「 教行信証 」 一覧

『教行信証』化身土巻 - 末06

 『月蔵経』巻第七「諸魔得敬信品第十」に言わく、「爾の時に復た百億の諸魔有り。倶共に同時に座よりして起ちて、合掌して仏に向かいたてまつりて、仏足を頂礼して仏に白して言さく、「世尊。我等、亦当に大勇猛を ...

『教行信証』行巻04

 『安楽集』に云わく、「『観仏三昧経』に云わく、「父の王を勧めて念仏三昧を行ぜしめたまう。父の王、仏に白さく、「仏地の果徳、真如実相第一義空、何に因りてか弟子をして之を行ぜしめざる」と。  仏、父王に ...

『教行信証』信巻05

 又、一切往生人等に白さく、今更に行者の為に一の譬喩〔「喩」の字 さとす。〕を説きて、信心を守護して、以て外邪異見の難を防がん。何者か是れや。譬えば、人有りて西に向かいて行かんと欲するに百千の里ならん ...

『教行信証』信巻21

 報えて道わく、『論の註』に曰わく、「問うて曰わく、『無量寿経』に言わく、「往生を願ぜん者、皆、往生を得しむ。唯、五逆と誹謗正法とを除く」と。『観無量寿経』に「五逆・十悪、諸の不善を具せるもの、亦往生 ...

『教行信証』化身土巻 - 本02

 爾れば夫れ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、「念仏証拠門」(往生要集)の中に、第十八の願は別願の中の別願なりと顕開したまえり。『観経』の定散諸機は、「極重悪人唯称弥陀」と勧励したまえるなり。濁世の ...

『教行信証』化身土巻 - 末07

 『首楞厳経』に言わく、「彼等の諸魔、彼の諸鬼神、彼等の群邪、亦徒衆有りて各各自ら謂わん、「無上道を成りて。」我が滅度の後、末法の中に、此の魔民多からん、此の鬼神多からん、此の妖邪多からん。世間に熾盛 ...

『教行信証』行巻05

 『十往生経』に云わく、「若し衆生有りて、阿弥陀仏を念じて往生を願ずれば、彼の仏、即ち二十五菩薩を遣わして行者を擁護して、若しは行、若しは座、若しは住、若しは臥、若しは昼、若しは夜、一切時・一切処に、 ...

『教行信証』信巻06

 『貞元の新定釈教の目録』巻第十一に云わく(貞元釈教録)、「『集諸経礼懺儀』上下、大唐西崇福寺の沙門智昇の撰なり。貞元十五年十月二十三日に准えて勘編して入ると云云。『懺儀』の上巻は、智昇、諸経に依りて ...

『教行信証』信巻22

 光明寺の和尚(善導)の云わく(散善義)、「問うて曰わく、四十八願の中の如きは、唯、五逆と誹謗正法とを除きて往生を得しめず。今此の『観経』の下品下生の中には、誹謗を簡いて五逆を摂せるは、何意か有るや。 ...

『教行信証』化身土巻 - 本03

 爾れば光明寺の和尚(善導)の云わく(玄義分)、「然るに、娑婆の化主、其の請に因るが故に即ち広く浄土の要門を開く。安楽の能人の別意の弘願を顕彰す。其れ「要門」とは即ち此の『観経』の定散二門、是れなり。 ...

『教行信証』化身土巻 - 末08

 『弁正論』法琳の撰 に曰わく、「十喩九箴篇。答す、李道士、十異九述。  外の一異に曰わく、「太子老君は、神を玄妙玉女に託して、左腋を割きて生まれたり。釈迦牟尼は、胎を摩耶夫人に寄せて、右脇を開いて出 ...

『教行信証』行巻06

 爾れば、「南無」の言は帰命なり。「帰」の言は 至なり、又帰説なり。「説」の字 悦の音、又帰説なり。「説」の字 税の音。悦・税、二の音。告なり。述なり。人の意を宣述するなり。「命」の言は 業なり。招き ...

『教行信証』信巻07

 今、三心の字訓を案ずるに、真実の心にして、虚仮、雑わること無し、正直の心にして、邪偽、雑わること無し。真に知りぬ。疑蓋、間雑無きが故に、是れを「信楽」と名づく。「信楽」即ち是れ一心なり。一心即ち是れ ...

『教行信証』証巻

顕浄土真実証文類四 必至滅度の願 難思議往生 顕浄土真実証文類四 愚禿釈親鸞集  謹んで真実証を顕さば、則ち是れ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。即ち是れ必至滅度の願より出でたり。亦「証大涅槃の願」 ...

『教行信証』化身土巻 - 本04

 「三者回向発願心。」(観経)「回向発願心」と言うは、過去及以び今生の身口意業に修する所の世・出世の善根及び他の一切の凡聖の身口意業に修する所の世・出世の善根を随喜して、此の自他所修の善根を以て、悉く ...

『教行信証』化身土巻 - 末09

 『正法念経』に云わく、「人、戒を持たざれば、諸天減少し、阿修羅盛りなり。善龍、力無し。悪龍、力有り。悪龍、力有れば、則ち霜雹を降して、非時の暴風疾雨あり。五穀、登らず、疾疫、競い起こり、人民、飢饉す ...

『教行信証』行巻07

 『阿弥陀経』に依る。 西方は道に進むこと娑婆に勝れたり。五欲及び邪魔無きに縁りてなり。 成仏に諸の善業を労わしくせず。華台に端座して弥陀を念ず。 五濁の修行は、多く退転す。念仏して西方に往くには如か ...

『教行信証』信巻08

 次に「信楽」と言うは、則ち是れ如来の満足大悲・円融無碍の信心海なり。是の故に、疑蓋、間雑有ること無し。故に「信楽」と名づく。即ち利他回向の至心を以て信楽の体とするなり。  然るに、無始より已来、一切 ...

『教行信証』証巻02

 光明寺(善導)の『疏』(玄義分)に云わく、「「弘願」と言うは、『大経』の説の如し。一切善悪の凡夫、生を得るは、皆、阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざるは莫しとなり。又、仏の密意弘深なれば教門をし ...

『教行信証』化身土巻 - 本05

 然るに今、『大本』(大経)に拠るに、真実方便の願を超発す。亦『観経』には、方便真実の教を顕彰す。『小本』(阿弥陀経)には、唯、真門を開きて方便の善無し。是を以て三経の真実は選択本願を宗とするなり。復 ...

『教行信証』行巻08

 『無量寿如来会』に云わく、「広く是くの如き大弘誓願を発して、皆已に成就したまえり。世間に希有なり。是の願を発し已りて実の如く安住して、種種の功徳具足して威徳広大清浄仏土を荘厳したまえり」と。已上   ...

『教行信証』信巻09

 次に「欲生」と言うは、則ち是れ、如来、諸有の群生を招喚したまうの勅命なり。即ち真実の信楽を以て欲生の体とするなり。誠に是れ大小凡聖定散自力の回向に非ず。故に「不回向」と名づくるなり。  然るに、微塵 ...

『教行信証』証巻03

 問うて曰わく、『十地経』を案ずるに、菩薩の進趣階級、漸く無量の功勲有り。多の劫数を逕。然うして後、乃し此れを得。云何ぞ阿弥陀仏を見たてまつる時、畢竟じて上地の諸の菩薩と身等しく法等しきや。  答えて ...

『教行信証』化身土巻 - 本06

 凡そ浄土の一切諸行に於いて、綽和尚(道綽)は「万行」(安楽集)と云い、導和尚(善導)は「雑行」(散善義)と称す。感禅師(懐感)は「諸行」(群疑論)と云えり。信和尚(源信・往生要集)は感師に依れり。空 ...

『教行信証』行巻09

『経』(観経)に云わく、「阿弥陀仏の相好の光明、遍く十方世界を照らす。念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず」と。若し念仏して臨終に魔障を被ると謂わば、光明遍照摂取衆生力、復た何ぞ在さんや。況んや念仏の人 ...

『教行信証』信巻10

 信に知りぬ。「至心」・「信楽」・「欲生」、其の言異なりと雖も、其の意、惟れ一なり。何を以ての故に。三心、已に疑蓋、雑わること無し。故に真実の一心なり。是れを「金剛の真心」と名づく。金剛の真心、是れを ...

『教行信証』証巻04

 已下は是れ解義の中の第四重なり。名づけて「浄入願心」とす。浄入願心は、「又向に観察荘厳仏土功徳成就・荘厳仏功徳成就・荘厳菩薩功徳成就を説きつ。此の三種の成就は願心の荘厳したまえるなりと知る応し」(論 ...

『教行信証』化身土巻 - 本07

 夫れ濁世の道俗、速やかに円修至徳の真門に入りて難思往生を願うべし。真門の方便に就いて、善本有り、徳本有り。復た定専心有り。復た散専心有り。復た定散雑心有り。  「雑心」は、大小凡聖、一切善悪、各おの ...

『教行信証』行巻10

 『選択本願念仏集』源空集 に云わく、「南無阿弥陀仏 往生の業は、念仏を本とす。」と。  又云わく(選択集)、「夫れ速やかに生死を離れんと欲わば、二種の勝法の中に、且く聖道門を閣きて、選びて浄土門に入 ...

『教行信証』信巻11

 阿弥陀如来は、「真実明」・「平等覚」・「難思議」・「畢竟依」・「大応供」・「大安慰」・「無等等」・「不可思議光」と号したてまつるなりと。已上  『楽邦文類』の「後序」に曰わく、「浄土を修する者、常に ...

『教行信証』証巻05

 凡そ回向の名義を釈せば、謂わく、己が所集の一切の功徳を以て、一切衆生に施与して、共に仏道に向かえしめたまうなりと。「巧便」は、謂わく、菩薩願ずらく、「己が智慧の火を以て一切衆生の煩悩の草木を焼かんと ...

『教行信証』化身土巻 - 本08

 復た二種有り。一には信正、二には信邪なり。「因果有り、仏・法・僧有り」と言わん。是れを「信正」と名づく。「因果三宝の性異無し」と言いて、諸の邪語・富闌那等を信ずる、是れを「信邪」と名づく。是の人、仏 ...



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