【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第2 小なる章】1、宝

投稿日:0202年5月28日 更新日:

【 第2 小なる章 】

1、宝

222 ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、全て歓喜せよ。そうして心を留めて我が説くところを聞け。

223 それ故に、全ての生きものよ、耳を傾けよ。昼夜に供物をささげる人類に、慈しみを垂れよ。それ故に、なおざりにせず。彼らを守れ。

224 この世または来世におけるいかなる富であろうとも、天界における勝れた宝であろうとも、我らの全き人(如来)に等しいものは存在しない。この勝れた宝は、目ざめた人(仏)の内に存する。この真理によって幸せであれ。

225 心を統一した釈迦牟尼は、煩悩の消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、その理法と等しいものは何も存在しない。このすぐれた宝は理法の内に存在する。この真理によって幸せであれ。

226 最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、「人々は悟りに向かって間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。この心の安定と等しい者はほかに存在しない。このすぐれた宝は理法(教え)の内に存する。この真理によって幸せであれ。

227 善人のほめたたえる八輩の人はこれらの四双の人である。彼らは幸せ人(ブッダ)の弟子であり、施与を受けるべきである。彼らに施したならば、大いなる果報をもたらす。
この勝れた宝はつどいの内にある。この真理によって幸せであれ。

228 ゴータマブッダ)の教えにもとずいて、堅固な心をもってよく努力し、欲望がなく、不死に投入して、達すべき境地に達し、代償なくして得て、平安の楽しみを享けている。この勝れた宝つどいの内にある。この真理によって幸せであれ。

229 城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると、四方からの風にも揺るがないように、諸々の聖なる真理(四諦)を観察して見る立派な人は、これにたとえられるべきである、と我は言う。この勝れた宝はつどいの内にある。この真理によって幸せであれ。

230 深い智慧ある人(ブッダ)がみごとに説きたもうた諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は、たとい大いになおざりに陥ることがあっても、第八の生存を受けることはない。この勝れた宝はつどいの内にある。この真理によって幸せであれ。

231 自身を実在とみなす見解疑い外面的な戒律・誓いという三つの事柄が少しでも存在するならば、彼が知見を成就すると共に、それらは捨てられてしまう。彼は四つの悪い場所(四悪趣:地獄、餓鬼、畜生、阿修羅)から離れ、また六つの重罪(母を殺し、父を殺し、阿羅漢を殺し、仏の身体から血を出し、僧団の和合を破り、異教徒の教えに従うこと)をつくるものとはなり得ない。このすぐれた宝がつどいの内に存する。この真理によって幸せであれ。

232 また彼が身体によって、言葉によって、または心の中で、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、彼はそれを隠すことが出来ない。隠すことが出来ないということを、究極の境地を見た人は説きたもうた。このすぐれた宝がつどいの内に存する。この真理によって幸せであれ。

233 夏の月の初めの暑さに林の茂みでは枝が花を咲かせたように、それに譬うべき、安らぎに赴く妙なる教えを目ざめた人、ブッダが説きたもうた、ためになる最高の事柄のために。このすぐれた宝が目ざめた人(ブッダ)の内に存する。この真理によって幸せであれ。

234 勝れたものを知り、勝れたものを与え、勝れたものをもたらす勝れた無上の人が、妙なる教えを説きたもうた。このすぐれた宝が目ざめた人(ブッダ)の内に存する。この真理によって幸せであれ。

235 古いはすでに尽き、新しいはもはや生じない。その心は未来に執著することなく、種子を滅ぼし、それが生長する事を欲しないそれらの賢者は、灯火のように滅びる。このすぐれた宝がつどいの内に存する。この真理によって幸せであれ。

236 我ら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間のつかえるこのように完成した目ざめた人(ブッダ)を礼拝しょう。幸せであれ。

237 我ら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成した教えを礼拝しよう。幸せであれ。

238 我ら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成したつどいを礼拝しよう。幸せであれ。

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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