【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」看経(かんぎん)

投稿日:1241年9月15日 更新日:

阿耨多羅三藐三菩提の修証、あるいは知識をもちゐ、あるいは経巻をもちゐる。知識といふは、全自己の仏祖なり。経巻といふは、全自己の経巻なり。全仏祖の自己、全経巻の自己なるがゆゑにかくのごとくなり。自己と称ずといへども我儞の拘牽にあらず。これ活眼睛なり、活拳頭なり。

しかあれども念経、看経、誦経、書経、受経、持経あり。ともに仏祖の修証なり。しかあるに、仏経にあふことたやすきにあらず。於無量国中、乃至名字不可得聞(無量国の中に於て、乃至名字だも聞くこと得べからず)なり、於仏祖中、乃至名字不可得聞なり、於命脈中、乃至名字不可得聞なり。仏祖にあらざれば、経巻を見聞読誦解義せず。仏祖参学より、かつかつ経巻を参学するなり。

このとき、耳処、眼処、舌処、鼻処、身心塵処、到処、聞処、話処の聞、持、受、説経等の現成あり。為求名聞故説外道論議(名聞を求めんが為の故に、外道の論議を説く)のともがら、仏経を修行すべからず。そのゆゑは、経巻は若樹若石の伝持あり、若田若里の流布あり。塵刹の演出あり、虚空の開講あり。

薬山曩祖弘道大師、久不陞堂(薬山曩祖弘道大師、久しく陞堂せず)。
院主白云、大衆久思和尚慈晦(大衆久しく和尚の慈晦を思ふ)。
山云、打鐘著(打鐘せよ)。
院主打鐘、大衆才集(院主打鐘し、大衆才に集まる)。
山陞堂、良久便下座、帰方丈(山、陞堂し、良久して便ち下座し、方丈に帰る)。
院主隨後白云、和尚適来聴許為衆説法、如何不垂一言(院主、後に隨つて、白して云く、和尚、適来為衆説法を聴許せり、如何が一言を垂れざる)。
山云、経有経師、論有論師、争怪得老僧(経に経師有り、論に論師有り、争か老僧を怪得せん)。
曩祖の慈晦するところは、拳頭有拳頭師、眼睛眼睛師なり。しかあれども、しばらく曩祖に拝問すべし、争怪得和尚はなきにあらず、いぶかし、和尚是什麼師。

韶州曹渓山、大鑑高祖会下、誦法花経僧法達来参(韶州曹渓山、大鑑高祖の会下に、誦法花経僧法達といふもの来参す)。
高祖為説法達説偈云(高祖、法達が為に説偈して云く)、
心迷法華転、心悟転法華、
(心迷は法華に転ぜられ、心悟は法華を転ず)
誦久不明己、与義作讎家。
(誦すること久しくして己れを明らめずは、義と讎家と作る)
無念々即正、有念々成邪、
(無念なれば念は即ち正なり、有念なれば念は邪と成る)
有無倶不計、長御白牛車。
(有無倶に計せざれば、長に白牛車を御らん)

しかあれば、心迷は法花に転ぜられ、心悟は法花を転ず。さらに迷悟を跳出するときは、法花の法花を転ずるなり。
法達、まさに偈をききて踊躍歓喜、以偈贊曰(偈を以て贊じて曰く)、
経誦三千部、曹渓一句亡。
(経、誦すること三千部、曹渓の一句に亡す)
未明出世旨、寧歇累生狂。
(未だ出世の旨を明らめずは、寧んぞ累生の狂を歇めん)
羊鹿牛權設、初中後善揚。
(羊鹿牛權に設く、初中後善く揚ぐ)
誰知火宅内、元是法中王。
(誰か知らん火宅の内、もと是れ法中の王なることを)

その時高祖曰、汝今後方可名為念経僧也(汝、今より後、方に名づけて念経僧と為すべし)。
しるべし、仏道に念経僧あることを。曹渓古仏の直指なり。この念経僧の念は、有念無念等にあらず、有無倶不計なり。ただそれ従劫至劫手不釈巻、従昼至夜無不念時(よりに至るも手に巻を釈かず、昼より夜に至りて念ぜざる時無し)なるのみなり。従経至経無不経(経より経に至りて経ならざる無し)なるのみなり。

第二十七祖東印度般若多羅尊者、因東印度国王、請尊者斎次(第二十七祖、東印度の般若多羅尊者、因みに東印度国王、尊者を請じて斎する次に)、
国王乃問、諸人尽転経、唯尊者為甚不転(諸人尽く転経す、ただ尊者のみ甚としてか転ぜざる)。
祖曰、貧道出息不隨衆縁、入息不居蘊界、常転如是経、百千万億巻、非但一巻両巻(貧道は出息衆縁に隨はず、入息蘊界に居せず、常に如是経を転ずること、百千万億巻なり、ただ一巻両巻のみに非ず)。

般若多羅尊者は、天竺国東印度の種草なり。迦葉尊者より第二十七世の正嫡なり。仏家の調度ことごとく正伝せり。頂眼睛、拳頭鼻孔、挂杖鉢盂、衣法骨髓等を住持せり。我らが曩祖なり、我らは雲孫なり。

いま尊者の渾力道は、出息の衆縁に不隨なるのみにあらず、衆縁も出息に不隨なり。衆縁たとひ頂眼睛にてもあれ、衆縁たとひ渾身にてもあれ、衆たとひ渾心にてもあれ、担来担去又担来(担ひ来り担ひ去りて又担ひ来る)、ただ不隨衆縁なるのみなり。不隨は渾隨なり。このゆゑに築著著なり。出息これ衆なりといへども、不隨衆なり。無量劫来、いまだ出息入息の消息をしらざれども、而今まさにはじめてしるべき時節到来なるがゆゑに不居蘊界をきく、不隨衆縁をきく。衆縁はじめて入息等を参究する時節なり。この時節、かつてさきにあらず、さらにのちにあるべからず。ただ而今のみにあるなり。

蘊界といふは、五蘊なり。いはゆる色受想行識をいふ。この五蘊に不居なるは、五蘊いまだ到来せざる世界なるがゆゑなり。この関捩子を拈ぜるゆゑに、所転の経ただ一巻両巻にあらず、常転百千万億巻なり。百千万億巻はしばらく多の一端をあぐといへども、多の量のみにあらざるなり。

一息出の不居蘊界を百千万億巻の量とせり。しかあれども、有漏無漏智の所測にあらず、有漏無漏法の界にあらず。このゆゑに、有智の智の測量にあらず、有知の智の卜度にあらず。無智の知の商量にあらず、無知の智の所到にあらず。仏々祖々の修証、皮肉骨髓、眼睛拳頭、頂鼻孔、挂杖払子、桲跳造次なり。

趙州観音院真際大師、因有婆子、施浄財、請大師転大蔵経(趙州観音院真際大師、因みに婆子有り、浄財を施して、大師に転大蔵経を請ず)。
師下禅床、遶一匝、向使者云、転蔵已畢(師、禅床を下りて、遶ること一匝して、使者に向つて云く、転蔵已畢ぬ)。
使者回挙似婆子(使者、回つて婆子に挙似す)。
婆子曰、比来請転一蔵、如何和尚只転半蔵(比来転一蔵を請ず、如何が和尚只だ半蔵を転ずる)。

あきらかにしりぬ。転一蔵半蔵は婆子経三巻なり。転蔵已畢は趙州経一蔵なり。おほよそ転大蔵経のていたらくは、禅床を巡る趙州あり、禅床ありて趙州を巡る。趙州を巡る趙州あり、禅床を巡る禅床あり。しかあれども、一切の転蔵は、遶禅床のみにあらず、禅床遶のみにあらず。

益州大隋山神照大師、法諱法真、嗣長慶寺大安禅師。因有婆子、施浄財、請師転大蔵経(益州大隋山神照大師、法諱は法真、長慶寺の大安禅師に嗣す。因みに婆子有り、浄財を施して、師に転大蔵経を請ず)。
師下禅床一匝、向使者曰、転大蔵経已畢(師、禅床を下りて一匝し、使者に向つて曰く、転大蔵経已畢ぬ)。
使者帰挙似婆子(使者、帰つて婆子に挙似す)。
婆子云、比来請転一蔵、如何和尚只転半蔵(比来転一蔵を請ず、如何が和尚只だ半蔵を転ずる)。

いま大隋の禅床を巡ると学することなかれ、禅床の大隋を巡ると学することなかれ。拳頭眼睛の団圝のみにあらず、作一円相せる打一円相なり。しかあれども、婆子それ有眼なりや、未具眼なりや。只転半蔵たとひ道取を拳頭より正伝すとも、婆子さらにいふべし、比来請転大蔵経、如何和尚只管弄請魂(比来転大蔵経を請ず、如何が和尚只管に請魂を弄する)。あやまりてもかくのごとく道取せましかば、具眼睛の婆子なるべし。

高祖洞山悟本大師、因有官人、設斎施浄財、請師看転大蔵経。大師下禅床向官人揖。官人揖大師。引官人倶遶禅床一匝、向官人揖。良久向官人云、会麼(高祖洞山悟本大師、因みに官人有り、斎を設け浄財を施し、師に看転大蔵経を請ず。大師、禅床より下りて、官人に向つて揖す。官人、大師を揖す。官人を引いて倶に禅床を遶ること一匝し、官人に向つて揖す。良久して、官人に向つて云く、会すや)。
官人云、不会。
大師云、我与汝看転大蔵経、如何不会(我れ汝が与に看転大蔵経せり、如何が不会なる)。

それ我与汝看転大蔵経、あきらかなり。遶禅床を看転大蔵経と学するにあらず、看転大蔵経を遶禅床と会せざるなり。しかありといへども、高祖の慈晦を聴取すべし。

この因縁、先師古仏、天童山に住せしとき、高麗国の施主、入山施財、大衆看経、請先師陞座(山に入りて財を施し、大衆看経し、先師に陞座を請ずる)のとき挙するところなり。挙しをはりて、先師すなはち払子をもておほきに円相をつくること一匝していはく、天童今日、与汝看転大蔵経。
便擲下払子下座(便ち払子を擲下して下座せり)。

いま先師の道処を看転すべし、余者に比準すべからず。しかありといふとも、看転大蔵経には、壹隻眼をもちゐるとやせん、半隻眼をもちゐるとやせん。高祖の道処と先師の道処と、用眼睛、用舌頭、いくばくをかもちゐきたれる。究弁看。

曩祖薬山弘道大師、尋常不許人看経。一日、将経自看、因僧問、和尚尋常不許人看経、為甚麼却自看(曩祖薬山弘道大師、尋常人に看経を許さず。一日、経を将て自ら看す、因みに僧問ふ、和尚尋常、人の看経するを許さず、甚麼としてか却つて自ら看する)。
師云、我只要遮眼(我れは只だ遮眼せんことをを要するのみ)。
僧云、某甲学和尚得麼(某甲和尚を学してんや)。
師云、儞若看、牛皮也須穿(儞若し看せば、牛皮もまた穿るべし)。

いま我要遮眼の道は、遮眼の自道処なり。遮眼は打失眼睛なり、打失経なり、渾眼遮なり、渾遮眼なり。遮眼は遮中開眼なり、遮裡活眼なり、眼裡活遮なり、眼皮上更添一枚皮(眼皮上更に一枚の皮を添ふ)なり。遮裡拈眼なり、眼自拈遮なり。しかあれば、眼睛経にあらざれば遮眼の功徳いまだあらざるなり。

牛皮也須穿は、全牛皮なり、全皮牛なり、拈牛作皮なり。このゆゑに、皮肉骨髓、頭角鼻孔を牛ほの活計とせり。学和尚のとき、牛為眼睛(牛を眼睛と為す)なるを遮眼とす、眼睛為牛(眼睛を牛と為す)なり。

冶父道川禅師云、
億千供仏福無辺、
争似常将古教看。
白紙上辺書墨字、
請君開眼目前観。
(億千の供仏福無辺なり、争か似かん、常に古教を将て看ぜんには。白紙上辺に墨字を書す、請すらくは君、眼を開いて目前に観んことを。)

しるべし、古仏を供すると古教をみると、福徳斉肩なるべし、福徳超過なるべし。古教といふは、白紙の上に墨字を書せる、たれかこれを古教としらん。当恁麼の道理を参究すべし。

雲居山弘覚大師、因有一僧、在房内念経。大師隔窓問云、闍梨念底、是什麼経(雲居山弘覚大師、因みに一僧有り、房の内に在つて念経す。大師、窓を隔てて問うて云く、闍梨が念底、是れ什麼の経ぞ)。
僧対曰、維摩経。
師曰、不問儞維摩経、念底是什麼経(儞に維摩経を問はず、念底は是れ什麼の経ぞ)。
此僧従此得入(此の僧、此れより得入せり)。

大師道の念底是什麼経は、一条の念底、年代深遠なり、不欲挙似於念(念に挙似せんとは欲はず)なり。路にしては死蛇にあふ、このゆゑに什麼経の問著現成せり。人にあふては錯挙せず、このゆゑに維摩経なり。

おほよそ看経は、尽仏祖を把拈しあつめて、眼睛として看経するなり。正当恁麼時、たちまちに仏祖作仏し、説法し、説仏し、仏作するなり。この看経の時節にあらざれば、仏祖の頂面目いまだあらざるなり。

現在仏祖の会に、看経の儀則それ多般あり。いはゆる施主入山、請大衆看経(施主山に入り大衆を請じてする看経)、あるいは常転請僧看経(常に僧を請じて転ずる看経)、あるいは僧衆自発心看経等(僧衆自ら発心してする看経)なり。このほか大衆為亡僧看経(大衆亡僧の為にする看経)あり。

施主入山、請僧看経は、当日の粥時より、堂司あらかじめ看経牌を僧堂前および衆寮にかく。粥罷に拝席を聖僧前にしく。ときいたりて僧堂前鐘を三会うつ、あるいは一会うつ。住持人の指揮にしたがふなり。

鐘声罷に、首座大衆、搭袈裟、入雲堂、就被位、正面而坐(首座大衆、袈裟を搭し、雲堂に入り、被位に就き、正面して坐す)。

つぎに住持人入堂し、向聖僧問訊焼香罷、依位而坐(聖僧に向つて問訊し、焼香罷りて、位に依つて坐す)。

つぎに童行をして経を行ぜしむ。この経、さきより庫院にととのへ、安排しまうけて、ときいたりて供達するなり。経は、あるいは経凾ながら行じ、あるいは盤子に安じて行ず。大衆すでに経を請じて、すなはちひらきよむ。

このとき、知客いまし施主をひきて雲堂にいる。施主まさに雲堂前にて手爐をとりて、ささげて入堂す。手爐は院門の公界にあり。あらかじめ裝香して、行者をして雲堂前にまうけて、施主まさに入堂せんとするとき、めしによりて施主にわたす。手爐をめすことは、知客これをめすなり。入堂するときは、知客さき、施主のち、雲堂の前門の南頬よりいる。

施主、聖僧前にいたりて、焼一片香、拝三拝あり。拝のあひだ、手爐をもちながら拝するなり。拝のあひだ、知客は拝席の北に、おもてをみなみにして、すこしき施主にむかひて、叉手してたつ。

施主の拝をはりて、施主みぎに転身して、住持人にむかひて、手爐をささげて曲躬し揖す。住持人は椅子にゐながら、経をささげて合掌して揖をうく。施主つぎに北にむかひて揖す。揖をはりて、首座のまへより巡堂す。

巡堂のあひだ、知客さきにひけり。巡堂一匝して、聖僧前にいたりて、なほ聖僧にむかひて、手爐をささげて揖す。このとき、知客は雲堂の門限の内に、拝席のみなみに、面を北にして叉手してたてり。

施主、揖聖僧をはりて、知客にしたがひて雲堂前にいでて、巡堂前一匝して、なほ雲堂内にいりて、聖僧にむかひて拝三拝す。拝をはりて、交椅につきて看経を証明す。交椅は、聖僧のひだりの柱のほとりに、みなみにむかへてこれをたつ。あるいは南柱のほとりに、きたにむかひてたつ。

施主すでに座につきぬれば、知客すべからく施主にむかひて揖してのち、くらゐにつく。あるいは施主巡堂のあひだ、梵音あり。梵音の座、あるいは聖僧のみぎ、あるいは聖僧のひだり、便宜にしたがふ。

手爐には、沈香箋香の名香をさしはさみ、たくなり。この香は、施主みづから弁備するなり。
施主巡堂のときは、衆僧合掌す。

つぎに看経銭を俵す。銭の多少は、施主の心にしたがふ。あるいは綿、あるいは扇等の物子、これを俵す。施主みづから俵す、あるいは知事これを俵す、あるいは行者これを俵す。俵する法は、僧のまへにこれをおくなり、僧の手にいれず。

衆僧は、俵銭をまへに俵するとき、おのおの合掌してうくるなり。俵銭、あるいは当日の斎時にこれを俵す。もし斎時に俵するがごときは、首座施食ののち、さらに打槌一下して、首座施財す。

施主回向の旨趣を紙片にかきて、聖僧の左の柱に貼せり。

雲堂裡看経のとき、揚声してよまず、低声によむ。あるいは経巻をひらきて文字をみるのみなり。句読におよばず、看経するのみなり。

かくのごとくの看経、おほくは金剛般若経、法華経普門品、安楽行品、金光明経等を、いく百千巻となく、常住にまうけおけり。毎僧一巻を行ずるなり。看経をはりぬれば、もとの盤、もしは凾をもちて、座のまへをすぐれば、大衆おのおの経を安ず。とるとき、おくとき、ともに合掌するなり。とるときは、まづ合掌してのちにとる。おくときは、まづ経を安じてのちに合掌す。そののち、おのおの合掌して、低声に回向するなり。

もし常住公界の看経には、都鑑寺僧、焼香、礼拝、巡堂、俵銭、みな施主のごとし。手爐をささぐることも、施主のごとし。もし衆僧のなかに、施主となりて大衆の看経を請ずるも、俗施主のごとし。焼香、礼拝、巡堂、俵銭等あり。知客これをひくこと、俗施主のごとくなるべし。

聖節の看経といふことあり。彼は、今上の聖誕の、假令もし正月十五日なれば、まづ十二月十五日より、聖節の看経はじまる。今日上堂なし。仏殿の釈仏のまへに、連床を二行にしく。いはゆる東西にあひむかへて、おのおの南北行にしく。東西床のまへに枱盤をたつ。そのうへに経を安ず。金剛般若経、仁王経、法華経、最勝王経、金光明経等なり。

堂裡僧を一日に幾僧と請じて、斎前に点心をおこなふ。あるいは麺一椀、羮一杯を毎僧に行ず。あるいは饅頭六七箇、羮一分、毎僧に行ずるなり。饅頭これも椀にもれり。はしをそへたり、かひをそへず。おこなふときは、看経の座につきながら、座をうごかずしておこなふ。

点心は、経を安ぜる枱盤に安排せり。さらに棹子をきたせることなし。行点心のあひだ、経は枱盤に安ぜり。点心おこなひをはりぬれば、僧おのおの座をたちて、嗽口して、かへりて座につく。すなはち看経す。粥罷より斎時にいたるまで看経す。斎時三下鼓響に座をたつ。今日の看経は、斎時をかぎりとせり。

はじむる日より、建祝聖道場の牌を、仏殿の正面の東の簷頭にかく、黄牌なり。また仏殿の内の正面の東の柱に、祝聖の旨趣を、障子牌にかきてかく、これ黄牌なり。住持人の名字は、紅紙あるいは白紙にかく。その二字を小片紙にかきて、牌面の年月日の下頭に貼せり。かくのごとく看経して、その御降誕の日にいたるに、住持人上堂し、祝聖するなり。これ古来の例なり。いまにふりざるところなり。

また僧のみづから発心して看経するあり。寺院もとより公界の看経堂あり。かの堂につきて看経するなり。その儀、いま清規のごとし。

高祖薬山弘道大師、問高沙弥云、汝従看経得、従請益得(高祖薬山弘道大師、高沙弥に問うて云く、汝看経よりや得たる、請益よりや得たる)。
高沙弥云、不従看経得、亦不従得(看経より得たるにあらず、またより得たるにあらず)。
師云、大有人、不看経、不請益、為什麼不得(大いに人有り、看経せず、請益せず、什麼としてか不得なる)。
高沙弥云、不道他無、只是他不肯承当(他無しとは道はず、只だ是れ他の承当を肯せざるのみ)。
仏祖の屋裡に承当あり、不承当ありといへども、看経請益は家常の調度なり。

正法眼蔵看経第三十

爾時仁治二年辛丑秋九月十五日在雍州宇治郡興聖宝林寺示衆
寛元三年乙巳七月八日在越州吉田県大仏寺侍司書写之 懐奘

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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