【仏教用語/人物集 索引】

スッタニパータ【第3 大いなる章】5、マーガ

投稿日:0202年5月28日 更新日:

 わたくしが聞いたところによると、ある時、尊き師ブッダ) は、王舎城鷲の峰という山におられた。その時、マーガ青年のおられるところに赴いた。そこに赴いてに挨拶した。喜ばしい、思い出の挨拶の言葉を交したのち、彼らは傍らに坐した。そこでマーガ青年はに言った、
 「ゴータマブッダ)さま。わたくしは実に、与える人、施主であり、寛仁にして、他人からの施しの求めに応じ、正しい法によって財を求めます。その後で、正しい法によって獲得して儲けた財物を、一人にも与え、二人にも与え、三人にも与え、四人にも与え、五人にも与え、六人にも与え、七人にも与え、八人にも与え、九人にも与え、十人にも与え、二十人にも与え、三十人にも与え、四十人にも与え、五十人にも与え、百人にも与え、さらに多くの人にも与えます。ゴータマさま。わたくしがこのように与え、このようにささげるならば、多くの福徳を生ずるでしょうか。」

 「青年よ。実にあなたはそのように与え、そのようにささげるならば、多くの福徳を生ずる。誰であろうとも、実に、与える人、施主であり、寛仁にして、施しの求めに応じ、正しい法によって財は求め、その後で、法によって獲得して儲けた財物を、一人にも与え、さらに続いては百人にも与え、さらに多くの人にも与える人は、多くの福徳を生ずるのである。」

487 マーガ青年が言った、「袈裟を着け家なくして歩む寛仁なるゴータマさまに、わたくしはお尋ねします。この世で、施しの求めに応ずる在家の施主、福徳を目指して供物をささげ、他人に飲食物を与える人が、祀りを実行する時には、何者にささげた供物が清らかとなるのでしょうか。」

488 尊い師は答えた、「マーガよ。施しの求めに応ずる在家の施主、福徳を求め福徳を目指して供物をささげる人が、この世で他人に飲食物を与えるならば、まさに施与を受けるに相応しい人々と共に目的を達成することになるであろう。」

489 マーガ青年は言った、「施しの求めに応ずる在家の施主、福徳を求め福徳を目指して供物をささげる人が、この世で他人に飲食物を与えるに当って、まさに施与を受けるに相応しい人々のことをわたしに説いてください。先生!」

490 実に執著することなく世間を歩み、無一物で、自己を制した全き人がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささけよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

491 一切の結び・いましめを断ち、みずから慎しみ、解脱し、苦しみなく、欲求のない人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささけよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

492 一切の結び・いましめから解き放たれ、みずから慎しみ、解脱し、苦しみなく、欲求のない人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

493 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨てて、煩悩の汚れを滅しつくし、清らかな行いを修めている人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

494 偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ、我がものとして執することなく、欲望をもたぬ人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

495 実に諸々の愛執にふけらず、すでに激流を渡り終わって、我がものという執著なしに歩む人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

496 この世でもかの世でも、いかなる世界についても、移り変わる生存への妄執の存在しない人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

497 諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずから制して、梭(ひ)のように真直ぐな人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

498 欲望を離れ、諸々の感官をよく静かに保ち、月がラーフの捕われから脱したように捕われることのない人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

499 安らぎに帰して、貪欲を離れ、怒ることなく、この世で生存の諸要素を捨て去ってもはや迷いの生存に行く道のない人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

500 生と死とを捨てて余すところなく、あらゆる疑惑を超えた人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

501 自己を拠り所として世間を歩み、無一物で、あらゆることに関して解脱している人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

502 『これはわたしの最後の生存であり、もはや再び生を享けることはない』ということを、この世で如実に知っている人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

503 ヴェーダに通じ、安らいだ心を楽しみ、落ち着いて気を着けていて、全き悟りに達し、多くの人々に帰依されている人々がいる。そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

504 マーガ青年が言った、「実にわたくしの質問は無駄ではありませんでした。尊い師は、まさに施与を受けるに相応しい人々のことを、わたくしに説いてくださいました。先生!あなたはこの世で全ての事柄を如実に知っておられます。あなたはこの理法を知っておられるからです。」

505 マーガ青年がさらに続けて言った、「この世で施しの求めに応ずる在家の施主、福徳を求め福徳を目指して供物をささげる人が、他人に飲食を与えるに当って、どうしたならば祀りが成功成就するかということをわたくしに説いてください。先生!」

506 尊い師ブッダ)は答えた、「マーガよ。祀りを行え。祀り実行者はあらゆる場合に心を清からしめよ。祀り実行者の専心することは祀りである。彼はここに安立して邪悪を捨てる。

507 彼は貪欲を離れ、憎悪を制し、無量の慈しみの心を起して、日夜常に怠らず、無量の慈しみの心をあらゆる方角にみなぎらせる。」

508 マーガ青年が言った、「誰が清らかとなり、解脱するのですか?誰がしばられるのですか?何によって人はみずから梵天界に至るのですか?聖者よ、お尋ねしますが、わたくしは知らないのですから、説いてください。尊い師は、わたくしの証です。わたくしは今梵天をまのあたり見たのです。真にあなたは我々にとっては梵天に等しい方だからです。光輝ある方よ。どうしたならば、梵天界に生まれるのでしょうか?」

509 尊い師は答えた、「マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、施与を受けるに相応しい人々を喜ばせる。施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば、梵天界に生まれると、わたくしは説く。」

 このように説かれた時に、マーガ青年に言った、「すばらしいことです。ゴータマブッダ)さま。すばらしいことです。ゴータマさま。あたかも倒れた者を起こすように、覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色や形を見るであろう』といって暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさま種々の仕方で真理を明らかにされました。だから、わたくしはゴータマさまに帰依したてまつる。また真理と修行僧の集いとに帰依したてまつる。ゴータマさまはわたくしを在家信者として受け入れてください。今日から命の続く限り帰依いたします。」

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※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。

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