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東郷平八郎(とうごうへいはちろう)

  幕末から昭和時代初めの武士、海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。 日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に ...

徳川慶喜(とくがわよしのぶ)

  江戸幕府第15代征夷大将軍。江戸幕府最後の将軍かつ日本史上最後の征夷大将軍。在任中に江戸入城しなかった唯一の将軍であり、最も長生きした将軍。御三卿一橋徳川家の第9代当主時に将軍後見職・禁 ...

徳川家茂(とくがわいえもち)

  江戸幕府第14代征夷大将軍。初めは第12代将軍・徳川家慶の偏諱を受けて慶福と名乗っていた。 実父・徳川斉順は家慶の異母弟で、家茂は第13代将軍・家定の従弟にあたる。将軍就任の前は御三家紀 ...

徳川斉昭(とくがわなりあき)

  江戸時代後期の大名(親藩)。常陸水戸藩の第9代藩主。江戸幕府第15代(最後)将軍徳川慶喜の実父である。藩政改革に成功した幕末期の名君の一人。しかし将軍継嗣争いで大老・井伊直弼との政争に敗 ...

徳川家定(とくがわいえさだ)

  江戸幕府の第13代征夷大将軍。第12代将軍・徳川家慶の四男として江戸城で生まれる。家慶は14男13女を儲けたが、成人まで生き残ったのは家定だけであった。しかし家定も幼少の頃から病弱で、人 ...

徳本行者(とくほんぎょうじゃ)

  江戸時代後期の浄土宗の僧侶。俗姓は田伏氏。号は名蓮社号誉。紀伊国日高郡の出身。徳本上人とも呼ばれた。 27歳のとき出家し、木食行を行った。各地を巡り昼夜不断の念仏や苦行を行い、念仏聖とし ...

鳥居清長(とりいきよなが)

  江戸時代の浮世絵師。鳥居派四代目当主。鳥居派の代表的な絵師。 鈴木春信と喜多川歌麿にはさまれた天明期を中心に活躍し、それらや後の写楽・北斎・広重と並び六大浮世絵師の一人。特に堂々たる八頭 ...

徳川家治(とくがわいえはる)

  江戸幕府の第10代将軍である(在職:宝暦10年(1760年) - 天明6年(1786年))。父は第9代将軍・徳川家重。母は側室・お幸の方(梅渓通条の娘)。 生誕 元文2年5月22日(17 ...

徳川吉宗(とくがわよしむね)

  江戸幕府第8代将軍。将軍就任以前は越前国葛野藩主、紀州藩第5代藩主を務めた。 徳川御三家の紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。初代将軍・徳川家康の曾孫に当たる。父と2人の兄の ...

徳川家宣(とくがわいえのぶ)

  江戸幕府第6代将軍(在職:1709年 - 1712年)である。 甲府藩主・徳川綱重(甲府宰相)の長男で、母はお保良の方(長昌院)。正室は近衛基熙の娘・熙子(天英院)。子に徳川家継ほか。第 ...

徳川綱吉(とくがわつなよし)

  上野・館林藩初代藩主、江戸幕府の第5代征夷大将軍(在職:1680年 - 1709年)。第3代将軍・徳川家光の四男。館林徳川家初代。「生類憐みの令」 生誕 正保3年1月8日(1646年2月 ...

徳川光圀(とくがわみつくに)

  常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒 ...

土佐光起(とさみつおき)

  江戸時代の土佐派を代表する絵師。和泉国堺出身。父は土佐光則。本姓は藤原、幼名は藤満丸。住吉如慶は父の門人。子は土佐光成、土佐光親。 大和絵の主流だった土佐派にあきたらず、ライバルの狩野派 ...

徳川家光(とくがわいえみつ)

  江戸幕府の3代将軍。2代将軍秀忠の次男である。母は浅井長政の娘で織田信長の姪にあたる江。乳母は春日局、乳兄弟に稲葉正勝、稲葉正吉、稲葉正利がいる。 15人の徳川将軍のうち、正室の子は、家 ...

土井利勝(どいとしかつ)

  安土桃山時代から江戸時代初期の武将、譜代大名。江戸幕府の老中・大老。下総国小見川藩主、同佐倉藩主、同古河藩初代藩主。土井家宗家初代。徳川秀忠政権における老中として、絶大な権勢を誇った。 ...

徳川秀忠(とくがわひでただ)

  安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府の第2代征夷大将軍(在職:1605年 - 1623年)。 徳川家康の三男として遠江国浜松に誕生する。母は側室の西郷局。母の実家・三河西郷氏 ...

徳川家康(とくがわいえやす)

  戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康。戦国時代に終止符を打ち、朝廷より征夷大将軍に任せられ江戸 ...

豊臣秀頼(とよとみひでより)

  安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。太閤・豊臣秀吉の三男で庶子。 秀吉の側室であった茶々の第二子。子は側室・和期の方との間に国松と、小石の方との間に天秀尼。位階は正二位、官職は右 ...

土佐光吉(とさみつよし)

  室町時代から安土桃山時代の大和絵土佐派の絵師。子に土佐光則。住吉如慶は子とされることもあるが、弟子説が有力。官位は従五位下・左近衛将監。「源氏物語図屏風」「関ヶ原合戦図屏風」など多数。 ...

豊臣秀吉(とよとみひでよし)

  豊臣秀吉、または、羽柴秀吉は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏で、後に羽柴氏に改める。皇胤説があり、諸系図に源氏や平氏を称 ...

豊臣秀次(とよとみひでつぐ)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。豊臣氏の2代目関白。豊臣秀吉の姉である瑞竜院日秀の長男。 幼少時、戦国大名・浅井長政の家臣・宮部継潤が秀吉の調略に応じる際に人質となり、その ...

松平信康(まつだいらのぶやす)- 徳川信康(とくがわのぶやす)

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川家康の長男。母は関口親永の娘で今川義元の姪・築山殿。また、後に松平宗家の居城の岡崎城主を務めたため、祖父・松平広忠同様に岡崎三郎と名乗った。 ...

桃源瑞仙(とうげんずいせん)

  室町時代の臨済宗の僧。京都相国寺の第 80世。著作『百衲襖』『史記抄』『蕉雨稿』。 生誕 永享2(1430)年6月17日 命日 延徳元(1489)年10月28日 あなたに おすすめページ ...

富樫政親(とがしまさちか)- 加賀一向一揆

  富樫政親とは、室町時代後期の武将・守護大名。富樫氏21代当主。加賀国守護。 長禄2年(1458年)、加賀北半国守護に任じられた赤松政則から加賀北部を取り戻すため、富樫政親は家臣団に擁され ...

「正法眼蔵」道得(どうて)

諸仏諸祖は道得なり。このゆゑに、仏祖の仏祖を選するには、かならず道得也未と問取するなり。この問取、心にても問取す、身にても問取す。挂杖払子にても問取す、露柱燈籠にても問取するなり。仏祖にあらざれば問取 ...

東福寺派(本山東福寺(京都))の開派

嘉禎2(1236)年、南宋に留学して帰国した円爾(弁円)禅師により始まる。臨済宗(楊岐派の禅)を日本にはじめて伝える。 << 戻る

『正法眼蔵随聞記』10、唐の太宗の時

示して云く、唐の太宗の時、異国より千里の馬を献ず。帝これを得て喜ばずして、自ら思わく、「たとひ千里の馬なりとも、独り騎って千里に行くとも、従う臣なくんばその詮なきなり。」と。 ちなみに魏徴を召してこれ ...

『正法眼蔵随聞記』9、当世学道する人

示して云く、当世学道する人、多分法を聞く時、先ずよく領解する由を知られんと思うて、答の言のよからん様を思うほどに、聞くことは耳を過ごすなり。詮ずる処道心なく、吾我を存ずる故なり。 ただすべからく先ず我 ...

『正法眼蔵随聞記』12、道者の用心

示して云く、道者の用心、常の人に殊なる事あり。 故建仁寺の僧正在世の時、寺絶食す。ある時一人の檀那請じて絹一疋施す。僧正悦びて自ら取って懐中して、人にも持たせずして、寺に返って知事に与へて云く、「明旦 ...

『正法眼蔵随聞記』57、得道の事は心をもて得るか

また云く、得道の事は心をもて得るか、身を以て得るか。 教家等にも「身心一如」と云って、「身を以て得」とは云えども、なお「一如の故に」と云う。正しく身の得る事はたしかならず。 今我が家は、身心ともに得る ...

『正法眼蔵随聞記』63、唐の太宗即位の後

一夜示して云く、唐の太宗即位の後、旧き殿に栖み給えり。破損せる間、湿気あがり、侵して玉躰侵さるべし。臣下作造るべき由を奏しければ、帝の云く、「時、農節なり。民定めて愁あるべし。秋を待って造るべし。湿気 ...

『正法眼蔵随聞記』38、唐の太宗の時

夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴奏して云く、「土民、帝を謗ずる事あり。」 帝の云く、「寡人仁あって人に謗ぜられば愁と為すべからず。仁無くして人に褒められばこれを愁うべし。」と。 俗なお是の如し。僧はもっ ...



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