【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第3 大いなる章】4、スタンダリカ・バーラドヴァージャ

投稿日:0202年5月28日 更新日:

 わたしが聞いたところによると、ある時、尊き師ブッダ)はコーサラ国のスンダリカー河の岸に滞在しておられた。ちょうどその時に、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、スンダリカー河の岸辺で聖火をまつり、火の祀りを行なった。さてバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、聖火をまつり、火の祀りを行なった後で、座から立ち、あまねく四方を眺めて言った、「この供物のおさがりを誰に食べさせようか。」

 バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、遠からぬところで尊き師ブッダ)がある樹の根もとで頭まで衣をまとって坐っているのを見た。見終わってから、左手で供物のおさがりをもち、右手で水瓶をもってのおられるところに近づいた。そこでは彼の足音を聞いて、頭の覆いをとり去った。その時バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは「この方は頭を剃っておられる。この方は剃髪者である」と言って、そこから戻ろうとした。そうして彼はこのように思った、「この世では、あるバラモンたちは、頭を剃っているということもある。さあ、わたしは彼に近づいてその生まれ(素姓)を聞いてみよう」と。

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャのおられるところに近づいた。それからに言った、「あなたの生まれは何ですか?」と

 そこでは、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャに詩を以て呼びかけた。

455 「わたしはバラモンではないし、王族の者でもない。わたしはヴァイシヤ族(庶民)の者でもないし、また他の何ものでもない。

456 わたしは家なく、重衣を着け、髭髪(ひげかみ)を剃り、心を安らかならしめて、この世で人々に汚されることなく、歩んでいる。
 バラモンよ。あなたがわたしに姓をたずねるのは適当でない。」

457 「バラモンはバラモンと出会ったときは、『あなたはバラモンではあられませんか?』とたずねるものです。」
「もしもあなたがみずからバラモンであるというならば、バラモンでないわたしに答えなさい。わたしは、あなたに三句二十四字より成るかのサーヴィトリー讃歌のことをたずねます。」

458 「この世の中では、仙人や王族やバラモンというような人々は、何のために神々に色々と供物を献じたのですか?」
 が答えた、「究極に達したヴェーダの達人が祭祀の時にある世俗の人の献供を受けるならば、その世俗の人の祭祀の行為は効果をもたらす、とわたくしは説く。」

459 バラモンが言った、「わたくしはヴェーダの達人であるこのような立派な方にお目にかかったのですから、実にその方に対するわたくしの献供はきっと効果があるでしょう。以前にはあなたのような方にお目にかからなかったので、他の人が献供の菓子のおさがりを食べていたのです。」

460 が答えた、「それ故に、バラモンよ、あなたは求めるところあって来たのであるから、こちらに近づいて問え。恐らくここに、平安で、怒りの煙の消えた、苦しみなく、欲求のない聡明な人を見出すであろう。」

461 バラモンが言った、「ゴータマブッダ) さま。わたくしは祭祀を楽しんでいるのです。祭祀を行おうと望むのです。しかしわたくしははっきりとは知っていません。あなたはわたくしに教えてください。何にささげた献供が有効であるかを言ってください。」
 が答えた、「では、バラモンよ、よく聞きなさい。わたくしはあなたに理法を説きましょう。

462 生まれを問うことなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生ずる。賤しい家に生まれた人でも、聖者として道心堅固であり、恥を知って慎むならば高貴の人となる。

463 真実もてみずから制し、諸々の感官を慎しみ、ヴェーダの奥義に達し、清らかな行いを修めた人、そのような人にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

464 諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずから慎んで、梭(ひ)のように真直ぐな人々、そのような人々にそこ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

465 貪欲を離れ、諸々の感官を静かに保ち、月がラーフの捕われから脱したように捕われることのない人々、そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

466 執著することなくして、常に心をとどめ、我がものと執したものを全て捨て去って、世の中を歩き廻る人々、そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

467 諸々の欲望を捨て、欲に打ち勝って振る舞い、生死の果てを知り、平安に帰し、清涼なること湖水のような全き人(如来)は、お供えの菓子を受けるに相応しい。

468 全き人(如来)は、平等なるもの過去の目ざめた人々、諸仏と等しくして、平等ならざる者どもから遙かに遠ざかっている。彼は無限の智慧あり、この世でもかの世でも汚れに染まることがない。全き人(如来)はお供えの菓子を受けるに相応しい。

469 偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ、我がものとして執著することなく、欲望をもたず、怒りを除き、心静まり、憂いの垢を捨て去ったバラモンである全き人(如来)は、お供えの菓子を受けるに相応しい。

470 心の執著をすでに断って、何ら捕らわれるところがなく、この世についてもかの世についても捕らわれることがない全き人(如来)は、お供えの菓子を受けるに相応しい。

471 心を等しく静かにして激流を渡り、最上の知見によって理法を知り、煩悩の汚れを滅しつくして、最後の身体を保っている全き人(如来)は、お供えの菓子を受けるに相応しい。

472 彼は、生存の汚れも、荒々しい言葉も、除き去られ滅びてしまって、存在しない。彼はヴェーダに通じた人であり、あらゆることがらに関して解脱している全き人(如来)は、お供えの菓子を受けるに相応しい。

473 執著を超えていて、執著をもたず、慢心に捕らわれている者どもの内にあって慢心に捕らわれることなく、畑及び地所(苦しみの起る因縁、つまり煩悩とを指す)と共に苦しみを知り尽くしている全き人(如来)は、お供えの菓子を受けるに相応しい。

474 欲望にもとづくことなく、遠ざかり離れることを見、他人の教える異なった見解を超越して、何らこだわって捕らわれることのない全き人(如来)は、お供えの菓子を受けるに相応しい。

475 あれこれ一切の事物を悟って、それらが除き去られ滅びてしまって存在しないで、平安に帰し、執著を滅ぼしつくして解脱している全き人(如来)は、お供えの菓子を受けるに相応しい。

476 煩悩の束縛と迷いの生存への生まれかわりとが滅び去った究極の境地を見、愛欲の道を断って余すところなく、清らかにして、過ちなく、汚れなく、透明である全き人(如来)は、お供えの菓子を受けるに相応しい。

477 自己によって自己を観じそれを認めることなく、心が等しくしずまり、身体が真直ぐで、みずから安立し、動揺することなく、疑惑のない全き人(如来)は、お供えの供物を受けるに相応しい。

478 迷妄にもとづいて起る障り(一切の煩悩のこと)は何ら存在せず、あらゆることがらについて智見あり、最後の身体を保ち、めでたい無上の悟りを得、これだけでも人の霊(たましい)は清らかとなる。全き人(如来)は、お供えの供物を受けるに相応しい。」

479 「あなたのようなヴェーダの達人にお会いできたのですから、我が供物は真実の供物であれかし。梵天こそ証人として御覧になられる。先生!願わくはわたくしから受けてください。先生!願わくは我がお供えの菓子を召し上がってください。」

480 「詩を唱えて得たものを、わたくしは食うてはならない。バラモンよ、これは正しく見る人々(目ざめた人々、諸仏)の決まりである。詩を唱えて得たものを目ざめた人々(諸仏)は斥けたもう。バラモンよ。この決まりが存するのであるから、これが目ざめた人々、諸仏の行いの実践法である。

481 全き者である大仙人、煩悩の汚れを滅ぼし尽し悪行による過ちを後悔して残念がることの消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者の福田であるからである。」

482 「先生!わたくしのような者の施しを受け得る人、祭祀の時に探し求めて供養すべき人をわたくしはあなたの教えを受けてどうか知りたいのです。」

483 「争いを離れ、心に濁りなく、諸々の欲望を離脱し、ものうさ(無気力)を除き去った人、

484 限界を超えたもの(煩悩)を制し、生死を究め、聖者の特性を身に具えたそのような聖者が祭祀のために来たとき、

485 彼に対して眉をひそめて見下すことをやめ、合掌して彼を礼拝せよ。飲食物をささげて、彼を供養せよ。このような施しは、成就して果報をもたらす。」

486 「目ざめた人(ブッダ)であるあなたさまは、お供えの菓子を受けるに相応しい。あなたは最上の福田であり、全世界の布施を受ける人であります。あなたに差し上げた物は、果報が大きいです。」

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、尊き師に言った、「すばらしいことです。ゴータマブッダ)さま。すばらしいことです、ゴータマさま。あたかも倒れた者を起こすように、覆われたものを開くように、方向に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色や形を見るであろう』といって暗闇の中に灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々の仕方で理法を明らかにされました。だから、わたくしはゴータマさまに帰依したてまつる。また法と修行僧の集いに帰依したてまつる。わたくしはゴータマさまのもとで出家し、完全な戒律(具足戒)を受けたいものです。」

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、のもとで出家し、完全な戒律を受けた。それからまもなく、このスンダリカ・バーラドヴァージャさんは独りで他から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが、まもなく、無上の清らかな行いの究極(諸々の立派な人たち(善男子)はそれを得るために正しく家を出て家なき状態に赴いたのであるが)を現世においてみずから悟り、証し、具現して、日を送った。「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。為すべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を受けることはない」と悟った。そうしてスンダリカ・バーラドヴァージャさんは聖者の一人となった。

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※このページは学問的な正しさを追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

参考文献:「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫

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