【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』化身土巻 - 本06

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 凡そ浄土の一切諸行に於いて、綽和尚(道綽)は「万行」(安楽集)と云い、導和尚(善導)は「雑行」(散善義)と称す。感禅師(懐感)は「諸行」(群疑論)と云えり。信和尚(源信・往生要集)は感師に依れり。空聖人(源空・選択集)は導和尚に依りたまうなり。経家に拠りて師釈を披くに、雑行の中の雑行雑心・雑行専心・専行雑心なり。亦正行の中の専修専心・専修雑心・雑修雑心は、此れ皆、辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。故に極楽に生まると雖も三宝を見たてまつらず。仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。仮令の誓願、良に由有るかな。仮門の教、欣慕の釈、是れ弥いよ明らかなり。

 二経の三心、顕の義に依れば異なり、彰の義に依れば一なり。三心一異の義、答え竟りぬと。

 又問う。『大本』(大経)と『観経』の三心と、『小本』(阿弥陀経)の一心と、一異云何ぞや。

 答う。今、方便真門の誓願に就いて、行有り、信有り。亦真実有り、方便有り。願は即ち植諸徳本の願、是れなり。行は此れに二種有り。一には善本、二には徳本なり。信は即ち至心回向欲生の心、是れなり〔二十願なり〕。機に就いて、定有り、散有り。往生は此れ難思往生、是れなり。仏は即ち化身なり。土は即ち疑城胎宮、是れなり。

 『観経』に准知するに、此の『経』(阿弥陀経)に亦顕彰隠密の義有るべし。

 「顕」と言うは、経家は一切諸行の少善を嫌貶して善本・徳本の真門を開示し、自利の一心を励まして難思の往生を勧む。

 是を以て『経』(襄陽石碑経)には「多善根・多功徳・多福徳因縁」と説き、『釈』(法事讃)には「九品、倶に回して不退を得よ」と云えり。或いは「無過念仏往西方 三念五念仏来迎」と云えり。此れは是れ、此の『経』の顕の義を示すなり。此れ乃ち真門の中の方便なり。

 「彰」と言うは、真実難信の法を彰す。斯れ乃ち不可思議の願海を光闡して、無碍の大信心海に帰せしめんと欲す。良に、勧、既に恒沙の勧なれば、信も亦恒沙の信なり。故に「甚難」(阿弥陀経)と言えるなり。『釈』(法事讃)に「直ちに弥陀の弘誓重なれるに為りて、凡夫念ずれば、即生せしむることを致す」と云えり。斯れは是れ、隠彰の義を開くなり。

 『経』(阿弥陀経)に「執持」と言えり。亦「一心」と言えり。「執」の言は、心堅牢にして移転せざることを彰すなり。「持」の言は不散不失に名づくるなり。「一」の言は無二に名づくるの言なり。「心」の言は真実に名づくるなり。

 斯の『経』は大乗修多羅の中の無問自説経なり。爾れば、如来、世に興出したまう所以は、恒沙の諸仏証護の正意、唯斯れに在るなり。

 是を以て、四依弘経の大士、三朝浄土の宗師、真宗念仏を開きて濁世の邪偽を導く。

 三経の大綱、顕彰隠密の義有りと雖も、信心を彰して能入とす。故に経の始めに「如是」と称す。「如是」の義は則ち善く信ずる相なり。今、三経を案ずるに、皆以て金剛の真心を最要とせり。真心即ち是れ大信心なり。大信心は希有最勝・真妙清浄なり。何を以ての故に。大信心海は、甚だ以て入り叵し。仏力より発起するが故に。真実の楽邦、甚だ以て往き易し。願力に藉りて即生するが故なり。

 今将に一心一異の義を談ぜんとす。当に此の意なるべしとなり。三経一心の義、答え竟りぬ。

(化身土巻 - 本 は続く)

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