【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』行巻09

投稿日:1224年1月1日 更新日:

『経』(観経)に云わく、「阿弥陀仏の相好の光明、遍く十方世界を照らす。念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず」と。若し念仏して臨終に魔障を被ると謂わば、光明遍照摂取衆生力、復た何ぞ在さんや。況んや念仏の人の臨終の感相、衆経より出でたり。皆是れ仏の言なり。何ぞ貶して魔境とすることを得んや。今、為に邪疑を決破す。当に正信を生ずべし」と。已上彼の文。」

 又云わく 元昭(元照)律師『弥陀経義』の文、「一乗の極唱、終帰を咸く楽邦を指す。万行の円修、最勝を独り果号に推る。良に以て因より願を建つ。志を秉り行を躬め、塵点劫を歴て済衆の仁を懐けり。芥子の地も捨身の処に非ざること無し。悲智六度摂化して、以て遺すこと無し。内外の両財、求むるに随いて必ず応ず。機と縁と熟し、行満じ功成り、一時に円かに三身を証す。万徳、総て四字に彰る」と。已上

 又云わく(元照阿弥陀経義疏)、「況んや我が弥陀は名を以て物を接したまう。是を以て耳に聞き、口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種と為りて、頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。信に知りぬ、少善根に非ず、是れ多功徳なりと。」已上

 又云わく(元照阿弥陀経義疏)、「正念の中に、凡人の臨終は、識神、主無し。善悪の業種、発現せざること無し。或いは悪念を起こし、或いは邪見を起こし、或いは繫恋を生じ、或いは猖狂悪相を発せん。一ら皆「顚倒の因」と名づくるに非ずや。前に仏を誦して、罪滅し障除こり、浄業、内に熏じ、慈光、外に摂して、苦を脱れ楽を得ること、一刹那の間なり。下の文に生を勧む。其の利、此れに在り」と。已上

 慈雲法師〔天竺寺遵式〕の云わく(元照観経義疏)、「「唯安養の浄業、捷真なり。修すべし。若し四衆有りて、復た速やかに無明を破し、永く五逆・十悪・重軽等の罪を滅せんと欲わば、当に此の法を修すべし。大小の戒体、遠く復た清浄なることを得しめ、念仏三昧を得しめ、菩薩の諸波羅蜜を成就せんと欲わば、当に此の法を学すべし。臨終に諸の怖畏を離れしめ、身心安快にして、衆聖現前し授手接引せらるることを得、初めて塵労を離れて便ち不退に至り、長劫を歴ず即ち無生を得んと欲わば、当に此の法等を学すべし。」古賢の法語に、能く従うこと無からんや。已上五門、綱要を略標す。自余は尽くさず。委しく釈文に在り。『開元の蔵録』(開元釈教録)を案ずるに、此の『経』(観経)、凡そ両訳有り。前本は已に亡じぬ。今の本は乃ち畺良耶舎の訳なり。『僧伝』(梁高僧伝)に云わく、「畺良耶舎、此には「時称」と云う。宋の元嘉の初めに京邑に建めたり。 文帝のとき。」」

 慈雲〔遵式なり。〕の讃に云わく(元照観経義疏)、「了義の中の了義なり。円頓の中の円頓なり」と。已上
 大智〔元照律師なり。〕唱えて云わく(元照観経義疏)、「円頓一乗なり。純一にして雑無し」と。已上

 律宗の戒度〔元照の弟子なり。〕の云わく(観経義疏正観記)、「仏名は乃ち是れ、劫を積んで薫修し、其の万徳を攬る。総て四字に彰る。是の故に之を称するに益を獲ること浅きに非ず」と。已上

 律宗の用欽〔元照の弟子なり。〕の云わく(超玄記)、「今若し我が心口を以て一仏の嘉号を称念すれば、則ち因より果に至るまで、無量の功徳、具足せざること無し」と。已上

 又云わく(同)、「一切諸仏、微塵劫を歴て実相を了悟して一切を得ざるが故に、無相の大願を発して、修するに妙行に住すること無し、証するに菩提を得ること無し、住するに国土を荘厳するに非ず。現ずるに神通の神通無きが故に、舌相を大千に遍くして無説の説を示す。故に是の経を勧信せしむ。豈に心に思い口に議るべけんや。私に謂わく、諸仏の不思議の功徳、須臾に弥陀の二報荘厳に収む。持名の行法は、彼の諸仏の中に亦須く弥陀を収むべきなり」と。已上

 三論の祖師嘉祥の云わく(吉蔵観経義疏)、「問う。念仏三昧は、何に因りてか能く此くの如き多罪を滅することを得るやと。
 解して云わく、仏に無量の功徳有す。仏の無量の功徳を念ずるが故に、無量の罪を滅することを得しむ」と。已上

 法相の祖師法位の云わく(大経義疏)、「諸仏は皆、徳を名に施す。名を称するは即ち徳を称するなり。徳、能く罪を滅し福を生ず。名も亦是くの如し。若し仏名を信ずれば、能く善を生じ悪を滅すること、決定して疑無し。称名往生、此れ何の惑か有らんや」と。已上

 禅宗の飛錫の云わく(念仏三昧宝王論)、「念仏三昧の善、之、最上なり。万行の元首なるが故に、「三昧王」と曰う」と。已上

 『往生要集』に云わく、「『双巻経』(大経)の三輩の業、浅深有りと雖も、然るに通じて皆「一向専念無量寿仏」と云えり。三に四十八願の中に、念仏門に於いて別して一の願を発して云わく、「乃至十念若不生者不取正覚」と。四に『観経』には「極重の悪人、他の方便無し。唯、弥陀を称して極楽に生ずることを得」と。」已上

 又云わく(往生要集)、「『心地観経』の六種の功徳に依るべし。「一には無上大功徳田、二には無上大恩徳、三には無足・二足及以び多足衆生の中の尊なり。四に極めて値遇し難きこと、優曇華の如し。五に独り三千大千界に出でたまう。六に世・出世間の功徳円満せり。義、具に此くの如き等の六種の功徳に依る。常に能く一切衆生を利益したまう」と。」已上

 此の六種の功徳に依りて、信和尚(源信)の云わく(往生要集)、「一には念ずべし。「一称南無仏皆已成仏道」(法華経)の故に、我、無上功徳田を帰命し礼したてまつる。二に念ずべし。慈眼をもって衆生を視そなわすこと、平等にして一子の如し。故に我、極大慈悲母を帰命し礼したてまつる。三に念ずべし。十方の諸大士、弥陀尊を恭敬したてまつるが故に、我、無上両足尊を帰命し礼したてまつる。四に念ずべし。一たび仏名を聞くことを得ること、優曇華よりも過ぎたり。故に我、極難値遇者を帰命し礼したてまつる。五に念ずべし。一百倶胝界には、二尊、並んで出でたまわず。故に我、希有大法王を帰命し礼したてまつる。六に念ずべし。仏法衆徳海は三世同じく一体なり。故に我、円融万徳尊を帰命し礼したてまつる」と。已上

 又云わく(往生要集)、「波利質多樹の華、一日、衣に薫ずるに、瞻蔔華・波師迦華、千歳薫ずと雖も、及ぶこと能わざる所なり。」已上

 又云わく(往生要集)、「一斤の石汁、能く千斤の銅を変じて金と為す。雪山に草有り、名づけて「忍辱」とす。牛、若し食すれば即ち醍醐を得。月利沙、昴星を見れば則ち菓実を出だすが如し。」已上

(「行巻」続く)

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