【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』証巻04

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 已下は是れ解義の中の第四重なり。名づけて「浄入願心」とす。浄入願心は、「又向に観察荘厳仏土功徳成就・荘厳仏功徳成就・荘厳菩薩功徳成就を説きつ。此の三種の成就は願心の荘厳したまえるなりと知る応し」(論)といえり。「応知」とは、此の三種の荘厳成就は、本、四十八願等の清浄の願心の荘厳せる所なるに由りて、因浄なるが故に果浄なり、因無くして他の因の有るには非ずと知る応しとなり。

 「略して入一法句を説くが故に」(論)とのたまえり。上の国土の荘厳十七句と如来の荘厳八句と菩薩の荘厳四句とを「広」とす。「入一法句」は「略」とす。何故ぞ広略相入を示現するとならば、諸仏菩薩に二種の法身有り。一には法性法身、二には方便法身なり。法性法身に由りて方便法身を生ず。方便法身に由りて法性法身を出だす。此の二の法身は、異にして分かつべからず、一にして同じかるべからず。是の故に広略相入して、絯ぬるに法の名を以てす。菩薩、若し広略相入を知らざれば、則ち自利利他に能わず。

 「一法句は、謂わく、清浄句なり。清浄句は、謂わく、真実の智慧無為法身なるが故に」(論)とのたまえり。此の三句は展転して相入る。何の義に依りてか、之を名づけて「法」とする。清浄を以ての故に。何の義に依りてか、名づけて「清浄」とする。真実の智慧無為法身を以ての故なり。「真実の智慧」は実相の智慧なり。実相は無相なるが故に真智無知なり。「無為法身」は法性身なり。法性寂滅なるが故に法身は無相なり。無相の故に能く相ならざること無し。是の故に相好荘厳即ち法身なり。無知の故に能く知らざること無し。是の故に一切種智即ち真実の智慧なり。真実を以てして智慧に目づくることは、智慧は作に非ず、非作に非ざることを明かすなり。無為を以てして法身を樹つることは、法身は色に非ず、非色に非ざることを明かすなり。非に非ざれば、豈に非の能く是なるに非ざらんや。蓋し非無き、之を「是」と曰うなり。自ずから是にして、復た是に非ざることを待つこと無きなり。是に非ず非に非ず、百非の喩えざる所なり。是の故に「清浄句」と言えり。「清浄句」は、謂わく、真実の智慧無為法身なり。

 「此の清浄に二種有り。知る応し」(論)といえり。上の転入句の中に、一法に通じて清浄に入る。清浄に通じて法身に入る。今将に清浄を別ちて二種を出だすが故なり。故に「知る応し」と言えり。

 「何等か二種。一には器世間清浄、二には衆生世間清浄なり。器世間清浄は、向に説くが如きの十七種の荘厳仏土功徳成就、是れを「器世間清浄」と名づく。衆生世間清浄は、向に説くが如きの八種の荘厳仏功徳成就と四種の荘厳菩薩功徳成就と、是れを「衆生世間清浄」と名づく。是くの如きの一法句に、二種の清浄の義を摂すと知る応し」(論)とのたまえり。夫れ衆生は別報の体とす、国土は共報の用とす。体・用、一ならず。所以に知る応し。然るに諸法は心をして無余の境界を成ず。衆生及び器、復た異にして一ならざることを得ず。則ち義をして分かつに異ならず。同じく清浄なり。「器」は用なり。謂わく、彼の浄土は、是れ彼の清浄の衆生の受用する所なるが故に、名づけて「器」とす。浄食に不浄の器を用いれば、器不浄なるを以ての故に食亦不浄なり。不浄の食に浄器を用いれば、食不浄なるが故に器亦不浄なるが如し。要ず二倶に潔して、乃し「浄」と称することを得しむ。是を以て一の「清浄」の名、必ず二種を摂す。

 問うて曰わく、「衆生清浄」と言えるは、則ち是れ仏と菩薩となり。彼の諸の人天、此の清浄の数に入ることを得んや不や。

 答えて曰わく、「清浄」と名づくることを得るは、実の清浄に非ず。譬えば、出家の聖人は煩悩の賊を殺すを以ての故に、名づけて「比丘」とす。凡夫の出家の者を亦「比丘」と名づくるが如し。又、灌頂王子初生の時、三十二相を具して即ち七宝の為に属せらる。未だ転輪王の事を為すこと能わずと雖も、亦「転輪王」と名づくるが如し。其れ必ず転輪王たるべきを以ての故に。彼の諸の人天も亦復是くの如し。皆、大乗正定の聚に入りて、畢竟じて当に清浄法身を得べし。当に得べきを以ての故に、「清浄」と名づくることを得るなりと。

 善巧摂化とは、「是くの如きの菩薩は、奢摩他・毘婆舎那、広略修行成就して柔軟心なり」(論)とのたまえり。「柔軟心」は、謂わく、広略の止観、相順じ修行して不二の心を成ぜるなり。譬えば水を以て影を取るに、清と静と相資けて成就するが如しとなり。

 「実の如く広略の諸法を知る」(論)とのたまえり。「如実知」とは、実相の如くして知るなり。広の中の二十九句、略の中の一句、実相に非ざること莫きなり。

 「是くの如き巧方便回向を成就したまえり」(論)とのたまえり。「是くの如き」というは、前後の広略、皆、実相なるが如きなり。実相を知るを以ての故に、則ち三界の衆生の虚妄の相を知るなり。衆生の虚妄を知れば、則ち真実の慈悲を生ずるなり。真実の法身を知るは則ち真実の帰依を起こすなり。慈悲と帰依と巧方便とは下に在り。

 「何者か、菩薩の巧方便回向。菩薩の巧方便回向は、謂わく、礼拝等の五種の修行を説く。所集の一切の功徳善根は、自身住持の楽を求めず、一切衆生の苦を抜かんと欲すが故に、作願して一切衆生を摂取して、共に同じく彼の安楽仏国に生ぜしむ。是れを「菩薩の巧方便回向成就」と名づく」(論)とのたまえり。王舎城所説の『無量寿経』を案ずるに、三輩生の中に、行に優劣有りと雖も、皆、無上菩提の心を発せざるは莫けん。此の無上菩提心は即ち是れ願作仏心なり。願作仏心は即ち是れ度衆生心なり。度衆生心は即ち是れ衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり。是の故に彼の安楽浄土に生まれんと願ずるは、要ず無上菩提心を発するなり。若し人、無上菩提心を発せずして、但、彼の国土の受楽無間なるを聞きて、楽の為の故に生まれんと願ずるは、亦当に往生を得ざるべきなり。是の故に「自身住持の楽を求めず、一切衆生の苦を抜かんと欲すが故に」と言えり。「住持楽」とは、謂わく、彼の安楽浄土は、阿弥陀如来の本願力の為に住持せられて、楽を受くること間無きなり。

(証巻は続く)

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