【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』化身土巻 - 本07

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 夫れ濁世の道俗、速やかに円修至徳の真門に入りて難思往生を願うべし。真門の方便に就いて、善本有り、徳本有り。復た定専心有り。復た散専心有り。復た定散雑心有り。

 「雑心」は、大小凡聖、一切善悪、各おの助・正間雑の心を以て名号を称念す。良に教は頓にして、根は漸機なり。行は専にして、心は間雑す。故に「雑心」と曰うなり。

 「定・散の専心」は、罪福を信ずる心を以て本願力を願求す。是れを「自力の専心」と名づくるなり。

 「善本」は如来の嘉名なり。此の嘉名は万善円備せり。一切善法の本なり。故に「善本」と曰うなり。

 「徳本」は如来の徳号なり。此の徳号は、一声称念するに、至徳成満し衆禍皆転ず。十方三世の徳号の本なり。故に「徳本」と曰うなり。

 然れば則ち、釈迦牟尼仏は、功徳蔵を開演して、十方濁世を勧化したまう。阿弥陀如来は、本、果遂の誓〔此の果遂の願は二十願なり。〕を発して、諸有の群生海を悲引したまえり。既にして悲願有す。「植諸徳本の願」と名づく、復た「係念定生の願」と名づく、復た「不果遂者の願」と名づく、亦「至心回向の願」と名づくべきなり。

 是を以て『大経』の願に言わく、「設い我、仏を得たらんに、十方の衆生、我が名号を聞きて、念を我が国に係けて諸の徳本を植えて、心を至し回向して我が国に生まれんと欲わん。果遂せずは、正覚を取らじ」と。

 又言わく(大経)、「此の諸智に於いて疑惑して信ぜず。然るに猶、罪福を信じて善本を修習して其の国に生まれんと願ぜん。此の諸の衆生、彼の宮殿に生まる」と。

 又言わく(大経)、「若し人、善本無ければ、此の経を聞くことを得ず。清浄に戒を有てる者、乃し正法を聞くことを獲ん」と。已上

 『無量寿如来会』に言わく、「若し我成仏せんに、無量国の中の所有の衆生、我が名を説かんを聞きて、以て己が善根として極楽に回向せん。若し生まれずは、菩提を取らじ」と。已上

 『平等覚経』に言わく、「是の功徳有るに非ざる人は、是の経の名を聞くことを得ず。唯、清浄に戒を有てる者、乃し還りて斯の正法を聞く。悪と憍慢と蔽と懈怠とは、以て此の法を信ずること難し。宿世の時に仏を見たてまつれる者、楽みて世尊の教を聴聞せん。人の命、希に得べし。仏は世に在せども、甚だ値い難し。信慧有りて致るべからず。若し聞見せば、精進して求めよ」と。已上

 『観経』に言わく、「仏、阿難に告げたまわく、「汝、好く是の語を持て。是の語を持てというは、即ち是れ無量寿仏の名を持てとなり」と。」已上

 『阿弥陀経』に言わく、「少善根福徳の因縁を以て、彼の国に生まるることを得べからず。阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持せよ」と。已上

 光明寺の和尚(善導)の云わく(定善義)、「自余の衆行、是れ「善」と名づくと雖も、若し念仏に比ぶれば、全く比校に非ざるなり。是の故に諸経の中に処処に広く念仏の功能を讃じたり。『無量寿経』の四十八願の中の如き、唯、弥陀の名号を専念して生を得と明かす。

 又『弥陀経』の中の如し。「一日・七日、弥陀の名号を専念して生を得」と。又、十方恒沙の諸仏の証成、虚しからざるなり。

 又、此の『経』(観経)の定散の文の中に、唯、名号を専念して生を得と標す。此の例、一に非ざるなり。広く念仏三昧を顕し竟りぬ」と。

 又云わく(散善義)、「又、決定して「『弥陀経』の中に十方恒沙の諸仏、一切凡夫を証勧して、決定して生を得」と深信せよ。乃至 諸仏は、言行、相違失したまわず。縦令い、釈迦、指えて一切凡夫を勧めて、此の一身を尽くして専念専修して、捨命已後、定んで彼の国に生まるるは、即ち十方の諸仏、悉く皆同じく賛め、同じく勧め、同じく証したまう。何を以ての故に。同体大悲の故に。一仏の所化は即ち是れ一切仏の化なり。一切仏の化は即ち是れ一仏の所化なり。即ち『弥陀経』の中に説かく、乃至 又一切凡夫を勧めて、「一日・七日、一心にして弥陀の名号を専念すれば、定んで往生を得ん」と。

 次下の文に云わく、「十方に各おの恒河沙等の諸仏有して、同じく釈迦を賛めたまわく、「能く五濁悪時・悪世界・悪衆生・悪煩悩・悪邪無信の盛りなる時に於いて、弥陀の名号を指賛して、衆生を勧励して称念せしむれば、必ず往生を得」」と。即ち其の証なり。

 又、十方仏等、衆生、釈迦一仏の所説を信ぜざらんことを恐畏れて、即ち共に同心同時に各おの舌相を出だして、遍く三千世界に覆いて誠実の言を説きたまわく、「汝等衆生、皆、是の釈迦の所説・所讃・所証を信ずべし。」一切凡夫、罪福の多少・時節の久近を問わず、但能く、上、百年を尽くし、下、一日・七日に至るまで、一心に弥陀の名号を専念すれば、定んで往生を得ること、必ず疑無きなり。是の故に、一仏の所説は、一切仏、同じく其の事を証成したまうなり。此れを「人に就いて信を立つ」と名づくるなり。」抄要

 又云わく(散善義)、「然るに、仏願の意を望むには、唯、正念を勧め名を称せしむ。往生の義、疾きごときは雑散の業には同じからず。此の『経』(観経)及び諸部の中に処処に広く嘆ずるが如きは、勧めて名を称せしむるを、将に要益とせんとするなり。知るべし」と。

 又云わく(散善義)、「「仏告阿難汝好持是語」(観経)より已下は、正しく弥陀の名号を付嘱して遐代に流通することを明かす。上より来、定散両門の益を説くと雖も、仏の本願の意を望まんには、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称するに在り」と。

 又云わく(法事讃)、「極楽は無為涅槃の界なり。随縁の雑善、恐らくは生じ難し。故に如来、要法を選びて教えて弥陀を念ぜしめて、専らにして復た専らならしめたまえり」と。

 又云わく(法事讃)、「劫尽きんと欲する時、五濁盛りなり。衆生邪見にして甚だ信じ難し。専らにして専らなれと指授して西路に帰せしめしに、他の為に破壊せられて還りて故の如し。曠劫より已来、常に此くの如し。是れ今生に始めて自ら悟るに非ず。正しく好き強縁に遇わざるに由りて、輪回して得度し難からしむることを致す」と。

 又云わく(法事讃)、「種種の法門、皆解脱すれども、念仏して西方に往くに過ぎたるは無し。上、一形を尽くし、十念・三念・五念に至るまで、仏、来迎したまう。直ちに弥陀の弘誓重なれるを為て、凡夫念ずれば即生せしむることを致す」と。

 又云わく(般舟讃)、「一切如来、方便を設けたまうこと、亦今日の釈迦尊に同じ。機に随いて法を説きたまうに、皆、益を蒙る。各おの悟解を得て真門に入れと。乃至 仏教多門にして八万四なり。正しく衆生の機不同なるが為なり。安身常住の処を覓めんと欲わば、先ず要行を求めて真門に入れ」と。

 又云わく〔智昇師『礼懺儀』の文に云わく、「光明寺(善導)の『礼賛』なり。」〕(往生礼讃)、「爾、此日、自ら諸方の道俗を見聞するに、解行不同にして専修に異有り。但、意を専らして作さしむれば、十は即ち十ながら生ず。雑を修するは至心ならざれば、千が中に一も無し」と。已上

 元照律師の『弥陀経の義疏』に云わく、「如来、持名の功勝れたることを明かさんと欲す。先ず余善を貶して少善根とす。謂わゆる、布施・持戒・立寺・造像・礼誦・座禅・懺念苦行・一切福業、若し正信無ければ、回向願求するに、皆、少善とす。往生の因に非ず。若し此の『経』(阿弥陀経)に依りて名号を執持せば、決定して往生せん。即ち知りぬ、称名は是れ多善根・多福徳なりと。昔、此の解を作しし。人、尚遅疑しき。近く襄陽の石碑の『経』の本文を得て、理、冥符せり。始めて深信を懐く。彼に云わく、「善男子・善女人、阿弥陀仏を説くを聞きて、一心にして乱れず名号を専称せよ。称名を以ての故に諸罪消滅す。即ち是れ多功徳・多善根・多福徳因縁なり」と。」已上

 孤山(智円)の『疏』(阿弥陀経疏)に云わく、「「執持名号」(阿弥陀経)は、「執」は、謂わく、執受なり。「持」は、謂わく、住持なり。信力の故に、執受、心に在り。念力の故に、住持して忘れず」と。已上

 『大本』(大経)に言わく、「如来の興世、値い難く見たてまつり難し。諸仏の経道、得難く聞き難し。菩薩の勝法・諸波羅蜜、聞くことを得ること亦難し。善知識に遇い、法を聞き能く行ずること、此れ亦難しとす。若し斯の経を聞きて信楽受持すること、難の中の難、此れに過ぎて難きは無けん。是の故に我が法、是くの如く作しき、是くの如く説く、是くの如く教う。当に信順して法の如く修行すべし」と。已上

 『涅槃経』(迦葉菩薩品)に言わく、「経の中に説くが如し。一切梵行の因は善知識なり。一切梵行の因、無量なりと雖も、善知識を説けば則ち已に摂尽しぬ。我が所説の如し。一切悪行は邪見なり。一切悪行の因、無量なりと雖も、若し邪見を説けば則ち已に摂尽しぬ。或いは説かく、阿耨多羅三藐三菩提は信心を因とす。是れ菩提の因、復た無量なりと雖も、若し信心を説けば則ち已に摂尽しぬ」と。

 又言わく(迦葉菩薩品)、「善男子。信に二種有り。一には信、二には求なり。是くの如きの人、復た信有りと雖も推求に能わざる、是の故に名づけて「信不具足」とす。信に復た二種有り。一には聞より生ず。二には思より生ず。是の人の信心、聞よりして生じて思より生ぜず。是の故に名づけて「信不具足」とす。復た二種有り。一には道有ることを信ず。二には得者を信ず。是の人の信心、唯、道有ることを信じて、都て得道の人有ることを信ぜず。是れを名づけて「信不具足」とす。

(化身土巻 - 本 は続く)

▶ 次に進む

◀ 前に戻る

🏠 『教行信証』の最初に戻る

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。前知識のない一般の方でも「読んでみよう!」と思ってもらえるよう、より分かりやすく読み進めるために編集しています。漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、送り仮名を現代表記に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではない場合があります。

あなたに おすすめページ💡 戒名授与 1万円のみ(故人/生前/法名授与も)

<< 戻る

-仏教を本気で学ぶ, 年表
-



Copyright © 1993 - 2024 寺院センター All Rights Reserved.