【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」一百八法明門(いっぴゃくはちほうみょうもん)

投稿日:2020年9月24日 更新日:

爾時護明菩薩、観生家已。時兜率陀有一天宮、名曰高幢、縱広正等六十由旬。菩薩時時上彼宮中、為兜率天説於法要。是時菩薩、上於彼宮、安坐訖已、告於兜率諸天子言、汝等諸天、応来聚集、我身不久下於人間。我今欲説一法明門、名入諸法相方便門。留教化汝最後。汝等憶念我故、汝等若聞此法門者、応生歓喜(爾の時に護明菩薩、生家を観じ已りぬ。時に兜率陀に一天宮有り、名を高幢と曰ふ、縱広正等六十由旬なり。菩薩時時に彼の宮の中に上り、兜率天の為に法要を説けり。是の時に菩薩、彼の宮に上りて、安坐し訖已りて、兜率諸天子に告げて言く、汝等諸天、応に来り聚集るべし、我が身久しからずして人間に下るべし。我れ今一の法明門を説かんと欲ふ、入諸法相方便門と名づく。教を留めて汝を化すること最後なり。汝等我れを憶念するが故に、汝等若し此の法門を聞かば、応に歓喜を生ずべし)。

時兜率陀諸天大衆、聞於菩薩如此語已、及天玉女、一切眷属、皆来聚集、上於彼宮(時に兜率陀諸天の大衆、菩薩の此の如く語るを聞き已りて、天の玉女、一切の眷属に及ぶまで、皆な来り聚集りて、彼の宮に上りぬ)。

護明菩薩、見彼天衆聚会畢已、欲為説法、即時更化作一天宮、在彼高幢本天宮上。高大広闊、覆四天下、可喜微妙、端正少雙、威徳巍々、衆宝莊餝。一切欲界天宮殿中、無匹喩者。色界諸天、見彼化殿、於自宮殿、生如是心、如塚墓相(護明菩薩、彼の天衆の聚会り畢已れるを見て、為に法を説かんと欲ひて、即時更に一天宮を化作して、彼の高幢を本天宮の上に在けり。高大広闊にして四天下を覆ひ、喜ぶべき微妙、端正雙び少く威徳巍々たり、衆宝もて莊餝せり。一切欲界の天宮殿の中に、匹喩すべき者無し。色界の諸天、彼の化殿を見て、自が宮殿に於て是の如くの心を生ぜり、塚墓の相の如しと)。

時護明菩薩、已於過去、行於宝行、種諸善根、成就福聚、功徳具足、所成莊厳、師子高座昇上而坐(時に護明菩薩、已に過去に於て、宝行を行じ、諸の善根を種ゑて、福聚を成就し、功徳具足して、成ぜる所の莊厳の師子の高座に昇上りて坐せり)。

護明菩薩、在彼師子高座之上、無量諸宝、莊厳間錯無量無辺。種々天衣而敷彼座、種々妙香以蝉彼座。無量無辺宝爐焼香、出於種々微妙香花、散其地上。高座周匝有諸珍宝、百千万億莊厳放光、顕耀彼宮。彼宮上下宝網羅覆、於彼羅網多懸金鈴。彼諸金鈴出声微妙。彼大宝宮、復出無量種々光明。彼宝宮殿千万幡蓋、種々妙色映覆於上。彼大宮殿、垂旒蘇、無量無辺百千万億天玉女、各持種々七宝、音声作楽讃歎、於菩薩往昔無量無辺功徳。護世四王百千万億、在於左右守護彼宮。千万帝釈礼拝彼宮、千万梵天恭敬彼宮。又諸菩薩百千万億那由他衆、護持彼宮。十方諸仏、有於万億那由他数、護念彼宮。百千万億那由他劫所修行、行諸波羅蜜、福報成就、因縁具足、日夜増長、無量功徳、悉皆莊厳。如是如是、難説難説(護明菩薩、彼の師子の高座の上に在り、無量の諸宝、莊厳間錯して無量無辺なり。種々の天衣而も彼の座に敷き、種々の妙香以て彼の座に蝉ず。無量無辺の宝爐に焼香し、種々微妙の香花を出して其の地上に散ず。高座を周匝して諸の珍宝有り、百千万億の莊厳放光、彼の宮を顕耀かす。彼の宮の上下は宝網羅もて覆ひ、彼の羅網には多く金鈴を懸く。彼の諸の金鈴、声を出すこと微妙なり。彼の大宝宮、復た無量種々の光明を出す。彼の宝宮殿の千万の幡蓋、種々の妙色あつて映つて上に覆ふ。彼の大宮殿、諸の旒蘇を垂れ、無量無辺百千万億の諸の天の玉女、各種々の七宝を持し、音声もて作楽し讃歎して、菩薩往昔よりの無量無辺の功徳を説く。護世の四王百千万億、左右に在りて彼の宮を守護す。千万の帝釈彼の宮を礼拝し、千万の梵天彼の宮を恭敬す。又諸の菩薩百千万億那由他衆、彼の宮を護持す。十方の諸仏、万億那由他数有りて、彼の宮を護念したまふ。百千万億那由他に修せし所の行、諸波羅蜜を行ぜし、福報成就し、因縁具足し、日夜に増長し、無量の功徳、悉皆莊厳せり。是の如く是の如く、難説難説なり)。

彼大微妙師子高座、菩薩坐上、告於一切諸天衆言、汝等諸天、今此一百八法明門、一生補処菩薩大士、在兜率宮、欲下託生於人間者、於天衆前、要須宣暢説此一百八法明門。留与諸天以作憶念、然後下生。汝等諸天、今可至心諦聴諦受、我今説之(彼の大微妙なる師子の高座に、菩薩、上に坐して一切諸天衆に告げて言く、汝等諸天、今此の一百八法明門、一生補処の菩薩大士、兜率宮に在つて、下つて人間に託生せんと欲る者、天衆の前に於て、要らず須らく此の一百八法明門を宣暢して説くべし。諸天に留与して以て憶念を作さしめ、然る後下生す。汝等諸天、今至心に諦聴し諦受すべし、我れ今之を説くべし)。

一百八法明門者何(一百八法明門とは何ぞや)。
正信是法明門、不破堅牢心故(正信是れ法明門なり、堅牢の心を破せざるが故に)。
浄心是法明門、無濁穢故(浄心是れ法明門なり、濁穢なきが故に)。
歓喜是法明門、安穏心故(歓喜是れ法明門なり、安穏心の故に)。
愛楽是法明門、令心清浄故(愛楽是れ法明門なり、心をして清浄ならしむるが故に)。
身行正行是法明門、三業浄故(身行正行是れ法明門なり、三業浄きが故に)。
口行浄行是法明門、断四悪故(口行浄行是れ法明門なり、四悪を断ずるが故に)。
意行浄行是法明門、断三毒故(意行浄行是れ法明門なり、三毒を断ずるが故に)。
念仏是法明門、観仏清浄故(念仏是れ法明門なり、観仏清浄なるが故に)。
念法是法明門、観法清浄故(念法是れ法明門なり、観法清浄なるが故に)。
念僧是法明門、得道堅牢故(念僧是れ法明門なり、得道堅牢なるが故に)。
念施是法明門、不望果報故(念施是れ法明門なり、果報を望まざるが故に)。
念戒是法明門、一切願具足故(念戒是れ法明門なり、一切の願具足するが故に)。
念天是法明門、発広大心故(念天是れ法明門なり、広大心を発すが故に)。
慈是法明門、一切生処善根摂勝故(慈是れ法明門なり、一切の生処に善根摂勝なるが故に)。
悲是法明門、不殺害衆生故(悲是れ法明門なり、衆生を殺害せざるが故に)。
喜是法明門、捨一切不喜事故(喜是れ法明門なり、一切不喜の事を捨するが故に)。
捨是法明門、厭離五欲故(捨是れ法明門なり、五欲を厭離するが故に)。
無常観是法明門、観三界慾故(無常観是れ法明門なり、三界の慾を観ずるが故に)。
苦観是法明門、断一切願故(苦観是れ法明門なり、一切の願を断ずるが故に)。
無我観是法明門、不染著我故(無我観是れ法明門なり、我に染著せざるが故に)。
寂定観是法明門、不擾乱心意故(寂定観是れ法明門なり、心意を擾乱せざるが故に)。
慚愧是法明門、内心寂定故(慚愧是れ法明門なり、内心寂定なるが故に)。
羞恥是法明門、外悪滅故(羞恥是れ法明門なり、外悪滅するが故に)。
実是法明門、不誑天人故(実是れ法明門なり、天人を誑かさざるが故に)。
真是法明門、不誑自身故(真是れ法明門なり、自身を誑かさざるが故に)。
法行是法明門、隨順法行故(法行是れ法明門なり、法行に隨順するが故に)。
三帰是法明門、浄三悪道故(三帰是れ法明門なり、三悪道を浄からしむるが故に)。
知恩是法明門、不捨善根故(知恩是れ法明門なり、善根を捨せざるが故に)。
報恩是法明門、不欺負他故(報恩是れ法明門なり、他を欺負せざるが故に)。
不自欺是法明門、不自譽故(不自欺是れ法明門なり、自ら譽めざるが故に)。
為衆生是法明門、不毀呰他故(為衆生是れ法明門なり、他を毀呰せざるが故に)。
為法是法明門、如法而行故(為法是れ法明門なり、如法にして行ずるが故に)。
知時是法明門、不軽言説故(知時是れ法明門なり、言説を軽んぜざるが故に)。
摂我慢是法明門、智恵満足故(摂我慢是れ法明門なり、智恵満足するが故に)。
不生悪心是法明門、自護護他故(不生悪心是れ法明門なり、自ら護し他を護するが故に)。
無妨げ是法明門、心無疑惑故(無妨げ是れ法明門なり、心、疑惑無きが故に)。
信解是法明門、決了第一義故(信解是れ法明門なり、第一義を決了するが故に)。
不浄観是法明門、捨欲染心故(不浄観是れ法明門なり、欲染の心を捨するが故に)。
不諍鬪是法明門、断瞋訟故(不諍鬪是れ法明門なり、瞋訟を断ずるが故に)。
不癡是法明門、断殺生故(不癡是れ法明門なり、殺生を断ずるが故に)。
楽法義是法明門、求法義故(楽法義是れ法明門なり、法義を求むるが故に)。
愛法明是法明門、得法明故(愛法明是れ法明門なり、法明を得るが故に)。
求多聞是法明門、正観法相故(求多聞是れ法明門なり、法相を正観するが故に)。
正方便是法明門、具正行故(正方便是れ法明門なり、正行を具するが故に)。
知名色是法明門、除諸妨げ故(知名色是れ法明門なり、諸の妨げを除くが故に)。
除因見是法明門、得解脱故(除因見是れ法明門なり、解脱を得るが故に)。
無怨親心是法明門、於怨親中生平等故(無怨親心是れ法明門なり、怨親の中に平等を生ずるが故に)。
陰方便是法明門、知諸苦故(陰方便是れ法明門なり、諸の苦を知るが故に)。
諸大平等是法明門、断於一切和合法故(諸大平等是れ法明門なり、一切和合の法を断ずるが故に)。
諸入是法明門、修正道故(諸入是れ法明門なり、正道を修するが故に)。
無生忍是法明門、証滅諦故(無生忍是れ法明門なり、滅諦を証するが故に)。
受念処是法明門、断一切諸受故(受念処是れ法明門なり、一切の諸受を断ずるが故に)。
心念処是法明門、観心如幻化故(心念処是れ法明門なり、心を観ずること幻化の如きが故に)。
法念処是法明門、智恵無翳故(法念処是れ法明門なり、智恵無翳なるが故に)。
四正懃是法明門、断一切悪成諸善故(四正懃是れ法明門なり、一切悪を断じて諸の善を成ずるが故に)。
四如意足是法明門、身心軽故(四如意足是れ法明門なり、身心軽きが故に)。
信根是法明門、不隨他語故(信根是れ法明門なり、他の語に隨はざるが故に)。
精進根是法明門、善得諸智故(精進根是れ法明門なり、善く諸の智を得るが故に)。
念根是法明門、善作諸業故(念根是れ法明門なり、善く諸の業を作すが故に)。
定根是法明門、心清浄故(定根是れ法明門なり、心清浄なるが故に)。
慧根是法明門、現見諸法故(慧根是れ法明門なり、諸法を現見するが故に)。
信力是法明門、過諸魔力故(信力是れ法明門なり、諸の魔の力に過ぐるが故に)。
精進力是法明門、不退転故(精進力是れ法明門なり、不退転なるが故に)。
念力是法明門、不共他故(念力是れ法明門なり、他と共ならざるが故に)。
定力是法明門、断一切念故(定力是れ法明門なり、一切の念を断ずるが故に)。
慧力是法明門、離二辺故(慧力是れ法明門なり、二辺を離るるが故に)。
念覚分是法明門、如諸法智故(念覚分是れ法明門なり、諸法智の如くなるが故に)。
法覚分是法明門、照明一切諸法故(法覚分是れ法明門なり、一切諸法を照明するが故に)。
精進覚分是法明門、善知覚故(精進覚分是れ法明門なり、善く知覚するが故に)。
喜覚分是法明門、得諸定故(喜覚分是れ法明門なり、諸の定を得るが故に)。
除覚分是法明門、所作已弁故(除覚分是れ法明門なり、所作已に弁ずるが故に)。
定覚分是法明門、知一切法平等故(定覚分是れ法明門なり、一切法平等を知るが故に)。
捨覚分是法明門、厭離一切生故(捨覚分是れ法明門なり、一切の生を厭離するが故に)。
正見是法明門、得漏尽聖道故(正見是れ法明門なり、漏尽聖道を得るが故に)。
正分別是法明門、断一切分別無分別故(正分別是れ法明門なり、一切の分別と無分別とを断ずるが故に)。
正語是法明門、一切名字、音声語言、知如響故(正語是れ法明門なり、一切の名字、音声、語言は、響きの如しと知るが故に)。
正業是法明門、無業無報故(正業是れ法明門なり、業無く報無きが故に)。
正命是法明門、除滅一切悪道故(正命是れ法明門なり、一切の悪道を除滅するが故に)。
正行是法明門、至彼岸故(正行是れ法明門なり、彼岸に至るが故に)。
正念是法明門、不思念一切法故(正念是れ法明門なり、一切法を思念せざるが故に)。
正定是法明門、得無散乱三昧故(正定是れ法明門なり、無散乱三昧を得るが故に)。
菩提心是法明門、不断三宝故(菩提心是れ法明門なり、三宝を断ぜざるが故に)。
依倚是法明門、不楽小乗故(依倚是れ法明門なり、小乗を楽はざるが故に)。
正信是法明門、得最勝仏法故(正信是れ法明門なり、最勝の仏法を得るが故に)。
増進是法明門、成就一切諸善根法故(増進是れ法明門なり、一切諸の善根の法を成就するが故に)。
檀度是法明門、念々成就相好、莊厳仏土、教化慳貪諸衆生故(檀度是れ法明門なり、念々に相好を成就し、仏土を莊厳し、慳貪の諸の衆生を教化するが故に)。
戒度是法明門、遠離悪道諸難、教化破戒諸衆生故(戒度是れ法明門なり、悪道の諸難を遠離し、破戒の諸の衆生を教化するが故に)。
忍度是法明門、捨一切嗔恚、我慢、諂曲、調戲、教化如是諸悪衆生故(忍度是れ法明門なり、一切の嗔恚、我慢、諂曲、調戲を捨し、是の如きの諸の悪衆生を教化するが故に)。
精進度是法明門、悉得一切諸善法、化懈怠諸衆生故(精進度是れ法明門なり、悉く一切の諸の善法を得て、懈怠の諸の衆生を化するが故に)。
禅度是法明門、成就一切禅定及諸神通、教化散乱諸衆生故(禅度是れ法明門なり、一切の禅定及び諸の神通を成就し、散乱の諸の衆生を教化するが故に)。
智度是法明門、断無明黒暗及著諸見、教化愚癡諸衆生故(智度是れ法明門なり、無明の黒暗及び諸見に著することを断じ、愚癡の諸の衆生を教化するが故に)。
方便是法明門、隨衆生所見威儀、而示現教化、成就一切諸仏法故(方便是れ法明門なり、衆生所見の威儀に隨つて、教化を示現し、一切諸仏の法を成就するが故に)。
四摂法是法明門、摂受一切衆生、得菩提已、施一切衆生法故(四摂法是れ法明門なり、一切衆生を摂受し、菩提を得已つて、一切衆生に法を施すが故に)。
教化衆生是法明門、自不受楽、不疲倦故(教化衆生是れ法明門なり、自ら楽を受けず、疲倦せざるが故に)。
摂受正法是法明門、断一切衆生諸煩悩故(摂受正法是れ法明門なり、一切衆生の諸の煩悩を断ずるが故に)。
福聚是法明門、利益一切諸衆生故(福聚是れ法明門なり、一切諸の衆生を利益するが故に)。
修禅定是法明門、満足十力故(修禅定是れ法明門なり、十力を満足するが故に)。
寂定是法明門、成就如来三昧具足故(寂定是れ法明門なり、如来の三昧を成就して具足するが故に)。
慧見是法明門、智恵成就満足故(慧見是れ法明門なり、智恵成就して満足するが故に)。
入無礙弁是法明門、得法眼成就故(入無礙弁是れ法明門なり、法眼を得て成就するが故に)。
入一切行是法明門、得仏眼成就故(入一切行是れ法明門なり、仏眼を得て成就するが故に)。
成就陀羅尼是法明門、聞一切諸仏法能受持故(成就陀羅尼是れ法明門なり、一切諸仏の法を聞いて能く受持するが故に)。
得無礙弁是法明門、令一切衆生皆歓喜故(得無礙弁是れ法明門なり、一切衆生をして皆な歓喜せしむるが故に)。
順忍是法明門、順一切諸仏法故(順忍是れ法明門なり、一切諸仏の法に順ふが故に)。
得無生法忍是法明門、得受記故(得無生法忍是れ法明門なり、受記を得るが故に)。
不退転地是法明門、具足往昔諸仏法故(不退転地是れ法明門なり、往昔の諸仏の法を具足するが故に)。
従一地至一地智是法明門、潅頂成就一切智故(従一地至一地智是れ法明門なり、潅頂して一切智を成就するが故に)。
潅頂地是法明門、従生出家、乃至得成阿耨多羅三藐三菩提故(潅頂地是れ法明門なり、生まれて出家するより、乃至阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得るが故に)。
爾時護明菩薩、説是語已、告彼一切諸天衆言、諸天当知、此是一百八法明門、留与諸天、汝等受持、心常憶念、勿令忘失(爾の時に護明菩薩、是の語を説き已りて、彼の一切の諸の天衆に告げて言く、諸天、当に知るべし、此れは是れ一百八法明門なり、諸天に留与す。汝等受持し、心に常に憶念して、忘失せしむることなかるべし)。

これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、諸天を化するは、諸仏の常法なり。

護明菩薩とは、釈迦牟尼仏、一生補処として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖広燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。参学のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稲麻竹葦のごとし。いま初心晩学のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細参学すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに諸仏にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。

正法眼蔵一百八法明門第十一

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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