阿弥陀如来

仏教を本気で学ぶ

来迎(らいごう)- 来迎図

来迎とは、臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来が二十五菩薩と共に白雲に乗って、これから往生をとげようとする念仏の行者を迎えに来て極楽浄土に引き取ることです。その様子を描いたものを来迎図(らいごうず・らいこうず)といいます。「阿弥陀三尊」「往生要集」(絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図・知恩院)絹本著色 145.1×154.5cm 鎌倉時代(13-14世紀)この知恩院の来迎図は特に「早来迎」と呼ばれます。その表現には、鎌倉後期仏画の特色が表れ、往生をとげようとする者が経巻を前に端然と坐すさまや、右上の虚空中に宝楼閣(ほうろうかく)が出現していることにより、往生の階梯の最上位である上品上生図(じょうぼんじ...
仏教を本気で学ぶ

極楽浄土(ごくらくじょうど)

極楽浄土とは、阿弥陀如来が住む西方十万憶仏国土をすぎたところにあると言われる、苦しみのない安楽な世界です。梵語でスカーヴァティーといい「幸福のあるところ」「幸福にみちているところ」の意味があります。須呵摩提(しゅかまだい)、蘇珂嚩帝(そかばってい)、須摩提(しゅまだい)、須摩題などと音訳され、安楽、極楽、妙楽などと意訳されました。浄土とは、一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のことで、大乗仏教の世界観を表現する言葉として使われていますが、平安後期以降に浄土教が広まると、浄土と言えは阿弥陀如来の西方極楽浄土をさすことが多くなったようです。また、...
仏教を本気で学ぶ

十三仏信仰(じゅうさんぶつしんこう)

十三仏にはそれぞれ忌日があり、初七日忌から三十三回忌にそれぞれ不動明王から虚空蔵菩薩までが配されています。この中で初七日忌から四十九日忌までの七日ごとの経過は、既にインドにおいて成立して『倶舎論』にその記述が見られます。それ以降の百箇日忌から三十三回忌は、中国、日本で生まれたものです。十三仏信仰は、浄土信仰の十仏に大日如来の信仰が加わって今の形になったと考えられています。十三仏信仰について初めて書かれたものは『弘法大師逆修日記事』と思われ、鎌倉時代から始まったと考えられています。初七日から三十三回忌までの法要に合わせて13の本尊が配置されました。・初七日 不動明王・二七日 釈迦如来・三七日 文...
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』(あみだきょう)

阿弥陀経は紀元後100年頃にインド文化圏で成立したと考えられている大乗仏教の経典です。もともとは梵語(サンスクリット語)で書かれていたお経で、 सूखावतीव्यूह, Sukhavati-vyuha, スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳、幸あるところの美しい風景)というタイトルでした。鳩摩羅什による漢訳によって『阿弥陀経』となりました。同タイトルが付けられている『無量寿経』と区別して『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ばれます。略称は、『無量寿経』の『大経』に対して、阿弥陀経を『小経』とも呼んでいます。①ルビ(かな読み)②漢訳本文(大太字)③講話人物や単語の解説が必要な場合はその...
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』13

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』14

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』15

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』18

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』19

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』20

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』21

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』23

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』28

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』04

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』05

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』06

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』11

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

二十五菩薩(にじゅうごぼさつ)

二十五菩薩とは、臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来と共に、これから往生をとげようとする念仏の行者を浄土へ迎えに来る25の菩薩の一団です(来迎)。源信の『往生要集』に二十五菩薩のことが書かれています。二十五菩薩は、阿弥陀来迎図のなかに描かれることが多いですが、仏像として表現される例もあります。蓮台をはじめとする飾りや音楽・歌舞によって往生を祝福し、守護するための持物がありますが、その菩薩単体で現わされるときの持物と一致するとは限りません。次の二十五菩薩一覧にある持物は『二十五菩薩和讃』に書かれるものです。・観世音菩薩(蓮台)・大勢至菩薩(合掌)・薬王菩薩(幢幡)・薬上菩薩(玉幡)・普賢菩薩(幡蓋)...
仏教を本気で学ぶ

如意輪観音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)

如意輪観音菩薩は、如意輪菩薩、如意輪観世音菩薩、大梵深遠観音、救世菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、チンターマニチャクラ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、チンターマニとは「全ての願いを叶える如意宝珠」、チャクラとは「煩悩を破壊する仏法の象徴である法輪」の意味です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像または半跏像で、片膝を立てる六臂の坐像とする姿が多いようですが、二臂の半跏像もあります。六観音の1つでも表さ...
仏教を本気で学ぶ

阿弥陀堂(あみだどう)

阿弥陀堂とは、阿弥陀如来を本尊とする仏堂のことです。その内部には金色の阿弥陀如来を安置し、壁に極彩色をもって極楽浄土を描いている場合が多くあります。奈良時代には、東大寺南阿弥陀堂(741年)や法華寺阿弥陀浄土院(760年)が建立されました。この頃の伽藍は当麻曼荼羅(たいままんだら)のような浄土変相図の影響を受けたものでした。平安時代中期から後期には、末法思想を背景として浄土信仰が高まり、様々な規模の阿弥陀堂が建立されました。鎌倉時代以降には、浄土宗、浄土真宗・真宗の広がりと共に阿弥陀堂が建立されました。現在の境内の配置を見ると、知恩院では御影堂に向かって左に阿弥陀堂があり、西本願寺は御影堂に向...
仏教を本気で学ぶ

十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

十一面観音菩薩は、十一面観音、十一面観世音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、エーカダシャ・ムカ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、本体の顔以外に10または11の顔を持つ菩薩です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。右手は垂下し、左手は蓮華を生けた花瓶を持っている姿が多いようです。六観音の1つでも表されています。多くの顔をもつ多面の十一面観音菩薩は、頭上の11面のうち、最上部の仏面は仏果を表し、衆生の無明煩悩...
仏教を本気で学ぶ

須弥壇(しゅみだん)

須弥壇とは、お寺の堂内に仏像を安置するため、床面より高く設けられた壇で、仏教やヒンドゥーの世界観において、中心にあると考えられる須弥山を模した部分があります。ご家庭の仏壇の内部にも、本尊である釈迦如来や阿弥陀如来をおまつりする場所、仏壇のほぼ中央部に須弥壇があります。この仏壇の画像で言えば、手前にロウソク台や香炉を置く机があり、その奥に須弥壇が見えます。須弥壇より上部に本尊や宗派の祖師をおまつりします。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)

聖観音菩薩は、聖観音、正観音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、世間の出来事を自在に観察して、その苦悩から救済する菩薩です。聖観音菩薩像は、如来像のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。千変万化の相となる観世音菩薩のうち、一面二臂の姿で独尊として祀られる場合に、聖観音菩薩と呼ばれることが多いようです。六観音の一つともされています。姿の特徴としては、宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表す場合が多く、それで見分ける人が多い...
仏教を本気で学ぶ

阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)

阿弥陀如来、阿弥陀仏について、このページでは主に造像さた仏像としての阿弥陀如来像、阿弥陀仏像、阿弥陀像について書きます。もともとの梵名は「アミターバ」あるいは「アミターユス」 といい、それを音写して「阿弥陀」、漢訳して無量光、無量寿とも呼ばれます。また、略して、弥陀仏とも呼ばれることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。衣服は全身を覆う一枚の衲衣(のうえ)や大衣(だいえ)の布を着て、装飾品は身につけず、持物は何も持っていません。例外もあり、一部には装身具を身につけたものもあります。頭部は螺髪(らほつ)と呼ばれる髪型で、中央部は頂髻相(ちょうけいそう)・肉髻(にっけい)を表していて盛り上が...
仏教を本気で学ぶ

浄土(じょうど)

浄土とは、一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な所を清浄国土といい、略して浄土と呼ばれます。大乗仏教の世界観を表現する言葉として使われ、その仏の数だけ浄土があると考えられていますが、平安後期以降に浄土教が広まると、浄土と言えは阿弥陀如来の西方極楽浄土をさすことが多くなったようです。『岩波 仏教辞典』によれば、浄土には3種類あり、死後に行く来世浄土(往く浄土)、現実の世界を清め浄土化する浄仏国土(成る浄土)、現実の世界の中に信仰によって得る常寂光土(在る浄土)に分類する考え方もあります。代表的な浄土・釈迦如来の霊山浄土・阿弥陀如来の西方極楽浄土・阿閦...
仏教を本気で学ぶ

馬頭観音菩薩(ばとうかんのんぼさつ)

馬頭観音菩薩は、馬頭観音、馬頭観世音菩薩、馬頭明王などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、ハヤグリーヴァ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、ハヤグリーヴァとは「馬の首」の意味で、ヴィシュヌ神の異名でもあり、インドでヒンドゥーの影響を受けて成立したと考えられています。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像、立像ともにあり、体色は赤く、目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した忿怒相で、頭が馬のものと、馬の頭飾り...
仏教を本気で学ぶ

准胝観音菩薩(じゅんていかんのんぼさつ)

准胝観音菩薩は、准胝観音、准胝仏母、准胝観世音菩薩、天人丈夫観音などとも呼ばれます。準胝観音または準提観音とも書かかれまづ。サンスクリット(梵語)では、チュンディー・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、チュンディーとは「清浄」「妙なる」の意味で、インドでヒンドゥーの女神ドゥルガーの影響を受けて成立したと考えられています。また、七倶胝仏母(しちくていぶつも)とも呼ばれ、サンスクリット(梵語)では、サプタコーティブッダ・マートリといい、「七千万の仏の母」「過去無量諸仏の母」の意味です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1...
仏教を本気で学ぶ

千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)

千手観音菩薩は、十一面千手観音、千手千眼観音、十一面千手千眼観音、千手千臂観音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、サハスラブジャとは文字通り「千の手」の意味で、ヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥーの影響を受けて成立したと考えられています。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像、立像ともにあり、実際に千...
仏教を本気で学ぶ

薬師如来像(やくしにょらいぞう)

薬師如来、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)について、このページでは主に造像さた仏像としての薬師如来像、薬師瑠璃光如来像について書きます。如来とは悟りを開いた仏の姿で、薬師如来は、東方の浄瑠璃世界(じょうるりせかい)の教主で、西方の極楽浄土の教主である阿弥陀如来と相対しています。また、大医王仏とも呼ばれます。衣服は全身を覆う一枚の衲衣(のうえ)や大衣(だいえ)の布を着て、装飾品は身につけず、持物は左手に薬壺(やっこ)を持つか、何も持っていないものもあります。頭部は螺髪(らほつ)と呼ばれる髪型で、中央部は頂髻相(ちょうけいそう)・肉髻(にっけい)を表していて盛り上がっています。眉間には白毫...
仏教を本気で学ぶ

阿弥陀三尊(あみださんぞん)

阿弥陀如来(仏)を中心に、左右の随身・両脇侍として菩薩を配した形式を阿弥陀三尊または弥陀三尊と呼びます。両脇侍には、向って左に阿弥陀如来の知恵の徳を表す勢至菩薩、向って右に阿弥陀如来の慈悲の徳を表す観音菩薩を配する例が多いようですが、随身・両脇侍の左右が逆という作例もあります。如来とは悟りを開いた仏の姿で、菩薩とは仏になるために修行する人のことを言いますが、観音菩薩や勢至菩薩の場合は阿弥陀如来の分身として、その働きを助ける者という考えです。慈悲として働かれる時には観音菩薩をつかわし、智慧として働かれる時は勢至菩薩をつかわされます。見分けがつかない場合は、頭上の髻の正面を見て、阿弥陀如来の化仏(...
仏教を本気で学ぶ

観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)

観世音菩薩は、観音菩薩、観自在菩薩、観世自在菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、世間の出来事を自在に観察して、その苦悩から救済する菩薩です。観世音菩薩像は、如来像のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となるといい、その姿は六観音・三十三観音などに表されています。また、勢至菩薩と共に阿弥陀仏の脇侍でまつられることもあり、また、独尊としても信仰されています。姿の特徴としては、宝冠...
仏教を本気で学ぶ

不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)

不空羂索観音菩薩は、不空羂索観音、不空羂索観世音菩薩などとも呼ばれ、読み方は「ふくうけんさく」「ふくうけんじゃく」の2通りあります。サンスクリット(梵語)では、アモーガ・パーシャ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、アモーガ「不空」とは文字通り「むなしからず」の意味で、パーシャ「羂索 」とは一切衆生を仏法へと導く象徴とされる縄状の仏具です。「野獣の毛皮をまとうこと」など、シヴァ神と共通する点もあり、インドでヒンドゥーの影響を受けて成立したと考えられています。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、姿の特徴として...