【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」王索仙陀婆(おうさくせんだば)

投稿日:1245年10月23日 更新日:

有句無句、如藤如樹。邛驢邛馬、透水透雲(有句も無句も、藤の如く樹の如し。驢に邛ひ馬に邛ふ、水を透り雲を透る)。

すでに恁麼なるゆゑに、
大般涅槃経中、世尊道、譬如大王告諸群臣仙陀婆来。仙陀婆者、一名四実。一者塩、二者器、三者水、四者馬。如是四物、共同一名。有智之臣善知此名。若王洗時索仙陀婆、即便奉水。若王食時索仙陀婆、即便奉塩。若王食已欲飲漿時索仙陀婆、即便奉器。若王欲遊索仙陀婆、即便奉馬。如是智臣、善解大王四種密語

(大般涅槃経中に、世尊道はく、譬へば大王の、諸の群臣に仙陀婆来と告ぐるが如し。仙陀婆とは一名にして四実あり。一つには塩、二つには器、三つには水、四つには馬なり。是の如くの四物、共同一名なり。有智の臣は善く此の名を知る。若し王、洗時に索仙陀婆せんには、即便ち水を奉る。若し王、食時に索仙陀婆せんには、即便ち塩を奉る。若し王、食し已りて欲漿を飲まんとせん時索仙陀婆せんには、即便ち器を奉る。若し王、遊ばんとして索仙陀婆せんには、即便ち馬を奉る。是の如く智臣、善く大王の四種の密語を解脱するなり)。

この王索仙陀婆ならびに臣奉仙陀婆、きたれることひさし、法服とおなじくつたはれり。世尊すでにまぬかれず挙拈したまふゆゑに、児孫しげく挙拈せり。疑著すらくは、世尊と同参しきたれるは仙陀婆を履踐とせり、世尊と不同参ならば、更買草鞋行脚、進一歩始得(更に草鞋を買ひて行脚して、一歩を進めて始得なるべし)。すでに仏祖屋裏の仙陀婆、ひそかに漏泄して大王家裏に仙陀婆あり。

大宋慶元府天童山宏智古仏上堂示衆云、挙、僧問趙州、王索仙陀婆時如何。趙州曲躬叉手(大宋慶元府天童山宏智古仏上堂の示衆に云く、挙す、僧趙州に問ふ、王索仙陀婆の時如何。趙州曲躬叉手す)。

雪竇拈云、索塩奉馬(雪竇拈じて云く、塩を索むるに馬を奉れり)。
師云、雪竇一百年前作家、趙州百二十歳古仏。趙州若是雪竇不是、雪竇若是趙州不是。且道、畢竟如何(雪竇は一百年前の作家、趙州は百二十歳の古仏なり。趙州若し是ならんには雪竇不是なり、雪竇若し是ならんには趙州不是なり。且く道ふべし、畢竟如何)。

天童不免下箇注脚。差之毫釐、失之千里。会也打草驚蛇、不会也焼銭引鬼。荒田不揀老倶胝、只今信手拈来底(天童免れず箇の注脚を下さん。之に差ふこと毫釐ならば、之を失ふこと千里。会するも草を打つて蛇を驚かす、不会なるも銭を焼きて鬼を引く。荒田揀ばず老倶胝、只今手に信せて拈じ来る底なり)。

先師古仏上堂のとき、よの常にいはく、宏智古仏
しかあるを、宏智古仏を古仏と相見せる、ひとり先師古仏のみなり。宏智のとき、径山の大慧禅師宗杲といふあり、南嶽の遠孫なるべし。大宋一国の天下おもはく、大慧は宏智にひとしかるべし、あまりさへ宏智よりもその人なりとおもへり。このあやまりは、大宋国内の道俗、ともに疎学にして、道眼いまだあきらかならず、知人のあきらめなし、知己のちからなきによりてなり。

宏智のあぐるところ、真箇の立志あり。
趙州古仏、曲躬叉手の道理を参学すべし。正当恁麼時、これ王索仙陀婆なりやいなや、臣奉仙陀婆なりやいなや。

雪竇の索塩奉馬の宗旨を参学すべし。いはゆる索塩奉馬、ともに王索仙陀婆なり、臣索仙陀婆なり。世尊索仙陀婆、迦葉破顔微笑なり。初祖索仙陀婆、四子、馬塩水器を奉す。馬塩水器のすなはち索仙陀婆なるとき、奉馬奉水する関捩子、学すべし。

南泉一日見訒隠峰来、遂指浄缾曰、浄缾即境、缾中有水、不得動著境、与老僧将水来(南泉一日、訒隠峰の来るを見て、遂に浄缾を指して曰く、浄缾は即ち境なり、缾中に水有り、境を動著することを得ず、老僧が与に水を将ち来るべし)。
峰遂将缾水、向南泉面前瀉(峰、遂にの水を将つて、南泉の面前に向つて瀉す)。
泉即休(泉、即ち休す)。

すでにこれ南泉索水、徹底海枯。隠峰奉器、缾漏傾湫(南泉水を索むる、底に徹し海枯る。隠峰器を奉る、缾漏れて湫を傾く)。しかもかくのごとくなりといへども、境中有水、水中有境を参学すべし。動水也未、動境也未。

香厳襲燈大師、因僧問、如何是王索仙陀婆(如何ならんか是れ王索仙陀婆)。
厳云、過遮辺来(遮辺を過ぎ来れ)。
僧過去(僧、過ぎ去く)。
厳云、鈍置殺人。

しばらくとふ、香厳道底の過遮辺来、これ索仙陀婆なりや、奉仙陀婆なりや。試請道看(試みに道ひ看んことを請ふ)。

ちなみに僧過遮辺去せる、香厳の索底なりや、香厳の奉底なりや、香厳の本期なりや。もし本期にあらずは鈍置殺人といふべからず。もし本期ならば鈍置殺人なるべからず。香厳一期の尽力道底なりといへども、いまだ喪身失命をまぬかれず。

たとへばこれ敗軍之将さらに武勇をかたる。おほよそ説黄道黒、頂眼睛(黄と説き黒と道ふ、頂と眼睛と)、おのれづから仙陀婆の索奉、審審細細なり。拈挂杖、挙払子、たれかしらざらんといひぬべし。しかあれども、膠柱調絃するともがらの分上にあらず。このともがら、膠柱調絃をしらざるがゆゑに、分上にあらざるなり。

世尊一日陞座、文殊白槌云、諦観法王法、法王法如是(世尊一日陞座したまふに、文殊白槌して云く、諦観法王法、法王法如是)。
世尊下座。
雪竇山明覚禅師重顕云、
列聖叢中作者知(列聖叢中、作者のみ知る)、
法王法令不如欺(法王法令欺の如くならず)。
衆中若有仙陀客(衆中若し仙陀の客有らんには)、
何必文殊下一槌(何ぞ必ずしも文殊一槌を下さん)。

しかあれば、雪竇道は、一槌もし渾身無孔ならんがごとくは、下了未下、ともに脱落無孔ならん。もしかくのごとくならんは、一槌すなはち仙陀婆なり。すでに恁麼人ならん、これ列聖一叢仙陀客なり。このゆゑに法王法如是なり。使得十二時、これ索仙陀婆なり。被十二時使、これ索仙陀婆なり。索拳頭、奉拳頭すべし。索払子、奉払子すべし。

しかあれども、いま大宋国の諸山にある長老と称ずるともがら、仙陀婆全て夢也未見在なり。苦哉苦哉、祖道陵夷なり。苦学おこたらざれ、仏祖命脈まさに嗣続すべし。たとへば、如何是仏(如何ならんか是れ仏)といふがごとき、即心是仏と道取する、その宗旨いかん。これ仙陀婆にあらざらんや。即心是仏といふはたれといふぞと、審細に参究すべし。たれかしらん、仙陀婆の築著磕著なることを。

正法眼蔵第七十四

爾時寛元三年十月二十二日在越州大仏寺示衆

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