【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』信巻12

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 宗師(善導)の「専念」と云えるは即ち是れ一行なり、「専心」と云えるは即ち是れ一心なり。

 然れば願成就の一念は即ち是れ専心なり。専心即ち是れ深心なり。深心即ち是れ深信なり。深信即ち是れ堅固深信なり。堅固深信即ち是れ決定心なり。決定心即ち是れ無上上心なり。無上上心即ち是れ真心なり。真心即ち是れ相続心なり。相続心即ち是れ淳心なり。淳心即ち是れ憶念なり。憶念即ち是れ真実一心なり。真実一心即ち是れ大慶喜心なり。大慶喜心即ち是れ真実信心なり。真実信心即ち是れ金剛心なり。金剛心即ち是れ願作仏心なり。願作仏心即ち是れ度衆生心なり。度衆生心即ち是れ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心なり。是の心即ち是れ大菩提心なり。是の心即ち是れ大慈悲心なり。是の心即ち是れ無量光明慧に由りて生ずるが故に。願海平等なるが故に発心等し。発心等しきが故に道等し。道等しきが故に大慈悲等し。大慈悲は是れ仏道の正因なるが故に。

 『論の註』に曰わく、「彼の安楽浄土に生まれんと願ずるは、発無上菩提心を要す」とのたまえり。

 又云わく(論註)、「「是心作仏」(観経)は、言うこころは、心、能く作仏するなり。「是心是仏」(同)は、心の外に仏無さずとなり。譬えば、火、木より出でて、火、木を離るることを得ざるなり。木を離れざるを以ての故に、則ち能く木を焼く。木、火の為に焼かれて、木即ち火と為るが如きなり。」

 光明(善導)の云わく(定善義)、「是の心作仏す。是の心、是れ仏なり。是の心の外に異仏無さず」とのたまえり。已上

 故に知りぬ。一心、是れを「如実修行相応」と名づく。即ち是れ正教なり、是れ正義なり、是れ正行なり、是れ正解なり、是れ正業なり、是れ正智なり。三心即ち一心なり。一心即ち金剛真心の義、答え竟りぬ。知るべしと。

 『止観』の一に云わく、「「菩提」は、天竺の語、此には「道」と称す。「質多」は天竺の音なり、此の方には「心」と云う。「心」は即ち慮知なり。」已上

 「横超断四流」と言うは、「横超」は、「横」は竪超・竪出に対す。「超」は、迂に対し、回に対するの言なり。「竪超」は大乗真実の教なり。「竪出」は大乗権方便の教、二乗三乗迂回の教なり。「横超」は即ち願成就一実円満の真教、真宗是れなり。亦復「横出」有り。即ち三輩九品・定散の教、化土懈慢迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次を云わず。一念須臾の傾に速やかに疾く無上正真道を超証す。故に「横超」と曰うなり。

(「信巻」続く)

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