仏教を本気で学ぶ

灌仏会(かんぶつえ/花まつり・花祭・釈尊降誕会)

4月8日は灌仏会です。釈尊、お釈迦様、ブッダ、色んな呼び名で呼ばれることがありますが、一番初め、生まれた時につけられた名前はシッダッタといいます。シッダッタが生まれたのは現在、ネパールという国のルンビニという場所です。全てはそこからはじまったわけです。仏教の開祖・釈尊の生まれた日には、寺院などでは法要をしたり、地域の人を集めて花祭りをしたりします。また、地方によってはひと月遅れの5月8日に花祭りが行われる場合があります。また、上座部仏教圏(南伝仏教)ではヴァイシャーカ月(4月中旬~5月中旬/「第2の月」)の満月にお釈迦様が生まれた日と伝えられていて、その日をブッダプールニマーといいます。<< ...
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仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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達磨忌(だるまき)

達磨忌とは、菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)の命日が10月5日であることから、特に禅宗の臨済宗や曹洞宗、黄檗宗では達磨大師の遺徳をしのぶ法要や坐禅会が行われます。年代は伝承に矛盾する点が多く、はっきりしないのですが、6世紀頃、達磨大師は洛陽の西にある熊耳山で10月5日に論敵の毒殺によって亡くなられたといわれています。<< 戻る
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開眼法要(魂入れ法要・お性根入れ)

開眼法要(かいげんほうよう)とは、仏壇の中に安置するご本尊や位牌、法名軸、または、墓石に魂を入れる儀式であり、魂入れ(たましいいれ/たまいれ)、お性根入れ(おしょうねいれ)、入魂式(にゅうこんしき)、など呼び方は様々です。また、お寺により作法もお布施、諸費用についても様々です。いわゆる「仏作って魂入れず」の状態であるのを礼拝の対象にするための儀式です。また、親族だけでなく、第三者であるお坊さんを介することで、公私ともに認められることになります。法要依頼<< 戻る
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閉眼供養(魂抜き、お性根抜き、抜魂供養)

閉眼供養(へいげんくよう)とは、仏壇の中に安置されていたご本尊や位牌、法名軸、または、墓石に宿った魂を抜くための供養です。魂抜き(たまぬき)、お性根抜き(おしょうねぬき)、抜魂供養(ばっこんくよう)、など呼び方は様々です。また、お寺により作法もお布施、諸費用についても様々です。いわゆる「礼拝の対象」にある状態を何らかの理由で動かすための儀式です。また、親族だけでなく、第三者であるお坊さんを介することで、公私ともに認められることになります。法要依頼🪷 メンバー登録後、各種法要を受け付けています。<< 戻る
人物

TARAKO(たらこ)

TARAKOは、声優、ナレーター、女優、タレント、シンガーソングライター、脚本家、エッセイストとして活躍しました。1990年から放送されたTVアニメ『ちびまる子ちゃん』で主人公・まる子役を担当し、同作が国民的な大人気作になったことで独特な名前と声のTARAKOも知名度を上げました。生誕 1960年〈昭和35年〉12月17日命日 2024年〈令和6年〉3月4日<< 戻る
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代付(だいふ)

代付とは、師の弟子に法を嗣ぐべき者がいない場合、師家とは別系統の大悟した僧が代わりに、その法を預かり、法を嗣げる同系統の者を見い出して、その師家に代わって法を付属させること。<< 戻る
人物

谷村新司(たにむらしんじ)

フォークグループ「アリス」として、「冬の稲妻」「チャンピオン」等数々のヒット曲を出し、ソロ・アーティストとしても「昴」「いい日旅立ち」「サライ」など数々のヒット曲で知られ長年、歌謡界をけん引してきたシンガーソングライター、タレント、作詞家、作曲家、大学教授。アリスのリーダー。大阪府大阪市住之江区の出身。生誕 1948年(昭和23年)12月11日命日 2023年(令和5年)10月8日戒名(法号) 天昴院音薫法楽日新居士(てんぽういんおんくんほうらくにっしんこじ)戒名の由来については、「日本語の精神文化を大事に歌詞を紡いできた谷村でしたが代表曲でもある『昴ーすばるー』は沢山の方々とのご縁の道を継い...
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『法句経』ダンマパダ – ブッダ 真理の言葉

かの尊師・真人・正しく覚った人に敬礼したてまつる。【 第1章 ひと組みずつ 】1 物事は心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように。2 物事は心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。3 「彼は、我を罵った。彼は、我を害した。彼は、我に打ち勝った。彼は、我から強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついにやむことがない。4 「彼は、我を罵った。彼は、我を害した...
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帝釈天(たいしゃくてん)

帝釈天とは、バラモン教、ヒンドゥーの神であるインドラが仏教に取り込まれて、梵天(ぼんてん)と並ぶ天部の二大護法善神とされました。 武器である金剛杵(こんごうしょ)を手に持ち雷を操ります。インドラの正式名をサンスクリット語でシャックロー・デーヴァーナーン・インドラハ(「神々の帝王であるシャクラ」の意)のうち、「インドラ」を「帝」と意訳し、「シャックロー」を「釈」と音訳し、後部に「天」を加えて「帝釈天」としています。釋提桓因(しゃくだいかんいん/シャクラ)とも記述されます。須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住み、四天王などを配下として仏教世界を護っています。頭上に宝髻(ほうけい)を結び、大衣や天衣...
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荼毘(だび)- 火葬

荼毘とは、現代日本では一般的な葬法である火葬のことです。また、火葬することを「荼毘に付す」といいます。その語源とされるのは、梵語でディヤーパヤティ、巴語ではジャーペーティで、「燃やす」という意味があり、その音訳だと考えられます。お釈迦様(ブッダ)がクシナガラで入滅し、荼毘に付された場所には荼毘塚(ラーマバール塚)があります。その際の仏舎利は分けられ、各地に仏塔が建てられるようになりました。日本では『続日本紀』によると、700年に道昭が荼毘に付されたのが最初といい、天皇では703年に荼毘に付された持統天皇が最初だということです。(ラーマバール塚・荼毘塚・クシナガラ)<< 戻る
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旦那(だんな・檀那)

旦那とは、もともと仏教の言葉です。古代インドの言葉であるサンスクリット語の「ダーナ」の音写で、檀那とも書かれます。檀家という言葉も、布施という言葉も、ダーナから生まれました。意味は、与えること、贈ることです。妻が夫のことを呼ぶ時に、古くは商家の主人のことを呼ぶ時に、「旦那」という言葉を使うことが多いようです。また、「若旦那」という言葉も時代劇にはよく出てきますし、お祭りを経済的に支えたり、街や村を経済的に支えたり、料亭などのお店をひいきにしてくれる客を「旦那衆」と呼んでいました。<< 戻る
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大丈夫(だいじょうぶ)

普段何気なく使う「大丈夫」は、もともとは仏教で使われていた言葉です。大丈夫とは、インドの古い言葉(サンスクリット語)で、マハー・プルシャと言いました。マハーは「偉大な」、プルシャは「人間」「男性」という意味です。偉大な人間、偉大な男性のことをいうことから、仏や菩薩のことを指すようになったといわれます。菩薩とは、人々を救う為に、悟りを得ようとしている修行者のことで、観音菩薩や地蔵菩薩など信仰の対象でもあります。仏典に出てくる例としては、『北本涅槃経』巻三十三には仏の異名を列ねて、「亦は大丈夫と名付く」とあり、『大無量寿経』の異訳である『無量寿如来会』には仏の働きを讃じて、「世尊今日大寂定に入りて...
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退屈(たいくつ)

退屈という言葉は日常で使われますが、もとは仏教に関係する言葉でした。「仏道修行の厳しさに屈し、退いてしまうこと」からできた言葉です。現代、退屈の意味はどうでしょうか?「やることがなくて暇なこと」といった意味で使われているのではないでしょうか。その他にも、「難しい話が続いて頭に入らないとき」にも退屈は使われます。どちらかというと、後者の方がもともとの「仏道修行の厳しさに屈し、退いてしまうこと」に近いようです。<< 戻る
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檀家(だんか)

檀家とは、ある特定のお寺に所属している家のことです。これは、江戸時代に、どの家も仏教のいずれかの宗派に所属させ、お寺の檀家とした制度(檀家制度・寺請制度)です。幕府がキリスト教禁止をねらいとして宗門改(しゅうもんあらため)を行ったことから確立したものです。お寺にその檀家の家族全員について、出生地・生年月日をとどけさせ、婚姻・旅行・就職・移住などに際しては、キリシタン信徒ではなく、寺の檀家であるという証明書を出させました。現代では、主に檀家の葬祭供養を行う関係となっています。お寺によって檀家との関係性は違いますが、新たに檀家になるには基本的に従来の檀家の了解がいる場合が多くあります。また、お寺を...
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餓鬼幡(がきばた)- 施餓鬼幡、棚幡

餓鬼幡とは、寺院などで行われる施餓鬼会(せがきえ)や施食会(せじきえ)、一般的にいう「おせがき」供養で使われる「緑・黄・赤・白・紫」の五色の幡(はた)です。施餓鬼幡(せがきばた)とも呼ばれ、施餓鬼棚(せがきだな)に飾られることから棚幡(たなばた)ともいいます。棚幡と同じ音である「七夕」(たなばた)の歌には「五色の短冊~♪」と出てきますが、願い事を書いた短冊は何に付けますか?そうです、笹ですね。餓鬼幡も施餓鬼棚の四隅に立てられた笹にくくり付けられます。現在は異なる行事として行っていますが、その様式は同じ起源を持つと考えられています。(施餓鬼棚の竹と餓鬼幡)餓鬼幡は宗派によって施餓鬼会の行い方が異...
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弾指(だんし)

仏教で指を弾く動作のことを弾指といいます。曲げた人差し指を親指と中指の間に挟み弾くとパチッと音を出す動作のことです。合図などで使われることが多く、許諾、歓喜、警告、入室の合図などを表しています。法要中に使われることもあります。また、トイレに入る時や排泄後などの不浄を払う意味で行う場合があります。これが後に爪弾(つまはじ)きといわれ、嫌悪や排斥の気持ちを表すことになったといわれます。<< 戻る
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大師堂(だいしどう)

仏教寺院において大師号を贈られた僧侶の像や位牌を祀った堂のことを大師堂といいます。宗派によって、御影堂、開山堂などと呼ばれる場合があります。なかでも、弘法大師 空海上人を祀る堂を呼ぶ場合が真言宗系寺院に多くあるようです。いずれにしても同じ宗派であっても、伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。大師堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。例にあげた大師堂は、空海上人が住房としていた東寺境内西北部の「西院」と呼ばれる一画に建ち、入母屋造り、総檜皮葺きで、国宝に指定されています。(大師堂 東寺)<< 戻る
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毘沙門天(びしゃもんてん)/多聞天(たもんてん)

毘沙門天とは、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)といった眷属(けんぞく)を従えて北方を守護しています。妻は吉祥天女(きちじょうてんにょ)です。また、七福神や四天王として知られています。ヒンドゥでは、クベーラという財宝神でしたが、サンスクリット語でヴァイシュラヴァナという呼び名もあることから、音訳されて「毘沙門」となりました。そこに、神や天を表す「天」という字が加えられ、「毘沙門天」という名になったといわれています。ヴァイシュラヴァナ呼び名は、サンスクリット語で「よく聞く」という意味であることから、意訳されて「多聞天」になりました。日...
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大黒天(だいこくてん)

大黒天とは、ヒンドゥーの神であるシヴァ神の化身の一つ、マハーカーラ(偉大な暗黒の神)が仏教に取り入れられたものです。名前のしめす通り真黒で、もともとは怒った姿をしていました。仏教では、仏・法・僧の三宝を護持し、食物・財福を司る護法神(ごほうじん)となり、七福神にも加えられています。  大黒天には六種類あり、その一つにマカラ大黒があります。よく見かけるのがこの大黒天で、日本では「大黒」が「大国」に通ずるところから、大黒天は、大国主神(おおくにぬしのかみ)と同一視され、神話にあるように、大きな袋を背負って歩く姿となりました。頭には頭巾をかぶり、手には小槌、袋をかついで米俵の上に立っています。頭巾を...
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大日如来(だいにちにょらい)

大日如来について、このページでは主に造像さた仏像としての大日如来について書きます。もともとの梵名は「ヴァイローチャナ」または「マハーヴァイローチャナ」(諸説あり) といい、それを音写して「摩訶毘盧遮那如来(まかびるしゃなにょらい)」、「マハー」は「大きい」、「ヴァイローチャナ」は「太陽」の意味で、意訳して大日如来と呼ばれます。また、大光明遍照(だいこうみょうへんじょう)とも呼ばれることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。大日如来は、蓮華座に結跏趺坐し、頭に宝冠(ほうかん)、胸には瓔珞(ようらく)、 肩から手首までには臂釧(ひせん)、腕には腕釧(わんせん)をつけ、如来の中でも特別な王者の...
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檀那寺(だんなじ)

檀那寺とは、現代では先祖の位牌を預けたり、そこでお葬式や法事を依頼する自分のお寺のことを檀那寺と呼びます。所属する信徒は、檀家や檀徒などと呼ばれます。この「檀那」は梵語「ダーナ」の音訳で、お布施を意味します。檀那寺とは、お布施で成り立っているお寺のことをいうので、そのお布施を行う(財施)家のことを檀家といいます。お寺は仏法を説き先祖の供養を行う(法施)ので、お互いに、法施と財施のお布施を行う関係のことです。<< 戻る
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ダライ・ラマ

チベット仏教(ラマ教)において、政治的な立場もかねる、宗教的きな最高指導者です。ダライ・ラマとは「大海のような徳をもった高僧」の意味の称号です。観音菩薩の化身といわれ、代々前代のダライ・ラマの生まれ変かわりとされる子ども(転生活仏・てんせいかつぶつ)を探し、次のダライ・ラマが選ばれます。15世紀初はじめの高僧ゲドゥン・トゥプを初代として、1642年、第5代のダライ・ラマがチベットを統一して法王と国王をかね、ポタラ宮を造営しました。その後、第14代ダライ・ラマ(テンジン・ギャツォ)の1950年、中華人民共和国軍がチベットへ進駐しチベットを併合します。1959年3月のラサ暴動をきっかけにダライ・ラ...
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大仏様=天竺様(だいぶつよう=てんじくよう)

鎌倉時代に南宋(中国)からつたえられた仏教建築の一様式。天竺様は鎌倉時代初期に東大寺再建のため、南宋に行った経験のある大勧進俊乗坊重源(ちようげん)が取り入れた建築様式で、そのため大仏様(だいぶつよう)ともいいます。<< 戻る
人物

ダンミカ

ダンミカは『スッタニパータ【第2 小なる章】14、ダンミカ』に登場するお釈迦様の在俗信者です。上記の章でダンミカはお釈迦様の徳を称え、質問する様子が記されています。<< 戻る
人物

タールッカ・バラモン

タールッカ・バラモンは『スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ』内でお釈迦様の生きていた時代、コーサラ国のイッチャーナンガラ村に住んでいる著名なバラモンとして紹介されています。ヴェーダの語句と文法とに精通していました。バーラドヴァージャ青年は弟子です。<< 戻る
人物

牛飼いダニヤ

『スッタニパータ【第1 蛇の章】2、ダニヤ』に登場する。当時の牛飼いは一つの村に定住せず、雨期の4か月は高地に住み、その他の時期には草を追って遊牧する。ブッダの信者であるダニヤは雨期の始まる頃に、雨期を過ごす準備を済ませたため、「神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」と、このように言う。<< 戻る
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大須弥仏(だいしゅみぶつ)

大須弥仏とは、大いなる須弥山という意味の東方の現在仏です。梵語ではマハー・メールといいます。また、大須弥如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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大焔肩仏(だいえんけんぶつ)

大焔肩仏とは、大いなる炎のかたまりを持つ者という意味の南方、北方、上方の現在仏です。梵語では maharciskandha (マハー・ルチ・スカンダ)といいます。また、大焔肩如来、焔肩仏と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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大光仏(だいこうぶつ)

大光仏とは、大いなる光輝ある者という意味の西方の現在仏です。梵語では mahaprabha(マハー・プラバ)といいます。また、大光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。なお、『阿弥陀経』にこの大光仏に続いて大明仏がチベット訳と漢訳に列記されていますが、その他の原典には見られない為、別の仏である可能性もありますが、同じ意味を持ちそうなこの大光仏に合わせて記入しておきます。<< 戻る
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達摩仏(だつまぶつ)

達摩仏とは、法という意味の下方の現在仏です。梵語では dharma(ダルマ)といいます。また、達摩如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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法幢仏(ほうどうぶつ)

法幢仏とは、法の幢幡<はたぼこ>を持つ者という意味の下方の現在仏です。梵語では dharmadhvaja(ダルマ・ドバージャ)といいます。また、法幢如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る