【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第1 蛇の章】5、チュンダ

投稿日:0202年5月28日 更新日:

83 鍛冶工のチュンダが言った、「偉大な智慧ある聖者・目ざめた人・真理の主・妄執を離れた人・人類の最上者・優れた御者に、わたしはおたずねします。世間にはどれだけの修行者がいますか?どうぞお説きください。」

84 ブッダ)は答えた、「チュンダよ。四種の修行者があり、第五の者はありません。面と向かって問われたのだから、それらをあなたに明かしましょう。<道による勝者>と<道を説く者>と<道において生活する者>と及び<道を汚す者>とです。」

85 鍛冶工チュンダは言った、「目ざめた人々は誰を<道による勝者>と呼ばれるのですか?また<道を習い覚える人>はどうして無比なのですか?またおたずねしますが、<道によって生きる>ということを説いてください。また<道を汚す者>をわたくしに説き明かして下さい。」

86 「疑いを越え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と世間とを導く人、そのような人を<道による勝者>であると目ざめた人々は説く。

87 この世で最高のものを最高のものであると知り、ここで法を説き判別する人、疑いを絶ち欲念に動かされない聖者を修行者たちの内で第二の<道を説く者>と呼ぶ。

88 みごとに説かれた<理法にかなった言葉>である<道>に生き、みずから制し、落ち着いて気を付けていて、とがのない言葉を奉じている人を、修行者たちの内で第三の<道によって生きる者>と呼ぶ。

89 善く誓戒を守っているふりをして、ずうずうしくて、家門を汚し、傲慢で、いつわりをたくらみ、自制心なく、おしゃべりで、しかも、まじめそうに振る舞う者、彼は<道を汚す者>である。

90 彼らの特長を聞いて、明らかに見抜いて知った在家の立派な信徒は、『彼ら四種の修行者は全てこの通りである』と知って、彼らを洞察し、このように見ても、その信徒の信仰はなくならない。彼はどうして、汚れた者と汚れていない者と、清らかな者と清らかでない者とを同一視してよいであろうか。」

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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