お釈迦様(ブッダ)

仏教を本気で学ぶ

灌仏会(かんぶつえ/花まつり・花祭・釈尊降誕会)

4月8日は灌仏会です。釈尊、お釈迦様、ブッダ、色んな呼び名で呼ばれることがありますが、一番初め、生まれた時につけられた名前はシッダッタといいます。シッダッタが生まれたのは現在、ネパールという国のルンビニという場所です。全てはそこからはじまったわけです。仏教の開祖・釈尊の生まれた日には、寺院などでは法要をしたり、地域の人を集めて花祭りをしたりします。また、地方によってはひと月遅れの5月8日に花祭りが行われる場合があります。また、上座部仏教圏(南伝仏教)ではヴァイシャーカ月(4月中旬~5月中旬/「第2の月」)の満月にお釈迦様が生まれた日と伝えられていて、その日をブッダプールニマーといいます。<< ...
仏教を本気で学ぶ

菩提樹(ぼだいじゅ)

菩提樹はインドで古くからピッパラと呼ばれ聖木として扱われてきた樹の一つです。シッダッタがこの樹下で、坐禅を組んで全宇宙の真理(菩提)を悟り、ブッダとなったことから、後に悟りの樹、菩提樹(ボーディ・ブリクシャ)と呼ばれるようになりました。また、三大聖木の一つです。この写真はブッダガヤにある菩提樹です。この菩提樹のことを知る人に詳しく聞きましたが、この菩提樹は4代目だそうです。仏教にとって聖なる樹であっても、異教徒にとってはそうでない場合もあり、切り倒されてしまったこともあったようです。今ではその周りには坐禅をする人、お経を唱える人、観光に来た人、あらゆる人が常にいました。ここが仏教にとっての聖地...
仏教を本気で学ぶ

クシナガラについて

インド北部のヒマラヤ山脈とデカン高原に挟まれた場所にガンガーの流れる広大なヒンドゥスタン平原があり、そこにウッタル・プラデーシュ州(UP州)があります。この州はインド最大の人口を持ち、古くから農村地帯が広がり、稲作と畑作の混合地が多く、サトウキビや小麦などが作られてきた地域です。そんな農村地帯にクシナガラという町があります。(はじめの写真は2000年2月15日・涅槃の日に撮影)私がその場所に初めて行ったのが2000年2月でした。インドは年中暑いところだと思っていたので、意外と朝晩が寒くて驚いたのを憶えています。その後、この場所を何度も訪れることになるとは思ってもいないことでした。クシナガラへは...
仏教を本気で学ぶ

涅槃会(ねはんえ)

2月15日はブッダが涅槃に入られた日。涅槃会(ねはんえ)です。約2500年前、北インドを中心に教えを説いて歩き、多くの人々を救ったブッダはクシナガラの沙羅双樹の間で涅槃に入りました。今でもクシナガラは仏教の聖地に変わりありません。機会があれば行ってみてください。田舎町ですが、心が安らぐ場所です。まさしく涅槃の地であります。ちなみに日本では地方により、涅槃会の行事を旧暦に合わせて3月15日にする場合もあります。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

ブッダガヤ – ブッダが悟りを開いた地(仏陀伽邪)

ブッダガヤはブッダが悟りを開いた地として仏教の四大聖地および八大聖地の一つに数えられます。この一帯には悟りを開いた場所であるブッダガヤの菩提樹(マハーボディー寺院・大菩提寺境内)、苦行を放棄したあとに沐浴(もくよく)したネーランジャラー川(尼連禅河)、乳粥供養を受ける切っ掛けとなったスジャータ村のガジュマルなどの旧跡があります。また、ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)はそこから北東約7kmほどという位置関係です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)

諸悪莫作 (しょあくまくさ)   諸の悪を作すこと莫れ衆善奉行 (しゅぜんぶぎょう) 衆の善を奉行せよ自浄其意 (じじょうごい)    自ら其の意を浄うせよ是諸仏教 (ぜしょぶっきょう) 是れ諸仏の教えなり諸々の悪いことをせずに、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが諸々の仏たちの教えである。これは七仏通誡偈と呼ばれるものです。過去七仏が共通して教えてきたことを、この短い詩(韻文)の中につめています。七仏とは毘婆尸仏(びばしぶつ)・尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・拘留孫仏(くるそんぶつ)・拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)...
仏教を本気で学ぶ

如来十号(にょらいじゅうごう)

如来十号とは、如来・ブッダの十種の称号のことで、如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏世尊、が示すものです。また、魂入れ法要(開眼法要・お性根入れ)の際の儀式において唱えられる場合があります。・如来(にょらい) 真実のままに現れて真実を人々に示す者、真実の世界に至り、真実の世界から来られし者を如去如来といい、その略称。・応供(おうぐ) あらゆる人間や天上の神々からの供養を受けるに相応しい存在。・正遍知(しょうへんち) 様々な事象を正しくまんべんなく見渡して、ありのままに知る存在。・明行足(みょうぎょうそく) 『大智度論』に依れば、明とは宿命・天眼・漏尽の過去現在...
仏教を本気で学ぶ

成道会(じょうどうえ)

12月8日は仏教の開祖お釈迦様が悟りを開かれた日、つまり成道(じょうどう)の日です。釈迦族の王子であったお釈迦様の名はゴータマ・シッダッタといいました。何の不自由もない生活をしていましたが、人生の生老病死の苦しみに疑問を抱き妻子を残し出家をします。最初は真理を求めて有名な聖者について学びますが、納得がいく答えを得られませんでした。その後、ウルヴェーラの苦行林で6年間の苦行を続け、それでも真理を見いだせないので、極端な苦行では真理どころか、無駄に心や身体を傷つけるだけであると気づきました。そして、苦行を放棄し、さらなる真理へ到る方法を探すのでした。苦行していた場所から程近いネーランジャラー河で沐...
仏教を本気で学ぶ

サールナート – ブッダが教えを説き始めた地(鹿野苑)

サールナートはブッダが教えを説き始めた地として仏教の四大聖地および八大聖地の一つに数えられます。その教えを説いた相手は五比丘だと伝えられています。サールナートのうち鹿野苑(ろくやおん)だったとされる場所は現在、インド政府によって整理され遺跡公園になっています。そこには、ブッダの初転法輪(しょてんぼうりん)の地に立つダーメーク・ストゥーパがあり(写真)、4頭の獅子像があしらわれているアショーカ王の石柱も出土し、インドの国章となっています。また、バラナシ(ベナレス)の北方約10kmに位置します。「スッタニパータ」には「仙人のあつまる所という名の林」という名で出てきます。・「生きとし生ける者の最上者...
仏教を本気で学ぶ

中道(ちゅうどう)

中道とは、二つの対立するものを離れていることです。原始仏教では厳しい苦行と快楽主義の両極端を退けた考え方ですが、単に二つの中間をとるというのではなく、二つの極端から離れた自由な立場を表しているので、矛盾や対立を超越していることになります。ブッダ(お釈迦様)は厳しい苦行と何不自由がない生活を体験した上で、中道こそが真理へ到る修行方法だと気付いたのでした。出家をする前のブッダはシッダッタという名前で、釈迦族の王子でした。地方の統治者の王子として恵まれて育ったシッダッタは、望まなくとも何不自由がない中で生活していたと考えられています。その後、真理(悟り)を求めるために出家の決意を決めたシッダッタは、...
仏教を本気で学ぶ

サンカーシャ – ブッダ三道宝階降下の地(僧伽舎)

サンカーシャはブッダ三道宝階降下の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。音訳して僧伽舎(そうぎゃしゃ)とも書かれます。サヘート・マヘートにある祇園精舎の香堂(ガンダクティー)からブッダは生後7日目に死別した母マーヤー夫人に法を説くために忉利天(とうりてん・三十三天)へ昇天し、サンカーシャの地に降り立ったという三道宝階降下伝説が残されています。忉利天で3ヶ月間、母マーヤー夫人に法を説いた後、三道の宝階を降下してサンカーシャの地に現れたと伝えられています。降下される時、三つの階段が築かれ中央の金の階段をブッダが、右側の白金の階段を白い払子(ほっす)を手にしたブラフマー神(梵天)が、左側の瑠璃...
仏教を本気で学ぶ

釈迦牟尼(しゃかむに)

釈迦牟尼とは、釈迦族の聖者の意味です。お釈迦様、ブッダのことをいいます。原語Sakyamuni(サキヤムニ)を釈迦牟尼と音写されています。また、muni(ムニ)が聖者のことです。釈迦(人物)。・「心を統一した釈迦牟尼は、煩悩の消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、その理法と等しいものは何も存在しない。このすぐれた宝は理法の内に存在する。この真理によって幸せであれ。」(スッタニパータ 225偈)<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』(あみだきょう)

阿弥陀経は紀元後100年頃にインド文化圏で成立したと考えられている大乗仏教の経典です。もともとは梵語(サンスクリット語)で書かれていたお経で、 सूखावतीव्यूह, Sukhavati-vyuha, スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳、幸あるところの美しい風景)というタイトルでした。鳩摩羅什による漢訳によって『阿弥陀経』となりました。同タイトルが付けられている『無量寿経』と区別して『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ばれます。略称は、『無量寿経』の『大経』に対して、阿弥陀経を『小経』とも呼んでいます。①ルビ(かな読み)②漢訳本文(大太字)③講話人物や単語の解説が必要な場合はその...
仏教を本気で学ぶ

三帰依文(さんきえもん)

Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmiDhammaṃ saraṇaṃ gacchāmiSaṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi(巴語(パーリ語))ブッダン サラナン ガッチャーミダンマン サラナン ガッチャーミサンガン サラナン ガッチャーミ(カナ読み)南無帰依仏南無帰依法南無帰依僧(漢文)私は、仏陀(ブッダ)に帰依します。私は、法(ダンマ)に帰依します。私は、僧伽(サンガ)に帰依します。(日本語訳)・「もしもあなたがみずからバラモンであるというならば、バラモンでないわたしに答えなさい。私は、あなたに三句二十四字より成るかのサーヴィトリー讃歌のことをたずねます。」(スッタニパ...
仏教を本気で学ぶ

『阿弥陀経』29

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)

竹林精舎とは、インド・ビハール州のラージギルにあります。現地ではVenuvanaといいます。ブッダが竹林精舎に滞在した時代、ラージギルはビンビサーラ王(頻婆娑羅王・びんばしゃらおう)が統治するマガダ国の首都・王舎城(ラージャグリハ)の北門から500メートルに位置しています。また、霊鷲山(りょうじゅせん)は北東へ5キロ程の距離です。竹林精舎の竹林はブッダに帰依したビンビサーラ王が寄進したものでありました。精舎(ヴィハーラ)は、雨期に出家者が集まって修行する場所のことです。竹林に精舎を寄進したのがカランダ長者でした。ブッダと弟子たちの教えや生活態度に感激して精舎を建立したのだそうです。これが仏教史...
仏教を本気で学ぶ

忉利天(とうりてん)- 三十三天

忉利天とは、仏教世界観における天の1つで、欲界の六欲天の内の第2天です。須弥山(しゅみせん)の頂上にあり、その東西南北にそれぞれ8つの城、中央に善見城(ぜんけんじょう)があり、合計33の城があります。善見城中の殊勝殿(しゅしょうでん)には帝釈天(たいしゃくてん)が住んでいます。梵語トラーヤストゥリンシャの音訳語の略称で、原語は「33」を意味し、ここでは「33種の天からなる世界」をさし、「三十三天」と意訳されます。数々の立派な建物、庭園、香樹などがあり、一種の楽園として描かれています。ブッダは生後7日目に死別した母マーヤー夫人に法を説くために祇園精舎から忉利天へ昇天し、ここで3ヶ月間、母マーヤー...
仏教を本気で学ぶ

ラージギル – ブッダ布教の地(王舎城)

ラージギルはブッダ布教の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。この一帯にはマガダ国の首都・王舎城(おうしゃじょう/ラージャグリハ)、仏教史上最初の寺院と考えられる竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)、説法の舞台である霊鷲山(りょうじゅせん)、多宝山、第一結集が行われた七葉窟(ななようくつ)などの旧跡があります。また、ナーランダ大学まで15km、ブッダガヤまで70kmほどという位置関係です。ブッダが竹林精舎や霊鷲山に滞在した時代、ラージギルはビンビサーラ王(頻婆娑羅王・びんばしゃらおう)が統治するマガダ国の首都・王舎城(ラージャグリハ)といいました。また、この地でサンジャヤ(思想家、不可知論者、...
仏教を本気で学ぶ

霊鷲山(りょうじゅせん)

霊鷲山とは、インド・ビハール州のラージギルから北東へ5キロ程のところにある小高い岩山です。この場所でブッダが弟子たちに多くの説法をしたところとして知られています。この岩山の頂上には大きな岩の説法台があり、現在もブッダの聖地として多くの巡礼者が訪れます。また、『法華経』や『観無量寿経』などの大乗経典の多くは霊鷲山で説いた教えであると伝えられています。梵語でグリドラクータ、巴語でギッジャクータといい、山頂が鷲の姿に見えることから、鷲の峰という意味で「霊鷲山」「鷲峰山」(じゅぶせん)と呼ばれます。略して、「霊山」(りょうぜん)ということも多いです。音訳では「耆闍崛山」(ぎしゃくっせん、ぎじゃくっせん...
仏教を本気で学ぶ

仏舎利(ぶっしゃり)- ブッダの遺骨の分配

仏舎利とは、お釈迦様(ブッダ)がクシナガラで入滅し荼毘(だび)に付された際の遺骨のことです。また、その際に出た灰をも含まれる場合があります。舎利は梵語ではシャリーラといい「遺骨」「遺体」「肉体」を意味します。荼毘に付された後、その遺骨を分けて欲しいと7種族が申し出ました。しかし、クシナガラに住むマッラ族は「我々の住む土地でブッダはお亡くなりになられたのだから、一部分をも分け与えない」と言いました。それに対して、ドーナ・バラモン(コーリヤ族)が次のようなことを言いました。「我らのブッダは耐え忍ぶことを説くかたでありました。最上の人の遺骨を分配する為に争うのはよくありません。我らはともに喜び合って...
仏教を本気で学ぶ

チュンダの供養 – ブッダ最後の食事

チュンダの供養とは、鍛治屋(かじや)・工巧師(こうこうし)の子であるチュンダ(純陀)が、ブッダの説法を聞き、チュンダの屋敷で食事を振る舞ったが、それがブッダ最後の食事になりました。・最後に食べた「スーカラ・マッダヴァ」という料理について、豚肉料理やキノコ料理など諸説あり、はっきりしていませんがスーカラは「豚」で、マッダヴァは「柔らかい」という意味なので、豚肉料理か、豚が地面に鼻をこすりつけながら探しだすトリュフのようなキノコ料理とも考えられています。・古代インドでは、尊敬する人に敬意をしめす方法として、食事や香などを捧げる習慣を「供養」(プージャー)といいました。『大般涅槃経』によると、ブッダ...
仏教を本気で学ぶ

サヘート・マヘート – ブッダ布教の地(祇園精舎・舎衛城)

サヘート・マヘートはブッダ布教の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。隣接した二つの遺跡群をまとめた呼称です。①サヘート遺跡・・・祇園精舎(祇園は「祇樹給孤独園」の略。ジェータ林(祇園)にある孤独な人々に食を給する長者の園。)②マヘート遺跡・・・舎衛城(サーヴァッティーもしくはシュラーヴァスティー)舎衛城はブッダの生きた時代にはバーセナディ王(波斯匿王)が治めるコーサラ国の首都でした。先述のように遺跡としては分けて考えられていますが、当時の感覚では大きな首都である舎衛城の中に祇園精舎があったと認識してもらった方が分かりやすいと思います。なお、祇園精舎は「阿弥陀経」が説かれた場所とされてい...
仏教を本気で学ぶ

ヴァイシャリ – ブッダ最後の旅の出発地(毘舎離)

ヴァイシャリはブッダの最後の旅の出発地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。古代インドの十六大国の1つヴァッジ国内にあった商業都市です。仏教僧団を意味する「サンガ」(僧伽)という言葉は、元々はこの地域に発生した商工業者の同業組合や共和制を意味する言葉でした。ヴェーサーリ、ヴェーサーリーという表記もここを指します。ブッダが最後の旅立ちが近づいたことを示唆する説法を始めて行われた場所には、ブッダのために猿が掘ったと言われる沐浴池ラーマ・クンドがあります。そのそばにはアショーカ王石柱があり、完全な姿のまま残っています。そこで第二結集も行われました。ブッダが最後の旅立ちに出発するとき、ケサリヤとい...
仏教を本気で学ぶ

ルンビニ – ブッダが生まれた地(藍毘尼)

ルンビニはブッダが生まれた地として仏教の四大聖地および八大聖地の一つに数えられます。この一帯にはマウリヤ王朝のアショーカ王によりシッダッタ(後のブッダ)が誕生した場所に建立したとされるマヤ・デヴィ寺院、紀元前249年にアショーカ王が巡礼した時に建立された石柱(アショーカピラー)、シッダッタ(後のブッダ)の産湯に使われたというプスカリニ池などの旧跡があります。私がブッダ生誕の地ネパールのルンビニに初めて訪れたのは2000年2月でしたが、その時はちょうど、発掘調査のためにマヤ堂が取り壊され、旧マヤ堂内の誕生仏やレリーフは仮設のマヤ堂(写真)のなかに安置されていました。現在、ブッダの生誕地の周囲を聖...
仏教を本気で学ぶ

「正法眼蔵」一百八法明門(いっぴゃくはちほうみょうもん)

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

「正法眼蔵」三時業(さんじごう)

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

「正法眼蔵」伝衣(でんえ)

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

「正法眼蔵」坐禅箴(ざぜんしん)

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

釈迦如来像(しゃかにょらいぞう) 

釈迦如来、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)について、このページでは主に造像さた仏像としての釈迦如来像、釈迦牟尼仏像、釈迦仏像、釈迦像について書きます。如来とは悟りを開いた仏の姿で、釈迦如来像は全ての仏像の基本形といえます。衣服は全身を覆う一枚の衲衣(のうえ)や大衣(だいえ)の布を着て、装飾品は身につけず、持物は何も持っていません。頭部は螺髪(らほつ)と呼ばれる髪型で、中央部は頂髻相(ちょうけいそう)・肉髻(にっけい)を表していて盛り上がっています。眉間には白毫(びゃくごう)があります。その他、原則として仏の三十二相(さんじゅうにそう)に倣っています。釈迦如来の代表的な印相(いんぞう)・印契(いんげ...
仏教を本気で学ぶ

「正法眼蔵」三界唯心(さんがいゆいしん)

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

過去七仏(かこしちぶつ)

過去七仏とは、毘婆尸仏(びばしぶつ)、尸棄仏(しきぶつ)、毘舎浮仏(びしゃふぶつ)、拘留孫仏(くるそんぶつ)、拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)、迦葉仏(かしょうぶつ)、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)までの7人のブッダを指します。・七仏通誡偈・第七の仙人<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『甘露門』02

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る