高僧です。百済系渡来人の子孫として、和泉国(大阪府)に生まれました。諸国をまわって人々に仏教を広め、朝廷から民衆をまどわすとして弾 ...

玄昉(げんぼう)

  奈良時代の法相宗の僧侶。俗姓は阿刀氏(安斗氏)。安斗阿加布の子とする系図や、善珠の父とする史書もあります。僧官は僧正。 717年、中国・唐に入り、法相宗の教学を学び、735年に帰国する。 ...

大仏造立の詔

743年、大仏造立の詔。 << 戻る

国分寺・国分尼寺建立の詔

天平13年(741)、聖武天皇により国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられました。また、これに伴い、金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされています。 <<  ...

華厳宗が伝えられる

736年、華厳宗第3祖法蔵(開祖は杜順(557年-640年)、第2祖智儼(602年-668年))門下の審祥によって華厳宗は伝えられました。金鐘寺(後の東大寺)の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において ...

施薬院と悲田院

  施薬院(せやくいん)とは、貧しい病人に薬を与え疫病(えきびょう)の治療をした施設です。今の病院にあたります。 悲田院(ひでんいん)とは、貧窮者・病者・孤児などの救済施設です。今の養護施設 ...

義淵の弟子玄昉が入唐

717年(養老元年) 入唐した義淵の弟子玄昉(げんぼう)も、ともに濮陽の智周に師事して法相宗を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し、興福寺法相宗の基をきずき、興福寺伝また ...

義浄(ぎじょう)

義浄は、唐(中国)の僧侶。671年、広州から海路でインドにおもむき、695年に約400部の仏教経典をもって海路で帰国しました。その翻訳のほか、旅行記『南海寄帰内法伝(なんかいききないほうでん)』と、イ ...

智鳳、智雄らが入唐

703年(大宝3年) 智鳳、智雄らが入唐して法相宗などを学ぶ。 << 戻る

三論宗(大安寺流)が伝わる

701年(大宝元年)、道慈(智蔵の弟子)が三論宗(大安寺流)伝えました。 三論宗はインドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を所依と ...

道昭(どうしょう)

  道昭とは、玄奘三蔵が師であり、弟子に行基がいる河内国丹比郡船連(ふねのむらじ)(現・大阪府堺市)出身の法相宗の僧です。父は船恵尺。道紹や道照とも表記されます。 出家して元興寺において戒行 ...

三論宗(空宗)が伝わる

天武天皇2年(673年)に僧正となった中国(呉)出身の智蔵(恵灌の弟子)は元興寺で恵灌に三論を学んだ後に入唐し、恵灌の師であり三論宗の大成者でもある吉蔵に直接師事して伝えた三論宗は、法隆寺の空宗とも呼 ...

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)

  玄奘三蔵とは、中国(唐)の訳経僧です。玄奘とは僧名で、また諱でもあります。僧の最高峰である「三蔵」の号を得た高僧で、初代三蔵の鳩羅摩什(くまらじゅう)と共に「二聖」、あるいは真諦と不空金 ...

倶舎宗が伝わる

元興寺禅院の開祖の道昭が661年に帰朝の際、倶舎論および注疏を招来したと考えられています。その後、倶舎宗という宗派が公的に制定されるのは、天平勝宝年間(749年~757年)の東大寺において大仏開眼供養 ...

智通・智達等も法相宗を広める

658年(斉明天皇4年) 入唐した智通・智達等も法相宗を広めた。これらは同系統に属し、平城右京に元興寺が創建されると法相宗も移り、元興寺伝、南伝と言われた。 << 戻る

道昭が入唐留学

653年(白雉4年) 道昭が入唐留学して玄奘に師事し、帰国後飛鳥法興寺で法相宗を広めた。 << 戻る

蘇我馬子(そがのうまこ)

  蘇我馬子とは、飛鳥時代の豪族。敏達天皇の下で大臣に就き、以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年に渡り権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築きました。邸宅に島を浮かべた池があっ ...

三論宗(元興寺流)が伝わる

625年(推古33年)に高句麗の僧の恵灌が三論宗(元興寺流)を伝えました。インドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を所依とする)で ...

鞍作鳥(くらつくりのとり)

  鞍作鳥とは、7世紀初はじめごろ、飛鳥時代の代表的な仏像彫刻師です。鞍作止利とも表記されます。渡来人で仏教をつたえたと言われる司馬達等(しばたっと)の孫で、止利仏師(とりぶっし)ともいわれ ...

聖徳太子(しょうとくたいし)

  厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)、厩戸王(うまやとおう)とも呼ばれ、飛鳥時代の皇族・政治家。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。「聖徳太子」は後世の尊称な ...

『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)

『三経義疏』は聖徳太子によって著されたと伝承されている『法華義疏』(推古天皇23年(615年))・『勝鬘経義疏』(推古天皇19年(611年))・『維摩経義疏』(推古天皇21年(613年))の総称です。 ...

『法華義疏』(ほっけぎしょ)

『法華義疏』は聖徳太子によって推古天皇23年(615年)に著されたと伝承されています。また、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)の一つです。 << 戻る

『維摩経義疏』(ゆいまきょうぎしょ)

『維摩経義疏』は聖徳太子によって推古天皇21年(613年)に著されたと伝承されています。また、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)の一つです。 << 戻る

『勝鬘経義疏』(しょうまんきょうぎしょ)

『勝鬘経義疏』は聖徳太子によって推古天皇19年(611年)に著されたと伝承されています。また、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)の一つです。 << 戻る

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十七条の憲法を定める

604年、十七条の憲法を定める。朝廷に仕える役人の心得。 << 戻る

智顗(ちぎ)

  智顗とは、中国の南北朝時代から隋にかけての僧侶。天台教学の大成者であり、天台宗の開祖ですが、慧文、慧思に次いで第三祖ともされています(龍樹を開祖とし慧文を第二、慧思を第三、智顗を第四祖と ...

仏教興隆の詔

594年、推古天皇が仏教を盛んにする詔を出す。これにより仏法僧の三宝を興隆させ、氏寺の建立が盛んになったといわれている。 594年という年代は推古2年で、初めての女性天皇である推古天皇のもと、聖徳太子 ...

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厩戸王(聖徳太子)の誕生

574年、厩戸王(聖徳太子)の誕生。 << 戻る

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仏教伝来

552年、 百済から仏教が伝わる(538年の説もある)。 << 戻る



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