【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』真仏土巻05

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 善男子。常に「一切衆生悉有仏性」と宣説する。是れを「随自意説」と名づく。「一切衆生、不断不滅にして、乃至阿耨多羅三藐三菩提を得る。」是れを「随自意説」と名づく。

 「一切衆生は悉く仏性有れども、煩悩覆えるが故に見ることを得ること能わずと。我が説、是くの如し。汝が説、亦爾なり」と。是れを「随自他意説」と名づく。善男子。如来、或る時は一法の為の故に無量の法を説く」と。抄出

 又言わく(師子吼菩薩品)、「「一切覚者を、名づけて「仏性」とす。十住の菩薩は、名づけて「一切覚」とすることを得ざるが故に、是の故に見ると雖も明了ならず。善男子。見に二種有り。一には眼見、二には聞見なり。

 諸仏世尊は、眼に仏性を見そなわす。掌の中に於いて阿摩勒菓を観ずるが如し。十住の菩薩、仏性を聞見すれども、故ら了了ならず。十住の菩薩、唯能く自ら定んで阿耨多羅三藐三菩提を得ることを知りて、一切衆生は悉く仏性有りと知ること能わず。善男子。復た眼見有り。諸仏如来なり。十住の菩薩は、仏性を眼見し、復た聞見すること有り。一切衆生、乃至九地までに仏性を聞見す。菩薩、若し「一切衆生悉く仏性有り」と聞けども心に信を生ぜざれば、「聞見」と名づけず」と。乃至

 師子吼菩薩摩訶薩言さく、「世尊。一切衆生は如来の心相を知ることを得ること能わず。当に云何が観じて知ることを得べしや。」

 「善男子。一切衆生は、実に如来の心相を知ること能わず。若し観察して知ることを得んと欲わば二の因縁有り。一には眼見、二には聞見なり。

 若し如来所有の身業を見たてまつらんは、当に知るべし、是れ則ち如来とするなり。是れを「眼見」と名づく。若し如来所有の口業を観ぜん。当に知るべし、是れ則ち如来とするなり。是れを「聞見」と名づく。若し色貌を見たてまつること、一切衆生の、与に等しき者無けん。当に知るべし、是れ則ち如来とするなり。是れを「眼見」と名づく。若し音声微妙最勝なるを聞かん。衆生所有の音声には同じからじ。当に知るべし、是れ則ち如来とするなり。是れを「聞見」と名づく。若し如来所作の神通を見たてまつらんに、衆生の為とやせん、利養の為とやせん。若し衆生の為にして利養の為に不ず。当に知るべし、是れ則ち如来とするなり。是れを「眼見」と名づく。若し如来を観ずるに、他心智を以て衆生を観そなわす時、利養の為に説き、衆生の為に説かん。若し衆生の為にして利養の為にせざらん。当に知るべし、是れ則ち如来とするなり。是れを「聞見」と名づく。」」略出

 『浄土論』に曰わく、「世尊。我、一心に尽十方の無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生まれんと願ず。彼の世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。究竟して虚空の如し、広大にして辺際無し」とのたまえり。已上

 『註論』(論註)に曰わく、「「荘厳清浄功徳成就は、偈に「観彼世界相 勝過三界道故」と言えり。」(論)此れ云何が不思議なるや。凡夫人煩悩成就せる有りて、亦彼の浄土に生ずることを得るに、三界の繫業、畢竟じて牽かず。則ち是れ煩悩を断ぜずして涅槃分を得。焉んぞ思議すべきや」と。

 又云わく(論註)、「「正道の大慈悲は、出世の善根より生ず」(論)とのたまえり。此の二句は、「荘厳性功徳成就」と名づく。乃至 「性」は是れ本の義なり。言うこころは、此れ浄土は法性に随順して法本に乖かず。事、『華厳経』の宝王如来の性起の義に同じ。又、言うこころは、積習して性を成ず。法蔵菩薩を指す。諸の波羅蜜を集めて、積習して成ぜる所なり。亦「性」と言うは、是れ聖種性なり。序めに法蔵菩薩、世自在王仏の所にして無生忍を悟る。爾の時の位を「聖種性」と名づく。是の性の中に於いて四十八大願を発して、此の土を修起したまえり。即ち「安楽浄土」と曰う。是れ、彼の因の所得なり。果の中に因を説く。故に名づけて「性」とす。又「性」と言うは、是れ必然の義なり、不改の義なり。海の性一味にして、衆流入る者、必ず一味と為りて、海の味、彼に随いて改まらざるが如しとなり。又、人身の性不浄なるが故に、種種の妙好色・香・美味、身に入りぬれば、皆不浄と為るが如し。安楽浄土は、諸の往生の者、不浄の色無し、不浄の心無し。畢竟じて、皆、清浄平等無為法身を得しむ。安楽国土清浄の性成就したまえるを以ての故なり。

 「正道の大道大慈悲は、出世の善根より生ず」(論)というは、平等の大道なり。平等の道を名づけて「正道」とする所以は、平等は是れ諸法の体相なり。諸法平等なるを以ての故に発心等し。発心等しきが故に道等し。道等しきが故に大慈悲等し。大慈悲は是れ仏道の正因なるが故に、「正道大慈悲」と言えり。慈悲に三縁有り。一には衆生縁、是れ小悲なり。二には法縁、是れ中悲なり。三には無縁、是れ大悲なり。大悲は即ち是れ出世の善なり。安楽浄土は、此の大悲より生ぜるが故なればなり。故に此の大悲を謂いて、「浄土の根」とす。故に「出世善根生」と曰うなり」と。

 又云わく(論註)、「問うて曰わく、法蔵菩薩の本願力、及び龍樹菩薩の所讃を尋ぬるに、皆、彼の国に声聞衆多なるを以て奇とするに似たり。此れ何の義有るや。

 答えて曰わく、声聞は実際を以て証とす。計るに更に能く仏道の根芽を生ずべからず。而るを、仏、本願の不可思議の神力を以て、摂して彼に生ぜしむるに、必ず当に復た神力を以て、其れをして無上道心を生ぜしむべし。譬えば、鴆鳥、水に入れば、魚蜯、咸く死す。犀牛、之に触るれば、死する者、皆活えるが如し。此くの如き、生ずべからずして生ぜしむ。所以に奇とすべし。然るに五不思議の中に仏法最不可思議なり。仏、能く声聞をして復た無上道心を生ぜしめたまう。真に不可思議の至なり。」

 又云わく(論註)、「不可思議力は、総て彼の仏国土の十七種荘厳功徳力不可得思議なることを指すなり。諸経に説きて言わく、「五種の不可思議有り。一には衆生多少不可思議、二には業力不可思議、三には龍力不可思議、四には禅定力不可思議、五には仏法力不可思議なり。」此の中に仏土不可思議に二種の力有り。一には業力、謂わく、法蔵菩薩の出世の善根と大願業力の所成なり。二には正覚の阿弥陀法王の、善く住持力をして摂したまう所なり。」

 又云わく(論註)、「自利利他を示現すというは、「略して彼の阿弥陀仏の国土の十七種の荘厳功徳成就を説きつ。如来の自身利益大功徳力成就と利益他功徳成就とを示現したまえるが故に」(論)とのたまえり。「略」と言うは、彼の浄土の功徳無量にして、唯十七種のみに非ざることを彰すなり。夫れ、須弥を、之を芥子に入れ、毛孔に、之を大海を納む。豈に山海の神ならんや、毛芥の力ならんや。能神の者の神ならくのみ」と。

 又云わく(論註)、「「何者か荘厳不虚作住持功徳成就。偈に「仏本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者無し。能く速やかに功徳大宝海を満足せしむる」が故にと言えり。」(論)「不虚作住持功徳成就」は、蓋し是れ阿弥陀如来の本願力なり。乃至 言う所の「不虚作住持」は、本、法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とに依りてなり。願以て力を成ず、力以て願に就く。願、徒然ならず、力、虚設ならず。力・願相府いて畢竟じて差わず。故に「成就」と曰う」と。抄出

(真仏土巻は続く)

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