【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』信巻18

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 爾の時に、仏、諸の大衆に告げて言わく、「一切衆生、阿耨多羅三藐三菩提近づく因縁の為には、無かず、善友を先とするには。何を以ての故に。阿闍世王、若し耆婆の語に随順せずは、来月の七日、必定して命終して阿鼻獄に堕せん。是の故に日に近づきにたり。善友に若くこと莫かれ。阿闍世王、復た前路に於いて聞く。「舎婆提に、毘瑠璃王、船に乗じて海辺に入りて災して〔或る本、「火に遇う」〕死ぬ。瞿伽離比丘、生身に地に入りて阿鼻獄に至れり。須那刹多は種種の悪を作りしかども、仏所に到りて衆罪消滅しぬ」と。是の語を聞き已りて、耆婆に語りて言わまく、「吾今、是くの如きの二語を聞くと雖も、猶未だ審らかならず。定んで汝来たれり。耆婆。吾、汝と同じく一象に載らんと欲う。設い我、当に阿鼻地獄に入るべくとも、冀わくは汝、投持して我をして堕さしめざれと。何を以ての故に。吾、昔曾て聞きき、「得道の人、地獄に入らず」と。」」乃至

 「云何ぞ説きて、「定んで地獄に入る」と言わん。大王。一切衆生の所作の罪業に、凡そ二種有り。一には軽、二には重なり。若し心と口とに作るは則ち名づけて「軽」とす。身と口と心とに作るは則ち名づけて「重」とすと。大王。心に念い口に説きて、身に作さざれば、得る所の報、軽なり。大王、昔日、口に「殺せよ」と勅せず。但「足を削れ」と言えりき。大王、若し侍臣に勅せましかば、立ちどころに王の首を斬らまし。坐の時に乃ち斬るとも、猶罪を得じ。況んや王、勅せず。云何ぞ罪を得ん。王、若し罪を得ば、諸仏世尊も亦罪を得たまうべし。何を以ての故に。汝が父先王頻婆沙羅、常に諸仏に於いて諸の善根を種えたりき。是の故に今日、王位に居することを得たり。諸仏、若し其の供養を受けたまわざらまししかば、則ち王たらざらまし。若し王たらざらましかば、汝、則ち国の為に害を生ずることを得ざらましと。若し汝、父を殺して当に罪有るべくは、我等諸仏、亦罪有すべし。若し諸仏世尊、罪を得たまうこと無くは、汝独り云何ぞ罪を得んや。大王。頻婆沙羅、往、悪心有りて、毘富羅山にして遊行し、鹿を射猟して曠野に周遍しき。悉く得る所無し。唯、一の仙の五通具足せるを見る。見已りて即ち瞋恚悪心を生じき。「我今、遊猟す。所以に正しく坐を得ず。此の人、駆りて逐うに去らしむ。」即ち左右に勅して、之を殺せしむ。其の人、終に臨みて瞋りて悪心を生ず。神通を退失して誓言を作さく、「我、実に辜無し。汝、心口を以て横に戮害を加す。我、来世に於いて、亦当に是くの如く還りて、心口を以てして汝を害すべし」と。時に王、聞き已りて即ち悔心を生じて、死屍を供養しき。先王、是くの如く、尚軽く受くることを得て、地獄に堕ちず。況んや王、爾らずして、当に地獄の果報を受くべけんや。先王、自ら作りて還りて自ら之を受く。云何ぞ王をして殺罪を得しめん。王の言う所の如し。父の王、辜無くは、大王、云何ぞ失無きに罪有りと言わば則ち罪報有らん。悪業無くは則ち罪報無けん。汝が父先王、若し辜罪無くは、云何ぞ報有らん。頻婆沙羅、現世の中に於いて、亦善果及以び悪果を得たり。是の故に先王、亦復不定なり。不定を以ての故に、殺も亦不定なり。殺不定は、云何してか「定んで地獄に入る」と言わんと。

 大王。衆生の狂惑に凡そ四種有り。一には貪狂、二には薬狂、三には呪狂、四には本業縁狂なり。大王。我が弟子の中に是の四狂有り。多く悪を作すと雖も、我終に、是の人、戒を犯せりと記せず。是の人の所作、三悪に至らず。若し還りて心を得ば、亦「犯」と言わず。王、本、国を貪して、此れ父の王を逆害す。貪狂の心をもって、与に作せり。云何ぞ罪を得ん。大王。人、耽酔として其の母を逆害せん。既に醒悟し已りて、心に悔恨を生ぜんが如し。当に知るべし。是の業、亦報を得じ。王、今貪酔せり。本心の作せるに非ず。若し本心に非ずは、云何ぞ罪を得んや。

 大王。譬えば幻師の、四衢道の頭にして種種の男女・象馬・瓔珞・衣服を幻作するが如し。愚痴の人は謂うて真実とす。有智の人は真に非ずと知れり。殺も亦是くの如し。凡夫は実と謂えり。諸仏世尊は、其れ真に非ずと知ろしめせり。大王。譬えば山谷の響の声の如し。愚痴の人は、之を実の声と謂えり。有智の人は、其れ真に非ずと知れり。殺も亦是くの如し。凡夫は実と謂えり。諸仏世尊は、其れ真に非ずと知ろしめせり。大王。人の怨有るが詐り来たりて親附するが如し。愚痴の人は、謂うて実に親しむとす。智者は了達して、乃ち其れ虚しく詐れりと知る。殺も亦是くの如し。凡夫は実と謂う。諸仏世尊は、其れ真に非ずと知ろしめせり。大王。人、鏡を執りて自ら面像を見るが如し。愚痴の人は、謂うて真の面とす。智者は了達して、其れ真に非ずと知れり。殺も亦是くの如し。凡夫は実と謂う。諸仏世尊は、其れ真に非ずと知ろしめせり。大王。熱の時の炎の如し。愚痴の人は、之は是れ水と謂わん。智者は了達して、其れ水に非ずと知らん。殺も亦是くの如し。凡夫は実と謂わん。諸仏世尊は、其れ真に非ずと知ろしめせり。大王。乾闥婆城の如し。愚痴の人は、謂うて真実とす。智者は了達して、其れ真に非ずと知れり。殺も亦是くの如し。凡夫は実と謂えり。諸仏世尊は、其れ真に非ずと了知ろしめたまえり。大王。人の、夢の中に五欲の楽を受くるが如し。愚痴の人は、之を謂うて実とす。智者は了達して、其れ真に非ずと知れり。殺も亦是くの如し。凡夫は実と謂えり。諸仏世尊は、其れ真に非ずと知ろしめせり。

 大王。殺法・殺業・殺者・殺果及以び解脱、我、皆、之を了れり。則ち罪有ること無けん。王、殺を知ると雖も云何ぞ罪有らんや。大王。譬えば、人主有りて、酒を典れりと知れども、如し其れ飲まざれば則ち亦酔わざるが如し。復た火と知ると雖も焼燃せず。王も亦是くの如し。復た殺を知ると雖も云何ぞ罪有らんや。大王。諸の衆生有りて、日の出ずる時に於いて種種の罪を作る。月の出ずる時に於いて復た劫盗を行ぜん。日月出でざるに則ち罪を作らず。日月に因りて、其れ罪を作らしむと雖も、然るに此の日月、実に罪を得ず。殺も亦是くの如し。乃至

 大王。譬えば涅槃は非有非無にして、亦是れ有なるが如し。殺も亦是くの如し。非有非無にして、亦是れ有なりと雖も、慙愧の人は則ち非有とす。無慙愧の者は則ち非無とす。果報を受くる者、之を名づけて「有」とす。空見の人は則ち非有とす。有見の人は則ち非無有とす。有見の者は亦名づけて「有」とす。何を以ての故に。有有見の者は果報を得るが故に。無有見の者は則ち果報無し。常見の人は則ち非有とす。無常見の者は則ち非無とす。常常見の者は無とすることを得ず。何を以ての故に。常常見の者は悪業果有るが故に。是の故に常常見の者は無とすることを得ず。是の義を以ての故に、非有非無にして亦是れ有なりと雖も、大王、夫れ衆生は出入の息に名づく。出入の息を断つ故に、名づけて「殺」とす。諸仏、俗に随いて、亦説きて「殺」とす。」乃至

 「世尊。我、世間を見るに、伊蘭子より伊蘭樹を生ず。伊蘭より栴檀樹を生ずるをば見ず。我、今始めて伊蘭子より栴檀樹を生ずるを見る。「伊蘭子」は我が身、是れなり。「栴檀樹」は即ち是れ我が心、無根の信なり。「無根」は、我、初めて如来を恭敬せんことを知らず、法・僧を信ぜず。是れを「無根」と名づく。世尊。我、若し如来世尊に遇わずは、当に無量阿僧祇劫に於いて大地獄に在りて無量の苦を受くべし。我今、仏を見たてまつる。是れ仏を見たてまつるを以て得る所の功徳、衆生の煩悩悪心を破壊せしむ」と。

(「信巻」続く)

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