【仏教用語/人物集 索引】

『教行信証』信巻08

投稿日:1224年1月1日 更新日:

 次に「信楽」と言うは、則ち是れ如来の満足大悲・円融無碍の信心海なり。是の故に、疑蓋、間雑有ること無し。故に「信楽」と名づく。即ち利他回向の至心を以て信楽の体とするなり。

 然るに、無始より已来、一切群生海、無明海に流転し、諸有輪に沈迷し、衆苦輪に繫縛せられて、清浄の信楽無し、法爾として真実の信楽無し。是を以て、無上功徳、値遇し難叵く、最勝の浄信、獲得し難叵し。一切凡小、一切時の中に、貪愛の心、常に能く善心を汚し、瞋憎の心、常に能く法財を焼く。急作急修して頭燃を灸うが如くすれども、衆て「雑毒雑修の善」と名づく、亦「虚仮諂偽の行」と名づく、「真実の業」と名づけざるなり。此の虚仮雑毒の善を以て無量光明土に生まれんと欲する、此れ必ず不可なり。何を以ての故に。正しく、如来、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、乃至一念・一刹那も、疑蓋、雑わること無きに由りてなり。斯の心は即ち如来の大悲心なるが故に、必ず報土の正定の因と成る。如来、苦悩の群生海を悲憐して、無碍広大の浄信を以て諸有海に回施したまえり。是れを「利他真実の信心」と名づく。

 本願信心の願成就の文、『経』(大経)に言わく、「諸有の衆生、其の名号を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せん」と。已上

 又言わく(如来会)、「他方仏国の所有の衆生、無量寿如来の名号を聞きて、能く一念の浄信を発して歓喜せん」と。已上

 『涅槃経』に言わく(師子吼菩薩品)、「善男子。大慈大悲を名づけて「仏性」とす。何を以ての故に。大慈大悲は常に菩薩に随うこと、影の形に随うが如し。一切衆生、畢に定んで当に大慈大悲を得べし。是の故に説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。大慈大悲は名づけて「仏性」とす。仏性は名づけて「如来」とす。大喜大捨を名づけて「仏性」とす。何を以ての故に。菩薩摩訶薩は、若し二十五有に能わずは、則ち阿耨多羅三藐三菩提を得ること能わず。諸の衆生、畢に当に得べきを以ての故に、是の故に説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。大喜大捨は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり。仏性は「大信心」と名づく。何を以ての故に。信心を以ての故に、菩薩摩訶薩は則ち能く檀波羅蜜乃至般若波羅蜜を具足せり。一切衆生は畢に定んで当に大信心を得べきを以ての故に、是の故に説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。大信心は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり。仏性は「一子地」と名づく。何を以ての故に。一子地の因縁を以ての故に、菩薩は則ち一切衆生に於いて平等心を得たり。一切衆生は畢に定んで当に一子地を得べきが故に、是の故に説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。一子地は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり」と。已上

 又言わく(迦葉菩薩品)、「或いは阿耨多羅三藐三菩提を説く、信心を因とす。是れ菩提の因、復た無量なりと雖も、若し信心を説けば、則ち已に摂尽しぬ」と。已上

 又言わく(迦葉菩薩品)、「信に復た二種有り。一には聞より生ず、二には思より生ず。是の人の信心、聞よりして生じて思より生ぜざる、是の故に名づけて「信不具足」とす。復た二種有り。一には道有りと信ず、二には得者を信ず。是の人の信心、唯、道有りと信じて、都て得道の人有りと信ぜざらん。是れを名づけて「信不具足」とす」といえり。已上抄出

 『華厳経』に言わく(晋訳入法界品)、「此の法を聞きて信心を歓喜して疑無き者は、速やかに無上道を成らん。諸の如来と等し」となり。

 又言わく(唐訳入法界品)、「如来、能く永く一切衆生の疑を断たしむ。其の心の所楽に随いて、普く皆満足せしむ」となり。

 又言わく(唐訳賢首品)、「信は道の元とす、功徳の母なり。一切諸の善法を長養す。疑網を断除して愛流を出で、涅槃無上道を開示せしむ。信は垢濁の心無し。清浄にして憍慢を滅除す。恭敬の本なり。亦法蔵第一の財とす。清浄の手として衆行を受く。信は能く恵施して心に悋むこと無し。信は能く歓喜して仏法に入る。信は能く智功徳を増長す。信は能く必ず如来地に到る。信は諸根をして浄明利ならしむ。信力堅固なれば、能く壊すること無し。信は能く永く煩悩の本を滅す。信は能く専ら仏功徳に向かえしむ。信は境界に於いて所著無し。諸難を遠離して無難を得しむ。信は能く衆魔の路を超出し、無上解脱道を示現せしむ。信は功徳の為に種を壊らず。信は能く菩提樹を生長す。信は能く最勝智を増益す。信は能く一切仏を示現せしむ。是の故に行に依りて次第を説く。信楽最勝にして甚だ得ること難し。乃至 若し常に諸仏を信奉すれば、則ち能く大供養を興集す。若し能く大供養を興集すれば、彼の人、仏の不思議を信ず。若し常に尊法に信奉すれば、則ち仏法を聞くに厭足無し。若し仏法を聞くに厭足無ければ、彼の人、法の不思議を信ず。若し常に清浄僧に信奉すれば、則ち信心、退転せざることを得。若し信心不退転を得れば、彼の人の信力、能く動くこと無し。若し信力を得て能く動くこと無ければ、則ち諸根浄明利を得ん。若し諸根浄明利を得れば、則ち善知識に親近することを得。則ち善知識に親近することを得れば、則ち能く広大善を修集す。若し能く広大善を修集すれば、彼の人、大因力を成就す。若し人、大因力を成就すれば、則ち殊勝決定の解を得。若し殊勝決定の解を得れば、則ち諸仏の為に護念せらる。若し諸仏の為に護念せらるれば、則ち能く菩提心を発起す。若し能く菩提心を発起すれば、則ち能く仏功徳を勤修せしむ。若し能く仏功徳を勤修すれば、則ち能く生まれて如来の家に在らん。若し生まれて如来の家に在ることを得れば、則ち善をして巧方便を修行せん。若し善をして巧方便を修行すれば、則ち信楽の心清浄なることを得。若し信楽の心清浄を得れば、則ち増上の最勝心を得。若し増上の最勝心を得れば、則ち常に波羅蜜を修習せん。若し常に波羅蜜を修習すれば、則ち能く摩訶衍を具足せん。若し能く摩訶衍を具足すれば、則ち能く法の如く仏を供養せん。若し能く如法に仏を供養すれば、則ち能く念仏の心、動ぜず。若し能く念仏の心、動ぜざれば、則ち常に無量仏を覩見せん。若し常に無量仏を覩見すれば、則ち如来の体常住を見ん。若し如来の体常住を見れば、則ち能く法永く不滅なることを知らん。若し能く法永く不滅なるを知れば、弁才を得、無障碍を得ん。若し弁才無障碍を得れば、則ち能く無辺の法を開演せん。若し能く無辺の法を開演せば、則ち能く慈愍して衆生を度せん。若し能く衆生を慈愍し度すれば、則ち堅固の大悲心を得ん。若し堅固の大悲心を得れば、則ち能く甚深の法を愛楽せん。若し能く甚深の法を愛楽すれば、則ち能く有為の過を捨離せん。若し能く有為の過を捨離すれば、則ち憍慢及び放逸を離る。若し憍慢及び放逸を離るれば、則ち能く一切衆を兼利せん。若し能く一切衆を兼利すれば、則ち生死に処して疲厭無けん」となり。略抄

 『論註』に曰わく、「「如実修行相応」(論)と名づく。是の故に論主、建めに「我一心」(同)と言えり。」已上

 又言わく(論註)、「経の始めに「如是」と称することは、信を彰して能入とす。」已上

(「信巻」続く)

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