仏教を本気で学ぶ

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五味(ごみ)

五味とは、牛から生じる「乳」「酪」「生酥(しょうそ)」「熟酥(じゅくそ)」「醍醐」のことです。牛乳の発酵精製の段階を表します。・「母や父や兄弟や、また他の親族のように、牛は我らの最上の友である。牛からは薬が生ずる。」(スッタニパータ 296偈)<< 戻る
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仏女(ぶつじょ)- 仏教女子、仏像女子

仏女とは、仏像の鑑賞を楽しんだり、お寺の空間に癒されたり、お寺を巡ったり、座禅やマインドフルフルネス、寺ヨガ、写経、宿坊に泊まるといった仏教修行体験など、仏教的な物事を好む女性が目立つようになったことから、社会現象となり生まれた造語で、仏教女子または仏像女子の略語です。信者や檀家が加わっている場合もあると考えられますが、その所属を前提としない活動をさします。2008年に生まれた「歴女」(れきじょ)という言葉と同様の発想で誕生し、2009年頃からメディアでも使われ始めたといわれます。<< 戻る
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烏芻沙摩明王(うすさまみょうおう)

烏芻沙摩明王はこの世の一切の汚れを焼きつくす神力を持つとされ、禅宗や密教では古くから東司(とうす。三黙道場の一つ。トイレ)の守護神とされ祀られている寺院は珍しくありません。そのため、烏芻沙摩明王は一般的にもトイレの守り神として有名でした。烏芻沙摩明王に祈りを捧げる時に唱える真言は「オン クロダノ ウンジャク ソワカ」です。「烏枢沙摩明王」等、違う表記もあります。近年、その名を広く若い世代にまで浸透させるきっかけをつくったのは、植村花菜さんの作詞作曲で、彼女の幼き日におばあさんから教わった言葉が、大人になっても忘れられないという「トイレの神様」という歌が人気になったからではないでしょうか。烏芻沙...
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戯論(けろん)

戯論とは、無益な言論、または、無意味な言論のことをさします。苦しみは自分の心が生み出すものと考えられ、心が怒りや悲しみといった戯論により拡張されていくことです。また、愛着心から行う言論である愛論、偏見より行う言論である見論とに分ける場合があります。仏教では形而上学的な議論は戯論に属します。<< 戻る
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供養之証(くようのしょう)

供養之証とは、告別、満中陰四十九日忌、百箇日忌、一周忌などの年回忌法要を、伝統仏教のお坊さんが依頼者不参加型で実施した供養の証書です。伝統仏教のお坊さんが読経・回向で戒名などを読み上げた後にお渡しします。法要内容【告別、初七日、2七日、3七日、4七日、5七日、6七日、満中陰四十九日忌、百箇日忌、1周忌、3回忌、7回忌、13、17、23、27、33、50回忌、お彼岸、お盆、月命日、水子供養、追善供養】など。無料や有料の法要依頼当ウェブサイトから行える法要依頼の詳細はリンク先へ。関連する宗派曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、天台宗、日蓮系宗派など。<< 戻る
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オンライン法要(おんらいんほうよう)

オンライン法要とは、インターネットを通じたオンラインで法事や葬儀などの法要を行なうことです。ZOOMやLINE、スカイプなどビデオ通話・ビデオ会議機能を用いて同時進行する場合と、YouTubeなど録画されたものを再生して進行する場合があります。また、前者は通常の法要内容に近く、後者で個別の供養対象者に向けたものでない場合はオンライン法要に誰でも使用できるものもあります。寺院やセレモニーホールなど、担当寺院の僧侶が法事や葬儀の法要を行なう様子を動画で撮影するなどし、自宅などの遠隔地からパソコンやスマートフォンなどで視聴し、法事や葬儀などの法要に参列することをオンライン法要といいます。なお、録画さ...
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懴悔文(さんげもん)

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)【読み下し文】我れ昔より造る所の諸の悪業は、(われむかしよりつくるところのもろもろのあくごうは)皆な無始の頓・瞋・痴に由る、(みなむしの とん・じん・ち による)身・口・意従り生ずる所なり、(しん・く・い よりしょうずるところなり)一切、我れ今皆な懺悔したてまつる。(いっさい、われいまみなさんげしたてまつる)<< 戻る
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教外別伝(きょうげべつでん)

教外別伝(きょうげべつでん)とは、お釈迦様の教えである経典のほかに別に伝わってきたものがあるわけではなく、師匠から弟子へと心に直接の体験として伝えることが大切だということを表現しています。弟子は師匠の姿を見ながら自己研鑽に努め、何事も自分の努力で体得して、はじめて自分のものにすることが出来るということです。▶ 菩提達磨大師<< 戻る
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伽藍(がらん)

伽藍とは、僧侶が集まり修行する場所を意味していたものが、僧侶が集まり住む建物群を意味するようになりました。梵語のサンガラーマの音写である僧伽藍摩(そうぎゃらんま)、僧伽藍(そうぎゃらん)の略語です。その建物群の中でも主要なものを七堂伽藍(しちどうがらん)と呼ぶ場合があります。高野山の壇上伽藍という呼ばれ方もあります。時代や国、地域、宗派によって伽藍配置は様々で、寺院遺跡の発掘においては、伽藍配置からその移り変わりが研究されています。<< 戻る
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仏の三十二相(さんじゅうにそう)

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安穏であれ

恐怖もなく、危害を加えられることもないということ。・「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」(スッタニパータ 145偈)<< 戻る
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生きとし生けるもの

人間ばかりでなく、生きもの全てを対象としている。・「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」(スッタニパータ 145偈)<< 戻る
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帝釈天(たいしゃくてん)

帝釈天とは、バラモン教、ヒンドゥーの神であるインドラが仏教に取り込まれて、梵天(ぼんてん)と並ぶ天部の二大護法善神とされました。 武器である金剛杵(こんごうしょ)を手に持ち雷を操ります。インドラの正式名をサンスクリット語でシャックロー・デーヴァーナーン・インドラハ(「神々の帝王であるシャクラ」の意)のうち、「インドラ」を「帝」と意訳し、「シャックロー」を「釈」と音訳し、後部に「天」を加えて「帝釈天」としています。釋提桓因(しゃくだいかんいん/シャクラ)とも記述されます。須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住み、四天王などを配下として仏教世界を護っています。頭上に宝髻(ほうけい)を結び、大衣や天衣...
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スジャー(帝釈天の妻)

スジャーとは、阿修羅の娘で、帝釈天の妻です。・いかなる神が心の中でそれらの質問をしたのだろか?神か、梵天か、またはスジャーの夫なる帝釈天か?また尊師は誰に答えたもうたのだろう?(スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】1、序 1024偈)<< 戻る
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弥勒菩薩(みろくぼさつ)

弥勒菩薩は、ブッダの次にブッダとなることが約束された菩薩で、そのことから、弥勒仏、弥勒如来とも呼ばれます。梵名をマイトレーヤ、パーリ名をメッテイヤといい、音写して、弥勒となりました。意味は「慈しみ」(梵: maitrī, 巴: mettā)を語源とするため、慈氏菩薩(慈しみという名の菩薩)とも意訳されます。ブッダの入滅(にゅうめつ)後56億7000万年ののち、仏になると約束された菩薩です。阿逸多菩薩、アジタと記述される場合もあります。現在は、兜率天(とそつてん)で菩薩として修行・説法してますが、ブッダの入滅後56億7千万年後の未来に至ると、ブッダにかわって衆生を救済する為に、この世に出現すると...
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乾陀訶提菩薩(けんだかだいぼさつ)

乾陀訶提菩薩とは、発情期の象を意味する Gandhahastin(ガンダハスティン)の音写です。その時期の象はこめかみから芳香を放ち異性を引き付けます。その妙なる香りと偉大な力を象徴した菩薩で、意訳して香象菩薩とも呼ばれます。<< 戻る
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常精進菩薩(じょうしょうじんぼさつ)

常精進菩薩とは、言葉の通り常に精進するという意味で、 Nityodyukta(二ティヨーディユクタ)の音写です。<< 戻る
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不休息菩薩(ふきゅうそくぼさつ)

不休息菩薩とは、言葉の通り休む暇なく道を求めるという意味で、 Aniksiptadhura(アニクシプタドゥラ)の音写です。<< 戻る
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踊り念仏(おどりねんぶつ)

念仏や和讃(わさん・仏教歌謡)をとなえ、鉦(かね)・太鼓(たいこ)などを打ち鳴らしながら歓喜(かんき)の状態になる踊り。平安時代に空也(こうや)が民衆にすすめたのに始まり、鎌倉時代に一遍(いっぺん)が広めました。<< 戻る
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寿老神(じゅろうじん)

寿老神とは、道教の神であり、中国の伝説上の人物です。道教の神・南極老人(南極老人星・カノープス)の化身を現わしていると考えられています。中国の寿星で、唐代、宋代の古画には、群仙の一人として扱われています。また、七福神に加えられています。その姿は老人で白髭を垂れ、身の丈三尺、長頭で鹿をともなっています。鹿は千五百才で、その肉を食べた者は、二千年の長寿が得られ、杖の先に結びついている軸物は、人の寿命の長短を記した帳簿といわれています。七福神の福禄寿と同体異名の神とされることもあり、より長寿の徳を強調しています。 (七福神・寿老人・橘守国画wikipediaより)<< 戻る
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竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)

竹林精舎とは、インド・ビハール州のラージギルにあります。現地ではVenuvanaといいます。ブッダが竹林精舎に滞在した時代、ラージギルはビンビサーラ王(頻婆娑羅王・びんばしゃらおう)が統治するマガダ国の首都・王舎城(ラージャグリハ)の北門から500メートルに位置しています。また、霊鷲山(りょうじゅせん)は北東へ5キロ程の距離です。竹林精舎の竹林はブッダに帰依したビンビサーラ王が寄進したものでありました。精舎(ヴィハーラ)は、雨期に出家者が集まって修行する場所のことです。竹林に精舎を寄進したのがカランダ長者でした。ブッダと弟子たちの教えや生活態度に感激して精舎を建立したのだそうです。これが仏教史...
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食堂(じきどう)- 仏教建築

食堂とは、仏教寺院において僧侶が斎食(さいじき:正午や決まった時間にとる食事)をとるための主要な建物で、七堂伽藍の一つに数えられます。斎堂ともいいます。食堂は単に食べる場所ではなく、作法にかなった起居動作を行って食事をいただくところで、インド、中国においても、食堂で僧侶が集まり食事を行うことは大事な修行でした。その起源は、托鉢した食事をいただくことだと考えられます。そのような食堂の持つ意味合いは徐々に薄れ、単に食べる場所は他の建物の機能に移ることもありました。ただし、禅宗においてのみ、食堂は僧堂(そうどう)と呼ばれてその修行と意味を現代に伝えています。また、食堂の本尊には、賓頭盧尊者(びんずる...
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金剛杵(こんごうしょ)

金剛杵とは、煩悩をも破砕すると言われる金属製の法具です。基本的には細長く、両端が広がっていて、真ん中がくびれ、手で握って使います。両端が尖っているものを独鈷杵(とっこしょ・どっこしょ)、両端が三又に分かれているものを三鈷杵(さんこしょ)、五つに分かれているものを五鈷杵(ごこしょ)といいます。梵語でヴァジュラといい、インド神話でインドラ神(帝釈天)の持つ雷の武器をさしていたことから、堅固なもの、力強いものを表すようになりました。寺院の山門内に安置される金剛力士像(仁王像)は梵語でヴァジュラパーニといい、「金剛杵を持っているもの」という意味です。<< 戻る
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二十五菩薩(にじゅうごぼさつ)

二十五菩薩とは、臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来と共に、これから往生をとげようとする念仏の行者を浄土へ迎えに来る25の菩薩の一団です(来迎)。源信の『往生要集』に二十五菩薩のことが書かれています。二十五菩薩は、阿弥陀来迎図のなかに描かれることが多いですが、仏像として表現される例もあります。蓮台をはじめとする飾りや音楽・歌舞によって往生を祝福し、守護するための持物がありますが、その菩薩単体で現わされるときの持物と一致するとは限りません。次の二十五菩薩一覧にある持物は『二十五菩薩和讃』に書かれるものです。・観世音菩薩(蓮台)・大勢至菩薩(合掌)・薬王菩薩(幢幡)・薬上菩薩(玉幡)・普賢菩薩(幡蓋)...
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火葬許可証(かそうきょかしょう)

火葬許可証とは、遺体を火葬する際に必ず必要な書類で、これがないと火葬することは出来ません。死亡届、死亡診断書を自治体に提出すると発行されます。なお、これらの手続き方法は自治体によって異なることがあるので、最終的には最寄りの自治体の仕組みを確認する必要があります。また、火葬許可証などを紛失してしまうと再発行が有料になります。・死亡届、死亡診断書 死亡が確認されたあと、医師に作成してもらう。  ↓ 故人の住所地の自治体に提出・火葬許可証 死亡届、死亡診断書を自治体に提出すると発行される。  ↓ 火葬の手続きが行える・埋葬許可証 火葬が済んだことが記されると埋葬許可証になる。  ↓ 遺骨を埋葬・納骨...
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六欲天(ろくよくてん)

六欲天とは、天上界の中でも人間界に近い階層で、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲などの五欲を持ったものの住む欲界の6つの天界のことをいいます。六天ともいい、人間界に近い階層から記載すると次の通りとなります。第1天 四大王衆天(しだいおうしゅてん)須弥山の中腹にあり、持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所。第2天 忉利天(とうりてん)須弥山の頂上にあり、三十三天とも呼ばれる。帝釈天のいる場所。第3天 夜摩天(やまてん)、焔摩天(えんまてん)ともいう。時に随って快楽を受くる世界。第4天 兜率天(とそつてん)、覩史多天(としたてん)ともいう。内院と外院があり、弥勒菩薩が内院で説法をしている...
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賽銭泥棒(さいせんどろぼう)

賽銭泥棒とは、お寺や神社にお参りに行った時に、お賽銭が入っている賽銭箱からお金を盗む行為です。また、仏像などの前に賽銭として置いているものや池の中に投げ込まれた賽銭などを盗むことも同様です。賽銭泥棒は窃盗罪にあたり、10年以下の懲役が課せられます。お寺側も見回りを強化したり、監視カメラを設置したり、用がないときは扉を閉めたり、先の例では後半のお金が見える形でのお賽銭をしないように呼び掛けたり、対策はしていますが、どのお寺も予算には限りがあり、十分な対策はとれていません。賽銭泥棒が出たという話になると、気味が悪いということで人の出入りが少なくなり、逆効果となります。賽銭泥棒は繰り返される例も多く...
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忉利天(とうりてん)- 三十三天

忉利天とは、仏教世界観における天の1つで、欲界の六欲天の内の第2天です。須弥山(しゅみせん)の頂上にあり、その東西南北にそれぞれ8つの城、中央に善見城(ぜんけんじょう)があり、合計33の城があります。善見城中の殊勝殿(しゅしょうでん)には帝釈天(たいしゃくてん)が住んでいます。梵語トラーヤストゥリンシャの音訳語の略称で、原語は「33」を意味し、ここでは「33種の天からなる世界」をさし、「三十三天」と意訳されます。数々の立派な建物、庭園、香樹などがあり、一種の楽園として描かれています。ブッダは生後7日目に死別した母マーヤー夫人に法を説くために祇園精舎から忉利天へ昇天し、ここで3ヶ月間、母マーヤー...
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羂索(けんさく)

もともとは鳥獣魚を捕らえる投げ縄のことでしたが、一切衆生を仏法へと導く象徴とされるようになりました。青・黄・赤・白・黒の5色の糸をより合わせて作られた縄状で、端に金剛杵(こんごうしよ)・独鈷杵(とっこしょ)の半形のもの、他の端に鐶(かん)・環(かん)をつけた仏具です。不動明王・十一面観音菩薩・不空羂索観音菩薩などの持物(じもつ)です。<< 戻る
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ラトナギリ(多宝山)

この写真はインド・ビハール州のラージギルから北東へ5キロ程のところにあるラトナギリ(多宝山)からの眺めです。写真右下には霊鷲山(りょうじゅせん)も見えています。法華経など多くのお経に登場する聖地でもあります。ブッダはこの場所で多くの教えを説きました。山の中での修行や説法は、仏教がインドで生まれた昔からあったのでしょう。ラトナギリの山頂には、ヴィシュワ・シャンティ・ストゥーパがあり、日蓮宗系の日本山妙法寺が建立したものです。ラトナギリの山頂から霊鷲山へ降りていく参道も整備されているので、上り下りは多いものの歩いて行動できる範囲です。ラージギル周辺に来るまで、インド・ヒンドゥ語圏といえば平原が広が...
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勢至菩薩(せいしぼさつ)

勢至菩薩は、大勢至菩薩、得大勢至菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、マハースターマプラープタといい、智慧の光をもってあまねくいっさいを照らし、無上の力を得させるという菩薩です。勢至菩薩像は、如来像のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。姿の特徴としては、宝冠の前面に水瓶・宝瓶を表す場合が多く、それで見分ける人が多いです。手に蓮華を持つ姿や合掌する姿が多いようです。左肩から右側の腰にかけて条帛(じょうはく)という薄い帯状の布が掛けられ、また両肩から天衣(てんね)という細長い布が垂らされ...
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ラージギル – ブッダ布教の地(王舎城)

ラージギルはブッダ布教の地として仏教の八大聖地の一つに数えられます。この一帯にはマガダ国の首都・王舎城(おうしゃじょう/ラージャグリハ)、仏教史上最初の寺院と考えられる竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)、説法の舞台である霊鷲山(りょうじゅせん)、多宝山、第一結集が行われた七葉窟(ななようくつ)などの旧跡があります。また、ナーランダ大学まで15km、ブッダガヤまで70kmほどという位置関係です。ブッダが竹林精舎や霊鷲山に滞在した時代、ラージギルはビンビサーラ王(頻婆娑羅王・びんばしゃらおう)が統治するマガダ国の首都・王舎城(ラージャグリハ)といいました。また、この地でサンジャヤ(思想家、不可知論者、...