人物

人物

川村晃(かわむらあきら)

小説家。日本統治時代の台湾・嘉義市出身で静岡県沼津市育ち。代表作『美談の出発』。生誕 1927年12月3日命日 1996年1月4日<< 戻る
人物

山野愛子(やまのあいこ)

(聖鋏観音像が祀られるハサミ塚)山野愛子は日本の美容家で、日本美容界のパイオニアとして献身し、ミス・インターナショナル、ミス・ワールドの審査員も務めました。山野愛子が提唱した「美・顔・体(健康美)・装・心」の「美道五道則」は、般若心経の色即是空の空の解釈を無常と捉え、美道五道則における美の無常と通じるものがあるとし、仏教の「空・無常・輪廻」が美道と根本的に同一であると、その関係性を説いています。また、1977年、8月3日を「ハサミの日」とすることを山野愛子が提唱し、1981年8月3日には増上寺に「聖鋏観音像」が建立・開眼されたことから、毎年8月3日を「ハサミの日」と定め、日頃使用している鋏に感...
人物

公文公(くもんとおる)

数学教育者。「公文式」学習指導法の考案者。高知県出身。土佐中学校を経て1933年に高知高等学校を卒業。1936年、大阪帝国大学理学部数学科を第1期生として卒業。高知県立高知小津高等学校数学教師を退職後、1958年に大阪数学研究会(現・日本公文教育研究会)を設立。「数学のあれもこれもできるか。まずは、計算力を突破口にするのだ」というのが公文公の長年の主張であった。公文式学習法が誕生した経緯や彼の考えは、『やってみよう-公文公自伝 子供の知的可能性を追求して』(くもん出版 1991年)という著書に詳しく書かれている。数学教育について、水道方式の遠山啓とは長年のライバル関係にあった。生誕 1914年...
人物

浜村純(はまむらじゅん)

俳優。新倉事務所に所属していた。 戦前は新築地劇団や劇団文化座などに所属して舞台俳優として活動。戦後は映画俳優として、数多くの話題作や名作に出演する。総出演本数は約300本に上る。ラジオ「ありがとう浜村淳です」で本人が「自分が死んだ時に戒名を付けてくれるなら「おしゃべり院ぺちゃくちゃ居士」にして欲しい」と言っていたという。生誕 1906年2月7日命日 1995年6月21日<< 戻る
人物

西岡常一(にしおかつねかず)

飛鳥時代の優れた木造建築技術を現代に伝える宮大工。数百年に一度という法隆寺の全伽藍解体大修理の棟梁を務め、奈良の名刹・薬師寺の金堂および西塔を1300年前の様式で再建させた。「宮大工は1000年先を見据えた仕事をしなければならぬ」など代々法隆寺大工棟梁に伝えられてきた口伝の数々を語る。生誕 1908年(明治41年)9月4日命日 1995年(平成7年)4月11日光棟院常念大居士<< 戻る
人物

城達也(じょうたつや)

声優、俳優、ナレーター。劇団東京、タレント・エージェントを経て、東京俳優生活協同組合に所属し、在籍中は専務理事を務めた。FMラジオ局で放送されたイージーリスニングの音楽番組である『JET STREAM』(ジェット・ストリーム)でフランク・プゥルセル楽団の「ミスター・ロンリー」が始まると、「遠い地平線が消えて・・・」と印象的なナレーションの数々で有名で、「ローマの休日」など数多くの映画で世界的に人気を誇った名優グレゴリー・ペックの吹き替えでも有名です。生誕 1931年12月13日命日 1995年2月25日<< 戻る
人物

前畑秀子(まえはたひでこ)

和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身の水泳選手。日本人女性初の五輪金メダリスト。1932年(昭和7年)に開催された第10回大会ロサンゼルスオリンピックの200m平泳ぎに出場し、銀メダルを獲得。1933年(昭和8年)9月30日に200m平泳ぎの世界新記録を樹立。1936年(昭和11年)に開催された第11回大会ベルリン五輪、ナチス体制下のドイツで開かれた200m平泳ぎに出場し、地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げて、1秒差で勝利する。日本人女性として五輪史上初めての金メダルを獲得。生誕 1914年(大正3年)5月20日命日 1995年(平成7年)2月24日<< 戻る
人物

神代辰巳(くましろたつみ)

映画監督。佐賀県佐賀市出身。ロマンポルノやテレビドラマに多くの作品を残している。生誕 1927年4月24日命日 1995年2月24日神光院釋龍照<< 戻る
人物

下村寅太郎(しもむらとらたろう)

哲学者・科学史家。『ライプニッツ』(弘文堂、1938年)、『自然哲学』(弘文堂、1939年)、『科学史の哲学』(弘文堂、1941年)、『無限論の形成と構造』(弘文堂、1944年)、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(勁草書房)、『西田幾多郎 人と思想』(東海大学出版会)、『ルネッサンスの芸術家』(筑摩書房、1969年)生誕 1902年(明治35年)8月17日命日 1995年(平成7年)1月22日<< 戻る
人物

金子信雄(かねこのぶお)

俳優・料理研究家・司会者・タレント。妻は丹阿彌谷津子。愛称は「ネコさん」。生誕 1923年(大正12年)3月27日命日 1995年(平成7年)1月20日<< 戻る
人物

南利明(みなみとしあき)

喜劇俳優。本名は野津 俊三(のづ しゅんぞう)。脱線トリオを1956年に結成。コメディ『てなもんや三度笠』、映画『やくざ刑事シリーズ』『トラック野郎シリーズ』。生誕 1924年3月14日命日 1995年1月13日<< 戻る
人物

和達清夫(わだちきよお)

愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。生誕 1902年(明治35年)9月8日命日 1995年(平成7年)1月5日<< 戻る
人物

アイルトン・セナ

アイルトン・セナ・ダ・シルバは、ブラジル人のレーシング・ドライバー。F1世界選手権において、1988年・1990年・1991年と、計3度ワールドチャンピオンを獲得した。生誕 1960年3月21日命日 1994年5月1日<< 戻る
人物

山田恵諦(やまだえたい)

天台宗の僧侶。第253世天台座主を20年つとめ、「比叡山宗教サミット」を開催、また一隅を照らす運動を推進した。行動的だったので「空飛ぶお座主」と言われた。比叡山開創1200年を記念した比叡山宗教サミットでは、カトリック教会のフランシス・アリンゼ枢機卿ら、世界の七大宗教の指導者24人が比叡山に集い、世界の平和を祈願した。NHK新大型時代劇『武蔵坊弁慶』(1986年)やNHKスペシャル『驚異の小宇宙 人体』(1989年)、大河ドラマ『炎立つ』(1993年~1994年)などテレビ番組の題字も手がけた。最期に「仏様が見える」との言葉を残して遷化した。生誕 明治28年(1895年)12月1日命日 平成6...
人物

逸見政孝(いつみまさたか)

フリーアナウンサー、タレント。 元フジテレビアナウンサー。フジテレビ退社後は、三木プロダクションと業務提携する個人事務所「オフィスいっつみい」に所属していた。大阪府大阪市阿倍野区出身。 妻はエッセイストで所属事務所社長だった逸見晴恵。俳優の逸見太郎は長男、女優の逸見愛は長女。生誕 1945年(昭和20年)2月16日命日 1993年(平成5年)12月25日誠實院温譽和顔政孝居士<< 戻る
人物

ハナ肇(ハナはじめ)

ドラマー、コメディアン、俳優。コミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダーであり、同バンドのドラマーでもある。東京府北豊島郡長崎町生まれ、工学院工業学校土木科中退。1990年10月13日、特選校友として学長より証書を授与され卒業を認められる。生誕 1930年2月9日命日 1993年9月10日大友院紫雲定光居士<< 戻る
人物

藤山一郎(ふじやまいちろう)

歌手・声楽家・作曲家・指揮者。本名、増永丈夫(ますなが たけお)。本名ではクラシック音楽の声楽家・バリトン歌手として活躍。生誕 1911年(明治44年)4月8日命日 1993年(平成5年)8月21日藤光院愛譽白童居士<< 戻る
人物

井伏鱒二(いぶせますじ)

小説家。広島県安那郡加茂村(現・福山市)生まれ。筆名は釣り好きだったことによる。代表作『山椒魚』(1929年)『屋根の上のサワン』(1929年)『ジョン万次郎漂流記』(1937年)『さざなみ軍記』(1938年)『多甚古村』(1939年)『本日休診』(1950年)『黒い雨』(1966年)生誕 1898年(明治31年)2月15日命日 1993年(平成5年)7月10日照観院文寿日慧大居士<< 戻る
人物

吉田忠雄(よしだただお)

実業家で、YKKの創業者。富山県出身。魚津市、黒部市の名誉市民。神奈川県藤沢市に居住していた。「用事がある時は社長室に部下を呼ばず自分から出向く事」をモットーとしていた。吉田本人が出張中、会社に泥棒が入った際に金庫を盗まれてしまったが、それを警備担当が吉田の出張先に謝罪と報告に出向いたところ、「済んだ事は仕方ないが、わざわざ出張先にまで来るのは無駄なことだ。」と一喝したエピソードがある。生誕 1908年9月19日命日 1993年7月3日<< 戻る
人物

大谷光暢(おおたにこうちょう)

明治時代から昭和時代にかけての浄土真宗の僧。法名は「闡如」(せんにょ)。東本願寺第二十四代法主。(のちに門首。)真宗大谷派管長。伯爵。欧米、ブラジルを視察するなど、宗教布教に尽力。生誕 1903年10月1日命日 1993年4月13日<< 戻る
人物

加藤正之(かとうまさゆき)

男性俳優、声優。福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)出身。江崎プロダクションに所属していた。舞台で主に中年男性の役を演じていたほか、「ドラえもん」の野比のび助などアニメキャラの声優を担当していた。生誕 1932年1月29日命日 1993年3月18日<< 戻る
人物

樫尾忠雄(かしおただお)

実業家。カシオ計算機の創業者。1972年、世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」を当時としては革命的な1万円台で発売しスマッシュヒットを記録。電卓メーカーとしての地位を不動のものにした。カシオ計算機はその後もG-SHOCK、カシオトーン、カシオトロン、ペラなどの製品を次々と世に送り出した。生誕 1917年(大正6年)11月26日命日 1993年(平成5年)3月4日)<< 戻る
人物

服部良一(はっとりりょういち)

作曲家、編曲家。また作詞家として村雨 まさを(むらさめ まさお)の名がある。大阪府大阪市東住吉区(現・平野区)出身。天王寺区出生。国民栄誉賞受賞者。代表作としては『おしゃれ娘』『別れのブルース』『雨のブルース』『蘇州夜曲』『湖畔の宿』『山寺の和尚さん』『青い山脈』など多数。生誕 1907年10月1日命日 1993年1月30日<< 戻る
人物

戸板康二(といたやすじ)

演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。「車引殺人事件」で推理作家としてデビュー。「団十郎切腹事件」によって直木賞を受賞する。様々なエピソードやこぼれ話を書いた『ちょっといい話』は、単行本4集と番外『歌舞伎ちょっといい話』の5冊を数える名シリーズとなった。その他、作品多数。生誕 1915年12月14日命日 1993年1月23日<< 戻る
人物

安部公房(あべこうぼう)

小説家、劇作家、演出家。「砂の女」や「壁」など数々の前衛的な作品で世界的人気を誇る。満州育ちで、終戦で故郷を喪失したことが安部文学独特のモチーフとなっている。生誕 1924年 (大正13年) 3月7日命日 1993年 (平成5年) 1月22日<< 戻る
人物

松本清張(まつもとせいちょう)

作家。 1953年に『ある「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。以降しばらく、歴史小説・現代小説の短編を中心に執筆した。1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす。生誕 1909年12月21日命日 1992年8月4日清閑院釈文帳<< 戻る
人物

藤村富美男(ふじむらふみお)

広島県呉市山手町出身のプロ野球選手・監督・解説者。 日本プロ野球を代表する伝説的な強打者であり、大阪タイガースの黎明期を支え、戦前から1950年代までのプロ野球創成期を代表するスター選手。初代「ミスタータイガース」。「ダイナマイト打線」不動の4番。チームメイトからの愛称は「フジさん」。生誕 1916年8月14日命日 1992年5月28日<< 戻る
人物

長谷川町子(はせがわまちこ)

漫画家。日本初の女性プロ漫画家として知られる。代表作に『サザエさん』『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』など。生誕 1920年(大正9年)1月30日命日 1992年(平成4年)5月27日<< 戻る
人物

尾崎豊(おざきゆたか)

シンガーソングライター。高校在学中の82年、レコード会社のオーディションに合格し、翌年12月に「15の夜」と「十七歳の地図」でデビュー。85年1月に発表した「卒業」でブレイクを果たす。「I LOVE YOU 」「OH MY LITTLE GIRL 」「僕が僕であるために 」など多数。生誕 1965年11月29日命日 1992年4月25日頌弦院智心碩豊居士<< 戻る
人物

若山富三郎(わかやまとみさぶろう)

俳優・歌手・テレビドラマ監督。本名は奥村 勝。別名は城 健三朗。東京府東京市深川区出身。映画・テレビドラマ・演劇で幅広い役柄を演じ、特に殺陣に関しては当代随一の名手と評された。父は長唄三味線の杵屋勝東治、弟に勝新太郎、息子は若山騎一郎、元妻は藤原礼子。生誕 1929年9月1日命日 1992年4月2日照観院文寿日慧大居士<< 戻る
人物

相田みつを(あいだみつを)

詩人・書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんだが、喫煙の濡れ衣をきせられ軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念。卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。1942年、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学んだ。1943年、書家を志して岩沢渓石に師事、本格的に書の修行を積んだ。つまづいたっていいじゃないかにんげんだものみつを(『にんげんだもの』より)『にんげんだもの』 文化出版局(のち角川文庫)、1984年。『おかげさん』 ダイヤモンド社、1987年。『一生感動一生青春』 ...
人物

本田宗一郎(ほんだそういちろう)

実業家、技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者。高等小学校卒業後、自動車修理工場「アート商会」へ入社。30歳にして、東海精機重工業株式会社の社長に就任。豊田自動織機に経営の主導権を握られ、専務に退き、その3年後には退任。1946年、本田技術研究所を設立。1957年、東京証券取引所一部上場へ。翌年、人気シリーズ、スーパーカブの発売。世界で初めて、時速200kmを超えるバイクを開発。1980年代後半、F1でマクラーレン・ホンダの快進撃、1988年は16戦中15勝。生誕 1906年(明治39年)11月17日命日 1991年(平成3年)8月5日<< 戻る