【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』真仏土巻

投稿日:1224年1月1日 更新日:

顕浄土真仏土文類五

光明無量の願
寿命無量の願

顕浄土真仏土文類五

愚禿釈親鸞集

 謹んで真仏土を案ずれば、仏は則ち是れ不可思議光如来なり、土は亦是れ無量光明土なり。
 然れば則ち大悲の誓願に酬報するが故に「真の報仏土」と曰うなり。既にして願有す。即ち光明・寿命の願、是れなり。

 『大経』に言わく、「設い我、仏を得たらんに、光明、能く限量有りて、下、百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ」と。

 又願に言わく、「設い我、仏を得んに、寿命、能く限量有りて、下、百千億那由他の劫に至らば、正覚を取らじ」と。

 願成就の文に言わく、「仏、阿難に告げたまわく、「無量寿仏の威神光明、最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり。乃至 是の故に無量寿仏は、「無量光仏」・「無辺光仏」・「無碍光仏」・「無対光仏」・「炎王光仏」・「清浄光仏」・「歓喜光仏」・「智慧光仏」・「不断光仏」・「難思光仏」・「無称光仏」・「超日月光仏」と号す。其れ衆生有りて、斯の光に遇う者は、三垢消滅し身意柔軟なり。歓喜踊躍し善心生ず。若し三塗懃苦の処に在りて此の光明を見ば、皆、休息を得て、復た苦悩無けん。寿終えての後、皆、解脱を蒙る。無量寿仏の光明、顕赫にして、十方諸仏の国土を照耀して聞こえざること莫し。但我今、其の光明を称するに不ず。一切諸仏・声聞・縁覚・諸の菩薩衆、咸く共に嘆誉すること、亦復是くの如し。若し衆生有りて、其の光明威神功徳を聞きて日夜に称説し、心を至して断えざれば、意の所願に随いて其の国に生まるることを得て、諸の菩薩声聞大衆の為に共に其の功徳を嘆誉し称せられん。其れ然うして後、仏道を得る時に至りて、普く十方の諸仏・菩薩の為に、其の光明を嘆ぜられんこと、亦今の如きならん」と。

 仏の言わく、「我、無量寿仏の光明威神、巍巍殊妙なるを説かんに、昼夜一劫すとも、尚未だ尽くすこと能わじ」と。

 仏、阿難に語りたまわく、「無量寿仏は寿命長久にして勝計すべからず。汝、寧ろ知らんや。仮使い十方世界の無量の衆生、皆、人身を得て、悉く声聞・縁覚を成就せしめて、都て共に集会して、思を禅らにし心を一にして、其の智力を竭くして百千万劫に於いて悉く共に推算して其の寿命の長遠の数を計えんに、窮尽して其の限極を知ること能わじ」と。」抄出

 『無量寿如来会』に言わく、「阿難。是の義を以ての故に、無量寿仏、復た異名有す。謂わく、「無量光」・「無辺光」・「無著光」・「無碍光」・「光照王」・「端厳光」・「愛光」・「喜光」・「可観光」・「不可思議光」・「無等不可称量光」・「暎蔽日光」・「暎蔽月光」・「掩奪日月光」なり。彼の光明、清浄広大にして、普く衆生をして身心悦楽せしむ。復た一切余の仏刹の中の天・龍・夜叉・阿修羅等、皆歓悦を得しむ」と。已上

 『無量清浄平等覚経』〔帛延訳〕に言わく、「速疾に超えて、便ち安楽国の世界に到るべし。無量光明土に至りて無数の仏を供養す」と。已上

 『仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』支謙訳 に言わく、「仏の言わく、「阿弥陀仏の光明は最尊第一にして比無し。諸仏の光明、皆及ばざる所なり。八方上下無央数の諸仏の中に、仏の頂中の光明、七丈を照らす有り。仏の頂中の光明、一里を照らす有り。乃至 仏の頂中の光明、二百万仏国を照らす有り。」

 仏の言わく、「諸の八方上下無央数の仏の頂中の光明の炎照する所、皆、是くの如くなり。阿弥陀仏の頂中の光明の炎照する所、千万仏国なり。諸仏の光明の照らす所に近遠有る所以は何んとなれば、本、其れ前世の宿命に道を求めて菩薩たりしに、所願を照らすに、功徳各おの自ずから大小有り。其れ然うして後、仏に作る時に至りて、各おの自ら之を得たり。是の故に光明、転た同等ならざらしむ。諸仏の威神、同等なるならくのみと。自在の意の所欲、作為して予め計らず。阿弥陀仏の光明の照らす所、最大なり。諸仏の光明、皆、及ぶこと能わざる所なり。」

(真仏土巻は続く)

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