「 平安時代 」 一覧

年表

寺院センターが情報収集した寺院など仏教年表をまとめています。宗派、出来事と時代のタグで分け、投稿日を出来事に合わせていますが、月日が分からない多くの場合で「1月1日」に設定しています。大正時代, 天台 ...

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平氏が北九州にのがれ、壇ノ浦で滅びる

1185年、平氏が北九州にのがれ、壇ノ浦で滅びる。源範頼、義経らに攻められる。 << 戻る

法然上人、平重衡に説戒

寿永3(1184)年2月7日、法然上人は平重衡に説戒する。 << 戻る

放光寺

元暦元年(1184)源平合戦で功績をたてた安田義定が一ノ谷の戦いの戦勝を記念して創立しています。義定は平家追討の功によって遠江国守に任命されて、のちに遠江国守護、禁裏守護など勤め鎌倉幕府創業に貢献して ...

蓮通寺

源平争乱の寿永三年(1184年)、征夷大将軍源義仲は粟津ヶ原で敗死し、その室山吹御前は子息義隆・義順を伴い、北近江浅井郡の山中で世の浮沈を窺って暮らしていたが、義仲を破った頼朝・義経の兄弟も世を去り、 ...

法然上人、ただ一日のみ聖教を見ず

寿永2(1183)年7月28日、木曽義仲の軍勢洛中に乱入の日、ただ一日のみ聖教を見なかった。 << 戻る

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木曽の源義仲が京都に入る

1183年、木曽の源義仲が平氏を攻めて京都に入る。 << 戻る

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「保元物語」「平治物語」ができる

1183年、このころ「保元物語」「平治物語」ができる。 << 戻る

福厳寺

今から約830年前の寿永元年(1182年)に、藤姓足利又太郎忠綱が父俊綱と母の菩提(死後の冥福)を供養する為に理真上人を勧請開山として開創されたと寺伝に記録されております。(リンク先より) ・福厳寺 ...

皆福寺

皆福寺は、松平地区最古の寺院であり、創建については、諸説あるが、1181年(養和元年)又は1247年(宝治元年)と伝承されている。当時は、酒呑村梅上(現在地から北へ500m程の地区)を所在地とし、天台 ...

親鸞聖人の得度

養和元(1181)年、9歳の春、伯父の日野範綱(ひののりつな)にともなわれて、京都青蓮院において、後の天台座主・慈円和尚(じえんかしょう)のもとで出家・得度し、範宴(はんねん)と名のりました。慈円和尚 ...

法然上人、東大寺大勧進職を辞退する

養和元(1181)年、東大寺大勧進職を辞退し、重源を推挙する。 << 戻る

大平山法台寺ホームページ

源頼朝存命の治承4(1180)年、勅許に依り「館」が建てられた。その館を「清浄殿」と名づけた。それが当寺の原型となった「廣澤の清浄殿」である。 執権職北條時宗の時、すなわち文永3(1266)年仲秋、宗 ...

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福原に遷都

1180年、福原に遷都。 << 戻る

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源頼朝が関東で兵をあげる

1180年、源頼朝が平氏を討つため、伊豆の豪族北条時政の力を借りて関東で兵をあげる。 << 戻る

西方寺

当山とうざんは清和源氏せいわげんじの遠祖えんそ左中将さちゅうじょう新田大炊介義重にったおおいのすけよししげ公こう(大光院殿方山西公大居士だいこういんでんぽうさんせいこうだいこじ)を祀まつって 公こうの ...

立教開宗(浄土宗)

承安5(1175)年の春、法然上人は宇治で『 観経疏 (かんぎょうしょ) 』『散善義』と出会い、称名往生に関する確信を得て専修念仏に帰す。比叡山の西塔黒谷を出て西山広谷に移り、しばらくして東山大谷に住 ...

親鸞聖人誕生

親鸞聖人は、承安3(1173)年4月1日、京都の日野、現在の法界寺・日野誕生院付近(京都市伏見区日野)で誕生しました。父は藤原氏の流れをくむ日野有範(ひのありのり)、母は清和源氏の流れをくむ吉光女(き ...

福應寺

草創は、寺伝によれば承安3年(1173)にさかのぼる。即ちこの地の地頭であった平野刑部が、相州鎌倉より当地の守護神として、鶴岡八幡宮を勧請したとき、その本地である阿弥陀如来を安置するために、別当寺とし ...

威徳寺

1172年(承安2年)首城山 威徳寺 創建。真言宗、高野山、清浄心院、の末寺として創建されたと伝えられています。開基は招恵上人。 所在は確定されませんが、頸城地方であったと思われます。山号の「首城(し ...

平等寺

承安元年(一一七一)には、高倉天皇により「平等寺」と命名され、勅額を贈られました。(リンク先より) ・平等寺 💡あなたにおすすめのページ💡お坊さんが戒名や故人名を読み、 ...

金剛寺

開山は承安年間(1171~1175)赤城山大通庵に創建し、山号を霊松山、院号を歓喜院と号した。 次いで寺山と呼ばれる地に移り、慶長、元和の頃(1596~1624)第4世円義上人の代になり、現在地に建立 ...

増全寺

開山は因公学円上人で、嘉応元年7月15日寂(1169)、開基は鎌倉末期の領主・海老名源八衛広綱とされ、法名の無量院殿龍池増全大居士から山院寺号が付けられ、龍池山無量院増全寺と号す。 開山当時は密教系寺 ...

芳蘚寺

天台宗としての開創は平清盛が太政大臣(ダジョウダイジン)に就任して、その3年目の嘉応元年(1169)である。(リンク先より) ・芳蘚寺 💡あなたにおすすめのページὊ ...

栄西禅師南宋に留学

比叡山を下りた後、仁安3(1168)年4月、南宋に留学し、天台山万年寺などを訪れ、9月に帰国し『天台章疎』60巻を将来しました。 << 戻る

慈光寺

過去数度の火災や戦乱により、当山の歴史を証明する資料を失っておりますが、次のような縁起・由来が今に伝わっております。 当山は仁安3年(1168)に、もともとは天台宗として開山します。その後、時宗の二祖 ...

中国の五山 ~五山制度と臨済宗~

鎌倉時代後期、幕府の実権を握っていた北条氏は、中国の南宋にならい五山制度を導入しました。鎌倉の主な禅寺を五山と呼ぶようになり、鎌倉幕府滅亡後の室町時代初期には鎌倉・京都それぞれに五山が定められ、それに ...

法界寺

小松の内府と称された内大臣、平 重盛が、諸国に小松寺を建立し始めた、一一六七年、龍真法印鎮華院が開祖となり、真言宗新義派に属する小松寺を小寺に建てました。 安元元年三月、法然上人(源空)が京都・吉水に ...

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平清盛が太政大臣になる

1167年、平清盛が武士で最初の太政大臣になる。→日宋貿易 << 戻る

聖代寺

僧西行(俗名 佐藤義清)は、その晩年かつて思いをはせた旧主家徳大寺家の姫君の忘形見、崇徳上皇の菩提を弔うため当地に一宇を建立されました。(崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃州に配流され1164年におかくれに ...

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平治の乱

1159年、平治の乱。平清盛と源義朝の争い。清盛は義朝を討ち、その子頼朝を伊豆に流す。 << 戻る

常圓寺

保元2年(1157)照證法印成善阿闍梨(俗称は那須太郎資隆の弟、那須次郎資房)が片平字竹ノ内に再興。 文治4年(1189)片平城主八郎義隆(那須与一宗隆の兄)が亡父資隆(法号佛光洞照)の法要を営む。 ...



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