マガダ国

仏教を本気で学ぶ

六師外道(ろくしげどう)

六師外道とは、お釈迦様とほぼ同時代にマガダ国(摩訶陀国)周辺で活躍した6名の思想家を仏教の側から見て異端だと見なし、まとめて指すための呼称です。『スッタニパータ【第3 大いなる章】6、サビヤ』に記されています。・プーラナ・カッサパ(不蘭那迦葉)・マッカリ・ゴーサーラ(末迦梨瞿舎利)・アジタ・ケーサカンバリ(阿耆多翅舎欽婆羅)・パクダ・カッチャーヤナ(迦羅鳩馱迦旃延)・サンジャヤ・ベーラッティプッタ(刪闍耶毘羅胝子)・ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ/尼乾陀若提子/大勇)以上が六師外道に当たる思想家です。その時代、インドの都市部では、商工業者たちが貨幣経済によって栄えるようになり、それまで...
仏教を本気で学ぶ

竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)

竹林精舎とは、インド・ビハール州のラージギルにあります。現地ではVenuvanaといいます。ブッダが竹林精舎に滞在した時代、ラージギルはビンビサーラ王(頻婆娑羅王・びんばしゃらおう)が統治するマガダ国の首都・王舎城(ラージャグリハ)の北門から500メートルに位置しています。また、霊鷲山(りょうじゅせん)は北東へ5キロ程の距離です。竹林精舎の竹林はブッダに帰依したビンビサーラ王が寄進したものでありました。精舎(ヴィハーラ)は、雨期に出家者が集まって修行する場所のことです。竹林に精舎を寄進したのがカランダ長者でした。ブッダと弟子たちの教えや生活態度に感激して精舎を建立したのだそうです。これが仏教史...
仏教を本気で学ぶ

ラージギル – ブッダ布教の地(王舎城)

ラージギルはブッダ布教の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。この一帯にはマガダ国の首都・王舎城(おうしゃじょう/ラージャグリハ)、仏教史上最初の寺院と考えられる竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)、説法の舞台である霊鷲山(りょうじゅせん)、多宝山、第一結集が行われた七葉窟(ななようくつ)などの旧跡があります。また、ナーランダ大学まで15km、ブッダガヤまで70kmほどという位置関係です。ブッダが竹林精舎や霊鷲山に滞在した時代、ラージギルはビンビサーラ王(頻婆娑羅王・びんばしゃらおう)が統治するマガダ国の首都・王舎城(ラージャグリハ)といいました。また、この地でサンジャヤ(思想家、不可知論者、...
仏教を本気で学ぶ

霊鷲山(りょうじゅせん)

霊鷲山とは、インド・ビハール州のラージギルから北東へ5キロ程のところにある小高い岩山です。この場所でブッダが弟子たちに多くの説法をしたところとして知られています。この岩山の頂上には大きな岩の説法台があり、現在もブッダの聖地として多くの巡礼者が訪れます。また、『法華経』や『観無量寿経』などの大乗経典の多くは霊鷲山で説いた教えであると伝えられています。梵語でグリドラクータ、巴語でギッジャクータといい、山頂が鷲の姿に見えることから、鷲の峰という意味で「霊鷲山」「鷲峰山」(じゅぶせん)と呼ばれます。略して、「霊山」(りょうぜん)ということも多いです。音訳では「耆闍崛山」(ぎしゃくっせん、ぎじゃくっせん...
仏教を本気で学ぶ

ビンビサーラ王の牢獄跡

インド・ビハール州のラージギルで仏教遺跡を巡っていた時のことです。はじめて来た土地勘のない場所で右へ左へと1人で探すのは大変でした。簡単な地図を片手に先日書いた竹林精舎に行こうとしていたところ、現地の人に「ここも仏教遺跡だ」と言われた場所の看板には「BIMBISAR JAIL」と書かれていました。「何のこっちゃ?」と思いながらも入っていくとガイドと名乗る男性(写真に写ってます)がいましたので、少し話を聞くと、はじめ聞き取りにくい英語を話していたのですが、結局、ヒンディ語で話してもらった方が理解できました。この場所はマガダ国王ビンビサーラが実子である阿闍世(アジャセ)によって閉じこめられた牢獄の...
仏教を本気で学ぶ

ブッダ最後の旅 – 大パリニッバーナ経

【 第1章 】1、鷲の峰にて1 私はこのように聞いた。ある時、尊師は王舎城の鷲の峰(霊鷲山)におられた。その時、マガダ国王アジャータシャトル(阿闍世)は、ヴァッジ族を征服しようと欲していた。彼はこのように告げた。「このヴァッジ族は、このように大いに繁栄し、このように大いに勢力があるけれども、私は彼らを征服しよう。ヴァッジ族を根絶しよう。ヴァッジ族を滅ぼそう。ヴァッジ族を無理にでも破滅に陥れよう」と。(2005年に管理人が撮影した鷲の峰/霊鷲山)2 そこでマガダ国王アジャータシャトルは、マガダ国の大臣であるヴァッサカーラというバラモンに告げて言った。「さあ、バラモンよ、尊師のいますところへ行け。...
仏教を本気で学ぶ

ブッダ最後の旅【 第1章 】4、パータリ村にて

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

ブッダ最後の旅【 第3章 】12、大地震に関連して

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

ブッダ最後の旅【 第6章 】26、遺骨の分配と崇拝

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『観無量寿経』(かんむりょうじゅきょう)

観無量寿経は大乗仏教の経典です。別名『観無量寿仏経』、『無量寿仏観経』、『無量寿観経』ともいい、『観経』と略称されます。サンスクリット原典やチベット語訳が発見されていないため、中央アジア撰述説と中国撰述説の二つの説が有力視されています。①ルビ(かな読み)②漢訳本文(大太字)③講話また、人物や単語の解説が必要な場合はその言葉のリンク先を参照下さい。各宗派や時代によりお経の解釈は違うものです、当ウェブサイトの一解釈としてご覧ください。なお、短く区切っているのはスマホ対応の為です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぶっせつかんむりょうじゅきょう仏説観無量寿経そうげんかちゅきょうりょうやしゃやく宋元...
仏教を本気で学ぶ

スッタニパータ【第1 蛇の章】4、田を耕すバーラドヴァージャ

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

スッタニパータ【第3 大いなる章】1、出家

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

スッタニパータ【第3 大いなる章】7、セーラ

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】1、序

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】18、十六学生の質問の結語

こちらのページを閲覧するには、メンバー登録が必要です。詳細はリンク先でご確認ください。なお、定期的にパスワードは変更されます。また、セキュリティの観点から一定時間を経ると再度パスワード入力が必要になります。 << 戻る
人物

迦毘摩羅(かぴもら)

2世紀頃のインドの仏教僧。インド・マガダ国のパータリプトラ(華氏城)に生まれました。馬鳴に就いて嗣法。弟子には那伽閼刺樹那(龍樹/ナーガールジュナ)がいる。バラモンの家系に生まれ、当初は仏教を非難していましたが、馬鳴に論破され、3000人の弟子と共に仏教に帰依しました。生誕 命日 << 戻る
人物

アジャータシャトル(阿闍世)

アジャータシャトル、クーニカ・アジャータシャトル Kunika Ajātashatru、阿闍世(あじゃせ)、未生怨(みしょうおん)古い時代の仏典には「ヴィデーハ国王の女(むすめ)の子」という表現もあります。つまり、ヴィデーハ国から来た妃の子をこのように表現するのは、古代インドの習慣から来るもので、母系家族制の影響だと考えられています。アジャータシャトルは古代インドに栄えたマガダ国(現在のビハール州辺り)の王。父王ビンビサーラを殺害して王位を得た。しかし、アジャータシャトル自身も息子によって殺害されたと伝えられている。父王ビンビサーラを殺害したが改心しブッダに帰依するようになっていたため、ブッダ...
人物

ビンビサーラ(頻婆娑羅)

ビンビサーラ Bimbisara、頻婆娑羅(びんばしゃら)ビンビサーラは古代インドに栄えたマガダ国(現在のビハール州辺り)の王。マガダ国の勢力を大きく拡大した。ブッダの教えを聞き帰依したため、仏典にも登場する。ブッダより5歳年少であったという。15歳にして父王ボーディサの跡を継いでマガダ王となる。・「目ざめた人(ブッダ)はマガダ国の首都・山に囲まれた王舎城に行った。すぐれた相好にみちた目ざめた人は托鉢のためにそこへ赴いたのである。マガダ王ビンビサーラは高殿の上に進み出て、彼を見た。すぐれた相好にみちた目ざめた人を見て、侍臣にこのことを語った。」(スッタニパータ 408-409偈、この続きもあり...
人物

スブーティ(須菩提)

スブーティ(Subhuuti、सुभूति)、須菩提(しゅぼだい)ブッダの十大弟子の一人で「解空第一」といわれています。コーサラ国のシュラバスティー(舎衛城)の長者、スダッタ(須達多長者)の弟であるシュマナ(須摩那、鳩留と漢訳)の子でバラモンの家系、または商人といわれています。スブーティは、叔父のスダッタ長者による祇園精舎が完成して寄進した記念の日に、釈迦の説法を聞き深く感銘して出家し、ブッダの弟子となりました。スブーティは解空(げくう)第一と称されましたが、解空 とは、般若心経に出てくる「色即是空空即是色」の「空」、つまり、「物事に捕らわれない、執着しない」というブッダの教えに精通し、金剛般...
人物

マハーカッサパ(摩訶迦葉)

マハーカッサパ(Mahaakassapa、महाकस्सप)、摩訶迦葉 (まかかしょう)、大迦葉(だいかしょう)、迦葉(かしょう)ブッダの十大弟子の一人で「頭陀第一」といわれています。マガダ国の王舎城付近のマハーハーダラ(摩訶波羅陀)村のバラモンであるニグローダ・ゴーパ(尼拘律陀羯波)の子で、ピッパラ(菩提樹)の下で生まれたことから、幼名をピッパリといわれました。裕福なバラモンの家系の出身であると伝えられます。カッサパ(迦葉)という姓は、古代インドで一般的な名であったといわれ、仏弟子中には三迦葉という三人兄弟や十力迦葉という名前も登場しますが、このマハーカッサパ(摩訶迦葉)とは別人です。禅宗の...
人物

モッガラーナ(目犍連、目連)

モッガラーナ(moggallaana、मोग्गळान)、目犍連(もっけんれん)、目連(もくれん)、摩訶目犍連(まかもっけんれん)ブッダの十大弟子の一人で「神通第一」といわれています。マガダ国のラージャグリハ(王舎城)北、コーリカ(拘利迦)村のバラモンの裕福な家系に生まれ、幼名は産まれた村の名前にちなんでコーリタと名付けられました。容姿端麗で一切の学問に精通していたといわれます。幼い頃から隣村ナーラダのサーリプッタとは仲が良く、ある日、人々が祭りに興じて遊び戯れている姿を見て、無常を感じて出家を共に決意し合ったといわれます。モッガラーナとサーリプッタはマガダ国のラージャグリハの懐疑論者サンジャ...
人物

サーリプッタ(舎利子、舎利弗)

サーリプッタ(saariputta、सारिपुत्त)、シャーリプトラ、舎利子(しゃりし)、舎利弗(しゃりほつ)ブッダの十大弟子の一人で「智恵第一」といわれています。マガダ国のラージャグリハ(王舎城)北、ナーラダ(那羅陀、現在ナーランダ)村出身で裕福なバラモンの家に生まれました。幼名はウパティッサ(優波帝沙)と名付けられました。幼い頃から隣村コーリカのモッガラーナとは仲が良く、ある日、人々が祭りに興じて遊び戯れている姿を見て、無常を感じて出家を共に決意し合ったといわれます。サーリプッタとモッガラーナはマガダ国のラージャグリハの懐疑論者サンジャヤというバラモンに弟子入りしましたが満足せず、「も...
仏教を本気で学ぶ

第一結集(だいいちけつじゅう)- 七葉窟(ななようくつ)

(七葉窟/インド・ビハール州ラージギル)紀元前485年2月15日以降の出来事(インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ/ブッダ)がクシナガラで入滅(諸説あり。この年表では565年誕生説に基づいて出来事を記述しています。)した後、第一結集が王舎城(おうしゃじょう/ラージャグリハ)郊外の七葉窟において、マガダ国の王アジャータシャトル(父王ビンビサーラを殺害したが改心しお釈迦様に帰依するようになった)が主催者となり行われる。500人の比丘(500人の阿羅漢/五百羅漢)が集い、摩訶迦葉が座長となり、阿難と優波離が、それぞれ経(経典)と律(戒律)の編集責任者となる。「結集」のサンスクリット語(...
仏教を本気で学ぶ

マガダ国(摩訶陀国)

マガダ国とは、古代インドにおける十六大国の一つ。紀元前682年~紀元前185年。ナンダ朝のもとでガンジス川流域の諸王国を平定し、マウリヤ朝のもとでインド初の統一帝国を築いた。仏典には「摩訶陀国」と表記される。ブッダ(お釈迦様)が活動していた頃の首都は、ラージャグリハ(王舎城)で、この都には竹林精舎があり、そして、近くには霊鷲山がある。仏典にはビンビサーラ王やアジャータシャトル王が登場する。その後、ウダーイン王は首都をガンジス川沿いのパータリプッタ(華氏城)へ移転させ、後に全インドの中心都市として栄えることになる。現在のビハール州の州都パトナに当たる。ブッダ(お釈迦様)とマガダ国紀元前536年、...
仏教を本気で学ぶ

パータリプッタ(華氏城/パトナ/パータリプトラ)

パータリプッタとは、現在のビハール州の州都パトナに当たる場所で、古代インドにおける十六大国の一つマガダ国の首都で、ガンジス川沿いにあり、首都制定後に全インドの中心都市として栄えました。仏典には「華氏城」と表記されます。お釈迦様が活動していた頃の首都は、ラージャグリハ(王舎城)でしたが、ブッダ最後の旅【 第1章 】4、パータリ村にて等には「パータリ村」として紹介されている地域です。梵語(サンスクリット語) Pātaliputra パータリプトラ巴語(パーリ語) Pātaliputta パータリプッタ<< 戻る