【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』信巻20

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 爾の時に世尊、阿闍世王を讃めたまわく、「善いかな、善いかな。若し人有りて、能く菩提心を発せん。当に知るべし。是の人は則ち諸仏大衆を荘厳すとす。大王。汝、昔已に毘婆尸仏のみもとにして、初めて阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。是れより已来、我が出世に至るまで、其の中間に於いて、未だ曾て復た地獄に堕して苦を受けず。大王、当に知るべし。菩提の心は、乃し是くの如き無量の果報有り。大王、今より已往に、常に当に菩提の心を懃修すべし。何を以ての故に。是の因縁に従いて、当に無量の悪を消滅することを得べき故なり。」

 爾の時に、阿闍世王、及び摩伽陀国の、人民挙って座よりして起ちて、仏を遶ること三帀して辞退して宮に還りにき」と。已上抄出

 又言わく(迦葉菩薩品)、「善男子。羅閲祇の王頻婆沙羅、其の王の太子、名づけて「善見」と曰う。業因縁の故に悪逆の心を生じて、其の父を害せんと欲するに便を得ず。爾の時に、悪人提婆達多、亦過去の業因縁に因るが故に、復た我が所に於いて不善の心を生じて我を害せんと欲す。即ち五通を修して、久しからずして善見太子と共に親原たることを獲得せり。太子の為の故に種種の神通の事を現作す。門に非ざるより出でて、門よりして入りて、門よりして出で、門に非ざるよりして入る。或る時は、象・馬・牛・羊・男子の身を示現す。善見太子、見已りて、即ち愛心・喜心・敬信の心を生ず。是れを本とするが故に、厳しく種種の供養の具を説きて、之を供養す。又復白して言さく、「大師聖人。我今、曼陀羅華を見んと欲う」と。時に提婆達多、即便ち法として三十三天に至りて、彼の天人に従いて之を求索するに、其の福尽きつるが故に、都て与うる者無し。既に華を得ず。是の思惟を作さく、「曼陀羅樹、我・我所無し。若し自ら取らん、当に何の罪か有るべき。」即ち前んで取らんと欲するに、便ち神通を失えり。還りて己身を見れば、王舎城に在り。心に慙愧を生ずるに、復た見ること能わず。

 善見太子、復た是の念を作さく、「我今、当に如来の所に往至して大衆を求索すべしと。仏、若し聴さば、我、当に意に随いて、教えて便ち舎利弗等に詔勅すべし」と。爾の時に、提婆達多、便ち我が所に来たりて、是くの如きの言を作さく、「唯願わくは如来、此の大衆を以て我に付嘱せよ。我、当に種種に法を説きて教化して、其れをして調伏せしむべし」と。我、痴人に言わく、「舎利弗等、大智を聴聞して世に信伏する所なり。我、猶大衆を以て付嘱せじ。況んや汝痴人、唾を食らう者をや」と。時に提婆達多、復た我が所に於いて、倍ます悪心を生じて是くの如きの言を作さく、「瞿曇。汝、今復た大衆を調伏すと雖も、勢い亦久しからじ。当に見に磨滅すべし」と。是の語を作し已るに、大地、即時に六反震動す。提婆達多、尋ちの時に地に躃れて、其の身の辺より大暴風を出だして、諸の塵土を吹きて之を汚坌す。提婆達多、悪相を見已りて、復た是の言を作さく、「若し我が此の身、現世に必ず阿鼻地獄に入らば、我が悪、当に是くの如きの大悪を報うべし」と。

 時に提婆達多、尋ち起ちて善見太子の所に往至す。善見、見已りて即ち聖人に問わく、「何が故ぞ顔容憔悴して、憂の色有るや」と。提婆達多言わく、「我、常に是くの如し。汝、知らずや」と。善見、答えて言わく、「其の意を領説す。何の因縁あってか爾る」と。提婆達の言わく、「我今、汝が与に極めて親愛を成す。外人、汝を罵りて、以て非理とす。我、是の事を聞くに、豈に憂えざることを得んや」と。善見太子、復た是の言を作さく、「国の人、云何ぞ我を罵辱する」と。提婆達の言わく、「国の人、汝を罵りて「未生怨」とす。」善見、復た言わく、「何故ぞ我を名づけて「未生怨」とする。誰か此の名を作る」と。提婆達の言わく、「汝、未だ生まれざりし時、一切相師、皆、是の言を作さく、「是の児、生まれ已りて、当に其の父を殺すべし」と。是の故に外人、皆悉く汝を号して「未生怨」とす。一切内の人、汝が心を護るが故に、謂いて「善見」とす。毘提夫人、是の語を聞き已りて、既に汝を生まんとして、身を高楼の上より、之を地に棄てしに、汝が一の指を壊れり。是の因縁を以て、人、復た汝を号して「婆羅留枝」とす。我、是れを聞き已りて、心に愁憤を生じて、復た汝に向かいて之を説くこと能わず。」提婆達多、是くの如き等の種種の悪事を以て、教えて父を殺せしむ。「若し汝が父死せば、我、亦能く瞿曇沙門を殺せん」と。

 善見太子、一の大臣に問わく。名づけて「雨行」〔或る本、「雨行」〕と曰う。「大王、何が故ぞ、我が字を立てんとするに、「未生怨」と作るや」と。大臣、即ち為に其の本末を説く。提婆達の所説の如くして異無けん。善見、聞き已りて即ち大臣と与に其の父の王を収りて、之を城の外に閉ず。四種の兵を以て、之を守衛せしむ。毘提夫人、是の事を聞き已りて、即ち王の所に至る。時に王を守りて、人をして遮して入ることを聴さず。爾の時に夫人、瞋恚の心を生じて、便ち之を呵罵す。時に諸の守人、即ち太子に告ぐらく、「大王の夫人、父の王を見んと欲うをば、不審、聴してんや不や」と。善見、聞き已りて、復た瞋嫌を生じて、即ち母の所に往きて、前んで母の髪を牽きて、刀を抜きて斫らんと欲す。爾の時に、耆婆、大王に白して言さく、「国を有ちてより已来、罪、極めて重しと雖も、女人に及ばず。況んや所生の母をや」と。善見太子、是の語を聞き已りて、耆婆の為の故に即便ち放捨して、遮りて大王の衣服・臥具・飲食・湯薬を断つ。七日を過ぎ已るに、王の命、便ち終りぬと。

 善見太子、父の喪を見已りて、方に悔心を生ず。雨行大臣〔或る本、「行雨」〕、復た種種の悪邪の法を以て、為に之を説く。「大王。一切の業行、都て罪有ること無し。何故ぞ今者、悔心を生ずるや」と。耆婆、復た言わく、「大王、当に知るべし。是くの如きの業は、罪業二重なり。一には父の王を殺す、二には須陀洹を殺せり。是くの如きの罪は、仏を除きて更に能く除滅したまう者無さず」と。善見王言わく、「如来は清浄にして、穢濁有すこと無し。我等罪人、云何してか、見たてまつることを得ん。」

 善男子。我、是の事を知らんと。阿難に告げたまわく、「三月を過ぎ已りて、吾、当に涅槃すべきが故に」と。善見、聞き已りて、即ち我が所に来たれり。我、為に法を説きて、重罪をして薄きことを得しめき。無根の信を獲しむ。

 善男子。我が諸の弟子、是の説を聞き已りて、我が意を解らざるが故に是の言を作さく、「如来、定んで畢竟涅槃を説きたまえり。」善男子。菩薩に二種あり。一には実義、二には仮名なり。仮名の菩薩、我、三月あって当に涅槃に入るべしと聞きて、皆、退心を生じて是の言を作さく、「如し其れ如来、無常にして住したまわずは、我等、何がせん。是の事の為の故に無量世の中に大苦悩を受けき。如来世尊は無量の功徳を成就し具足したまいて、尚壊すること能わず、是くの如きの死魔をや。況んや我等が輩、当に能く壊すべけんや。」善男子。是の故に、我、是くの如きの菩薩の為にして是の言を作さく、「如来は常住にして変易有ること無し。」我が諸の弟子、是の説を聞き已りて、我が意を解らざれば定んで言わく、「如来は終に畢竟じて涅槃に入りたまわず」と。」已上抄出

 是を以て、今、大聖の真説に拠るに、難化の三機、難治の三病は、大悲の弘誓を憑み、利他の信海に帰すれば、斯れを矜哀して治す、斯れを憐憫して療したまう。喩えば醍醐の妙薬の、一切の病を療するが如し。濁世の庶類、穢悪の群生、金剛不壊の真心を求念すべし、本願醍醐の妙薬を執持すべきなりと知るべし。

 夫れ諸大乗に拠るに難化の機を説けり。今『大経』には「唯除五逆誹謗正法」と言い、或いは「唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人」(如来会)と言えり。『観経』には五逆の往生を明かして謗法を説かず。『涅槃経』には難治の機と病とを説けり。斯れ等の真教、云何が思量せんや。

(「信巻」続く)

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