「 1242年 」 一覧

「正法眼蔵」全機(ぜんき)

諸仏の大道、その究尽するところ、透脱なり、現成なり。その透脱といふは、あるいは生も生を透脱し、死も死を透脱するなり。このゆゑに、出生死あり、入生死あり。ともに究尽の大道なり。捨生死あり、度生死あり。と ...

「正法眼蔵」仏教(ぶっきょう)

諸仏の道現成、これ仏教なり。これ仏祖の仏祖のためにするゆゑに、教の教のために正伝するなり。これ転法輪なり。この法輪の眼睛裏に、諸仏祖を現成せしめ、諸仏祖を般涅槃せしむ。その諸仏祖、かならず一塵の出現あ ...

「正法眼蔵」画餅(がべい)

諸仏これ証なるゆゑに、諸物これ証なり。しかあれども、一性にあらず、一心にあらず。一性にあらず一心にあらざれども、証のとき、証証さまたげず現成するなり。現成のとき、現現あひ接することなく現成すべし。これ ...

「正法眼蔵」道得(どうて)

諸仏諸祖は道得なり。このゆゑに、仏祖の仏祖を選するには、かならず道得也未と問取するなり。この問取、心にても問取す、身にても問取す。挂杖払子にても問取す、露柱燈籠にても問取するなり。仏祖にあらざれば問取 ...

「正法眼蔵」夢中説夢(むちゅうせつむ)

諸仏諸祖出興之道、それ朕兆已前なるゆゑに旧窠の所論にあらず。これによりて仏祖辺、仏向上等の功徳あり。時節にかかはれざるがゆゑに寿者命者、なほ長遠にあらず、頓息にあらず。はるかに凡界の測度にあらざるべし ...

「正法眼蔵」身心学道(しんじんがくどう)

仏道は、不道を擬するに不得なり、不学を擬するに転遠なり。 南嶽大慧禅師のいはく、修証はなきにあらず、染汚することえじ。 仏道を学せざれば、すなはち外道闡提等の道に墮在す。このゆゑに、前仏後仏かならず仏 ...

「正法眼蔵」光明(こうみょう)

大宋国湖南長沙招賢大師、上堂示衆云、 尽十方界、是沙門眼。 (尽十方界、是れ沙門の眼) 尽十方界、是沙門家常語。 (尽十方界、是れ沙門の家常語) 尽十方界、是沙門全身。 (尽十方界、是れ沙門の全身) ...

「正法眼蔵」阿羅漢(あらかん)

諸漏已尽、無復煩悩、逮得己利、尽諸有結、心得自在(諸漏已に尽き、復た煩悩無く、己利を逮得して、諸の有結を尽し、心自在を得たり)。 これ大阿羅漢なり、学仏者の極果なり。第四果となづく、仏阿羅漢あり。 諸 ...

「正法眼蔵」観音(かんのん)

雲巖無住大師、問道吾山修一大師、大悲菩薩、用許多手眼作麼(雲巖無住大師、道吾山修一大師に問ふ、大悲菩薩、許多の手眼を用ゐて作麼)。 道悟曰、如人夜間背手摸枕子(人の夜間に手を背にして枕子を摸するが如し ...

「正法眼蔵」授記(じゅき)

仏祖単伝の大道は授記なり。仏祖の参学なきものは、夢也未見なり。その授記の時節は、いまだ菩提心をおこさざるものにも授記す。無仏性に授記す、有仏性に授記す。 有身に授記し、無身に授記す。諸仏に授記す。諸仏 ...

「正法眼蔵」海印三昧(かいいんざんまい)

諸仏諸祖とあるに、かならず海印三昧なり。この三昧の游泳に、説時あり、証時あり、行時あり。海上行の功徳、その徹底行あり。これを深々海底行なりと海上行するなり。流浪生死を還源せしめんと願求する、是什麼心行 ...

「正法眼蔵」行持(ぎょうじ)下

真丹初祖の西来東土は、般若多羅尊者の教勅なり。航海三載の霜華、その風雪いたましきのみならんや、雲煙いくかさなりの嶮浪なりとかせん。不知のくににいらんとす、身命ををしまん凡類、おもひよるべからず。これひ ...

「正法眼蔵」仏向上事(ぶっこうじょうじ)

高祖筠州洞山悟本大師は、潭州雲巖山無住大師の親嫡嗣なり。如来より三十八位の祖向上なり、自己より向上三十八位の祖なり。 大師、有時示衆云、体得仏向上事、方有些子語話分(仏向上の事を体得して、方に些子語話 ...

「正法眼蔵」恁麼(いんも)

雲居山弘覚大師は、洞山の嫡子なり。釈迦牟尼仏より三十九世の法孫なり、洞山宗の嫡祖なり。 一日示衆云、欲得恁麼事、須是恁麼人。是恁麼人、何愁恁麼事。 いはゆるは、恁麼事をえんとおもふは、すべからくこれ恁 ...



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