【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』証巻05

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 凡そ回向の名義を釈せば、謂わく、己が所集の一切の功徳を以て、一切衆生に施与して、共に仏道に向かえしめたまうなりと。「巧便」は、謂わく、菩薩願ずらく、「己が智慧の火を以て一切衆生の煩悩の草木を焼かんと。若し一衆生として成仏せざること有らば、我、仏に作らじ」と。而るに衆生、未だ尽く成仏せざるに、菩薩、已に自ら成仏せんは、譬えば火擿 聴念の反 して、一切の草木を擿 聴歴の反 んで〔「擿」の字 他暦の反。排除なり。とる。つむ。おく。たく。〕焼きて尽くさしめんと欲するに、草木、未だ尽きざるに、火擿、已に尽きんが如し。其の身を後にして、身を先にするを以ての故に、「方便」と名づく。此の中に「方便」と言うは、謂わく、作願して一切衆生を摂取して、共に同じく彼の安楽仏国に生ぜしむ。彼の仏国は、即ち是れ畢竟成仏の道路・無上の方便なり。

 障菩提門は、「菩薩、是くの如き、善く回向成就したまえるを知れば、即ち能く三種の菩提門相違の法を遠離するなり。何等か三種。一には智慧門に依りて自楽を求めず。我心、自身に貪著するを遠離せるが故に」(論)とのたまえり。進むを知りて退くを守るを「智」と曰う。空無我を知るを「慧」と曰う。智に依るが故に自楽を求めず。慧に依るが故に、我心、自身に貪著するを遠離せり。

 「二には慈悲門に依れり。一切衆生の苦を抜いて、無安衆生心を遠離せるが故に」(論)とのたまえり。苦を抜くを「慈」と曰う。楽を与うるを「悲」と曰う。慈に依るが故に一切衆生の苦を抜く。悲に依るが故に無安衆生心を遠離せり。

 「三には方便門に依れり。一切衆生を憐愍したまう心なり。自身を供養し恭敬する心を遠離せるが故に」(論)とのたまえり。正直を「方」と曰う。外己を「便」と曰う。正直に依るが故に、一切衆生を憐愍する心を生ず。外己に依るが故に、自身を供養し恭敬する心を遠離せり。是れを「三種の菩提門相違の法を遠離す」と名づく。

 順菩提門とは、「菩薩は、是くの如き三種の菩提門相違の法を遠離して、三種の随順菩提門の法満足することを得たまえるが故に。何等か三種。一には無染清浄心。自身の為に諸楽を求めざるを以ての故に」(論)とのたまえり。菩提は是れ無染清浄の処なり。若し身の為に楽を求めば、即ち菩提に違しなん。是の故に無染清浄心は是れ菩提門に順ずるなり。

 「二には安清浄心。一切衆生の苦を抜くを以ての故に」(論)とのたまえり。菩提は是れ一切衆生を安穏する清浄の処なり。若し作心して一切衆生を抜きて生死の苦を離れしめずは、即便ち菩提に違しなん。是の故に一切衆生の苦を抜くは是れ菩提門に順ずるなりと。

 「三には楽清浄心。一切衆生をして大菩提を得しむるを以ての故に、衆生を摂取して彼の国土に生ぜしむるを以ての故に」(論)とのたまえり。菩提は是れ畢竟常楽の処なり。若し一切衆生をして畢竟常楽を得しめずは、則ち菩提に違しなん。此の畢竟常楽は何に依りてか得る。大乗〔或る本、「義」の字に作る。〕門に依るなり。大乗門は、謂わく、彼の安楽仏国土、是れなり。是の故に又「衆生を摂取して彼の国土に生ぜしむるを以ての故に」と言えり。是れを「三種の随順菩提門の法満足せりと知る応し」と名づくと。

(証巻は続く)

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