仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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涅槃会(ねはんえ)

2月15日はブッダが涅槃に入られた日。涅槃会(ねはんえ)です。約2500年前、北インドを中心に教えを説いて歩き、多くの人々を救ったブッダはクシナガラの沙羅双樹の間で涅槃に入りました。今でもクシナガラは仏教の聖地に変わりありません。機会があれば行ってみてください。田舎町ですが、心が安らぐ場所です。まさしく涅槃の地であります。ちなみに日本では地方により、涅槃会の行事を旧暦に合わせて3月15日にする場合もあります。<< 戻る
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涅槃(ねはん)‐ ニルヴァーナ

涅槃(ニルヴァーナ)とは、煩悩の火が吹き消された心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地、悟りの境地、それらを示します。貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒が滅した状態が必要最低条件とされています。また、生命の火が吹き消されたということで、入滅、死去をも涅槃といいます。この場合、寂滅、滅度、円寂と漢訳されます。梵語(サンスクリット語) nirvana ニルヴァーナ巴語(パーリ語) nibbana ニッバーナ<< 戻る
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涅槃像(ねはんぞう)- クシナガラ

ブッダ入滅の地・クシナガラにある涅槃堂の涅槃像は足のつま先がずれています。これは入滅した(亡くなった)姿を表しているのです。その時80歳、悟りを得た後の45年の伝道の旅を終えた姿です。また、つま先が揃っているものは最後の説法をしている涅槃像です。(2001年撮影)(2017年8月撮影/邪魔な!?フェンスができています)この涅槃像は5世紀のクマラグプタ朝時代にハリバラという信者が寄進したものをマトゥラーからクシナガラへ運んできたものです。この時代、王をはじめとする仏教の信者はクシナガラに僧院や礼拝堂を建て、仏教は保護されていました。涅槃像の足の裏<< 戻る
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涅槃堂(ねはんどう)- ニルヴァーナテンプル

涅槃堂(Nirvana Temple)はクシナガラにあるブッダ入滅の象徴とされている建物です。世界各国から仏教聖地の巡礼に訪れる人、遠足で訪れる学生、ブッダをヒンドゥの神としてお参りする人等、目的は違っても多くの参拝者がいます。朝には涅槃堂の周りで坐禅・瞑想する人もいますし、6時過ぎから各国の僧侶が順番(決まりはないようです)にお経を唱えていきます。涅槃堂の内部はとても響きが良く気分が良くなります。本尊は涅槃像、境内には沙羅双樹(さらそうじゅ)があり、かつてインドで仏教が盛んであった頃の僧院跡が残されています。ただし、当時の仏教寺院の多くは木造であり、残っているものは土台だけです。このいくつか...
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年回忌法要早見表(令和7年・西暦2025年)

年回忌法要早見表とは、その年の年回忌(法事)を一覧で表示するものです。年回忌は一般的に行われることが多いものを赤字で表示しています。それ以外の場合も祥月命日法要を行ったり、年回忌として行ったりする場合があります。年回忌法要早見表(令和7年・西暦2025年) ⇒ ご逝去年毎・年回忌表和暦没年 西暦没年 年回忌令和7年 2025年 (亡くなられた時が1回目の命日⇒中陰からの忌日表を確認する)令和6年 2024年 1周忌(2回目の命日)令和5年 2023年 3回忌(3回目の命日)令和4年 2022年 4令和3年 2021年 5令和2年 2020年 6令和元年/平成31年 2019年 7回忌平成30年...
人物

根津嘉一郎(ねづかいちろう)- 初代

政治家、実業家で根津財閥の創始者。東武鉄道や南海鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わった。「鉄道王」と呼ばれることで有名。 現在の武蔵大学および武蔵中学校・高等学校の前身である旧制武蔵高等学校の創立者。生誕 万延元年6月15日(1860年8月1日)命日 昭和15年(1940年)1月4日<< 戻る
人物

鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)

江戸時代後期の盗賊。本名は次郎吉。鼠小僧次郎吉として知られる。本業は鳶職であったと言われる。大名・旗本など権力者の武家屋敷のみを狙って盗みに入り、貧しい人達にそれを施したとされる事から、後世に義賊として伝説化された。鼠のように天井裏から侵入するため鼠小僧という異名がついた。32回の盗みを行なった時点で一度捕まり「入れ墨刑」を受ける。しかし改心することなく、1832年に二度目のお縄。自白によると、保釈後の10年間でさらに71ヵ所、90回に及ぶ盗みを重ねていた。生涯に侵入した屋敷は99軒、被害総額は約3120両(約3億円)。最期は市中引き回しのうえ小塚原刑場で磔にされ、首が晒された。その後、頭部は...
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専修念仏の停止

法然聖人の主著である『選択集』と真影(しんねい)を写すことを許され、吉水で入門後に綽空(しゃっくう)と名のられていたのを善信(ぜんしん)と改めました。そのころ法然聖人の開かれた浄土教に対して、既存仏教教団から激しい非難が出され、ついに承元元年(1207年)後鳥羽上皇によって専修念仏が停止(ちょうじ)され、法然聖人の門弟4人の死罪、法然聖人と中心的な門弟7人が流罪に処され、親鸞聖人は越後に流罪となりました。これを機に愚禿親鸞(ぐとくしんらん)と名のられ非僧非俗の立場に立ちました。<< 戻る
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念仏禁止

正治2(1200)年5月12日 鎌倉幕府、念仏を禁止する。<< 戻る
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良忍上人、念仏勧進を始める

ある時、鞍馬寺の多聞天王が威厳に満ちたお姿を現して良忍上人にいわれるには、 「あなたは先に仏さまから尊い融通念仏を授かったのに、どうしてそれを人びとに勧めて苦しみの衆生を救済しないのか」 このお言葉によって布教の時ようやく至ったことを知った良忍上人は、天治元年(1124)6月9日 はじめて市中に出て念仏勧進を始められました。上人の名は朝廷に達し鳥羽上皇は宮中に上人を招いて皇后や百官もろともに融通念仏会を修し、自ら日課百遍の念仏を誓約されました。その上、上皇はご帰信のしるしに愛用の鏡を鉦に鋳かえて上人に授与されました。これを“鏡鉦”といい念仏勧進の道すがら鏡鉦を叩いて歩かれ代々大切に伝持されてき...
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ネーランジャラー川(尼連禅河)

ガンジス川の支流にあたるネーランジャラー川。中国、日本では尼連禅河(にれんぜんが)という音訳で知られているインド・ビハール州ブッダガヤ周辺を流れる川です。ブッダになる前のシッダッタが苦行の無意味さに気づき、苦行を放棄したあとに沐浴(もくよく)した川として知られています。ネーランジャラー川はウルヴェーラの苦行林の東側を流れています。シッダッタは苦行により命を落とす寸前までやせ、それでも真理を見いだせないまま苦行を続けました。ある時、ネーランジャラー川のそばで歌を歌って通り過ぎる農夫の声が聞こえてきました。「絃は強すぎると切れる。弱いと弱いでまた鳴らぬ。程ほどの調子にしめて、上手にかき鳴らすが良い...