【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」示庫院文(じくいんもん)

投稿日:1246年8月6日 更新日:

寛元四年八月六日示衆云、斎僧之法、以敬為宗。
はるかに西天竺の法を祖々正伝し、ちかくは震旦国の法を正伝するに、如来滅度ののち、あるいは諸天の天供を、仏ならびに僧に奉獻し、あるいは国王の王膳を、仏ならびに僧に供養し、たてまつりき。そのほか長者居士のいへよりたてまつり、毘闍首陀のいへよりたてまつるもありき。かくのごとくの供養、ともに敬重するところ、ねんごろなり。よく天上人間のなかに、極重の敬礼をもちゐ、至極の尊言をして、うやまひたてまつりて、飯饌等の供養のそなへを造作するなり、深意あり。いま遠方の深山なりとも、寺院の香積局、その礼儀言語、したしく正伝すべきなり、これ天上人間の仏法を習学するなり。

いはゆる粥をば、御粥とまをすべし、朝粥とも、まをすべし、粥とまをすべからず。斎をば、御斎とまをすべし、斎時ともまをすべし、斎とまをすべからず、よねしろめ、まゐらせよと、まをすべし、よねつけと、いふべからず。よねあらひ、まゐらするをば、浄米し、まゐらせよと、まをすべし、よねかせと、まをすべからず。御菜の御料のなにもの、えりまゐらせよと、まをすべし、菜えれと、まをすべからず。御汁のもの、しまいらせよと、まをすべし、汁によと、まをすべからず。御羮しまゐらせよとまをすべし、羮せよとまをすべからず。御斎、御粥は、むませさせ、たまひたると、まをすべし。斎粥いれたてまつらん調度、みなかくのごとく、うやまふべし、不敬は、かへりて殃過をまねく、功徳をうることなきなり。

斎粥をととのへ、まゐらするとき、人の息にて米菜および、いづれの、ものをも、ふくべからず。たとひ、かはきたるものなりとも、綴袖に触することなかれ、頭顔に触たる手を、いまだあらはずして、斎粥の器、および斎粥に手ふるることなかれ。よねをえりまゐらするより、乃至飯羮に、つくり、まゐらする、経営のあひだ、身のかゆき、ところ、かきては、かならず、その手をあらふべし。斎粥ととのへまゐらするところにては、仏経の文、および師の語を諷誦すべし、世間の語、雑穢の話、いふべからず。

おほよそ、米菜塩醤等の、色々なもの、ましますと、まをすべし、米あり菜ありと、まをすべからず。斎粥のあらんところをすぎんには、行者は問訊したてまつるべし、零菜零米等ありとも、斎粥ののち使用すべし、斎粥をはらざらんほど、をかすべからず。斎粥ととのへまゐらする調度、ねんごろに護惜すべし、他事に、もちゐるべからず。在家より、きたれらん、ともがらの、いまだ手をきよめざらんには、手をふれさすべからず、在家よりきたれらん菜果等、いまだきよめずは、洒水して行香し行火してのちに、三宝衆僧にたてまつるべし。

現在大宋国の諸山諸寺には、もし在家より饅頭乳餅、蒸餅等、きたらんは、かさねてむしまゐらせて、衆僧にたてまつる、これきよむるなり、いまだむさざれば、たてまつらざるなり。これおほかるなかに、すこしばかりなり、この大旨をえて、庫院香積、これを行すべし、万事非儀なることなかれ。

右条々、仏祖之命脈、衲僧之眼睛也、外道未知、天魔不堪、唯有仏子、乃能伝之、庫院之知事、明察莫失焉。

開闢沙門 道元
永平寺
今告知事、自今已後、若過午後、檀那供、留待翌日、如其麪餅菓子、諸般粥等、雖晩猶行、乃仏祖会下薬石也、況大宋国内、有道之勝躅也。
如来曽許雪山僧裏服衣、当山亦許雪時之薬石矣。
開闢永平寺 希玄印

※このページは学問的な正確性を追求するものではありません。より分かりやすくする為に漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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