【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」虚空(こくう)

投稿日:1245年3月6日 更新日:

這裏是什麼処在のゆゑに、道現成をして仏祖ならしむ。仏祖の道現成、おのれづから嫡々するゆゑに、皮肉骨髓の渾身せる、掛虚空なり。虚空は、二十空等の群にあらず。おほよそ、空ただ二十空のみならんや、八万四千空あり、およびそこばくあるべし。

撫州石鞏慧蔵禅師、問西堂智蔵禅師、汝還解脱捉得虚空麼(撫州石鞏慧蔵禅師、西堂智蔵禅師に問ふ、汝還た虚空を捉得せんことを解脱する麼)。
西堂曰、解脱捉得(捉得せんことを解脱す)。
師曰、儞作麼生捉(儞作麼生か捉する)。
西堂以手撮虚空(西堂、手を以て虚空を撮す)。
師曰、儞不解脱捉虚空(虚空を捉せんことを解脱せず)。
西堂曰、師兄作麼生捉(師兄作麼生か捉する)。
師把西堂鼻孔拽(師、西堂が鼻孔を把りて拽く)。
西堂作忍痛声曰、太殺人、拽人鼻孔、直得脱去(西堂、忍痛の声を作して曰く、太殺人、人の鼻孔を拽いて、直得脱去す)。
師曰、直得恁地捉始得(直に恁地に捉することを得て始得ならん)。

石鞏道の汝還解捉得虚空麼。
なんぢまた通身是手眼なりやと問著するなり。
西堂道の解捉得。
虚空一塊触而染汚なり。染汚よりこのかた、虚空落地しきたれり。
石鞏道の儞作麼生捉。
換作如如、早是変了也(換んで如如と作すも、早く是れ変じ了りぬ)なり。しかもかくのごとくなりといへども、隨変而如去也(変るに隨ひて如にして去る也)なり。
西堂以手撮虚空。
只会騎虎頭、未会把虎尾(ただ虎頭に騎るを会して、未だ虎尾を把るを会せず)なり。
石鞏道、儞不解捉虚空。
ただ不解捉のみにあらず、虚空也未夢見在なり。しかもかくのごとくなりといへども、年代深遠、不欲為伊挙似(伊が為に挙似せんと欲はず)なり。
西堂道、師兄作麼生。
和尚也道取一半、莫全靠某甲(和尚も也た一半を道取すべし、全く某甲に靠ること莫かれ)なり。
石鞏把西堂鼻孔拽。
しばらく参学すべし、西堂の鼻孔に石鞏蔵身せり。あるいは鼻孔拽石鞏の道現成あり。しかもかくのごとくなりといへども、虚空一団、磕著築著なり。
西堂作忍痛声曰、太殺人、拽人鼻孔、直得説去。
従来は人にあふとおもへども、たちまちに自己にあふことをえたり。しかあれども、染汚自己即不得(自己を染汚することは即ち得ず)なり、修己すべし。
石鞏道、直得恁地捉始得。
恁地捉始得はなきにあらず、ただし石鞏と石鞏と、共出一隻手の捉得なし。虚空と虚空と、共出一隻手の捉得あらざるがゆゑに、いまだみづからの費力をからず。

おほよそ尽界には、容虚空の間隙なしといへども、この一段の因縁、ひさしく虚空の霹靂をなせり。石鞏、西堂よりのち、五家の宗匠と称ずる参学おほしといへども、虚空を見聞測度せるまれなり。

石鞏、西堂より前後に、弄虚空を擬するともがら面々なれども、著手せるすくなし。石鞏は虚空をとれり、西堂は虚空を覷見せず。大仏まさに石鞏に為道すべし、いはゆるそのかみ西堂の鼻孔をとる、捉虚空なるべくは、みづから石鞏の鼻孔をとるべし。

指頭をもて指頭をとることを会取すべし。しかあれども、石鞏いささか捉虚空の威儀をしれり。たとひ捉虚空の好手なりとも、虚空の内外を参学すべし。虚空の殺活を参学すべし。虚空の軽重をしるべし。仏々祖々の功夫弁道発心修証、道取問取、すなはち捉虚空なると保任すべし。

先師天童古仏曰、渾身似口掛虚空(渾身口に似て虚空に掛る)。
あきらかにしりぬ、虚空の渾身は虚空にかかれり。

洪州西山亮座主、因参馬祖。祖問、講什麼経(洪州西山の亮座主、因みに馬祖に参ず。祖問ふ、什麼経をか講ずる)。
師曰、心経。
祖曰、将什麼講(什麼を将てか講ずる)。
師曰、将心講(心を将て講ず)。
祖曰、心如工伎児、意如和伎者。六識為伴侶、争解脱講得経(心は工伎児の如く、意は和伎者の如し。六識伴侶たり、争でか経を講得することを解脱せん)。
師曰、心既講不得、莫是虚空講得麼(心既に講不得ならば、是れ虚空講得すること莫き麼)。
祖曰、却是虚空講得(却つて是れ虚空講得せん)。
師払袖而退(師、払袖して退く)。
祖召云、座主。
師回首(師、回首す)。
祖曰、従生至老、只是這箇(生より老に至るまで、只是這箇)。
師因而有省。遂隠西山、更無消息(師、因みに省有り。遂に西山に隠れて更に消息無し)。

しかあればすなはち、仏祖はともに講経者なり。講経はかならず虚空なり。虚空にあらざれば一経をも講ずることをえざるなり。心経を講ずるにも、身経を講ずるにも、ともに虚空をもて講ずるなり。虚空をもて思量を現成し、不思量を現成せり。有師智をなし、無師智をなす。生知をなし、学而知をなす、ともに虚空なり。作仏作祖、おなじく虚空なるべし。

第二十一祖婆修盤頭尊者道、
心同虚空界、
示等虚空法。
証得虚空時、
無是無非法。
(心は虚空界に同じ、等虚空の法を示す。虚空を証得する時、是も無く非法も無し。)

いま壁面人と人面壁と、相逢相見する牆壁心、枯木心、これはこれ虚空界なり。応以此身得度者、既現此身、而為説法、これ示等虚空法なり。応以他身得度者、既現他身、而為説法、これ示等虚空法なり。被十二時使、および使得十二時、これ証得虚空時なり。石頭大底大、石頭小底小、これ無是無非法なり。
かくのごとくの虚空、しばらくこれを正法眼蔵涅槃妙心と参究するのみなり。

正法眼蔵虚空第七十

爾時寛元三年乙巳三月六日在越宇大仏寺示衆
弘安二年己卯五月十七日在同国中濱新善光寺書写之 義雲

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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