仏教を本気で学ぶ

灌仏会(かんぶつえ/花まつり・花祭・釈尊降誕会)

4月8日は灌仏会です。釈尊、お釈迦様、ブッダ、色んな呼び名で呼ばれることがありますが、一番初め、生まれた時につけられた名前はシッダッタといいます。シッダッタが生まれたのは現在、ネパールという国のルンビニという場所です。全てはそこからはじまったわけです。仏教の開祖・釈尊の生まれた日には、寺院などでは法要をしたり、地域の人を集めて花祭りをしたりします。また、地方によってはひと月遅れの5月8日に花祭りが行われる場合があります。また、上座部仏教圏(南伝仏教)ではヴァイシャーカ月(4月中旬~5月中旬/「第2の月」)の満月にお釈迦様が生まれた日と伝えられていて、その日をブッダプールニマーといいます。<< ...
仏教を本気で学ぶ

戒名(かいみょう)- 一般家庭の戒名について/戒名授与依頼

戒名とは、仏門に入ることを望む人が師僧(しそう)より戒を受ける受戒(じゅかい)を行う際に付けられる名前です。また、師僧が仏門に入ることを望む人へ戒を授けることを授戒(じゅかい)といいます。一例として、五戒を授けるという形式的な説明を見ることもありますが、戒名を持つことで、その戒名の文字の中にその人の人格や生き方が表されると考えます。受戒した証として、戒名がつけられますが、日本にはもともと、生まれたときの幼名、大人になる時に名前を変える、仕事に就くとき、引退するときなど、人生の中で大きな変化がある時に名前を変える風習がありました。戒名も日本の風習に組み込まれて伝統的に必要とされてきました。目次・...
仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
仏教を本気で学ぶ

年回忌法要早見表(令和7年・西暦2025年)

年回忌法要早見表とは、その年の年回忌(法事)を一覧で表示するものです。年回忌は一般的に行われることが多いものを赤字で表示しています。それ以外の場合も祥月命日法要を行ったり、年回忌として行ったりする場合があります。年回忌法要早見表(令和7年・西暦2025年) ⇒ ご逝去年毎・年回忌表和暦没年 西暦没年 年回忌令和7年 2025年 (亡くなられた時が1回目の命日⇒中陰からの忌日表を確認する)令和6年 2024年 1周忌(2回目の命日)令和5年 2023年 3回忌(3回目の命日)令和4年 2022年 4令和3年 2021年 5令和2年 2020年 6令和元年/平成31年 2019年 7回忌平成30年...
仏教を本気で学ぶ

梵鐘(ぼんしょう)

梵鐘とは、仏教寺院において時を告げるために朝・昼・夕に打たれ、撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らされます。その梵鐘により音色は様々ですが、重く余韻のある響きが特徴で、一般には除夜の鐘で知られます。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

戒・定・慧の三学(さんがく)

三学(さんがく)とは、ブッダによって示された、修行者が必ず修めるべき3つの基本的な修行項目のことです。三勝学(さんしょうがく)ともいわれます。戒学、定学、慧学の3つを指して三学といいます。この戒、定、慧のそれぞれを次で見ていきましょう。戒学(かいがく)戒により、悪をとどめ善を修めることで、身・口・意(しん・く・い)の三業(さんごう)が清らかになり、禅定に入りやすくなる。定学(じょうがく)その禅定を修めることで、身心を静かに精神統一を行ない、雑念を払い思いが乱れないことで智慧が得られやすくなる。慧学(えがく)その智慧を修めることで、正しく真実の姿を見極めることが出来るようになる。この戒・定・慧の...
仏教を本気で学ぶ

開眼法要(魂入れ法要・お性根入れ)

開眼法要(かいげんほうよう)とは、仏壇の中に安置するご本尊や位牌、法名軸、または、墓石に魂を入れる儀式であり、魂入れ(たましいいれ/たまいれ)、お性根入れ(おしょうねいれ)、入魂式(にゅうこんしき)、など呼び方は様々です。また、お寺により作法もお布施、諸費用についても様々です。いわゆる「仏作って魂入れず」の状態であるのを礼拝の対象にするための儀式です。また、親族だけでなく、第三者であるお坊さんを介することで、公私ともに認められることになります。法要依頼<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

生前戒名(せいぜんかいみょう)/戒名、法名の授与依頼

戒名依頼1名1万円その他、生前戒名についての詳細はこのページ内容をご確認ください。戒名は本来「生前に授かるもの」だということを前提として話をしていきます。戒名と聞くと「亡くなられた後」お寺から貰う名前と思われている方が多いのではないでしょうか。ですから、ここではあえて生前戒名と呼びますが、生きているうちにいただく戒名のことです。また、遺族に心配をかけないようにと依頼したいという方も多いようです。・例(戒名)→○○○○信士・信女、○○○○居士・大姉、○○院○○○○居士・大姉、「○○○○」に俗名を入れ位号(居士など)を付ける形式等。・例(法名)→釋○○、釋尼○○、○○院釋○○・例(俗名)俗名のまま...
人物

KAN(かん)

KAN一はシンガーソングライター。本名は木村和(きむらかん)。1990年(平成2年)夏、5thアルバム『野球選手が夢だった。』の収録曲「愛は勝つ」が、1991年に大ヒットを遂げる。シングルは200万枚を超えるセールスとなり、オリコンチャートイン52週のロングヒットを記録するなど、90年代を代表する曲となった。同年末の第33回日本レコード大賞(ポップス・ロック部門大賞)を受賞。また、第42回NHK紅白歌合戦にも出場。モーツァルト没後200周年の年であったこともあり、モーツァルトを連想させるかつら&扮装で熱唱)。生誕 1962年〈昭和37年〉9月24日命日 2023年〈令和5年〉11月12日<< ...
仏教を本気で学ぶ

伽藍(がらん)

伽藍とは、僧侶が集まり修行する場所を意味していたものが、僧侶が集まり住む建物群を意味するようになりました。梵語のサンガラーマの音写である僧伽藍摩(そうぎゃらんま)、僧伽藍(そうぎゃらん)の略語です。その建物群の中でも主要なものを七堂伽藍(しちどうがらん)と呼ぶ場合があります。高野山の壇上伽藍という呼ばれ方もあります。時代や国、地域、宗派によって伽藍配置は様々で、寺院遺跡の発掘においては、伽藍配置からその移り変わりが研究されています。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

乾陀訶提菩薩(けんだかだいぼさつ)

乾陀訶提菩薩とは、発情期の象を意味する Gandhahastin(ガンダハスティン)の音写です。その時期の象はこめかみから芳香を放ち異性を引き付けます。その妙なる香りと偉大な力を象徴した菩薩で、意訳して香象菩薩とも呼ばれます。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

火葬許可証(かそうきょかしょう)

火葬許可証とは、遺体を火葬する際に必ず必要な書類で、これがないと火葬することは出来ません。死亡届、死亡診断書を自治体に提出すると発行されます。なお、これらの手続き方法は自治体によって異なることがあるので、最終的には最寄りの自治体の仕組みを確認する必要があります。また、火葬許可証などを紛失してしまうと再発行が有料になります。・死亡届、死亡診断書 死亡が確認されたあと、医師に作成してもらう。  ↓ 故人の住所地の自治体に提出・火葬許可証 死亡届、死亡診断書を自治体に提出すると発行される。  ↓ 火葬の手続きが行える・埋葬許可証 火葬が済んだことが記されると埋葬許可証になる。  ↓ 遺骨を埋葬・納骨...
仏教を本気で学ぶ

十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

十一面観音菩薩は、十一面観音、十一面観世音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、エーカダシャ・ムカ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、本体の顔以外に10または11の顔を持つ菩薩です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。右手は垂下し、左手は蓮華を生けた花瓶を持っている姿が多いようです。六観音の1つでも表されています。多くの顔をもつ多面の十一面観音菩薩は、頭上の11面のうち、最上部の仏面は仏果を表し、衆生の無明煩悩...
仏教を本気で学ぶ

合掌(がっしょう)

合掌とは、インド起源の礼拝の仕草で梵語では「アンジャリ」といいます。左右両方の手のひらを胸または顔の前で合わせて相手に敬意を示すときの仕草です。右手は仏を象徴し、清らかなものや知恵を表します。左手は自身を含めた衆生(しゅじょう)を象徴し、清らかなものを求める行動力を表します。両手を合わせることにより、どちらもあることでこの世界が成り立っていることや仏への帰依を示すとされます。インドでは現在も挨拶の際に合掌し「ナマステ」もしくは「ナマスカール」と言います。「南無阿弥陀仏」や「南無釈迦牟尼仏」と唱える「南無」は「ナマステ」と同じ語源なのも面白いところです。「南無」は敬意を示す言葉なのです。日本では...
仏教を本気で学ぶ

餓鬼(がき)

餓鬼とは、三途・五趣(五道)・六趣(六道)の一つで、常に飢えと乾きに切迫され、食物や飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうことから、決して満たされることがない鬼神です。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。「死者の霊」を意味する梵語プレータの音訳を薜茘多(へいれいた)といい、仏教では六道の内の餓鬼道(餓鬼の世界)に生まれた者のことをいいます。また、インド神話においてブータという熱病をもたらす鬼には臭餓鬼(しゅうがき)という訳名があります。「施餓鬼会」「餓鬼大将」「悪餓鬼」<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

餓鬼幡(がきばた)- 施餓鬼幡、棚幡

餓鬼幡とは、寺院などで行われる施餓鬼会(せがきえ)や施食会(せじきえ)、一般的にいう「おせがき」供養で使われる「緑・黄・赤・白・紫」の五色の幡(はた)です。施餓鬼幡(せがきばた)とも呼ばれ、施餓鬼棚(せがきだな)に飾られることから棚幡(たなばた)ともいいます。棚幡と同じ音である「七夕」(たなばた)の歌には「五色の短冊~♪」と出てきますが、願い事を書いた短冊は何に付けますか?そうです、笹ですね。餓鬼幡も施餓鬼棚の四隅に立てられた笹にくくり付けられます。現在は異なる行事として行っていますが、その様式は同じ起源を持つと考えられています。(施餓鬼棚の竹と餓鬼幡)餓鬼幡は宗派によって施餓鬼会の行い方が異...
仏教を本気で学ぶ

改葬許可証(かいそうきょかしょう)

改葬許可証とは、お墓の引越し、改葬をする場合に必要になります。移転元の自治体に改葬許可申請書を提出して発行してもらいます。なお、これらの手続き方法は自治体によって異なることがあるので、最終的には最寄りの自治体の仕組みを確認する必要があります。また、改葬許可証などを紛失してしまうと再発行が有料になります。・死亡届、死亡診断書 死亡が確認されたあと、医師に作成してもらう。  ↓ 故人の住所地の自治体に提出・火葬許可証 死亡届、死亡診断書を自治体に提出すると発行される。  ↓ 火葬の手続きが行える・埋葬許可証 火葬が済んだことが記されると埋葬許可証になる。  ↓ 遺骨を埋葬・納骨する際に寺院や霊苑な...
仏教を本気で学ぶ

開山堂(かいさんどう)

仏教寺院において一宗の開祖・祖師や寺院の開山・開基の像や位牌を祀った堂のことを開山堂といいます。宗派によって、御影堂、祖堂、大師堂、法華堂などと呼ばれる場合があります。いずれにしても、同じ宗派であっても伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。開山堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。例にあげた東福寺(京都府京都市)の開山堂は、別名「常楽庵」といいます。正面柱間八間、禅式瓦敷を特徴として、祀堂に開山国師像を安置しています。(開山堂 東福寺)<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

迦楼羅(かるら)

迦楼羅とは、口から火を吹き、煩悩(三毒)の象徴と言われる龍(毒蛇)を常食とし、衆生の煩悩を喰らう霊鳥とされています。迦楼羅天(かるらてん)、迦楼羅王(かるらおう)、金翅鳥(こんじちょう)、妙翅鳥(みょうじちょう)、迦楼羅鳥などともいいます。八部衆の一つでもあります。インド神話の神鳥ガルダが仏教に取り入れられ、仏法守護の神となりました。鳥頭人身の二臂と四臂があり、龍や蛇を踏みつけている姿の像もあります。鳥頭人身有翼で、篳篥(ひちりき)や横笛を吹く姿もあります。密教では、迦楼羅を本尊とした修法で降魔、病除、延命、防蛇毒に効果があるとされます。また、雨乞い、止風雨の利益(りやく)があるとされます。不...
仏教を本気で学ぶ

乾闥婆(けんだつば)

乾闥婆とは、八部衆の一つ、また、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、香神、香音天、香陰など様々な訳名があります。インド神話においてはガンダルヴァといい、インドラ(帝釈天)に仕える半神半獣の奏楽神団でした。仏教に取り入れられてからも、大勢の神のいる宮殿の中で美しい音楽を奏でる責任者となりました。酒や肉を食べることなく、ただ香だけでその陰身を保っています。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。東方を守護する持国天の眷属です。・「自己に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。常に行ないをつつしみ、自己を整えている人、このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガン...
仏教を本気で学ぶ

千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)

千手観音菩薩は、十一面千手観音、千手千眼観音、十一面千手千眼観音、千手千臂観音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、サハスラブジャとは文字通り「千の手」の意味で、ヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥーの影響を受けて成立したと考えられています。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像、立像ともにあり、実際に千...
仏教を本気で学ぶ

観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)

観世音菩薩は、観音菩薩、観自在菩薩、観世自在菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、世間の出来事を自在に観察して、その苦悩から救済する菩薩です。観世音菩薩像は、如来像のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となるといい、その姿は六観音・三十三観音などに表されています。また、勢至菩薩と共に阿弥陀仏の脇侍でまつられることもあり、また、独尊としても信仰されています。姿の特徴としては、宝冠...
仏教を本気で学ぶ

漢讃(かんさん)

漢讃とは、仏教歌謡・声明の一種で、仏・菩薩の功徳や仏法をたたえ、祖師・先人の徳、経典・教義などに対して漢文(韻文)を使ってほめたたえる讃歌です。漢語讃。多くは梵讃の漢訳であることが多いようです。また、中国・朝鮮・日本などにおいて、漢文でつづった仏教の讃歌のことをいいます。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

勧請開山(かんじょうかいさん)

勧請(かんじょう)とは、仏、神や高僧に、お願いして来ていただくことです。開山(かいさん)とは、お寺を創建することですが、転じて創建したお寺の初代住職も指します。よって、勧請開山(かんじょうかいさん)とは、本来の創建者でない高僧をそのお寺の開山とすることです。行基、役行者などの勧請開山はかなりの数があるようです(当センター調べで現在確認できているお寺はリンク先で確認出来ます)。また、臨済宗や曹洞宗の禅宗では、創建者のお師匠さんに敬意を表して生前・死後に関わらず勧請開山とする事例が多くあります。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

ガンダーラ美術

ガンダーラ美術とは、1世紀後半から数世紀にわたって、パキスタンの北西地方からアフガニスタン東部におよぶ地域で行われていた仏教美術です。仏教寺院を荘厳にするため制作された一連の彫刻類に代表されます。この地は、アレクサンドロス大王の東征を受けていたので、ヘレニズム文化がのこっており、当時の仏教界では例をみなかった制作が、ギリシャ彫刻の影響のもとに行われました。以後、クシャナ朝のカニシカ王の仏教保護のもと、仏像崇拝が広く流行するようになり、各地で仏像がつくられるようになりました。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

交わり

初期仏教で言われるところの「交わり」とは、5種類ある。会うこと、声を聞くこと、身体で触れること、おしゃべり、享楽。・「交わりをしたならば愛情が生じる。愛情に従ってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生じることを観察して、サイの角のようにただ独り歩め。」(スッタニパータ 36偈)<< 戻る
人物

ニグローダ・カッパ

ニグローダ・カッパは『スッタニパータ【第2 小なる章】12、ヴァンギーサ』に登場するお釈迦様の弟子です。上記の章にはニグローダ・カッパに師事していたヴァンギーサ(婆耆舎)がお釈迦様に師について尋ねる事柄が記されています。<< 戻る
人物

学生カッパ

学生カッパは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】11、学生カッパの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

香上仏(こうじょうぶつ)

香上仏とは、最上の香りある者という意味の上方の現在仏です。梵語では gandhottama(ガンドゥーツタマ)といいます。また、香上如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

香光仏(こうこうぶつ)

香光仏とは、香りの光輝ある者という意味の上方の現在仏です。梵語では gandhaprabhasa(ガンダ・プラバーサ)といいます。また、香光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
人物

アーラーラ・カーラーマ(阿羅邏迦蘭)

アーラーラ・カーラーマは、古代インドの思想家で、お釈迦様が出家直後、悟りを得る前に師事した人物の1人です。アーラーラ・カーラーマのもとを訪れ「無所有処(ākiñcaññāyatanaṃ)」(空無辺処)の教えを聞くと、間もなくその境地を証得したので、アーラーラ・カーラーマはお釈迦様が自分と同じ境地を得たことを知ると、自分の弟子300人を共に率いていくことを要請しました。しかしお釈迦様はその境地は真の悟りを得る道ではないと覚り、アーラーラ・カーラーマのもとを去り、次にウッダカ・ラーマプッタのもとへ行きました。『ブッダ最後の旅【 第4章 】17、臨終の地を目指して - プックサとの邂逅』にはアーラー...
仏教を本気で学ぶ

開蓮忌(かいれんき)

開蓮忌は亡くなられた日から数えて3日目に行なわれる曹洞宗や臨済宗で行う法事のことです。葬儀・告別式と同じ日に初七日をする傾向にある現在では開蓮忌を省略する場合が多いです。地方によって違うのですが、昔の風習では死亡日に通夜、翌日に葬儀・埋葬、三日目に法事(開蓮忌)をしたことから三日法事とも言われ、亡くなられた方を重ねて供養します。開蓮忌の起源は「釈氏要覧(しゃくしようらん)」に見ることができ、中国・北斎にて国王の家臣をしていた人物が自分の死に際、妻に自分の死後、雇人と馬を殉死させるように言い残して亡くなりました。ところが、殉死したはずの雇人の一人が生き返ったというのです。雇人の話では、亡き家臣は...