1228年、道元禅師が中国から帰国後直ちに建仁寺にて著された『普勧坐禅儀』には坐禅の心がまえや作法などについて書かれています。
格調高い四六駢儷体の漢文で、坐禅の基本的な仕方から、その本旨までが記されています。
道元禅師の開宗宣言ともいうべき書で、現在も坐禅中に読誦するなど、只管打坐をその旨とする宗門において重要な宗典です。
このページでは『普勧坐禅儀』の全文をテキストで掲載しています。また、画像データ版もご覧いただけます。
『普勧坐禅儀』
原ぬるに夫れ、道本圓通、争か修証を仮らん。
宗乗自在、何ぞ功夫を費やさん。
况んや、全体遙かに塵埃を出ず、孰か拂拭の手段を信ぜん。
大都、当処を離れず、豈に修行の脚頭を用うる者ならんや。
然れども、毫釐も差あれば、天地懸に隔たり、
違順纔かに起れば、紛然として心を失す。
直饒い、会に誇り、悟に豊かにして、瞥地の智通を得、
道を得心を明めて、衝天の志気を挙し、
入頭の辺量に逍遙すと雖も、幾ど出身の活路を虧闕す。
矧んや、彼の祇園の生知たる、端坐六年の蹤跡見つべし、
少林の心印を伝うる、面壁九歳の声名尚聞こゆ。
古聖既に然り、今人なんぞ弁ぜざる。
所以に須らく言を尋ね語を逐うの解行を休すべし。
須らく回光返照の退歩を学すべし。
身心自然に脱落して、本來の面目現前せん。
恁麼の事を得んと欲せば、急に恁麼の事を務めよ。
夫れ参禅は静室宜しく、飲食節あり。
諸縁を放捨し、万事を休息し、
善悪を思わず、是非を管すること莫れ。
心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、
作仏を図ること莫れ、豈に坐臥に拘らんや。
尋常、坐処には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用う。
或は結跏趺坐、或は半跏趺坐、
謂く、結跏趺坐は先ず右の足を以て左の股の上に安じ、
左の足を右の股の上に安ず。
半跏趺坐は、但だ左の足を以て右の股を圧すなり。
寛く衣帯をかけて、斉整ならしむべし、
次に右の手を左の足の上に安じ、
左の掌を右の掌の上に安じ、
両の大拇指面いて相さそう。
乃ち正身端坐して、左に側ち右に傾き、
前に躬り後に仰ぐことを得ざれ。
耳と肩と対し、鼻と臍と対せしめんことを要す。
舌上の腭にかけて唇歯相着け、
目は須らく常に開くべし。
鼻息微かに通じ、
身相すでに調えて、
欠気一息し、
左右搖振して、
兀兀として坐定して、
箇の不思量底を思量せよ、
不思量底いかんが思量せん、
非思量これ乃ち坐禅の要術なり。
謂わゆる坐禅は習禅には非ず。
唯これ安楽の法門なり、
菩提を究尽するの修証なり、
公案現成、羅籠未だ到らず。
若し此の意を得ば、
龍の水を得るが如く、虎の山に靠るに似たり。
当に知るべし、正法自ら現前し、昏散先ず撲落することを。
若し坐より立たば、徐々として身を動かし、
安詳として起つべし、卒暴なるべからず。
かつて観る、超凡越聖、坐脱立亡も、
此の力に一任することを。
况んや復た、指竿針鎚を拈ずるの
転機拂拳棒喝を挙するの証契も
未だ是れ思量分別の能く解する所にあらず、
豈に神通修証の能く知る所とせんや。
声色の外の威儀たるべし、
なんぞ知見の前の軌則に非ざるものならんや。
然れば則ち、上智下愚を論ぜず、
利人鈍者を簡ぶこと莫れ。
専一に功夫せば、正に是れ弁道なり、
修証自ら染汚せず、
趣向更に是れ平常なるものなり。
凡そ夫れ、自界他方西天東地、
等しく仏印を持し、一ら宗風を擅にす。
唯だ打坐を務めて、兀地に礙えらる。
万別千差と謂うと雖も、祗管に参禅弁道すべし。
なんぞ自家の坐牀を抛却して、
謾りに他国の塵境に去來せん。
若し一歩を錯れば、当面に蹉過す。
既に人身の機要を得たり、
虚く光陰を度ること莫れ。
仏道の要機を保任す、
誰れか浪りに石火を楽まん。
しかのみならず、形質は草露の如く、
運命は電光に似たり。
倏忽として便ち空じ、
須臾に即ち失す。
冀くは其れ参学の高流、
久しく模象に習つて、
真龍を怪しむこと勿れ。
直指端的の道に精進し、
絶学無為の人を尊貴し、
仏々の菩提に合沓し、
祖々の三昧を嫡嗣せよ。
久しく恁麼なることを為せば、
須らくこれ恁麼なるべし。
宝蔵自ら開けて受用如意ならん。
(以上、『普勧坐禅儀』全文)
法要依頼 5000円~(法事や葬儀告別供養、祈願、ペット供養/オプションで戒名授与、開眼、閉眼も可能)
<< 戻る