【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』信巻19

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 仏の言わく、「大王。善いかな、善いかな。我今、汝、必ず能く衆生の悪心を破壊することを知れり。」

 「世尊。若し我、審らかに能く衆生の諸の悪心を破壊せば、我、常に阿鼻地獄に在りて無量劫の中に諸の衆生の為に苦悩を受けしむ。以て苦とせず。」

 爾の時に摩伽陀国の無量の人民、悉く阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。是くの如き等の無量の人民、大心を発するを以ての故に、阿闍世王所有の重罪、即ち微薄なることを得しむ。王及び夫人・後宮采女、悉く皆同じく阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。

 爾の時に阿闍世王、耆婆に語りて言わまく、「耆婆。我今、未だ死せざるに已に天身を得たり。短命を捨てて長命を得、無常の身を捨てて常身を得たり。諸の衆生をして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむ。」乃至

 諸仏の弟子、是の語を説き已りて、即ち種種の宝幢を以て、乃至 復た偈頌を以て讃嘆して言さく、

実語、甚だ微妙なり。善巧、句義に於いて、甚深秘密の蔵なり。
衆の為の故に、所有広博の言を顕示す。衆の為の故に略して説かく。
是くの如きの語を具足して、善能く衆生を療す。
若し諸の衆生有りて、是の語を聞くことを得る者は、
若しは信及び不信、定んで是の仏説を知らん。
諸仏、常に軟語をもって、衆の為の故に麁を説きたまう。
麁語及び軟語、皆、第一義に帰せん。
是の故に我今者、世尊に帰依したてまつる。
如来の語は一味なること、猶大海の水の如し。是れを第一諦と名づく。
故に無無義の語にして、如来、今、説きたまう所の種種無量の法、
男女・大小、聞きて、同じく第一義を獲しめん。
無因亦無果なり。無生亦無滅なり。是れを大涅槃と名づく。聞く者、諸結を破す。
如来、一切の為に、常に慈父母と作りたまえり。
当に知るべし。諸の衆生は、皆是れ如来の子なり。
世尊大慈悲は、衆の為に苦行を修したまうこと、
人の、鬼魅に著わされて、狂乱して所為多きが如し。
我今、仏を見たてまつることを得たり。
得る所の三業の善、願わくは此の功徳を以て、無上道に回向せん。
我今、供養する所の、仏・法及び衆僧、願わくは此の功徳を以て、三宝、常に世に在さん。
我今、当に獲べき所の種種の諸の功徳、願わくは此れを以て、衆生の四種の魔を破壊せん。
我、悪知識に遇いて三世の罪を造作せり。今、仏前にして悔ゆ。
願わくは、後に更た造ること莫からん。
願わくは、諸の衆生、等しく悉く菩提心を発せしむ。
心を繫けて、常に十方一切仏を思念せん。
復た願わくは、諸の衆生、永く諸の煩悩を破し、
了了に仏性を見ること、妙徳の猶如くして等しからんと。

(「信巻」続く)

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