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音楽

この身体にはいつも音楽が流れている自然の音であったり静けさであったり街中で流れる曲も一体となるヒット曲もその一瞬を切り取ったものこの世界に表れた一つの音に違いないそのようにいつも音楽が流れている<< 戻る
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分骨証明書(ぶんこつしょうめいしょ)

分骨証明書とは、2ケ所以上に埋葬・納骨する場合に必要になります。火葬場で分骨する場合は火葬場で、または、自治体で発行してもらいます。なお、これらの手続き方法は自治体によって異なることがあるので、最終的には最寄りの自治体の仕組みを確認する必要があります。また、分骨証明書などを紛失してしまうと再発行が有料になります。・死亡届、死亡診断書 死亡が確認されたあと、医師に作成してもらう。  ↓ 故人の住所地の自治体に提出・火葬許可証 死亡届、死亡診断書を自治体に提出すると発行される。  ↓ 火葬の手続きが行える・埋葬許可証 火葬が済んだことが記されると埋葬許可証になる。  ↓ 遺骨を埋葬・納骨する際に寺...
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改葬許可証(かいそうきょかしょう)

改葬許可証とは、お墓の引越し、改葬をする場合に必要になります。移転元の自治体に改葬許可申請書を提出して発行してもらいます。なお、これらの手続き方法は自治体によって異なることがあるので、最終的には最寄りの自治体の仕組みを確認する必要があります。また、改葬許可証などを紛失してしまうと再発行が有料になります。・死亡届、死亡診断書 死亡が確認されたあと、医師に作成してもらう。  ↓ 故人の住所地の自治体に提出・火葬許可証 死亡届、死亡診断書を自治体に提出すると発行される。  ↓ 火葬の手続きが行える・埋葬許可証 火葬が済んだことが記されると埋葬許可証になる。  ↓ 遺骨を埋葬・納骨する際に寺院や霊苑な...
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お婆ちゃんのお経

お寺の手伝いを始めたばかりのお寺の息子が、お盆やお彼岸、月参りなどで檀家や門徒の家にお参りに行くと、その家のお婆ちゃんの方がお経が上手く、お寺の息子はうろたえてしまうということがあります。あるお寺の息子曰く「お経が読みづらかった」とのことですが、どんな時にも胸を借りるつもりで学ぶ姿勢が必要です。<< 戻る
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五戒の誤解

五戒というものがある在家の信者が守るべき決まりその第一が不殺生戒生き物を殺してはならない第一番目で躓く言おうとしていることは誰でも分かる無暗に殺すなと肉は駄目だが植物は良いという人もいる植物だって生命だ殺生している普通はこのように考えるけれどどうも次元が違うらしい生も死もうごめいている大宇宙でそんな次元で見るとそんな大きなものを殺しようがない大きな生命を殺すような無駄なことをするなとそういうわけで自分というのは大きな生命の中の一つの姿なのだから目の前のものは同じ大きな生命の中の一つの姿なのだ感謝して食べればいい感謝できないところで不殺生戒は破られるわざわざ5つ出さなくても同じ大きな生命の中の一...
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サヘート・マヘート – ブッダ布教の地(祇園精舎・舎衛城)

サヘート・マヘートはブッダ布教の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。隣接した二つの遺跡群をまとめた呼称です。①サヘート遺跡・・・祇園精舎(祇園は「祇樹給孤独園」の略。ジェータ林(祇園)にある孤独な人々に食を給する長者の園。)②マヘート遺跡・・・舎衛城(サーヴァッティーもしくはシュラーヴァスティー)舎衛城はブッダの生きた時代にはバーセナディ王(波斯匿王)が治めるコーサラ国の首都でした。先述のように遺跡としては分けて考えられていますが、当時の感覚では大きな首都である舎衛城の中に祇園精舎があったと認識してもらった方が分かりやすいと思います。なお、祇園精舎は「阿弥陀経」が説かれた場所とされてい...
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ヴァイシャリ – ブッダ最後の旅の出発地(毘舎離)

ヴァイシャリはブッダの最後の旅の出発地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。古代インドの十六大国の1つヴァッジ国内にあった商業都市です。仏教僧団を意味する「サンガ」(僧伽)という言葉は、元々はこの地域に発生した商工業者の同業組合や共和制を意味する言葉でした。ヴェーサーリ、ヴェーサーリーという表記もここを指します。ブッダが最後の旅立ちが近づいたことを示唆する説法を始めて行われた場所には、ブッダのために猿が掘ったと言われる沐浴池ラーマ・クンドがあります。そのそばにはアショーカ王石柱があり、完全な姿のまま残っています。そこで第二結集も行われました。ブッダが最後の旅立ちに出発するとき、ケサリヤとい...
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アルカイックスマイル

アルカイックスマイルとは、紀元前5世紀頃に作製された古代ギリシアのアルカイク彫刻の中に見られ、無表情の中でも口角を上げ微笑に似た表情のことをいいます。日本では飛鳥時代の仏像彫刻の顔に同じような微笑が見られます。広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)、中宮寺の菩薩半跏像などもアルカイックスマイルと呼ばれ、ギリシアの特徴とよく似ていますが、両者の間に直接の関係はないと考えられています。(広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像)<< 戻る
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ルンビニ – ブッダが生まれた地(藍毘尼)

ルンビニはブッダが生まれた地として仏教の四大聖地および八大聖地の一つに数えられます。この一帯にはマウリヤ王朝のアショーカ王によりシッダッタ(後のブッダ)が誕生した場所に建立したとされるマヤ・デヴィ寺院、紀元前249年にアショーカ王が巡礼した時に建立された石柱(アショーカピラー)、シッダッタ(後のブッダ)の産湯に使われたというプスカリニ池などの旧跡があります。私がブッダ生誕の地ネパールのルンビニに初めて訪れたのは2000年2月でしたが、その時はちょうど、発掘調査のためにマヤ堂が取り壊され、旧マヤ堂内の誕生仏やレリーフは仮設のマヤ堂(写真)のなかに安置されていました。現在、ブッダの生誕地の周囲を聖...
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帰依(きえ)

帰依とは、自身の拠り所にするという意味です。言い換えれば、絶対の信頼を寄せるということです。仏教に帰依するとは、仏・法・僧の三宝を拠り所にして、自分の生活環境に合わせて生きる(実践する)ことです。三帰依文仏(ブッダ) 悟りを経た者法(ダーマ) ブッダの教え僧(サンガ) ダーマを実践する仏教集団『華厳経』浄行品第7による三帰依文自帰依佛 当願衆生 体解大道 発無上意自帰依法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海自帰依僧 当願衆生 統理大衆 一切無碍自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生と共に、大道を体解して、無上意を発さん。自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生と共に、深く経蔵に入りて、智慧...
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ビンビサーラ王の牢獄跡

インド・ビハール州のラージギルで仏教遺跡を巡っていた時のことです。はじめて来た土地勘のない場所で右へ左へと1人で探すのは大変でした。簡単な地図を片手に先日書いた竹林精舎に行こうとしていたところ、現地の人に「ここも仏教遺跡だ」と言われた場所の看板には「BIMBISAR JAIL」と書かれていました。「何のこっちゃ?」と思いながらも入っていくとガイドと名乗る男性(写真に写ってます)がいましたので、少し話を聞くと、はじめ聞き取りにくい英語を話していたのですが、結局、ヒンディ語で話してもらった方が理解できました。この場所はマガダ国王ビンビサーラが実子である阿闍世(アジャセ)によって閉じこめられた牢獄の...
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木柾(もくしょう)

木柾とは、読経や唱題の時に叩いて音を出す仏具です。座布団状の台の上に円形や四角形の木柾を置き、木製のバチで叩くと、内部は空洞になっていて「カン・カン」と歯切れの良い甲高い音が出ます。日蓮宗や法華宗などで使われ、この木柾が作られるまでは木魚を使っていました。<< 戻る
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裏打ち(バックビート・間打ち)- 木魚

浄土宗では、「南無阿弥陀仏」の念仏を邪魔しないために裏打ち(バックビート)、間打ち(まうち)で木魚を打つ慣わしがあります。その打ち方は発声と発声の間に叩きます。対する表打ち(頭打ち)の打ち方は発声と同時に叩きます。次の例を参考にして下さい。(裏打ち例)如 是 我 聞 一 時 仏 在 舎 衛 国(木魚)   〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇(表打ち例)如 是 我 聞 一 時 仏 在 舎 衛 国(木魚)  〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇 〇読経の時に打つ木魚は隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師が江戸時代の1654年に来日してから日本の各宗派に広まったものです。宗派によっては、当初、...
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ミッドナイト念仏

ミッドナイト念仏とは、夜から翌朝まで木魚を打ち「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称える行事であり、主に浄土宗総本山知恩院で行われています。1996年9月に初開催され(おてつぎ運動30周年記念「MAKINGサラナ」の諸行事の内の一つ)、1997年からは毎年4月18日に「ミッドナイト念仏 in 御忌」として国宝三門楼上で夜の8時から翌朝7時までの12時間、木魚を打ち念仏を称える行事が行われています。御忌(ぎょき)とは、法然上人の忌日法要で毎年4月に知恩院で行われています。なお、2011年は東日本大震災のため中止、2020年は新型コロナウィルス感染予防のため中止となりました。例年は、誰でも参...
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涅槃道

社会人としてお寺で働き出したときはじめたのがお寺のブログでしたインドへも何度も行き経験したことをつづりそのいくつかはこちらにも掲載していますお釈迦様入滅の地クシナガラ涅槃像がある涅槃堂のことを誤字で涅槃道としている箇所を発見転載する際のミスでした旧記事のタイトルはクシナガラへの道その道が入り込んだのでしょうかでも涅槃道とはよい響きですミスや偶然、夢などで良い結果が導き出されることがあるそうです難しく考えず型にはまらず涅槃道は続きます<< 戻る
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鐘楼(しょうろう)

鐘楼とは、仏教寺院において時を告げるために打つ、大型の梵鐘を吊るすために設けられた建物のことをいいます。釣鐘堂、鐘楼堂、鐘撞き堂、撞楼などとも呼ばれます。山門と鐘楼が一体化したものを鐘門、鼓楼(太鼓)と鐘楼が一体化したものを鐘鼓楼といいます。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。<< 戻る
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講堂(こうどう)

講堂とは、仏教寺院において住持や講義僧が修行僧に仏教経典の講読や説法を行い、指導にあたる主要な建物で、法会、儀式を行うところをいいます。境内の位置関係としては、金堂の後方などに建てられることが多いようです。禅宗では法堂と呼ばれます。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。(講堂・円教寺)<< 戻る
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金剛力士(こんごうりきし)

金剛力士とは、寺院の山門内で二体一対で境内を守る仁王像のことです。梵語でヴァジュラパーニといい、「金剛杵を持っているもの」という意味で、手に金剛杵を持ち、忿怒相に表現されます。外敵を退け、仏法を守護する神で、執金剛神、金剛神などともいわれます。須弥壇の左右に安置されることもあります。(仁王像・日石寺・富山県上市町)<< 戻る
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彼岸の明け

秋彼岸も今日までおはぎもつくったお彼岸供養之証のお問い合わせもたくさんいただいた暑さ寒さも彼岸まできょうは雨お互い身心に気を付けましょう<< 戻る
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いのち

いのちがこの地球で生まれたものなら46億年揺られできあがったものがこのいのち宇宙で見ると137億年揺られできあがったものがこのいのち突然このいのちが現れたりしない1分1秒このいのちを任されて46億歳を生きて137億歳を生きている<< 戻る
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弾指(だんし)

仏教で指を弾く動作のことを弾指といいます。曲げた人差し指を親指と中指の間に挟み弾くとパチッと音を出す動作のことです。合図などで使われることが多く、許諾、歓喜、警告、入室の合図などを表しています。法要中に使われることもあります。また、トイレに入る時や排泄後などの不浄を払う意味で行う場合があります。これが後に爪弾(つまはじ)きといわれ、嫌悪や排斥の気持ちを表すことになったといわれます。<< 戻る
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浴司(よくす)

仏教寺院において浴室とそのまま呼ばれることもあれば、浴司と呼ばれることもあります。特に、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられています。『首楞厳経』(しゅりょうごんきょう)に記されている菩薩で、十六人の菩薩が風呂の供養を受けた際、忽然として自己と水が一如であることを悟ったことが記されてることから、浴室の守り本尊として、跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)が祀られている寺院もあります。また、三黙道場のひとつにも数えられています。(浴室 泉涌寺)<< 戻る
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庫院(くいん)

仏教寺院において、食料を置き、食事を調理するところを庫院といいます。庫裏・庫裡・庫堂・香積台・香積局・厨庫・庫下とも呼ばれます。庫院は食料に関することの他に、生活に関する居住施設や寺院の受付施設など総合施設になっていることも多くあります。また、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられ、守護神として韋駄天が祀られていることがあります。(庫院 總持寺香積台)・「次に諸の知事、庫堂に在って商量すらく、明日甚んの味を喫し、甚んの菜を喫し、甚んの粥等を設くと。」(『典座教訓』2、心が整えば味も整う)<< 戻る
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仏堂(ぶつどう)

仏教寺院において仏像を安置し、礼拝供養するための建物を一般的に仏堂と呼び、その中でも中心となる仏堂を一般的に本堂といい、金堂(こんどう)、仏殿(ぶつでん)とも呼ばれます。他にも、仏堂は寺院境内に多数建立される場合も多く、安置する仏像の名称などによって、金堂、仏殿、釈迦堂、薬師堂、阿弥陀堂、観音堂、文殊堂、地蔵堂など様々な名称で呼ばれます。(總持寺 仏殿)<< 戻る
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大師堂(だいしどう)

仏教寺院において大師号を贈られた僧侶の像や位牌を祀った堂のことを大師堂といいます。宗派によって、御影堂、開山堂などと呼ばれる場合があります。なかでも、弘法大師 空海上人を祀る堂を呼ぶ場合が真言宗系寺院に多くあるようです。いずれにしても同じ宗派であっても、伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。大師堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。例にあげた大師堂は、空海上人が住房としていた東寺境内西北部の「西院」と呼ばれる一画に建ち、入母屋造り、総檜皮葺きで、国宝に指定されています。(大師堂 東寺)<< 戻る
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法堂(はっとう)

仏教寺院において住持や講義僧が修行僧に仏教経典の講読や説法を行い、指導にあたる主要な建物で、法会、儀式を行うところを法堂といいます。法堂は主に禅宗で使われる言葉で、他宗では講堂と呼ばれます。また、法堂のみの機能ではなく、例えば、建仁寺では、仏殿を兼ね備え、總持寺では、開山堂を兼ね備えています。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。(法堂 建仁寺)<< 戻る
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祖堂(そどう)

仏教寺院において一宗の開祖・祖師や寺院の開山・開基の像や位牌を祀った堂のことを祖堂といいます。宗派によって、御影堂、開山堂、大師堂、法華堂などと呼ばれる場合があります。いずれにしても同じ宗派であっても、伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。祖堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。例にあげた總持寺(神奈川県)の大祖堂は、祖堂と法堂(はっとう)を兼ねた本堂客殿で、千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及び、法要修行の場ともなっています。(大祖堂 總持寺)<< 戻る
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開山堂(かいさんどう)

仏教寺院において一宗の開祖・祖師や寺院の開山・開基の像や位牌を祀った堂のことを開山堂といいます。宗派によって、御影堂、祖堂、大師堂、法華堂などと呼ばれる場合があります。いずれにしても、同じ宗派であっても伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。開山堂であるからこの形で建てられているという見分けは出来ません。例にあげた東福寺(京都府京都市)の開山堂は、別名「常楽庵」といいます。正面柱間八間、禅式瓦敷を特徴として、祀堂に開山国師像を安置しています。(開山堂 東福寺)<< 戻る
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摩睺羅伽(まごらか)

摩睺羅伽とは、仏教を守護する護法善神の一尊で、八部衆や二十八部衆に数えられます。梵語名のマホーラガは「偉大なる蛇」を意味し、身体は人間で首は大蛇、または、頭に蛇冠を戴いた人間の姿で描かれます。八部衆の緊那羅と同じく音楽の神とされ、琵琶を持っています。<< 戻る
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緊那羅(きんなら)

緊那羅とは、インド神話に登場する特に歌が美しいと言われる音楽の神々です。仏教では護法善神の一尊で、帝釈天の眷属とされ、八部衆の一つでもあります。半身半獣の姿とされるため、人非人ともいい、緊那羅王、緊那羅神、疑神、歌神、楽神、緊捺羅(きんなら)、甄陀羅(けんだら)、真陀羅(しんだら)ともいわれます。その像は、人頭鳥身、あるいは馬首人身などがあり、両手で鼓(つづみ)を打つ姿、笛を吹く姿、琵琶を持って歌舞する姿などにつくられます。<< 戻る
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迦楼羅(かるら)

迦楼羅とは、口から火を吹き、煩悩(三毒)の象徴と言われる龍(毒蛇)を常食とし、衆生の煩悩を喰らう霊鳥とされています。迦楼羅天(かるらてん)、迦楼羅王(かるらおう)、金翅鳥(こんじちょう)、妙翅鳥(みょうじちょう)、迦楼羅鳥などともいいます。八部衆の一つでもあります。インド神話の神鳥ガルダが仏教に取り入れられ、仏法守護の神となりました。鳥頭人身の二臂と四臂があり、龍や蛇を踏みつけている姿の像もあります。鳥頭人身有翼で、篳篥(ひちりき)や横笛を吹く姿もあります。密教では、迦楼羅を本尊とした修法で降魔、病除、延命、防蛇毒に効果があるとされます。また、雨乞い、止風雨の利益(りやく)があるとされます。不...
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羅刹(らせつ)

羅刹とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、羅刹天ともいい、羅刹鬼(らせつき)・速疾鬼(そくしつき)・可畏(かい)・捷疾鬼(しょうしつき)という訳名があります。インド神話においては鬼神ラークシャサといい、破壊と滅亡を司ります。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。北方を守護する多聞天の眷属です。その姿は鎧を身につけ左手を剣印の印契を結び、右手に刀を持つ姿で描かれます。全身黒色で、髪の毛だけが赤い鬼とされます。『往生要集』(源信)は、目もあてられないほどむごたらしい地獄描写で有名ですが、そこでも羅刹は亡者を責める地獄の鬼として描かれています。<< 戻る