スッタニパータ

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スッタニパータ – ブッダの言葉

かの尊き師・尊き人、覚った人に礼したてまつる。【 第1 蛇の章 】1、蛇1 身体に蛇の毒がひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮してふるい皮を捨て去るように。2 池の蓮華を水にもぐって折り取るように、愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。 蛇が脱皮してふるい皮を捨て去るように。3 流れる妄執の水をからし尽くした修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮してふるい皮を捨て去るように。4 激流が弱々しい葦の橋を壊すように、すっかり驕慢を滅し尽くした修行者は、この世とかの世とをともに捨て去...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】2、ダニヤ

18 牛飼いダニヤが言った、「私はもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河の岸のほとりに、私は妻子と共に住んでいる。我が小舎の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」19 師は答えた、「私は怒ることなく、心の迷いを離れている。マヒー河の岸のほとりに一夜の宿りをなす。我が小舎(すなわち自身)はあばかれ、欲情の火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」20 牛飼いダニヤが言った、「蚊もアブもいないし、牛どもは沼地に茂った草を食んで歩み、雨が降っても、彼らは堪え忍ぶであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」21 ...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】3、サイの角

35 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。サイの角のようにただ独り歩め。36 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情に従ってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生じることを観察して、サイの角のようにただ独り歩め。37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが目的を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、サイの角のようにただ独り歩め。38 子や妻に対する愛著は、確かに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、サイの角のようにただ独り歩め。39 林...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】4、田を耕すバーラドヴァージャ

わたしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)はマガダ国の南山にある「一つの茅」というバラモン村におられた。その時、田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは、種子を捲く時に五百挺の鋤を牛に結びつけた。 その時、師(ブッダ)は朝早く内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、田を耕すバラモン・バーラドヴァージャが仕事をしているところへ赴かれた。ところでその時、田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは食物を配給していた。 そこで師は食物を配給しているところに近づいて、傍らに立たれた。田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは、師が食を受けるために立っているのを見た。そこで師に告げて言った、「道の人よ。私は...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】5、チュンダ

83 鍛冶工のチュンダが言った、「偉大な智慧ある聖者・目ざめた人・真理の主・妄執を離れた人・人類の最上者・優れた御者に、私はおたずねします。世間にはどれだけの修行者がいますか?どうぞお説きください。」84 師(ブッダ)は答えた、「チュンダよ。四種の修行者があり、第五の者はありません。面と向かって問われたのだから、それらをあなたに明かしましょう。<道による勝者>と<道を説く者>と<道において生活する者>と及び<道を汚す者>とです。」85 鍛冶工チュンダは言った、「目ざめた人々は誰を<道による勝者>と呼ばれるのですか?また<道を習い覚える人>はどうして無比なのですか?またおたずねしますが、<道によ...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】6、破滅

わたしが聞いたところによると、あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころ、ジェータ林を隈なく照らして、師(ブッダ)のもとに近づいた。近づいてから師に敬礼して傍らに立った。そうしてその神は師に詩を以て呼びかけた。91 「我らは、破滅する人のことをゴータマ(ブッダ)におたずねします。破滅への門は何ですか?師にそれを聞こうとして我々はここに来たのですが。」92 師は答えた、「栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。」93 「よくわかりました...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】7、賤しい人

わたしが聞いたところによると、あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、師は朝の内に内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、托鉢のためにサーヴァッティーに入った。 その時、火に事えるバラモン・バーラドヴァージャの住居には、聖火がともされ、供物がそなえられていた。さて師はサーヴァッティー市の中を托鉢して、彼の住居に近づいた。火に事えるバラモン・バーラドヴァージャは師が遠くから来るのを見た。 そこで、師に言った、「髪を剃った奴よ、そこにおれ。にせの道の人よ、そこにおれ。賤しい奴よ、そこにおれ」と。 そう言われたので、師は、火に事えるバラ...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】8、慈しみ

143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して為すべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、言葉優しく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。144 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々のひとの家で貪ることがない。145 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。146 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きいものでも、中ぐらいのものでも、短いものでも、微...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】9、雪山に住む者

153 七岳という神霊(夜叉)が言った、「今日は十五日のウポーサタである。みごとな夜が近づいた。さあ、我々は世にもすぐれた名高い師ゴータマ(ブッダ)にお目にかかろう。」154 雪山に住む者という神霊(夜叉)が言った、「このように立派な人の心は一切の生きとし生けるものに対してよく安立しているのだろうか。望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、彼の意欲はよく制されているのであろうか?」155 七岳という神霊は答えた、「このように立派なかれ(ブッダ)の心は、一切の生きとし生けるものに対してよく安立している。また望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、彼の意欲はよく制されている...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】10、アーラブァカという神霊

わたしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)はア-ラヴィー国のアーラヴァカという神霊(夜叉)の住居に住みたもうた。その時アーラヴァカ神霊は師のいるところに近づいて、師に言った、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出てきた。また神霊は言った、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」と言って、師は入った。ふたたびアーラヴァカ神霊は師に言った、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出て行った。また神霊は言った、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」といって師は入った。三たびまたアーラヴァカ神霊は師に言った、「道の人よ、出てこい」と。よろしい、友よ」と...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】11、勝利

193 あるいは歩み、あるいは立ち、あるいは坐り、あるいは臥し、身を屈め、あるいは伸ばす、これは身体の動作である。194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。197 またその九つの孔からは、常に不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、198 鼻からは鼻汁、口からはある時は胆汁を吐き、ある時は痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。199 またその頭蓋骨は空洞であり、脳髄にみちている。し...
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スッタニパータ【第1 蛇の章】12、聖者

207 親しみ慣れることから恐れが生じ、家の生活から汚れた塵が生ずる。親しみ慣れることもなく家の生活もないならば、これが実に聖者(ブッダ)の悟りである。208 すでに生じた煩悩の芽を断ち切って、新たに植えることなく、現に生ずる煩悩を長ぜしめることがないならば、この独り歩む人を聖者と名づける。かの大仙人は平安の境地を見たのである。209 平安の境地、煩悩の起こる基礎を考究して、その種をわきまえ知って、それを愛執する心を長せしめないならば、彼は、実に生を滅ぼしつくした終極を見る聖者であり、妄想を捨てて迷える者の部類に赴かない。210 あらゆる執著の場所を知り終わって、そのいずれをも欲することなく、...
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スッタニパータ【第2 小なる章】1、宝

【 第2 小なる章 】1、宝222 ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、全て歓喜せよ。そうして心を留めて我が説くところを聞け。223 それ故に、全ての生きものよ、耳を傾けよ。昼夜に供物をささげる人類に、慈しみを垂れよ。それ故に、なおざりにせず。彼らを守れ。224 この世または来世におけるいかなる富であろうとも、天界における勝れた宝であろうとも、我らの全き人(如来)に等しいものは存在しない。この勝れた宝は、目ざめた人(仏)の内に存する。この真理によって幸せであれ。225 心を統一した釈迦牟尼は、煩悩の消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、その理法と等しいものは何も...
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スッタニパータ【第2 小なる章】2、なまぐさ

239 「稷・ディングラカ・チーナカ豆・野菜・球根・蔓の実を善き人々から正しい仕方で得て食べながら、欲を貪らず、偽りを語らない。240 よく炊かれ、よく調理されて、他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を舌鼓って食べる人は、なまぐさを食うのである。カッサパよ。241 梵天の親族(バラモン)であるあなたは、おいしく料理された鳥肉と共に米飯を味わって食べながら、しかも「私はなまぐさものを許さない」と称している。カッサパよ、私はあなたにこの意味を尋ねます。あなたの言うなまぐさとはどんなものですか。」242 「生物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学...
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スッタニパータ【第2 小なる章】3、恥

253 恥じることを忘れ、また嫌って、「我はあなたの友である」と言いながら、しかも出来る仕事を引き受けない人、彼を「この人は我が友に非ず」と知るべきである。254 諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、言葉だけ気に入ることを言う人は、「言うだけで実行しない人」であると、賢者たちは知りぬいている。255 常に注意して友情の破れることを懸念して甘いことを言い、ただ友の欠点のみ見る人は、友ではない。子が母の胸に頼るように、その人によっても、他人によってもその間を裂かれることのない人こそ、友である。256 成果を望む人は、人間に相応しい重荷を背負い、喜びを生じる境地と賞讃を獲得する楽しみを修める...
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スッタニパータ【第2 小なる章】4、こよなき幸せ

わたしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころジェータ林を隈なく照らして、師のもとに近づいた。そうして師に礼して傍らに立った。そうしてその神は、師に詩を以て呼びかけた。258 「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。最上の幸福を説いて下さい。」259 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、これがこよなき幸せである。260 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起こしていること、これが...
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スッタニパータ【第2 小なる章】5、スーチローマ

わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)はガヤー村のタンキク石床におけるスーチローマという神霊(夜叉)の住居におられた。その時カラという神霊とスーチローマという神霊に言った、「彼は道の人である」と。スーチローマという神霊は言った、「彼は真の道の人であるか、あるいは似而非の道の人であるかを、わたしが知らないうちは、彼は真の道の人ではなくて、似而非の道の人である。」 そこでスーチローマという神霊は、師のもとに至り、そうして身を師に近づけた。ところが師は身を退けた。そこでスーチローマという神霊は師に言った、「道の人よ。あなたはわたしを恐れるのか。」師いわく、「友よ。私はあなたを恐れてい...
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スッタニパータ【第2 小なる章】6、理法にかなった行い

274 理法にかなった行い(身、口、意の善行)、清らかな行い(出世間の善行)、これが最上の宝であると言う。たとい在家から出て家なきに入り、出家の身となったとしても、275 もしも彼が荒々しい言葉を語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、獣のようであるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚れを増す。276 争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)の説いた理法を説明されても理解しない。277 彼は無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。278 実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生ま...
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スッタニパータ【第2 小なる章】7、バラモンに相応しいこと

わたしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、コーサラ国に住む、多くの、大富豪であるバラモンたち(彼らは老いて、年長け、老いぼれて、年を重ね、老齢に達していたが)は、師のおられるところに近づいた。そうして師と会釈した。喜ばしい思い出に関する挨拶の言葉を交わしたのち、彼らは傍らに坐した。 そこで大富豪であるバラモンたちは師に言った、「ゴータマ(ブッダ)さま。そもそも今のバラモンは昔のバラモンたちの守っていたバラモンの定めに従っているでしょうか?」師は答えた、「バラモンたちよ。今のバラモンたちは昔のバラモ...
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スッタニパータ【第2 小なる章】8、船

316 人がもしも他人から習って理法を知るならば、その人を敬うことは、あたかも神々がインドラ神(帝釈天)を敬うがごとくに為すべきである。学識の深いその師は、尊敬されれば、その人に対して心からよろこんで、真理を顕示する。317 思慮ある人は、そのことを理解し傾聴して、理法にしたがった教えを順次に実践し、このような人に親しんで怠ることがないならば、識者・弁え知る者・聡明なる者となる。318 未だ事柄を理解せず、嫉妬心のある、くだらぬ人・愚者に親しみつかえるならば、ここで真理(理法)を弁え知ることなく、疑いを超えないで、死に至る。319 あたかも人が水かさが多く流れのはやい河に入ったならば、彼は流れ...
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スッタニパータ【第2 小なる章】9、いかなる戒めを

324 いかなる戒めを守り、いかなる行いをなし、いかなる行為を増大せしめるならば、人は正しく安立し、また最上の目的を達し得るのであろうか。325 年長を敬い、嫉むな。諸々の師に見えるのに適当な時を知り、法に関する話を聞くのに正しい時機を知れ。みごとに説かれたことを謹んで聞け。326 強情をなくし謙虚な態度で、時に応じて師のもとに行け。物事と真理と自制と清らかな行いとを心に憶い、かつ実行せよ。327 真理を楽しみ、真理を喜び、真理に安住し、真理の定めを知り、真理をそこなう言葉を口にするな。みごとに説かれた真実にもとずいて暮らせ。328 笑い、だじゃれ、悲泣、嫌悪、いつわり、詐欺、貪欲、高慢、激昂...
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スッタニパータ【第2 小なる章】10、精励

331 起てよ(しっかりせよ)、坐れ(禅定を修せよ)。眠ってあなたたちに何の益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。333 神々も人間も、物を欲しがり、執著に捕らわれている。この執著を超えよ。わずかの時を空しく過ごすことなかれ。時を空しく過ごした人は地獄に堕ちて悲しむからである。334 怠慢は塵垢である。怠慢によって塵垢がつもる。つとめ励むことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。⇒ 続きは 11、ラーフラ ⇒ 目次(はじめに戻る)※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよ...
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スッタニパータ【第2 小なる章】11、ラーフラ

335 師(ブッダ)が言った、ラーフラよ。しばしばともに住むのに慣れて、お前は賢者を軽蔑するのではないか?諸人のために炬火をかざす人(サーリプッタ)を、あなたは尊敬しているか?」336 ラーフラは答えた、「しばしばともに住むのに慣れて賢者を軽蔑するようなことを、わたくしは致しません。諸人のために炬火をかざす人を、わたくしは常に尊敬しています。」以上、序の詩337 「愛すべく喜ばしい五欲の対象(色、声、香、味、触)を捨てて、信仰心によって家から出て、苦しみを終滅せしめる者であれ。338 善い友だちと交われ。人里離れ奥まった騒音の少ないところに坐臥せよ。飲食に量を知る者であれ。339 衣服と、施さ...
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スッタニパータ【第2 小なる章】12、ヴァンギーサ

わたしがこのように聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)はア-ラヴィーにおけるアッガーラウァ霊樹のもとにおられた。その時、ヴァンギーサさんの師でニグローダ・カッパという名の長老が、アッガーラウァ霊樹のもとで亡くなってから、間がなかった。その時、ヴァンギーサさんは、ひとり閉じこもって沈思していたが、このような思念が心に起こった、「我が師は実際に亡くなったんだろうか、あるいはまだ亡くなっていないのだろうか?」と。 そこでヴァンギーサさんは、夕方に沈思から起き出て、師のいますところに赴いた。そこで師に挨拶して、傍らに坐った。傍らに坐ったヴァンギーサさんは師に言った、「尊いお方さま。わたくしが...
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スッタニパータ【第2 小なる章】13、正しい遍歴

359 「智慧ゆたかに、流れを渡り、彼岸に達し、完全な安らぎを得て、心安住した聖者におたずね致します。家から出て諸々の欲望を除いた修行者が、正しく世の中を遍歴するには、どのようにしたらよいのでしょうか。」360 師は言われた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともに捨てた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。361 修行者が、迷いの生活を超越し、理法を悟って、人間及び天界の諸々の享楽に対する貪欲を慎しむならば、彼は正しく世の中を遍歴するであろう。362 修行者が陰口をやめ、怒りと物惜しみとを捨てて、順逆の念を離れるならば、彼は正しく世の中を遍歴するであ...
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スッタニパータ【第2 小なる章】14、ダンミカ

わたくしが聞いたところによると、あるとき尊き師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、ダンミカという在俗信者が五百人の在俗信者と共に師のおられるところに近づいた。そして師に挨拶し、かたわらに坐った。そこで在俗信者ダンミカは師に向かって詩を以て呼びかけた。376 「智慧豊かなゴータマ(ブッダ)さま。私はあなたにお尋ねしますが、教えを聞く人は、家から出て出家する人であろうと、また在家の信者であろうと、どのように行うのが善いのですか?377 実にあなたは神々とこの世の人々の帰趣(行きつく先)と究極の目的とを知っておられます。奥深い事柄を見る方...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】1、出家

【 第3 大いなる章 】1、出家405 眼ある人(釈尊)はいかにして出家したのであるか、彼はどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか、彼の出家をわれ(アーナンダ)は述べよう。406 「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は、広々とした野外であり、わずらいがない」と見て、出家されたのである。407 出家されたのちには、身による悪行を離れた。言葉による悪行をも捨てて、生活をすっかり清められた。408 目ざめた人(ブッダ)はマガダ国の首都・山に囲まれた王舎城に行った。すぐれた相好にみちた目ざめた人は托鉢のためにそこへ赴いたのである。409 マガダ王ビンビサー...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】2、つとめ励むこと

425 ネーランジャラー河の畔にあって、安穏を得るために、つとめ励み専心し、努力して瞑想していたわたくしに、426 悪魔ナムチはいたわりの言葉を発しつつ近づいてきて言った、「あなたは痩せていて顔色も悪い。あなたの死が近づいた。427 あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。君よ、生きよ。生きた方がよい。命があってこそ諸々の善行をも為すこともできるのだ。428 あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことが出来る。苦行につとめ励んだところで、何になろうか。429 つとめ励む道は、行き難く、行い難く、達し難い。」この詩を唱えて、悪魔...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】3、みごとに説かれたこと

わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師ブッダは、サーヴァッティーのジェータ林にある孤独な人々に食を給する長者の園におられた。その時、師は諸々の道の人に呼びかけられた、「修行僧たちよ」と。「尊き師よ」と、道の人たちは師に答えた。師は告げて言われた、「修行僧たちよ。四つの特徴を具えた言葉は、みごとに説かれたのである。悪しく説かれたのではない。諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。その四つとは何であるか?道の人たちよ、ここで修行僧が、①みごとに説かれた言葉のみを語り、悪しく説かれた言葉を語らず、②理法のみを語って理にかなわぬことを語らず、③好ましいことのみを語って、好ましからぬこ...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】4、スタンダリカ・バーラドヴァージャ

わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)はコーサラ国のスンダリカー河の岸に滞在しておられた。ちょうどその時に、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、スンダリカー河の岸辺で聖火をまつり、火の祀りを行なった。さてバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、聖火をまつり、火の祀りを行なった後で、座から立ち、あまねく四方を眺めて言った、「この供物のおさがりを誰に食べさせようか。」 バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、遠からぬところで尊き師(ブッダ)がある樹の根もとで頭まで衣をまとって坐っているのを見た。見終わってから、左手で供物のおさがりをもち、右手で水瓶をもっ...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】5、マーガ

わたくしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ) は、王舎城の鷲の峰という山におられた。その時、マーガ青年は師のおられるところに赴いた。そこに赴いて師に挨拶した。喜ばしい、思い出の挨拶の言葉を交したのち、彼らは傍らに坐した。そこでマーガ青年は師に言った、 「ゴータマ(ブッダ)さま。わたくしは実に、与える人、施主であり、寛仁にして、他人からの施しの求めに応じ、正しい法によって財を求めます。その後で、正しい法によって獲得して儲けた財物を、一人にも与え、二人にも与え、三人にも与え、四人にも与え、五人にも与え、六人にも与え、七人にも与え、八人にも与え、九人にも与え、十人にも与え、二十人にも与え...
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スッタニパータ【第3 大いなる章】6、サビヤ

わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師(ブッダ)は王舎城の竹園林にあるリス飼養の所に住んでおられた。その時遍歴の行者サビヤに、昔の血縁者であるが今は神となっている一人の神が質問を発した、「サビヤよ。道の人であろうとも、バラモンであろうとも、あなたが質問した時に明確に答えることのできる人がいるならば、あなたはその人のもとで清らかな行いを修めなさい」と。そこで遍歴の行者サビヤは、その神からそれらの質問を受けて、次の六師のもとに至って質問を発した。すなわちプーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ、アジタ・ケーサカンバリ、パクダ・カッチャーヤナ、ベッラーッティ族の子であるサンジャヤ、ナータ族の子...