人物

小早川隆景(こばやかわたかかげ)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。竹原小早川家第14代当主。後に沼田小早川家も継ぐ。 毛利元就の三男で、兄弟に同母兄の毛利隆元・吉川元春などがいる。竹原小早川家を継承し、後に沼田小早川家も継承して両家を統合。吉川元春と共に毛利両川として戦国大名毛利氏の発展に尽くした。毛利水軍の指揮官としても活躍している。豊臣政権下では豊臣秀吉の信任を受け、文禄4年(1595年)に発令された「御掟」五ヶ条と「御掟追加」九ヶ条において秀吉に五大老の一人に任じられた。実子はなく、木下家定の五男で豊臣秀吉の養子となっていた羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子として迎え、家督を譲っている。特に豊臣秀吉の信頼は厚く、...
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織田信長、高野攻め

天正九年(1581年)、織田信長、高野攻め。高野山は比叡山と同じように、独自の武力を蓄えていた。寺領は17万石以上あり、3万6千の兵を養っていたと記されている。高野山が織田信長を裏切った荒木村重の残党を匿ったり、足利義昭と通じるなど、信長と敵対する動きを見せる。『信長公記』によれば、信長は使者十数人を差し向けたが、高野山が使者を全て殺害した。一方、『高野春秋』では前年8月に高野山宗徒と荒木村重の残党が組織する「高野大衆一揆」の関係の有無を問いかける書状を松井友閑を通じて送り付け、続いて9月21日に一揆に加わった高野聖らを捕縛し入牢あるいは殺害した。このため天正9年(1581年)1月、根来寺と協...
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鎌倉の五山 ~五山制度と臨済宗~

インドの五山、中国の五山と、鎌倉五山や京都五山にどのようにつながってきたかをこれまでも別記してきました。五山制度は時の権力者、幕府が寺を格付け管理するための制度であり、権力者が変われば五山も変わるという具合でしたが、1386(至徳3)年、室町幕府三代将軍足利義満によって、最終的な五山が決定され、南禅寺を別格上位とする京都五山と鎌倉五山が決定しました。建長寺(けんちょうじ)鎌倉五山の第一位。鎌倉幕府第五代執権北条時頼が宋僧・蘭渓道隆をむかえ、1253(建長5)年に開かれた寺院で、建物は南宋の径山万寿寺を模した本格的な禅宗様式です。円覚寺(えんがくじ)鎌倉五山の第二位。鎌倉幕府第八代執権北条時宗が...
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向嶽寺派(本山向嶽寺(山梨塩山))の開派

南朝 : 天授4・北朝 : 永和4(1378)年、抜隊得勝禅師により始まる。臨済宗向嶽寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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高師直(こうのもろなお)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて足利尊氏に仕えた武将、官僚、政治家、歌人。正式な名乗りは、高階師直(たかしな の もろなお)。鎌倉幕府有力御家人足利氏執事、建武政権雑訴決断所三番奉行人・武者所および窪所寄人、北朝武蔵守、室町幕府初代および第三代執事(室町幕府管領の前身)・上総国守護・武蔵国守護・引付頭人。生誕 命日 正平6年/観応2年2月26日(1351年3月24日)真如寺殿道常大禅定門<< 戻る
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虎関師錬(こかんしれん)

鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。諱は師錬、字は虎関。父は藤原左金吾校尉で、母は源氏。玄恵の兄弟とする説もある。京都の出身。諡号は本覚国師。漢詩・漢文に優れ、五山文学の代表者の一人である。著作に『元亨釈書』の他、『楞伽経』の注釈『仏語心論』、詩文集『済北集』、語録『十禅支録』、日本最初の韻書『聚分韻略』などがある。生誕 弘安元年4月16日(1278年5月9日)命日 興国7年/貞和2年7月24日(1346年8月11日)<< 戻る
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後醍醐天皇(ごだいごてんのう)

第96代天皇および南朝初代天皇。諱は尊治。大覚寺統の天皇。京都で2度の討幕(正中の変、元弘の変)を企てた後醍醐天皇は、正慶元年(1332)鎌倉幕府に隠岐に流されました。しかし、楠木正成や後醍醐天皇の子、護良親王らによる討幕運動が続くと、後醍醐天皇は隠岐を脱出し、討幕を呼びかけます。足利尊氏、新田義貞らが正慶2年(1333)に鎌倉幕府を滅ぼすと、後醍醐天皇は帰京し、幕府・摂関を廃して天皇による親政「建武の新政」を開始します。しかし親政は破綻し、後ろ盾となっていた足利尊氏の離反に遭ったため、後醍醐天皇は比叡山に2度逃れますが、ついに京で幽閉されてしまいます。建武2年(1336)、尊氏は持明院統の光...
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国泰寺派(本山国泰寺(富山高岡))の開派

正安2(1300)年頃、慈雲妙意禅師により始まる。国泰寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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孤雲懐奘(こうんえじょう)

鎌倉時代の禅宗僧侶。京都に生まれる。懐弉とも記述されます。道元禅師に就いて嗣法。弟子には徹通義介、寒巌義尹、寂円がいる。父は九条為通。幼少の頃より比叡山に上り、18歳で出家し天台宗の学僧になります。24歳で浄土宗西山派の証空について浄土教を学び、26歳で大和国多武峯にて日本達磨宗の覚晏に禅を学び印可を受けます。安貞2年(1228年)、興福寺衆徒の焼き討ちを受け避難する中、宋から帰国した道元禅師の評判を聞き、法戦を挑んだところ、その所見が優れていることを認め師事を願いでます。しかし、道元禅師はまだ独立した身でないことを理由に断られたものの、文暦元年(1234年)、建仁寺を出て山城国深草に草庵を結...
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小松原法難

文永元(1264)年11月11日、念仏信仰者の地頭・東条景信(とうじょうかげのぶ)の軍勢に日蓮聖人は襲撃され、弟子一人は討ち取られ、自らも眉に三寸の疵(きず)を負わされました。<< 戻る
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道元禅師 永平寺を孤雲懐奘禅師に譲る

建長4(1252)年、夏頃から体調を崩し、建長5(1253)年には永平寺の貫首を弟子の孤雲懐奘禅師(こうんえじょうぜんじ)に譲ります。<< 戻る
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「正法眼蔵」虚空(こくう)

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「正法眼蔵」古仏心(こぶつしん)

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「正法眼蔵」光明(こうみょう)

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「正法眼蔵」古鏡(こきょう)

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『典座教訓』8、ことに見合った細かい心配り

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『典座教訓』4、心を他のことに移さない

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『典座教訓』3、米を洗うことも修行のうち

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『典座教訓』2、心が整えば味も整う

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『正法眼蔵随聞記』5、古人云く、聞くべし見るべし

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『正法眼蔵随聞記』18、広学博覧はかなうべからざる事なり

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『正法眼蔵随聞記』41、故僧正云く、衆各用いる所の衣粮等

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『正法眼蔵随聞記』48、古人云く朝に道を聞かば夕に死すとも可なり

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『正法眼蔵随聞記』92、古人多くは云く光陰虚しく度る事なかれ

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『正法眼蔵随聞記』103、古人云く知因識果の知事に属して

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『正法眼蔵随聞記』104、古人の云く百尺の竿頭にさらに一歩を進むべし

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『正法眼蔵随聞記』37、故僧正建仁寺におはせし時

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『正法眼蔵随聞記』40、故建仁寺僧正の伝をば

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『正法眼蔵随聞記』22、故鎌倉の右大将

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『正法眼蔵随聞記』71、古人云く、霧の中を行けば覚えざるに衣しめる

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興禅護国論

建久9(1198)年、栄西禅師により「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」が著されました。<< 戻る
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中国の五山 ~五山制度と臨済宗~

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