【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』真仏土巻02

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 仏、阿弥陀仏の光明の極善なることを称誉したまう。「阿弥陀仏の光明は極善にして善の中の明好なり。其れ快きこと比無し。絶殊無極なり。阿弥陀仏の光明は清潔して瑕穢無し、欠咸無きなり。阿弥陀仏の光明は、殊好なること日月の明よりも勝れたること百千億万倍なり。諸仏の光明の中の極明なり。光明の中の極好なり。光明の中の極雄傑なり。光明の中の快善なり。諸仏の中の王なり。光明の中の極尊なり。光明の中の最明無極なり。諸の無数天下の幽冥の処を炎照するに、皆常に大明なり。諸有の人民・蜎飛蠕動の類、阿弥陀仏の光明を見ざること莫きなり。見たてまつる者、慈心歓喜せざる者莫けん。世間諸有の婬泆・瞋怒・愚痴の者、阿弥陀仏の光明を見たてまつりて、善を作さざるは莫きなり。諸の泥梨・狩・辟茘・考掠・勤苦の処に在りて阿弥陀仏の光明を見たてまつれば、至りて皆休止して、復た治することを得ざれども、死して後、憂苦を解脱することを得ざる者は莫きなり。阿弥陀仏の光明と名とは、八方上下無窮無極無央数の諸仏の国に聞かしめたまう。諸天・人民、聞知せざるは莫し。聞知せん者、度脱せざるは莫きなり。」

 仏の言わく、「独り我、阿弥陀仏の光明を称誉せざるなり。八方上下無央数の仏・辟支仏・菩薩・阿羅漢、称誉する所、皆、是くの如し。」

 仏の言わく、「其れ人民・善男子・善女人有りて、阿弥陀仏の声を聞きて、光明を称誉して、朝暮に常に其の光好を称誉して心を至して断絶せざれば、心の所願に在りて阿弥陀仏国に往生す」と。」已上

 『不空羂索神変真言経』に言わく、「汝当生の処は、是れ阿弥陀仏の清浄報土なり。蓮華より化生して常に諸仏を見たてまつる。諸の法忍を証せん。寿命無量百千劫数ならん。直ちに阿耨多羅三藐三菩提に至る。復た退転せず。我、常に祐護す」と。已上

 『涅槃経』(四相品)に言わく、「「又、解脱は名づけて「虚無」と曰う。虚無即ち是れ解脱なり。解脱即ち是れ如来なり。如来即ち是れ虚無なり。非作の所作なり。乃至 真解脱は不生不滅なり。是の故に解脱即ち是れ如来なり。如来、亦爾なり。不生・不滅・不老・不死・不破・不壊にして、有為の法に非ず。是の義を以ての故に名づけて「如来入大涅槃」と曰う。乃至 又、解脱は「無上上」と名づく。乃至 無上上は即ち真解脱なり。真解脱は即ち是れ如来なり。乃至 若し阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得已りて、無愛無疑なり。無愛無疑は即ち真解脱なり。真解脱は即ち是れ如来なり。乃至 如来は即ち是れ涅槃なり。涅槃は即ち是れ無尽なり。無尽は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ決定なり。決定は即ち是れ阿耨多羅三藐三菩提なり」と。

 迦葉菩薩、仏に白して言さく、「世尊。若し涅槃と仏性と決定と如来と、是れ一義名ならば、云何ぞ説きて「三帰依有り」と言えるや」と。

 仏、迦葉に告げたまわく、「善男子。一切衆生、生死を怖畏するが故に三帰を求む。三帰を以ての故に、則ち仏性と決定と涅槃とを知るなりと。善男子。法の名一義異なる有り。法の名義倶異なる有り。名一義異とは、「仏」と「常法」と「常比丘僧」とは常なり。「涅槃」・「虚空」、皆亦是れ常なり。是れを「名一義異」と名づく。名義倶異とは、仏を名づけて「覚」とす。法を「不覚」と名づく。僧を「和合」と名づく。涅槃を「解脱」と名づく。虚空を「非善」と名づく。亦「無碍」と名づく。是れを名義倶異とす。善男子。三帰依とは亦復是くの如し」と。」略出

 又言わく(四依品)、「光明は不羸劣に名づく。不羸劣とは、名づけて「如来」と曰う。又、光明は名づけて「智慧」とす」と。已上

 又言わく(聖行品)、「善男子。一切有為は皆是れ無常なり。虚空は無為なり。是の故に常とす。仏性は無為なり。是の故に常とす。虚空は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり。如来は即ち是れ無為なり。無為は即ち是れ常なり。常は即ち是れ法なり。法は即ち是れ僧なり。僧即ち無為なり。無為は即ち是れ常なり。乃至 善男子。譬えば、牛より乳を出だす。乳より酪を出だす。酪より生蘇を出だす。生蘇より熟蘇を出だす。熟蘇より醍醐を出だす。醍醐最上なり。若し服すること有る者は、衆病、皆除こる。所有の諸の薬、悉く其の中に入るが如し。善男子。仏も亦是くの如し。仏より十二部経を出だす。十二部経より修多羅を出だす。修多羅より方等経を出だす。方等経より般若波羅蜜を出だす。般若波羅蜜より大涅槃を出だす。猶醍醐の如し。「醍醐」と言うは、仏性に喩う。仏性は即ち是れ如来なり。善男子。是くの如きの義の故に、説きて「如来所有の功徳、無量無辺不可称計」と言えり」と。抄出

 又言わく(梵行品)、「善男子。道に二種有り。一には常、二には無常なり。菩薩の相に亦二種有り。一には常、二には無常なり。涅槃も亦爾なり。外道の道を、名づけて「無常」とす。内道の道は、之を名づけて「常」とす。声聞・縁覚所有の菩提を、名づけて「無常」とす。菩薩・諸仏の所有の菩提、之を名づけて「常」とす。外の解脱は、名づけて「無常」とす。内の解脱は、之を名づけて「常」とすと。善男子。道と菩提及以び涅槃と、悉く名づけて「常」とす。一切衆生は、常に無量の煩悩の為に覆われて慧眼無きが故に、見ることを得ること能わずして、諸の衆生、戒・定・慧を修するを見んと欲うが為に修行するを以ての故に、道と菩提と及以び涅槃とを見る。是れを「菩薩の得道・菩提・涅槃」と名づく。道の性相、実に不生滅なり。是の義を以ての故に、投持すべからず。乃至 道は色像無しと雖も見つべし。称量して知りぬべし。而るに実に用有りと。乃至 衆生の心の如きは、是れ色に非ず、長に非ず、短に非ず、麁に非ず、細に非ず、縛に非ず、解に非ず、見に非ずと雖も、法而として亦是れ有なり」と。抄出

 又言わく(徳王菩薩品)、「善男子。大楽有るが故に「大涅槃」と名づく。涅槃は無楽なり。四楽を以ての故に「大涅槃」と名づく。何等をか四とする。一には諸楽を断ずるが故に。楽を断ぜざるは則ち名づけて「苦」とす。若し苦有らば「大楽」と名づけず。楽を断ずるを以ての故に則ち苦有ること無けん。無苦無楽、乃ち「大楽」と名づく。涅槃の性は無苦無楽なり。是の故に涅槃を名づけて「大楽」とす。是の義を以ての故に「大涅槃」と名づく。復た次に善男子。楽に二種有り。一には凡夫、二には諸仏なり。凡夫の楽は無常敗壊なり。是の故に無楽なり。諸仏は常楽なり。変易有ること無きが故に「大楽」と名づく。復た次に善男子。三種の受有り。一には苦受、二には楽受、三には不苦不楽受なり。不苦不楽、是れ亦苦とす。涅槃も不苦不楽に同じと雖も、然るに「大楽」と名づく。大楽を以ての故に「大涅槃」と名づく。

 二には大寂静の故に名づけて「大楽」とす。涅槃の性、是れ大寂静なり。何を以ての故に。一切憒閙の法を遠離せる故に。大寂を以ての故に「大涅槃」と名づく。

 三には一切智の故に名づけて「大楽」とす。一切智に非ざるをば「大楽」と名づけず。諸仏如来は一切智の故に名づけて「大楽」とす。大楽を以ての故に「大涅槃」と名づく。

 四には身不壊の故に名づけて「大楽」とす。身、若し壊すべきは則ち「楽」と名づけず。如来の身は金剛にして壊無し。煩悩の身・無常の身に非ず。故に「大楽」と名づく。大楽を以ての故に「大涅槃」と名づく。」已上

(真仏土巻は続く)

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