「仏教を本気で学ぶ」 一覧

立教開宗(浄土宗)

承安5(1175)年の春、法然上人は宇治で『 観経疏 (かんぎょうしょ) 』『散善義』と出会い、称名往生に関する確信を得て専修念仏に帰す。比叡山の西塔黒谷を出て西山広谷に移り、しばらくして東山大谷に住 ...

中国の五山 ~五山制度と臨済宗~

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法然上人誕生

法然上人(ほうねんしょうにん)は、長承2(1133年)4月7日 美作国(岡山県)久米南条稲岡庄に生まれる。幼名は勢至丸。父は押領使(地方の治安維持にあたる在地豪族)の漆間時国、母は秦氏。 << 戻る

良忍(りょうにん)

  良忍は、平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師。 尾張国知多郡の領主の秦道武の子。良仁とも書き、房号は光静房または光乗房。生年は延久4年説もある。比叡山東塔常行三昧堂の堂 ...

良忍上人、念仏勧進を始める

ある時、鞍馬寺の多聞天王が威厳に満ちたお姿を現して良忍上人にいわれるには、 「あなたは先に仏さまから尊い融通念仏を授かったのに、どうしてそれを人びとに勧めて苦しみの衆生を救済しないのか」 このお言葉に ...

融通念仏宗の開宗

永久5年(1117)5月15日 午の刻(正午)良忍上人が大原来迎院にて一心に念仏を称えている修行中、阿弥陀仏が速疾往生と言って、後の世を待たずに、現世に誰もが速やかに智恵がかがやき喜び溢れる幸せの世界 ...

覚鑁上人(高野山教学中興の祖)高野山に登る

永久二年(1114年)、覚鑁上人(高野山教学中興の祖)高野山に登り約8年間修行する。 大治五年(1130年)、覚鑁上人伝法院を建立。 長承元年(1132年)、大伝法院落慶。 長承三年(1134年)、覚 ...

禅苑清規(ぜんえんしんぎ)

禅苑清規とは、禅院の修行道場における規律を定めた現存する最古の規則で、雲門宗の慈覚大師・長盧宗賾(ちょうろそうさく)によって記されました。元符年間(1098-1100年)に編集を始め、崇寧二年(110 ...

扶桑略記

  扶桑略記(ふそうりゃくき)とは、1094年(寛治8年)以降の堀河天皇代に比叡山功徳院の僧・皇円が編纂したとされる私撰歴史書ですが、異説もあります。全30巻より成り、このうち巻二~六、巻二 ...

『釈氏要覧』 (しゃくしようらん)

1019年(天禧3年)、宋(中国)の道誠(どうせい)が編纂した全3巻から成る仏教の故実や名目の簡潔な解説書です。 << 戻る

源信(げんしん)- 恵心僧都(えしんそうず)

  源信は、平安時代中期に比叡山で修行を積んだ天台宗の僧侶です。恵心僧都と尊称されます。源信は死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願う、浄土信仰を広めた僧として知られます。 ...

祈親上人定誉、高野山復興に着手

落雷からの火災で荒廃した高野山を再興したのは、法華経の持経者(聖)だった興福寺の定誉(958-1047)です。長和5年(1016年)、観音像のお告げで高野山に登った定誉は、冬の寒さを防ぐ方法を編み出し ...

『往生要集』(おうじょうようしゅう)

  平安時代の中ごろにあたる985年、源信(げんしん)(恵心僧都・えしんそうず)の書いた1部3巻からなる仏教書。極楽浄土のすばらしさと念仏往生(ねんぶつおうじょう)の方法をのべたものです。こ ...

空也(くうや)

  空也とは、平安時代中期の僧侶。阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人と称されます。口称念仏の祖、民間における浄土教の先駆者として、空也流の念仏勧進聖は鎌倉仏教の浄土信仰を ...

弘法大師の諡号を賜わる

延喜21(921)年、空海上人は醍醐天皇から弘法大師の諡号(しごう)を賜わる。 東寺と金剛峯寺座主を兼務する観賢は、朝廷に働きかけて空海上人への弘法大師号宣下を実現させました。ですから、空海上人が「弘 ...

観賢、東寺と金剛峯寺座主を兼務

延喜十九年(919年)、観賢(八五四~九二五年)、東寺と金剛峯寺座主を兼務する。 空海上人が入滅後、金剛峯寺(高野山)や東寺、高雄山寺(神護寺)などの真言宗諸寺はそれぞれ独立した寺院としての道を歩み始 ...

相応和尚(そうおうかしょう)

相応和尚は近江国浅井郡の出身で、孝昭天皇の第一皇子天帯彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)の子孫と伝えられています。15歳の時、鎮操(ちんそう)大徳に随って比叡山に登り17歳で剃髪し沙弥に ...

  モンゴル系の契丹族(きったんぞく)が,満州や中国北部を支配した国(916〜1125)。渤海(ぼっかい)を滅ぼし、唐の滅亡に乗じて華北にも進入。契丹文字をつくるなど民族の独自性をたもつよう ...

補陀落渡海のはじまり

868年11月3日、慶龍上人が熊野那智より渡海したのが一番古い記録です(「熊野年代記」)。補陀洛山寺は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで知られています。 「補陀落」とはサンスクリット ...

伝教大師の諡号が贈られる

貞観8(866)年、清和天皇より最澄上人に伝教大師の諡号が贈られました。大師号も日本ではこれが最初です。 << 戻る

弘法大師 空海上人(こうぼうだいしくうかいしょうにん)

  空海は、宝亀5(774)年6月15日、讃岐国の屏風ガ浦(現在の四国香川県善通寺市)で誕生しました。父は、郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は、玉依御前(たまよりごぜん)の三男で ...

最初の万燈万華会

天長9(832)年8月22日、高野山において最初の万燈万華会(まんどうまんげえ)を修しました。 萬燈萬華会(略して萬燈会)は、多くの灯明と多くの華を仏さまに供養し、人々の望みが叶うよう祈る法要です。例 ...

空海上人、綜芸種智院を開設

天長5(828)年、空海上人は東寺の東にあった藤原三守の私邸を譲り受け、一般の人たちが誰でも勉強できるように私立の教育施設「綜芸種智院」を開設しました。 << 戻る

伝教大師 最澄上人(でんぎょうだいし さいちょうしょうにん)

  最澄とは、平安時代の僧で、日本天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られます。中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建立して天台宗の開祖となりました。伝教大師とは、最澄のことで ...

天台法華宗年分学生式を奏上

弘仁9(818)年5月13日、『天台法華宗年分学生式』(てんだいほっけしゅうねんぶんがくしょうしき)(『六条式』『山家学生式』(さんげがくしょうしき)とも)を最澄上人が天皇に奏上しました。そこには、比 ...

金剛界結縁灌頂、胎蔵灌頂の開壇

弘仁3(812)年11月15日、空海上人は高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇し、12月14日には胎蔵灌頂を開壇しました。入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範のほか190名にのぼりました。 << 戻る

真言宗の開宗

弘仁元(810)年、空海上人は嵯峨天皇から書を奉り、「真言宗」という宗旨を開く許しを得ました。 << 戻る

成実宗が伝わる

成実宗(じょうじつしゅう)は、百済の道蔵が日本へ伝えました。延暦25年(806年)の太政官符によれば、三論業3名のうち、1名には成実論を読ませた、とあります。俗諦と真諦とを対立させ、俗諦の存在を認める ...

天台宗が公認される

延暦25(806)年、華厳宗・律宗・三論宗(成実宗含む)・法相宗(倶舎宗含む)に天台宗を加えて十二名の年分度者が許されることになり、天台宗が公認されました。このころ、最澄上人は空海から、真言、悉曇(梵 ...

空海上人、真言密教の第八祖に

永貞元(延暦24、805)年2月、長安の西明寺に滞在し、まず醴泉寺の印度僧般若三蔵に学び、梵語の経本や新訳経典を与えられる。5月より、正統の真言密教を継がれた第七祖である青龍寺東塔院(しょうりゅうじと ...

道鏡(どうきょう)

  道鏡とは、河内国若江郡(現在の八尾市の一部)出身の奈良時代の僧で、葛城山などで厳しい修業を積み、修験道や呪術にも優れ、孝謙上皇(東大寺を建てた聖武天皇と光明皇后の娘)の病気を治したことか ...

『理趣経』(りしゅきょう)

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