【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』化身土巻 - 本11

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 次に像法千年の中に、初めの五百年には、持戒、漸く減じ、破戒、漸く増せん。戒行有りと雖も証果無し。

 故に『涅槃』の七に云わく、「迦葉菩薩、仏に白して言さく、「世尊。仏の所説の如きは四種の魔有り。若し魔の所説及び仏の所説、我、当に云何してか分別することを得べき。諸の衆生有りて、魔行に随逐せん。復た仏説に随順すること有らば、是くの如き等の輩、復た云何が知らん」と。

 仏、迦葉に告げたまわく、「我涅槃して七百歳の後に、是れ魔波旬、漸く起こりて、当に頻りに我が正法を壊すべし。譬えば猟師の、身に法衣を服せんが如し。魔波旬も亦復是くの如し。比丘像・比丘尼像・優婆塞優婆夷像と作らんこと亦復是くの如しと。乃至 「諸の比丘、奴僕使・牛羊象馬・乃至銅鉄釜錫・大小銅盤・所須の物を受畜し、耕田種・敗売市易して穀米を儲くることを聴すと。是くの如きの衆事、仏、大悲の故に衆生を憐愍して、皆、畜うることを聴さん」と。是くの如きの経律は悉く是れ魔説なり」」と云云。

 既に「七百歳の後に、波旬、漸く起こらん」と云えり。故に知りぬ。彼の時の比丘、漸く八不浄物を貪畜せん。此の妄説を作さん、即ち是れ魔の流なり。此れ等の経の中に、明らかに年代を指して具に行事を説けり。更に疑うべからず。其れ一文を挙ぐ。余、皆準知せよ。

 次に像法の後半ば、持戒、減少し、破戒、巨多ならん。故に『涅槃』の六に云わく、乃至

 又『十輪』に言わく、「若し我が法に依りて出家して悪行を造作せん。此れ沙門に非ずして自ら「沙門」と称し、亦、梵行に非ずして自ら「梵行」と称せん。是くの如きの比丘、能く一切天・龍・夜叉・一切善法功徳伏蔵を開示して、衆生の善知識と為らん。少欲知足ならずと雖も、剃除鬚髪して法服を被著せん。是の因縁を以ての故に、能く衆生の為に善根を増長せん。諸の天人に於いて善道を開示せん。乃至、破戒の比丘、是れ死せる人なりと雖も、戒の余才、牛黄の如し。此れ死するものと雖も、人、故らに之を取る。亦麝香の、復に用有るが如し」と云云。

 既に「迦羅林の中に一の鎮頭迦樹有り」(涅槃経)と云えり。此れは像運、已に衰えて、破戒濁世に、僅かに一二、持戒の比丘有らんに喩うるなりと。又云わく、「破戒の比丘、是れ死せる人なりと雖も、猶麝香の死して用有るが如し。」(十輪経)衆生の善知識と為ること、明らかに知りぬ。此の時、漸く破戒を許して世の福田とす。前の『大集』に同じと。

 次に像季の後、全く是れ戒無し。仏、時運を知ろしめして、末俗を済わんが為に名字の僧を讃めて世の福田と為したまえりと。

 又『大集』の五十二に云わく、「若し後の末世に我が法の中に於いて、剃除鬚髪し身に袈裟を著たらん名字の比丘、若し壇越有りて供養を捨てば、無量の福を得ん」と。

 又『賢愚経』に言わく、「若し壇越、将来末世に、法乗、尽きんと欲せんに、正しく妻を蓄え、子を侠ましめん。四人以上の名字僧衆、当に礼敬せんこと、舎利弗・大目連等の如くすべし」と。

 又云わく(大集経)、「若し破戒を打罵し、身に袈裟を着たるを知ること無からん罪は、万億の仏身より血を出だすに同じからんと。若し衆生有りて、我が法の為に剃除鬚髪し袈裟を被服せんは、設い戒を持たずとも、彼等は悉く已に涅槃の印の為に印せらるるなり。」乃至

 『大悲経』に云わく、「仏、阿難に告げたまわく、「将来世に於いて、法、滅尽せんと欲せん時、当に比丘・比丘尼有りて、我が法の中に於いて出家を得たらんもの、己が手に児の臂を牽きて共に遊行して、彼の酒家より酒家に至らん。我が法の中に於いて非梵行を作さん。彼等、酒の因縁たりと雖も、此の賢劫の中に於いて、当に千仏有して興出したまわんに、我が弟子と為るべしと。次に後に、弥勒、当に我が所を補ぐべし。乃至最後盧至如来まで、是くの如き次第に、汝、当に知るべし。阿難。我が法の中に於いて、但、性は是れ沙門の行にして自ら「沙門」と称せん。形は沙門に似て、尚しく袈裟を被着すること有らしめんは、賢劫に於いて弥勒を首として乃至盧至如来まで、彼の諸の沙門、是くの如きの仏の所にして無余涅槃に於いて次第に涅槃に入ることを得ん。遺余有ること無けん。何を以ての故に。如来一切沙門の中に、乃至一たび仏の名を称し、一たび信を生ぜん者の所作の功徳、終に虚設ならじ。我、仏智を以て法界を測知するが故なり」」と云云。乃至

 此れ等の諸経に、皆、年代を指して将来末世の名字比丘を世の尊師とすと。若し正法時の制文を以て末法世の名字僧を制せば、教・機相乖き、人・法合せず。此れに由りて『律』(四分律)に云わく、「非制を制するは則ち三明を断ず。記説する所、是れ罪有り」と。此の上に経を引きて配当し已訖りぬ。

 後に教を挙げて比例せば、末法、法爾として正法毀壊し、三業、記無し。四儀、乖くこと有らん。且く『像法決疑経』に云わく、乃至 又『遺教経』に云わく、乃至 又『法行経』に云わく、乃至 『鹿子母経』に云わく、乃至 又『仁王経』に云うが如しと。乃至」已上略抄

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