【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』証巻06

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 名義摂対は、「向に智慧・慈悲・方便、三種の門、般若を摂取す。般若、方便を摂取すと説きつ。知る応し」(論)とのたまえり。「般若」は、如に達するの慧の名なり。「方便」は、権に通ずるの智の称なり。如に達すれば則ち心行寂滅なり。権に通ずれば則ち備に衆機に省くの智なり。備に応じて無知なり。寂滅の慧、亦無知にして備に省く。然れば則ち智慧と方便と、相縁じて動じ、相縁じて静なり。動、静を失せざることは、智慧の功なり。静、動を廃せざることは、方便の力なり。是の故に智慧と慈悲と方便と、般若を摂取す。般若、方便を摂取す。「応知」は、謂わく、智慧と方便は是れ菩薩の父母なり。若し智慧と方便とに依らずは、菩薩の法、則ち成就せざることを知る応し。何を以ての故に。若し智慧無くして衆生の為にする時んば、則ち顚倒に堕せん。若し方便無くして法性を観ずる時んば、則ち実際を証せん。是の故に「知る応し」と。

 「向に遠離我心貪著自身・遠離無安衆生心・遠離供養恭敬自身心を説きつ。此の三種の法は障菩提心を遠離するなりと知る応し」(論)とのたまえり。諸法に各おの障碍の相有り。風は能く静を障う、土は能く水を障う、湿は能く火を障う、五黒・十悪は人天を障う、四顚倒は声聞の果を障うるが如し。此の中の三種は、菩提を障うる心を遠離せずと。「応知」は、若し無障を得んと欲わば、当に此の三種の障碍を遠離すべしとなり。

 「向に無染清浄心・安清浄心・楽清浄心を説きつ。此の三種の心は、略して一処にして妙楽勝真心を成就したまえりと知る応し」(論)とのたまえり。楽に三種有り。一には外楽、謂わく、五識所生の楽なり。二には内楽、謂わく、初禅・二禅・三禅の意識所生の楽なり。三には法楽 五角の反 楽 魯各の反、謂わく、智慧所生の楽なり。此の智慧所生の楽は、仏の功徳を愛するより起これり。是れは遠離我心と遠離無安衆生心と遠離自供養心と、是の三種の心、清浄に増進して、略して「妙楽勝真心」とす。「妙」の言は、其れ好なり。此の楽は仏を縁じて生ずるを以ての故に。「勝」の言は、三界の中の楽に勝出せり。「真」の言は、虚偽ならず、顚倒せざるなり。

 願事成就は、「是くの如き菩薩は、智慧心・方便心・無障心・勝真心をもって、能く清浄仏国土に生ぜしめたまえりと知る応し」(論)とのたまえり。「応知」は、謂わく、此の四種の清浄の功徳、能く彼の清浄仏国土に生ずることを得しむ。是れ他縁をして生ずるには非ずと知る応しとなり。

 「是れを「菩薩摩訶薩、五種の法門に随順して、所作、意に随いて自在に成就したまえり」と名づく。向の所説の如き身業・口業・意業・智業・方便智業、法門に随順せるが故に」(論)とのたまえり。「随意自在」は、言うこころは、此の五種の功徳力、能く清浄仏土に生ぜしめて出没自在なるなり。「身業」は礼拝なり。「口業」は讃嘆なり。「意業」は作願なり。「智業」は観察なり。「方便智業」は回向なり。此の五種の業和合せり。則ち是れ往生浄土の法門に随順して、自在の業成就したまえりと言えりと。

 利行満足は、「復た五種の門有りて、漸次に五種の功徳を成就したまえりと知る応しと。何者か五門。一には近門、二には大会衆門、三には宅門、四には屋門、五には園林遊戯地門なり」(論)とのたまえり。此の五種は、入出の次第の相を示現せしむ。入相の中に、初めに浄土に至るは、是れ近相なり。謂わく、大乗正定聚に入るは、阿耨多羅三藐三菩提に近づくなり。浄土に入り已るは、便ち如来の大会衆の数に入るなり。衆の数に入り已りぬれば、当に修行安心の宅に至るべし。宅に入り已れば、当に修行所居の屋宇 尤挙の反 に至るべし。修行成就し已りぬれば、当に教化地に至るべし。教化地は即ち是れ菩薩の自娯楽の地なり。是の故に出門を「園林遊戯地門」と称すと。

 「此の五種の門は、初めの四種の門は入の功徳を成就したまえり。第五門は出の功徳を成就したまえり」(論)とのたまえり。此の入出の功徳は、何者か是れや。

 釈すらく、「「入第一門」と言うは、阿弥陀仏を礼拝して、彼の国に生ぜしめんが為にするを以ての故に、安楽世界に生ずることを得しむ。是れを「第一門」と名づく。」(論)仏を礼して仏国に生まれんと願ずるは、是れ初の功徳の相なりと。

 「入第二門は、阿弥陀仏を賛嘆し、名義に随順して如来の名を称せしめ、如来の光明智相に依りて修行せるを以ての故に、大会衆の数に入ることを得しむ。是れを「入第二門」と名づく」(論)とのたまえり。如来の名義に依りて讃嘆する、是れ第二の功徳相なりと。

 「入第三門は、一心に専念し作願して彼に生じて、奢摩他寂静三昧の行を修するを以ての故に、蓮華蔵世界に入ることを得しむ。是れを「入第三門」と名づく。」(論)寂静止を修せん為の故に、一心に彼の国に生まれんと願ずる、是れ第三の功徳相なりと。

 「入第四門は、彼の妙荘厳を専念し観察して毘婆舎那を修せしむるを以ての故に、彼の所に到ることを得て、種種の法味の楽を受用せしむ。是れを「入第四門」と名づく」(論)とのたまえり。「種種の法味の楽」は、毘婆舎那の中に、観仏国土清浄味・摂受衆生大乗味・畢竟住持不虚作味・類事起行願取仏土味有り。是くの如き等の無量の荘厳仏道の味有るが故に、「種種」と言えり。是れ第四の功徳相なりと。

 「出第五門は、大慈悲を以て一切苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、生死の園・煩悩の林の中に回入して、神通に遊戯し教化地に至る。本願力の回向を以ての故に。是れを「出第五門」と名づく」(論)とのたまえり。「示応化身」とは、『法華経』の普門示現の類の如きなり。「遊戯」に二の義有り。一には自在の義。菩薩、衆生を度す、譬えば師子の、鹿を搏つに、所為、難らざるが如きは、遊戯するが如似し。二には度無所度の義なり。菩薩、衆生を観ずるに、畢竟じて有らゆる所無し。無量の衆生を度すと雖も、実に一衆生として滅度を得る者無し。衆生を度すと示すこと、遊戯するが如似し。「本願力」と言うは、大菩薩、法身の中にして、常に三昧に在して、種種の身・種種の神通・種種の説法を現すことを示すこと、皆、本願力より起こるを以てなり。譬えば阿修羅の琴の、鼔する者無しと雖も音曲自然なるが如し。是れを「教化地の第五の功徳相」と名づくとのたまえり。」已上抄出

 爾れば、大聖の真言、誠に知りぬ。大涅槃を証することは願力の回向に藉りてなり。還相の利益は利他の正意を顕すなり。
 是を以て、論主(天親)は広大無碍の一心を宣布して、普遍く雑染堪忍の群萌を開化す。宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、慇懃に他利・利他の深義を弘宣したまえり。仰いで奉持すべし、特に頂戴すべしと。

顕浄土真実証文類四

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