摩訶迦葉

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釈迦三尊(しゃかさんぞん)

釈迦像を中心に、左右の脇侍(きようじ)として菩薩、天、もしくは羅漢を配した形式を釈迦三尊と呼びます。両脇侍には、向かって右に騎獅の文殊菩薩・向かって左に乗象の普賢菩薩の二菩薩を配する例が多いようですが、薬王菩薩・薬上菩薩の二菩薩、梵天・帝釈天の二天部、迦葉尊者(かしよう)・阿難尊者(あなん)の二尊者を置くこともあります。ちなみに、例にあげた画像の釈迦三尊像の脇侍は向かって右に薬王菩薩・向かって左に薬上菩薩と寺に伝えられているとのことです。(釈迦三尊像 法隆寺金堂)<< 戻る
人物

マハーカッサパ(摩訶迦葉)

マハーカッサパ(Mahaakassapa、महाकस्सप)、摩訶迦葉 (まかかしょう)、大迦葉(だいかしょう)、迦葉(かしょう)ブッダの十大弟子の一人で「頭陀第一」といわれています。マガダ国の王舎城付近のマハーハーダラ(摩訶波羅陀)村のバラモンであるニグローダ・ゴーパ(尼拘律陀羯波)の子で、ピッパラ(菩提樹)の下で生まれたことから、幼名をピッパリといわれました。裕福なバラモンの家系の出身であると伝えられます。カッサパ(迦葉)という姓は、古代インドで一般的な名であったといわれ、仏弟子中には三迦葉という三人兄弟や十力迦葉という名前も登場しますが、このマハーカッサパ(摩訶迦葉)とは別人です。禅宗の...
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第一結集(だいいちけつじゅう)- 七葉窟(ななようくつ)

(七葉窟/インド・ビハール州ラージギル)紀元前485年2月15日以降の出来事(インド)仏教の開祖、お釈迦様(ゴータマ・シッダッタ/ブッダ)がクシナガラで入滅(諸説あり。この年表では565年誕生説に基づいて出来事を記述しています。)した後、第一結集が王舎城(おうしゃじょう/ラージャグリハ)郊外の七葉窟において、マガダ国の王アジャータシャトル(父王ビンビサーラを殺害したが改心しお釈迦様に帰依するようになった)が主催者となり行われる。500人の比丘(500人の阿羅漢/五百羅漢)が集い、摩訶迦葉が座長となり、阿難と優波離が、それぞれ経(経典)と律(戒律)の編集責任者となる。「結集」のサンスクリット語(...