仏教を本気で学ぶ

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マニ車(摩尼車)

マニ車とは、主にチベット仏教文化圏で使われている円筒形の部分が回る構造になっている仏具です。その側面にはマントラが刻まれ、内部にはロール状の経文や真言が納められています。大きさは様々で、指先で掴むものから、手で握って使うもの、寺院などでは円筒部だけで数十センチのものが壁にいくつも設置されていたり、高さ2~3メートルにも及ぶマニ車が設置されていたりします。チベット仏教文化圏を歩いていると、川や滝の水力で回るもの、自然の風で回るもの、灯明の熱で回るマニ車のほか、太陽電池で自動回転するソーラーマニ車もあります。寺院などに設置されているものは基本的に誰でも回すことが出来ますが、大事なものなので、例えば...
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捷疾鬼(しょうしつき)

捷疾鬼とは、足が速く、顔かたちが恐ろしい上に、性質が猛悪なインドの鬼神です。また、夜叉(やしゃ)の異名で使われることもあり、速疾鬼(そくしつき)ともいいます。仏教に取り入れられてからは、仏法を守護する鬼神となりました。次のような俗説があります。捷疾鬼という足の速いものが猛悪な性質から、お釈迦様の仏舎利(ぶっしゃり)を奪い、須弥山へ逃げてしまいました。足が速いので誰も追いつけなかったのを韋駄天(いだてん)が追いかけると、一瞬の内に仏舎利を取り戻すことができたということです(韋駄天走り)。(捷疾鬼・涅槃図より・岐阜・少林寺蔵)<< 戻る
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仏殿(ぶつでん)

仏教寺院において仏像を安置し、礼拝供養するための建物を一般的に仏堂(ぶつどう)と呼び、その中でも中心となる仏堂を一般的に本堂といいます。釈迦如来を本尊としている曹洞宗・臨済宗・黄檗宗などの禅宗寺院では、中心となる本堂を仏殿、大雄寶殿(だいゆうほうでん・だいおうほうでん)と呼ばれる場合が多くあります。仏殿、大雄寶殿は七堂伽藍の中心部に配置されています。なお、東大寺大仏殿など、禅宗寺院以外でも仏殿と呼ばれる建物は多くあります。一般的な仏殿の外観の特徴としては、小さな斗(ます)や肘木(ひじき)を整然と積み上げ、周囲に幅の狭い裳階(もこし)を巡らして、全体的に背丈の高い外観を作り出していることがあげら...
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賽銭箱(さいせんばこ)

賽銭箱とは、お寺や神社にお参りに行った時に、お賽銭を入れるための箱であり、お賽銭を受けるための箱です。主に木製で、ステンレス製のものもあります。賽銭箱に書いている文字・お賽銭・賽銭・賽錢(旧字体。以下、旧字体除く)・賽銭箱・浄財・開運・奉納・(寺の紋)・(寺院名)・南無・一粒万倍・PayPay・R Pay・R Edy・Donation box(インドなどで確認)<< 戻る
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由旬(ゆじゅん)- ヨージャナ

由旬/ヨージャナとは、古代インドにおける長さの単位です。1由旬は、帝王が一日行軍する距離と言われていますが、古くから様々な定義があり、由旬/ヨージャナの単位が使われている時代により違うため、一概には現代の単位と比較出来ません。ただし、仏教の場合、『倶舎論』の解釈である「1由旬は、約7~8km」という基準を採用する場合が多いようです。<< 戻る
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須弥山(しゅみせん)

須弥山とは、仏教やヒンドゥーの世界観において、中心にあると考えられる想像上の山です。山頂は神々の世界に達し、周囲は幾重もの山岳や海に囲まれているといわれます。梵語でスメールといい、音訳して須弥山、玄奘三蔵は妙高山と意訳しました。須弥山の高さは8万由旬(1由旬は約7~8km:『倶舎論』の解釈)といわれ、中腹に四天王がおり四方を守ります。さらにその上の山頂の忉利天(とうりてん)には善見城があり、帝釈天が住んでいます。須弥山には甘露(かんろ)の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れるといわれています。<< 戻る
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東司(とうす)

仏教寺院においてトイレ・便所のことを東司と呼ばれることが多くあります。特に、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられています。禅宗寺院や密教寺院では古くから東司の守護神として、「トイレの神様」で再注目された烏芻沙摩明王が祀られています。また、三黙道場のひとつにも数えられています。修行寺院では多くの僧侶が使用し、参拝客が多い寺院でも使用者が多いため、脚下照顧(きゃっかしょうこ)等の貼り紙でマナー向上を訴えていることが現在では多く見られます。画像は東福寺の東司で、桁行7間、梁間4間、一重、切妻造本瓦葺で、現存、国内最古最大のものです。(東司 東福寺)<< 戻る
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阿吽(あうん)

「阿吽の呼吸」とよく聞きますが、一般的に寺院の山門にいる仁王像は向かって右が口を大きく開けて“ア”と言い、左が“ウン”と言っています。“呼吸がピッタリだ!”、“息が合っている!”ということなんですけど、日本語の“あいうえお……ん”という50音順の並びと関係があり、もっとさかのぼればインドにたどり着きます。ちなみに、東大寺南大門の有名な仁王像の安置方法は先の例とは左右逆になっています。サンスクリット語(梵字)の文字の並びは“ア”から“ウン”となっています。阿“ア”は口を開いて最初に出す音。吽“ウン”は口を閉じて出す最後の音。そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされました。インドから...
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縁起(えんぎ)

原因とその時の条件(縁)から結果が起こっているという関係を縁起と言います。因縁生起(いんねんしょうき)の略です。原因とは自分が何かを行ったことや自分以外の物事が動く起点のことです。条件とは常に変化している世界において、物事の起点にどのような関係性がそろっているかです。そこから生まれたものが結果です。何か自分にとって良くないことが起こったとします。「どうしてこんなことに!?」と思うかもしれませんが、その結果になったのは、様々な条件が重なり原因があってのことだと縁起で説明します。突然、理由もなく起こることはないということです。また、条件がそろったところで、良い原因を自分がつくれば、良い結果が得られ...
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拝観(はいかん)- 寺院へのお参りについて

拝観とは、敬意を表してうやうやしく寺院などの建築物や境内、収蔵品を見て楽しむことです。どのような施設でも、拝観できる区域や時間が決まっています。有料でも、無料でも拝観といいます。参拝 > 拝観 > 見学(例)「拝観する」「拝観コース」「拝観案内」「拝観料」「拝観場所」「拝観受付」「夜間拝観」「特別拝観」「拝観期間」「拝観時間」「予約拝観」「拝観施設」「自由拝観」「拝観券」「拝観業務」「拝観情報」「団体拝観」「庭園拝観」<< 戻る
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十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

十一面観音菩薩は、十一面観音、十一面観世音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、エーカダシャ・ムカ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、本体の顔以外に10または11の顔を持つ菩薩です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。右手は垂下し、左手は蓮華を生けた花瓶を持っている姿が多いようです。六観音の1つでも表されています。多くの顔をもつ多面の十一面観音菩薩は、頭上の11面のうち、最上部の仏面は仏果を表し、衆生の無明煩悩...
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鬼子母神(きしぼじん/きしもじん)

鬼子母神とは、毘沙門天の部下の八大夜叉大将もしくは二十八部衆の一つ、散支大将(さんしたいしょう/パーンチカ)の妻で、たくさんいる子どもたちを育てるための栄養をつけるため、人間の子を捕えて食べる荒々しい人食い女夜叉で、多くの人間から恐れられていました。それを見かねたブッダは、彼女が最も愛していた末子のピンガラ(嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦)を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠しました。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回りましたが見つからず、ブッダに助けを求めます。ブッダは、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほ...
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お賽銭(おさいせん)

お賽銭とは、お寺や神社にお参りに行った時に、賽銭箱などへお金を入れることです。ただし、2つの意味があります。一般参拝客にとっては、自分のお願いを聴いてもらおうという意味でお賽銭をしていることが多くあります。それに対して、お寺や神社側にとっては、日頃の感謝の気持ちを仏様や神様にお伝えするという意味でお賽銭をすると説明します。「賽」という字には「仏神から福を受けたのに感謝し、飲食物などを供え、儀式を行い、仏神を招き、慰めたり祈願したりする」の意味があります。もともとはお金ではなく、お米などをお供えしたそうなので「お賽」だったのでしょう。それがお金で代用されるようになり「お賽銭」になった時にも、現代...
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お線香(おせんこう)- あげ方、由来、宗派による違い

お線香とは、香を焚くための仏具のことで、寺院や家で日常的に使われる他、法事や法要を行なう際、線香に火をつけて香炉に立てて、あるいは寝かせて使います。お線香により自身の匂いを法要に相応しい香りにし、この香りがする時には亡き人を思い出すきっかけにもなります。また、ここで紹介する作法について、宗派や地域によって異なるものとご理解ください。三本立てる・真言宗、天台宗(身・口・意の三業を清める三本で、手前側に一本、仏壇側に二本と逆三角形になるように立てる)、・日蓮宗(仏・法・僧の三宝に捧げる、一本の場合もある)・曹洞宗、臨済宗(二本を「迎え線香」として左右離して立て、手前中央に一本)立てる一本立てる・浄...
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退屈(たいくつ)

退屈という言葉は日常で使われますが、もとは仏教に関係する言葉でした。「仏道修行の厳しさに屈し、退いてしまうこと」からできた言葉です。現代、退屈の意味はどうでしょうか?「やることがなくて暇なこと」といった意味で使われているのではないでしょうか。その他にも、「難しい話が続いて頭に入らないとき」にも退屈は使われます。どちらかというと、後者の方がもともとの「仏道修行の厳しさに屈し、退いてしまうこと」に近いようです。<< 戻る
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四天王(してんのう)

四天王とは、須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天の配下で、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で仏教世界を護る四神です。東方を護る持国天(じこくてん)、南方を護る増長天(ぞうちょうてん)、西方を護る広目天(こうもくてん)、北方を護る多聞天(たもんてん)からなります。また、四大王(しだいおう)ともいいます。甲冑(かっちゅう)を着た武将姿で、岩や邪鬼の上に立っている像が多いようです。それぞれ武器を持っていますが、広目天は筆と巻物を持っている作例もあります。像は須弥壇の四隅にそれぞれ配置されるか、向かって左から広目天、増長天、持国天、多聞天の順に置かれるのが通例です。『日本書紀』によれば、仏教をめ...
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須弥壇(しゅみだん)

須弥壇とは、お寺の堂内に仏像を安置するため、床面より高く設けられた壇で、仏教やヒンドゥーの世界観において、中心にあると考えられる須弥山を模した部分があります。ご家庭の仏壇の内部にも、本尊である釈迦如来や阿弥陀如来をおまつりする場所、仏壇のほぼ中央部に須弥壇があります。この仏壇の画像で言えば、手前にロウソク台や香炉を置く机があり、その奥に須弥壇が見えます。須弥壇より上部に本尊や宗派の祖師をおまつりします。<< 戻る
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釈迦三尊(しゃかさんぞん)

釈迦像を中心に、左右の脇侍(きようじ)として菩薩、天、もしくは羅漢を配した形式を釈迦三尊と呼びます。両脇侍には、向かって右に騎獅の文殊菩薩・向かって左に乗象の普賢菩薩の二菩薩を配する例が多いようですが、薬王菩薩・薬上菩薩の二菩薩、梵天・帝釈天の二天部、迦葉尊者(かしよう)・阿難尊者(あなん)の二尊者を置くこともあります。ちなみに、例にあげた画像の釈迦三尊像の脇侍は向かって右に薬王菩薩・向かって左に薬上菩薩と寺に伝えられているとのことです。(釈迦三尊像 法隆寺金堂)<< 戻る
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二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)

二十八部衆とは、千手観音菩薩の眷属のことで、東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつが配され、合計で二十八部衆となります。那羅延堅固(ならえんけんご)難陀龍王(なんだりゅうおう)摩睺羅(まごら)緊那羅(きんなら)迦楼羅(かるら)乾闥婆(けんだつば)毘舎闍(びしゃじゃ)散支大将(さんしたいしょう)満善車鉢(まんぜんしゃはつ)摩尼跋陀羅(まにばだら)毘沙門天(びしゃもんてん)提頭頼吒王(だいずらたおう)婆藪仙(ばすせん)大弁功徳天(だいべんくどくてん)帝釈天王(たいしゃくてんおう)大梵天王(だいぼんてんおう)毘楼勒叉(びるろくしゃ)毘楼博叉(びるばくしゃ)薩遮摩和羅(さしゃまわら...
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曼陀羅華(まんだらけ/まんだらげ)

曼陀羅華とは、梵語でいう「マンダーラバ/マンダーラヴァ」の音写で、天界に咲く花として「法華経」などの仏典に出てくる花です。ブッダを礼賛して降り注いだ花とされています。色が美しく芳香を放ち、見る者の心を喜ばせることから悦意華(えついか)とも呼ばれます。<< 戻る
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聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)

聖観音菩薩は、聖観音、正観音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、世間の出来事を自在に観察して、その苦悩から救済する菩薩です。聖観音菩薩像は、如来像のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。千変万化の相となる観世音菩薩のうち、一面二臂の姿で独尊として祀られる場合に、聖観音菩薩と呼ばれることが多いようです。六観音の一つともされています。姿の特徴としては、宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表す場合が多く、それで見分ける人が多い...
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十二天(じゅうにてん)

十二天とは、須弥山(しゅみせん)に住む天部の護法善神諸尊12種の総称です。バラモン教、ヒンドゥーの神が仏教に取り込まれたもので、東・西・南・北の四方と東北・東南・西北・西南を護る八方天に、天・地の二天と日・月の二天を加えて十二天としたものです。・帝釈天(たいしゃくてん)Indra・インドラ 東・火天(かてん)Agni・アグニ 東南・焔摩天(えんまてん)Yama・ヤマ 南・羅刹天(らせつてん)Rākṣasa / Nirṛti・ラークシャサ / ニルリティ 西南・水天(すいてん)Varuṇa・ヴァルナ 西・風天(ふうてん)Vāyu・ヴァーユ 西北・毘沙門天(びしゃもんてん)Vaiśravaṇa・ヴ...
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卍(まんじ)

地図を見ていると、寺院の記号として「卍」を使っています。当然ながら国土地理院ウェブサイトにも、寺院の記号として「卍」を使っていることを書いています。有名な寺院や良い目標になるものを地図上にあらわしているとのことです。明治13(1880)年に決められた「佛閣」の記号として表記されたのが始まりで、現在でも国土地理院が定めた地図記号として変わっていません。実際にはどんな意味があるのかあまり知られていないようなので紹介します。仏教で用いられる吉祥の印で、読み方は「まんじ」です。サンスクリット(梵語)では「スヴァスティカ」または「シュリーヴァトサ」といい、「幸運に相まみえる」の意味です。漢字では「卍字」...
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合掌(がっしょう)

合掌とは、インド起源の礼拝の仕草で梵語では「アンジャリ」といいます。左右両方の手のひらを胸または顔の前で合わせて相手に敬意を示すときの仕草です。右手は仏を象徴し、清らかなものや知恵を表します。左手は自身を含めた衆生(しゅじょう)を象徴し、清らかなものを求める行動力を表します。両手を合わせることにより、どちらもあることでこの世界が成り立っていることや仏への帰依を示すとされます。インドでは現在も挨拶の際に合掌し「ナマステ」もしくは「ナマスカール」と言います。「南無阿弥陀仏」や「南無釈迦牟尼仏」と唱える「南無」は「ナマステ」と同じ語源なのも面白いところです。「南無」は敬意を示す言葉なのです。日本では...
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埋葬許可証(まいそうきょかしょう)

埋葬許可証とは、遺骨を埋葬・納骨する際に寺院や霊苑など墓地の管理者に提出する証明書です。現代の日本では遺骨を許可なく勝手に埋葬することは法律によって禁じられているので、遺骨を埋葬・納骨する際には、必ず埋葬許可証が必要となります。埋葬許可証はどこで手に入るのかというと、火葬許可証に火葬が済んだことが記されたものをもって埋葬許可証とします。なお、これらの手続き方法は自治体によって異なることがあるので、最終的には最寄りの自治体の仕組みを確認する必要があります。また、埋葬許可証などを紛失してしまうと再発行が有料になります。・死亡届、死亡診断書 死亡が確認されたあと、医師に作成してもらう。  ↓ 故人の...
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本尊と先祖代々の位牌の開眼法要を遠隔法要で依頼

先祖はいるわけで、祖父母や親がやってきたように自分たちも先祖供養が大切だと思い、小さな仏壇を購入し、本尊と先祖代々の位牌を準備しましたが、付き合いのあるお寺があるわけではありませんでした。タイミング的に新型コロナが流行り出し、緊急事態宣言なども出され、どうしたものかと調べていると、世の中ではオンライン法要を取り入れているところが増えていると知りました。遠隔の法事やライブ配信で法要するなど、様々なようです。しかし、大体はお布施が5万円くらい、安くても3万円くらいでしょうか。そこら辺は納得いかない部分で、お寺の場合はオンライン化しても値下げされていないのです。また、法事の案内はあっても、開眼法要が...
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臨済宗各派15の本山(開派年代順)

建仁寺派 本山建仁寺(京都)建仁2(1202)年、南宋に留学して帰国した栄西禅師により始まる。臨済宗(黄龍派の禅)を日本にはじめて伝える。東福寺派 本山東福寺(京都)嘉禎2(1236)年、南宋に留学して帰国した円爾(弁円)禅師により始まる。楊岐派の禅(以下、同)。建長寺派 本山建長寺(鎌倉)建長5(1253)年、中国・宋から招かれた蘭渓道隆禅師により始まる。円覚寺派 本山円覚寺(鎌倉)弘安5(1282)年、中国・元から招かれた無学祖元禅師により始まる。南禅寺派 本山南禅寺(京都)正応4(1291)年、無関普門禅師により始まる。国泰寺派 本山国泰寺(富山高岡)正安2(1300)年頃、慈雲妙意禅師...
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参拝(さんぱい)- 寺院へのお参りについて

参拝とは、敬意を表してうやうやしく寺院などの本尊に手を合わせ、頭を下げて祈ることです。その寺院に複数のお堂がある場合、まずは本堂の本尊にお参りし、他のお堂に行く機会があればそれぞれのお堂でお参りします。神社や仏教以外の宗教の参拝方法(例えば、柏手を打つ)を寺院ではしません。上記のように音をさせず、静かに手をあわせます。基本的には寺院全てに通ずるような参拝方法は少ないですが、寺院によっては参拝方法を定めているので、そこに行くからには決まりを受け入れなければいけません。参拝時、ロウソクや線香、焼香台があれば、注意書き(有料かなど)に従って利用できる寺院もあります。同様に鐘を撞くことができたり、鏧子...
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お斎(おとき)

お斎とは、一般の方の法事・法要の後、施主が僧侶や参列者を招待して行なう会食のことを指します。お坊さんや参列者に対する感謝を表す場であり、参列者全員で故人の思い出を話す機会でもあります。お斎の「斎」の字は「斎食」(さいじき)を略したものです。お斎の席では、斎食の決まりに準じて精進料理を出するものでしたが、最近では精進料理を準備する方が割高になったこともあり、ホテルでの会食や仕出し弁当など、列席者に合わせたスタイルが増えてきています。お斎を省略する場合、施主は前もってお坊さんや参列者に知らせておく必要があるでしょう。また、お坊さんのみ、その席に参加しない場合、「御膳料」を渡すのが通例とされています...
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檀家(だんか)

檀家とは、ある特定のお寺に所属している家のことです。これは、江戸時代に、どの家も仏教のいずれかの宗派に所属させ、お寺の檀家とした制度(檀家制度・寺請制度)です。幕府がキリスト教禁止をねらいとして宗門改(しゅうもんあらため)を行ったことから確立したものです。お寺にその檀家の家族全員について、出生地・生年月日をとどけさせ、婚姻・旅行・就職・移住などに際しては、キリシタン信徒ではなく、寺の檀家であるという証明書を出させました。現代では、主に檀家の葬祭供養を行う関係となっています。お寺によって檀家との関係性は違いますが、新たに檀家になるには基本的に従来の檀家の了解がいる場合が多くあります。また、お寺を...
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阿修羅(あしゅら、あすら)

阿修羅は、インド神話やバラモン教における神族または魔族として、アスラと呼ばれていたものが仏教に取り入れられて、仏法の守護神となり成立したと考えられています。八部衆(天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆)の一つに数えられています。特徴としては、三つの顔に六つの腕を持つ三面六臂で描かれる姿が多いようです。また、その戦闘的な性格から五趣(地獄・餓鬼・畜生・人間・天上)の畜生と人間の間に追加され、六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)の一つである修羅道(阿修羅道)の主となり、須弥山の下の海底に住むとされています。奈良県・興福寺の八部衆像・阿修羅像(国宝・...
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風神(ふうじん)

風神とは、古代インドの自然現象を神格化した原初的な神で、梵語で「風」を意味する「ヴァーユ」などと呼ばれ、仏教に取り入れられてからは千手観音菩薩の眷属である二十八部衆の傍らに雷神と対になって表現される場合が多いようです。風神は持物である風袋を肩より上方、あるいは頭上にささげる裸の力士形に表現されています。また、十二天(じゅうにてん)の一つとして、風天(ふうてん)とも呼ばれます。<< 戻る