【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」面授(めんじゅ)

投稿日:1243年10月20日 更新日:

爾時釈迦牟尼仏、西天竺国霊山会上、百万衆中、拈優曇花瞬目。於時摩訶迦葉尊者、破顔微笑。(爾の時に釈迦牟尼仏、西天竺国霊山会上、百万衆の中にして、優曇花を拈じて瞬目したまふ。時に摩訶迦葉尊者、破顔微笑せり)。

釈迦牟尼仏言、吾有正法眼蔵涅槃妙心、附囑摩訶迦葉(釈迦牟尼仏言はく、吾有の正法眼蔵涅槃妙心、摩訶迦葉に附囑す)。

これすなはち、仏々祖々、面授正法眼蔵の道理なり。七仏の正伝して迦葉尊者にいたる、迦葉尊者より二十八授して菩提達磨尊者にいたる、菩提達磨尊者、みづから震旦国に降儀して、正宗太祖普覚大師慧可尊者に面授す。五伝して曹渓山大鑑慧能大師にいたる。一十七授して先師大宋国慶元府太白名山天童古仏にいたる。

大宋宝慶元年乙酉五月一日、道元はじめて先師天童古仏を妙高台に焼香礼拝す。先師古仏はじめて道元をみる。その時、道元に指授面授するにいはく、

仏々祖々、面授の法門現成せり。これすなはち霊山の拈花なり、嵩山の得髓なり。黄梅の伝衣なり、洞山の面授なり。これは仏祖の眼蔵面授なり。吾屋裡のみあり、余人は夢也未見聞在なり。

この面授の道理は、釈迦牟尼仏まのあたり迦葉仏の会下にして面授し護持しきたれるがゆゑに、仏祖面なり。仏面より面授せざれば諸仏にあらざるなり。釈迦牟尼仏まのあたり迦葉尊者をみること親附なり。阿難羅睺羅といへども迦葉の親附におよばず、諸大菩薩といへども迦葉の親附におよばず、迦葉尊者の座に坐することえず。

世尊と迦葉と、同座し同衣しきたるを、一代の仏儀とせり。迦葉尊者したしく世尊の面授を面授せり。心授せり、身授せり、眼授せり。釈迦牟尼仏を供養恭敬、礼拝奉覲したてまつれり。その粉骨碎身、いく千万変といふことを知らず。自己の面目は面目にあらず、如来の面目を面授せり。

釈迦牟尼仏まさしく迦葉尊者をみまします。迦葉尊者まのあたり阿難尊者をみる。阿難尊者まのあたり迦葉尊者の仏面を礼拝す。これ面授なり。阿難尊者この面授を住持して、商那和修を接して面授す。商那和修尊者まさしく阿難尊者を奉覲するに、唯面与面、面授し面受す。

かくのごとく代々嫡々の祖師、ともに弟子は師にみえ、師は弟子をみるによりて面授しきたれり。一祖一師一弟としても、あひ面授せざるは仏々祖々にあらず。たとへば、水を朝宗せしめて宗派を長ぜしめ、燈を続して光明つねならしむるに、億千万法するにも、本枝一如なるなり。また啐啄の迅機なるなり。

しかあればすなはち、まのあたり釈迦牟尼仏をまぼりたてまつりて一期の日夜をつめり。仏面に照臨せられたてまつりて一代の日夜をつめり。これいく無量を往来せりと知らず。しづかにおもひやりて隨喜すべきなり。

釈迦牟尼仏の仏面を礼拝したてまつり、釈迦牟尼仏の仏眼を我がまなこにうつしたてまつり、我がまなこを仏眼にうつしたてまつりし仏眼睛なり、仏面目なり。これをあひつたへていまにいたるまで、一世も間断せず面授しきたれるはこの面授なり。而今の数十代の嫡々は、面々なる仏面なり。本初の仏面に面受なり。この正伝面授を礼拝する、まさしく七仏釈迦牟尼仏を礼拝したてまつるなり。迦葉尊者等の二十八仏祖を礼拝供養したてまつるなり。

仏祖の面目眼睛かくのごとし。この仏祖にまみゆるは、釈迦牟尼仏等の七仏にみえたてまつるなり。仏祖したしく自己を面授する正当恁麼時なり。面授仏の面授仏に面授するなり。葛藤をもて葛藤に面授してさらに断絶せず。

眼を開して眼に眼授し、眼受す。面をあらはして面に面授し、面受す。面授は面処の受授なり。心を拈じて心に心授し、心受す。身を現じて身を身授するなり。他方他国もこれを本祖とせり。震旦国以東、ただこの仏祖正伝の屋裏のみ面授面受あり。あらたに如来をみたてまつる正眼をあひつたへきたれり。

釈迦牟尼仏面を礼拝するとき、五十一世ならびに七仏祖宗、ならべるにあらず、つらなるにあらざれども、倶時の面授あり。一世も師をみざれば弟子にあらず、弟子をみざれば師にあらず。さだまりてあひみ、あひみえて、面授しきたれり。嗣法しきたれるは、祖宗の面授処道現成なり。このゆゑに、如来の面光を直拈しきたれるなり。

しかあればすなはち、千年万年、百といへども、この面授これ釈迦牟尼仏の面現成授なり。この仏祖現成せるには、世尊、迦葉、五十一世、七代祖宗の影現成なり、光現成なり。身現成なり、心現成なり。尖脚来なり、尖鼻来なり。一言いまだ領覽せず、半句いまだ不会せずといふとも、師すでに裏頭より弟子をみ、弟子すでに頂より師を拝しきたれるは、正伝の面授なり。

かくのごとくの面授を尊重すべきなり。わづかに心跡を心田にあらはせるがごとくならん、かならずしも太尊貴生なるべからず。換面に面授し、回頭に面授あらんは、面皮厚三寸なるべし、面皮薄一丈なるべし。すなはちの面皮、それ諸仏大円鏡なるべし。大円鑑を面皮とせるがゆゑに、内外無瑕翳なり。大円鑑の大円鑑を面授しきたれるなり。

まのあたり釈迦牟尼仏をみたてまつる正法を正伝しきたれるは、釈迦牟尼仏よりも親曽なり。眼尖より前後三々の釈迦牟尼仏を見出現せしむるなり。かるがゆゑに、釈迦牟尼仏をおもくしたてまつり、釈迦牟尼仏を恋慕したてまつらんは、この面授正伝をおもくし尊崇し、難値難遇の敬重礼拝すべし。すなはち如来を礼拝したてまつるなり。如来に面授せられたてまつるなり。あらたに面授如来の正伝参学の宛然なるを拝見するは、自己なりとおもひきたりつる自己なりとも、他己なりとも、愛惜すべきなり、護持すべきなり。

屋裏に正伝しいはく、八塔を礼拝するものは罪障解脱し、道果感得す。これ釈迦牟尼仏の道現成処を生処に建立し、転法輪処に建立し、成道処に建立し、涅槃処に建立し、曲女城辺にのこり、菴羅衛林にのこれる、大地を成じ、大空を成ぜり。乃至声香味触法色処等に塔成せるを礼拝するによりて、道果現感す。

この八塔を礼拝するを、西天竺国のあまねき勤修として、在家出家、天衆人衆、きほうて礼拝供養するなり。これすなはち一巻の経典なり。仏経はかくのごとし。いはんやまた、三十七品の法を修行して、道果を箇々生々に成就するは、釈迦牟尼仏の亙古亙今の修行修治の蹤跡を、処々の古路に流布せしめて、古今に歴然せるがゆゑに成道す。

しるべし、かの八塔の層々なる、霜華いくばくかあらたまる。風雨しばしばをかさんとすれど、空にあとせり、色にあとせるその功徳を、いまの人にをしまざること減少せず。かの根力覚道、いま修行せんとするに、煩悩あり、惑障ありといへども、修証するに、そのちからなほいまあらたなり。

釈迦牟尼仏功徳、それかくのごとし。いはんやいまの面授は、彼らに比準すべからず。かの三十七品菩提分法は、かの仏面仏心、仏身仏道、仏光仏舌等を根元とせり。かの八塔の功徳聚、また仏面等を本基とせり。いま学仏法の漢として、透脱の活路に行履せんに、氐静の昼夜、つらつら思量功夫すべし、歓喜隨喜すべきなり。

いはゆる我がくには他国よりもすぐれ、我が道はひとり無上なり。他方には我らがごとくならざるともがらおほかり。我がくに、我が道の無上独尊なるといふは、霊山の衆会、あまねく十方に化導すといへども、少林の正嫡まさしく震旦の教主なり。曹渓の児孫、いまに面授せり。このとき、これ仏法あらたに入泥入水の好時節なり。

このとき証果せずは、いづれのときか証果せん。このとき断惑せずは、いづれのときか断惑せん。このとき作仏ならざらんは、いづれのときか作仏ならん。このとき坐仏ならざらんは、いづれのときか行仏ならん。審細の功夫なるべし。

釈迦牟尼仏かたじけなく迦葉尊者に附囑面授するにいはく、吾有正法眼蔵、附囑摩訶迦葉とあり。
嵩山会上には、菩提達磨尊者まさしく二祖にしめしていはく、汝得吾髓。

はかりしりぬ、正法眼蔵を面授し、汝得吾髓の面授なるは、ただこの面授のみなり。この正当恁麼時、なんぢがひごろの骨髓を透脱するとき、仏祖面授あり。大悟を面授し、心印を面授するも、一隅の特地なり。伝尽にあらずといへども、いまだ欠悟の道理を参究せず。

おほよそ仏祖大道は、唯面授面受、受面授面のみなり。さらに剩法あらず、虧闕あらず。この面授のあふにあへる自己の面目をも、隨喜歓喜、信受奉行すべきなり。
道元、大宋宝慶元年乙酉五月一日、はじめて先師天童古仏を礼拝面授す。やや堂奥を聴許せらる。わづかに身心を脱落するに、面授を保任することありて、日本国に本来せり。

正法眼蔵第五十一

爾時寛元元年癸卯十月二十日在越宇吉田県吉峰精舎示衆

仏道の面授かくのごとくなる道理をかつて見聞せず、参学なきともがらあるなかに、大宋国仁宗皇帝の御宇、景祐年中に薦福寺の承古禅師といふものあり。

上堂云、雲門匡真大師、如今現在、諸人還見麼。若也見得、便是山僧同参。見麼見麼。此事直須諦当始得、不可自謾(雲門匡真大師、如今現在せり、諸人還た見麼。若し也た見得ならば便ち是れ山僧と同参ならん。見麼、見麼。此の事直に須らく諦当にして始得ならん、自ら謾ずべからず)。

且如往古黄檗、聞百丈和尚挙馬大師下喝因縁、他因大省(且く往古の黄檗の如き、百丈和尚の馬大師下喝の因縁を挙するを聞いて、他因みに大省せり)。
百丈問、子向後莫嗣大師否(子向後大師に嗣すること莫しや否や)。
黄檗云、某雖識大師、要且不見大師。若承嗣大師、恐喪我児孫(某大師を識ると雖も、要且不見大師。若し大師に承嗣せば、恐らくは我が児孫を喪せん)。

大衆、当時馬大師遷化、未得五年。黄檗自言不見、当知、黄檗見所不円。要且祗具一隻眼。山僧即不然、識得雲門大師、亦見得雲門大師。方可雲門承嗣大師。祗如雲門、入滅已得一百余年。如今作麼生説箇親見底道理。会麼。通人達士、方可証明。眇劣之徒、心生疑謗、見得不在言之、未見者、如今看取不。請久立珍重

大衆、当時馬大師遷化して未得五年なり。黄檗自ら不見と言ふ。当に知るべし、黄檗の見所不円なり。要且祗一隻眼を具せり。山僧は即ち然らず。雲門大師を識得し、亦雲門大師を見得せり。方に雲門大師を承嗣すべし。祗雲門の如きは、入滅して已得一百余年なり。如今作麼生か箇の親見底の道理を説かん。会麼。通人達士にして方に証明すべし。眇劣の徒らは心に疑謗を生ず。見得は之を言ふこと在らず。未見の者、如今看取すや不や。請すらくは久立珍重)。

いまなんぢ雲門大師をしり、雲門大師をみることをたとひゆるすとも、雲門大師まのあたりなんぢをみるやいまだしや。雲門大師なんぢをみずは、なんぢ承嗣雲門大師不得ならん。雲門大師いまだなんぢをゆるさざるがゆゑに、なんぢもまた雲門大師我をみるといはず。しりぬ、なんぢ雲門大師といまだ相見せざりといふことを。

七仏諸仏の過去現在未来に、いづれの仏祖か師資相見せざるに嗣法せる。なんぢ黄檗を見処不円といふことなかれ。なんぢいかでか黄檗の行履をはからん。黄檗の言句をはからん。

黄檗は古仏なり、嗣法に究参なり。なんぢは嗣法の道理かつて夢也未見聞参学在なり。黄檗は師に嗣法せり、祖を保任せり。黄檗は師にまみえ、師をみる。なんぢは全て師をみず、祖を知らず。自己を知らず、自己をみず。なんぢをみる師なし、なんぢ師眼いまだ参開せず。真箇なんぢ見処不円なり、嗣法未円なり。

なんぢしるやいなや。雲門大師はこれ黄檗の法孫なることを。なんぢいかでか百丈黄檗の道処を測量せん。雲門大師の道処、なんぢなほ測量すべからず。百丈黄檗の道処は、参学のちからあるもの、これを拈挙するなり。直指の落処あるもの、測量すべし。なんぢは参学なし、落処なし。しるべからず、はかるべからざるなり。

馬大師遷化未得五年なるに、馬大師に嗣法せずといふ、まことにわらふにもたらず。たとひ嗣法すべくは、無量ののちなりとも嗣法すべし。嗣法すべからざらんは、半日なりとも須臾なりとも、嗣法すべからず。なんぢ全て仏道の日面月面をみざる、暗者愚蒙なり。

雲門大師入滅已得一百余年なれども雲門に承嗣すといふ、なんぢにゆゆしきちからありて雲門に承嗣するか。三歳の孩児よりはかなし。一千年ののち雲門に嗣法せんものは、なんぢに十倍せるちからあらん。われいまなんぢをすくふ、いばらく話頭を参学すべし。

百丈の道取する、子向後莫承嗣大師否の道取は、馬大師に嗣法せよといふにはあらぬなり。しばらくなんぢ師子奮迅話を参学すべし、烏亀倒上樹話を参学して、進歩退歩の活路を参学すべし。嗣法に恁麼の参学力あるなり。黄檗のいふ恐喪我児孫の言葉、全てなんぢはかるべからず。我の道取および児孫の人、これたれなりとかしれる。審細に参学すべし。かくれずあらはして道現成せり。

しかあるを、仏国禅師惟白といふ、仏祖の嗣法にくらきによりて、承古を雲門の法嗣に排列せり、あやまりなるべし。晩進知らずして、承古も参学あらんとおもふことなかれ。

なんぢがごとく文字によりて嗣法すべくは、経書をみて発明するものはみな釈迦牟尼仏に嗣法するか、さらにしかあらざるなり。経書によれる発明、かならず正師の印可をもとむるなり。

なんぢ承古がいふごとくには、なんぢ雲門の語録なほいまだみざるなり。雲門の語をみしともがらのみ雲門には嗣法せり。なんぢ自己眼をもていまだ雲門をみず、自己眼をもて自己をみず、雲門眼をもて雲門をみず、雲門眼をもて自己をみず。かくのごとくの未参究おほし。

さらに草鞋を買来買去して、正師を求めて嗣法すべし。なんぢ雲門大師に嗣すといふことなかれ。もしかくのごとくいはば、すなはち外道の流類なるべし。たとひ百丈なりとも、なんぢがいふがごとくいはば、おほきなるあやまりなるべし。

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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