仏像便り

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迦楼羅(かるら)

迦楼羅とは、口から火を吹き、煩悩(三毒)の象徴と言われる龍(毒蛇)を常食とし、衆生の煩悩を喰らう霊鳥とされています。迦楼羅天(かるらてん)、迦楼羅王(かるらおう)、金翅鳥(こんじちょう)、妙翅鳥(みょうじちょう)、迦楼羅鳥などともいいます。八部衆の一つでもあります。インド神話の神鳥ガルダが仏教に取り入れられ、仏法守護の神となりました。鳥頭人身の二臂と四臂があり、龍や蛇を踏みつけている姿の像もあります。鳥頭人身有翼で、篳篥(ひちりき)や横笛を吹く姿もあります。密教では、迦楼羅を本尊とした修法で降魔、病除、延命、防蛇毒に効果があるとされます。また、雨乞い、止風雨の利益(りやく)があるとされます。不...
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羅刹(らせつ)

羅刹とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、羅刹天ともいい、羅刹鬼(らせつき)・速疾鬼(そくしつき)・可畏(かい)・捷疾鬼(しょうしつき)という訳名があります。インド神話においては鬼神ラークシャサといい、破壊と滅亡を司ります。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。北方を守護する多聞天の眷属です。その姿は鎧を身につけ左手を剣印の印契を結び、右手に刀を持つ姿で描かれます。全身黒色で、髪の毛だけが赤い鬼とされます。『往生要集』(源信)は、目もあてられないほどむごたらしい地獄描写で有名ですが、そこでも羅刹は亡者を責める地獄の鬼として描かれています。<< 戻る
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富單那(ふたんな)

富單那とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、臭餓鬼(しゅうがき)という訳名があります。インド神話においてはブータといい、熱病をもたらす鬼です。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。西方を守護する広目天の眷属です。富單那のことを知るために、さらにインドに伝わるブータのことを確認すると、事故死、自殺、刑死などで急死しプレータ(薜茘多)と呼ばれる浮遊霊となった死者は、死後11日目に跡取り息子によって供養されなければ家を守護する祖霊ピトリとなることができず、墓地で排泄物や腸を食べ、たまに人間を騙してその肉を食らうようになります。ブータは傲慢であり、人の話に全く耳を傾けず、襲われた人間は...
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那伽(ナーガ、龍神)

那伽とは、八部衆の一つ、また、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、水属の王とされ、龍神、龍王という訳名があります。インド神話においてはナーガといい、蛇の精霊あるいは蛇神のことです。ブッダが悟りを開く時に守護したとされ、仏教に龍王として取り入れられて以来、守護神となっています。もともとコブラを神格化した蛇神でしたが、コブラの存在しない中国においては漢訳経典において「龍」と翻訳され、中国にもともとあった龍信仰と習合し、日本にもその形式で伝わっています。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。西方を守護する広目天の眷属です。<< 戻る
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薜茘多(へいれいた)

薜茘多とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、餓鬼(がき)という訳名があります。「死者の霊」を意味する梵語プレータの音訳で、仏教では六道の内の餓鬼道(餓鬼の世界)に生まれた者のことをいいます。餓鬼は、三途・五趣(五道)・六趣(六道)の一つで、常に飢えと乾きに切迫され、食物や飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうことから、決して満たされることがない鬼神です。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。南方を守護する増長天の眷属です。<< 戻る
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鳩槃荼(くばんだ)

鳩槃荼とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、厭魅鬼・厭眉鬼(えんみき)とも呼ばれ、甕形(かめけい)という訳名があります。インド神話においてはクンバーンダという魔神でした。人の睡眠を妨げて災難を引き起こすとされます。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。南方を守護する増長天の眷属です。<< 戻る
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毘舎闍(びしゃじゃ)

毘舎闍とは、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、畢舎遮とも音写され、啖精気(たんせいき)という訳名があります。インド神話においてはピシャーチャといい、鬼神の一種で、人および五穀の精気を食べるといわれています。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。東方を守護する持国天の眷属です。<< 戻る
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乾闥婆(けんだつば)

乾闥婆とは、八部衆の一つ、また、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、香神、香音天、香陰など様々な訳名があります。インド神話においてはガンダルヴァといい、インドラ(帝釈天)に仕える半神半獣の奏楽神団でした。仏教に取り入れられてからも、大勢の神のいる宮殿の中で美しい音楽を奏でる責任者となりました。酒や肉を食べることなく、ただ香だけでその陰身を保っています。また、集団の名であり、個別の神をさすものではありません。東方を守護する持国天の眷属です。・「自己に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。常に行ないをつつしみ、自己を整えている人、このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガン...
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広目天(こうもくてん)

広目天とは、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、龍神(りゅうじん)、富単那(ふたんな)といった眷属(けんぞく)を従えて西方を守護する四天王として知られています。梵語名はヴィルーパークシャといい、毘楼博叉(びるばくしゃ)と音写されます。「尋常でない眼」「特殊な力を持った眼」との意味を持つことから、千里眼と拡大解釈され「広目天」と呼ばれます。宝髻(ほうけい)を結い、天冠台(てんかんだい)を被っています。手には筆や巻物を持つ場合や三鈷戟(さんこげき)や羂索(けんさく)などの武具を持つ場合など、表現は様々です。(広目天・東寺)<< 戻る
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増長天(ぞうちょうてん)

増長天とは、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、鳩槃荼(くばんだ)、薜茘多(へいれいた)といった眷属(けんぞく)を従えて南方を守護する四天王として知られています。梵語名はヴィルーダカといい、毘楼勒叉(びるろくしゃ)と音写されます。「増大した者」「発芽し始めた穀物」との意味を持つことから「増長天」と呼ばれます。宝髻(ほうけい)を結い、天冠台(てんかんだい)を被っています。手には戟(げき)や槍(やり)、戟(ほこ)、剣を持っています。革製の甲冑を身に着けた唐(中国)代の武将風の姿で表され、忿怒(ふんぬ)の表情で邪鬼を踏みつけるなど、その姿は様々な表現がされています。そし...
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持国天(じこくてん)

持国天とは、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、乾闥婆(けんだつば)や毘舎闍(びしゃじゃ)といった眷属(けんぞく)を従えて東方を守護する四天王の一尊として知られています。梵語名はドリタラーシュトラといい、提頭頼叱(だいずらた)と音写されます。「国土を支えるもの」との意味を持つことから「持国天」と呼ばれます。宝髻(ほうけい)を結い、天冠台(てんかんだい)を被っています。手には宝珠(ほうじゅ)や三鈷戟(さんこげき)、剣を持っています。革製の甲冑を身に着けた唐(中国)代の武将風の姿で表され、忿怒(ふんぬ)の表情で邪鬼を踏みつけるなど、その姿は様々な表現がされています。(...
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梵天(ぼんてん)

梵天とは、古代インド、バラモン教最高位の神ブラフマー/ブラフマン(宇宙万物の創造神)が仏教に取り入れられ、仏法の守護神とされました。宇宙を維持するヴィシュヌ神、宇宙を破壊するシヴァ神と共にヒンドゥ三大神の一神です。護法善神の代表格として帝釈天(たいしゃくてん)と二神一対の像として祀られる例が多く見られます。ブッダが悟りを開いた後、その悟りを広めることをためらったとき、その悟りを広めるよう勧めたのが梵天と帝釈天とされ、この伝説を梵天勧請(ぼんてんかんじょう)といいます。また、古代インドで文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられたサンスクリット語が「梵語」と言われるのは、この梵天がつくったも...
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布袋(ほてい)

布袋とは、唐(中国)末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したと言われる仏教の僧侶です。弥勒菩薩の化身ともいわれています。小柄で太ったおおらかな身なりで、一本の杖を持ち、いつも袋(頭陀袋)を背負っていたことから布袋という俗称がつけられました。七福神のなかで唯一実在の人物です。(七福神・布袋像・黄檗山萬福寺)<< 戻る
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福禄寿(ふくろくじゅ)

福禄寿とは、長寿と福禄をもたらすと言われる宋(中国)の道教の道士・天南星の化身、または、道教の神・南極老人(南極老人星・カノープス)の化身を現わしていると考えられています。また、七福神に加えられています。道教で強く求められる3種の願いがあり、幸福(この場合、血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものとされ、七福神の寿老人と同体異名の神とされることもあります。この短身、長頭、美しい髭を貯えた老人の持つ杖の頭には、経巻が結び付けられ、白鶴をともなっています。この経巻は、人の寿命をしめし、この福、禄、寿の三徳を兼ね備えた人は、人望のある人と...
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弁才天(=弁財天・べんざいてん)

弁才天とは、仏教の守護神である天部の一つで、2手で琵琶(びわ)を弾く天女の姿や8手で各種の武具をもつ天女の姿で現わされ、もともとは川が神格化した水の神であったことから、多くの弁財天の像は池や海岸、水に縁のある場所に祀られています。七福神の中で、唯一の女神です。聖河の偉大さが神格化されたヒンドゥのサラスヴァティー女神は、古代インドでは豊かさを象徴する神でしたが、やがて、手に本や数珠、縄、ヴィーナ(琵琶)、水瓶などを持ち、叡智や学問、音楽の神となり、仏教に取り入れられた呼び名が「弁才天」あるいは「辨才天」です。日本では財宝神としての信仰が集まり、「弁財天」や「辨財天」と表記する場合も多くあります。...
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毘沙門天(びしゃもんてん)/多聞天(たもんてん)

毘沙門天とは、須弥山(しゅみせん)の中腹に住み、帝釈天(たいしゃくてん)に仕え、夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)といった眷属(けんぞく)を従えて北方を守護しています。妻は吉祥天女(きちじょうてんにょ)です。また、七福神や四天王として知られています。ヒンドゥでは、クベーラという財宝神でしたが、サンスクリット語でヴァイシュラヴァナという呼び名もあることから、音訳されて「毘沙門」となりました。そこに、神や天を表す「天」という字が加えられ、「毘沙門天」という名になったといわれています。ヴァイシュラヴァナ呼び名は、サンスクリット語で「よく聞く」という意味であることから、意訳されて「多聞天」になりました。日...
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大黒天(だいこくてん)

大黒天とは、ヒンドゥーの神であるシヴァ神の化身の一つ、マハーカーラ(偉大な暗黒の神)が仏教に取り入れられたものです。名前のしめす通り真黒で、もともとは怒った姿をしていました。仏教では、仏・法・僧の三宝を護持し、食物・財福を司る護法神(ごほうじん)となり、七福神にも加えられています。  大黒天には六種類あり、その一つにマカラ大黒があります。よく見かけるのがこの大黒天で、日本では「大黒」が「大国」に通ずるところから、大黒天は、大国主神(おおくにぬしのかみ)と同一視され、神話にあるように、大きな袋を背負って歩く姿となりました。頭には頭巾をかぶり、手には小槌、袋をかついで米俵の上に立っています。頭巾を...
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馬頭観音菩薩(ばとうかんのんぼさつ)

馬頭観音菩薩は、馬頭観音、馬頭観世音菩薩、馬頭明王などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、ハヤグリーヴァ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、ハヤグリーヴァとは「馬の首」の意味で、ヴィシュヌ神の異名でもあり、インドでヒンドゥーの影響を受けて成立したと考えられています。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像、立像ともにあり、体色は赤く、目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した忿怒相で、頭が馬のものと、馬の頭飾り...
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准胝観音菩薩(じゅんていかんのんぼさつ)

准胝観音菩薩は、准胝観音、准胝仏母、准胝観世音菩薩、天人丈夫観音などとも呼ばれます。準胝観音または準提観音とも書かかれまづ。サンスクリット(梵語)では、チュンディー・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、チュンディーとは「清浄」「妙なる」の意味で、インドでヒンドゥーの女神ドゥルガーの影響を受けて成立したと考えられています。また、七倶胝仏母(しちくていぶつも)とも呼ばれ、サンスクリット(梵語)では、サプタコーティブッダ・マートリといい、「七千万の仏の母」「過去無量諸仏の母」の意味です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1...
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千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)

千手観音菩薩は、十一面千手観音、千手千眼観音、十一面千手千眼観音、千手千臂観音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、サハスラブジャとは文字通り「千の手」の意味で、ヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥルガーといった神々の異名でもあり、インドでヒンドゥーの影響を受けて成立したと考えられています。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像、立像ともにあり、実際に千...
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韋駄天(いだてん)

韋駄天は、韋駄尊天などとも呼ばれ、インドでヒンドゥーの軍神であるスカンダが仏教に取り入れられて、仏法の護法神となり成立したと考えられています。中国に入って道教の韋将軍信仰と習合したことから、特徴としては、剣を持つ武将で、唐風の甲冑を着ている姿が多いようです。また、足が速いとされる天部の護法神です。俗説として、仏舎利(ぶっしゃり)を盗んだ捷疾鬼(しょうしつき)を追いかけて取り戻したということから、足の速い神とされ、足の速い人のたとえとして「韋駄天走り」という言葉もあります。また、韋駄天がお釈迦様のために方々を駆け巡って食物を集めたことに由来して、禅宗寺院では食料を置き、食事を調理するところである...
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跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)

跋陀婆羅菩薩はインドの言葉ではバドラパーラと呼ばれます。中国に入り漢字に音訳され跋陀婆羅菩薩となりました。この跋陀婆羅菩薩は『首楞厳経』(しゅりょうごんきょう)に記されている菩薩で、十六人の菩薩が風呂の供養を受けた際、跋陀婆羅菩薩をはじめ菩薩達が忽然として自己と水が一如であることを悟ったことが記されています。その因縁から浴室の守り本尊として、お祀りするようになりました。また、禅宗でいう浴室は七堂伽藍の一つとして数えられ、僧堂・東司(とうす:トイレ)と共に「三黙道場(会話談笑することを誡める三所のこと)」とされます。禅宗では清規(しんぎ:生活規則))によって月の内、四と九の付く日(四九日、しくに...
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薬師如来像(やくしにょらいぞう)

薬師如来、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)について、このページでは主に造像さた仏像としての薬師如来像、薬師瑠璃光如来像について書きます。如来とは悟りを開いた仏の姿で、薬師如来は、東方の浄瑠璃世界(じょうるりせかい)の教主で、西方の極楽浄土の教主である阿弥陀如来と相対しています。また、大医王仏とも呼ばれます。衣服は全身を覆う一枚の衲衣(のうえ)や大衣(だいえ)の布を着て、装飾品は身につけず、持物は左手に薬壺(やっこ)を持つか、何も持っていないものもあります。頭部は螺髪(らほつ)と呼ばれる髪型で、中央部は頂髻相(ちょうけいそう)・肉髻(にっけい)を表していて盛り上がっています。眉間には白毫...
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大日如来(だいにちにょらい)

大日如来について、このページでは主に造像さた仏像としての大日如来について書きます。もともとの梵名は「ヴァイローチャナ」または「マハーヴァイローチャナ」(諸説あり) といい、それを音写して「摩訶毘盧遮那如来(まかびるしゃなにょらい)」、「マハー」は「大きい」、「ヴァイローチャナ」は「太陽」の意味で、意訳して大日如来と呼ばれます。また、大光明遍照(だいこうみょうへんじょう)とも呼ばれることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。大日如来は、蓮華座に結跏趺坐し、頭に宝冠(ほうかん)、胸には瓔珞(ようらく)、 肩から手首までには臂釧(ひせん)、腕には腕釧(わんせん)をつけ、如来の中でも特別な王者の...
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阿弥陀三尊(あみださんぞん)

阿弥陀如来(仏)を中心に、左右の随身・両脇侍として菩薩を配した形式を阿弥陀三尊または弥陀三尊と呼びます。両脇侍には、向って左に阿弥陀如来の知恵の徳を表す勢至菩薩、向って右に阿弥陀如来の慈悲の徳を表す観音菩薩を配する例が多いようですが、随身・両脇侍の左右が逆という作例もあります。如来とは悟りを開いた仏の姿で、菩薩とは仏になるために修行する人のことを言いますが、観音菩薩や勢至菩薩の場合は阿弥陀如来の分身として、その働きを助ける者という考えです。慈悲として働かれる時には観音菩薩をつかわし、智慧として働かれる時は勢至菩薩をつかわされます。見分けがつかない場合は、頭上の髻の正面を見て、阿弥陀如来の化仏(...
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薬師三尊(やくしさんぞん)

薬師如来を中心に、左右の脇侍(きようじ)として、向かって右に日光菩薩・向かって左に月光菩薩を配した形式を薬師三尊と呼びます。中尊である薬師如来を坐像、脇侍を立像とするのが一般的ですが、中尊、脇侍ともに坐像とする場合もあります。また、日光菩薩が日輪を、月光菩薩が月輪を持つ例が多いですが、例にあげた画像のように、古い作例では持物のない場合もあります。(薬師三尊像 薬師寺)<< 戻る
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三世仏(さんぜぶつ)

三世仏、三世如来とも呼ばれます。過去・現在・未来の三世に対応した仏・如来を指します。代表的なものは上掲載画像のように向かって左から、阿弥陀仏・釈迦仏・弥勒仏を、それぞれ過去・現在・未来の三世に対応させる三世仏です。この場合、阿弥陀仏は、十劫もの昔に成道した仏として過去仏に、釈迦仏は歴史上の仏として現在仏に、弥勒仏は釈迦仏入滅後56億7千万年後に現れる次の仏として未来仏に対応されています。上記と違う場合、薬師仏を過去仏に対応される例では、阿弥陀仏を未来仏に対応されていたり、その他、過去仏に釈迦仏を対応されていたり、薬師仏を対応されていたり、盧舎那仏を対応されていたり、様々な例があるようです。(浄...
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普賢菩薩(ふげんぼさつ)

普賢菩薩とは、理性と慈悲や修行の徳をつかさどる大乗仏教の菩薩です。女人成仏を説く『妙法蓮華経普賢菩薩勧発品』に登場することから、女性の信仰を多く集めました。梵名をサマンタ・バドラといい、意訳して、「普く賢い者」の意味である普賢となりました。また、金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)などともいいます。その姿は、六牙の白象に蓮華座を乗せ、結跏趺坐(けっかふざ)して合掌して乗っている造形が描かれることが多いです。その他、左手に宝剣を立てた蓮茎や五鈷鈴を持ち、右手に五鈷杵を持つ姿で表される他、如意や蓮華、経典を手に持つ姿もあります。単独で安置されることや、釈迦三尊の脇侍として、向かって左に安置されることや...
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観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)

観世音菩薩は、観音菩薩、観自在菩薩、観世自在菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、世間の出来事を自在に観察して、その苦悩から救済する菩薩です。観世音菩薩像は、如来像のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となるといい、その姿は六観音・三十三観音などに表されています。また、勢至菩薩と共に阿弥陀仏の脇侍でまつられることもあり、また、独尊としても信仰されています。姿の特徴としては、宝冠...
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釈迦如来像(しゃかにょらいぞう) 

釈迦如来、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)について、このページでは主に造像さた仏像としての釈迦如来像、釈迦牟尼仏像、釈迦仏像、釈迦像について書きます。如来とは悟りを開いた仏の姿で、釈迦如来像は全ての仏像の基本形といえます。衣服は全身を覆う一枚の衲衣(のうえ)や大衣(だいえ)の布を着て、装飾品は身につけず、持物は何も持っていません。頭部は螺髪(らほつ)と呼ばれる髪型で、中央部は頂髻相(ちょうけいそう)・肉髻(にっけい)を表していて盛り上がっています。眉間には白毫(びゃくごう)があります。その他、原則として仏の三十二相(さんじゅうにそう)に倣っています。釈迦如来の代表的な印相(いんぞう)・印契(いんげ...
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不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)

不空羂索観音菩薩は、不空羂索観音、不空羂索観世音菩薩などとも呼ばれ、読み方は「ふくうけんさく」「ふくうけんじゃく」の2通りあります。サンスクリット(梵語)では、アモーガ・パーシャ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、アモーガ「不空」とは文字通り「むなしからず」の意味で、パーシャ「羂索 」とは一切衆生を仏法へと導く象徴とされる縄状の仏具です。「野獣の毛皮をまとうこと」など、シヴァ神と共通する点もあり、インドでヒンドゥーの影響を受けて成立したと考えられています。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、姿の特徴として...
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文殊菩薩(もんじゅぼさつ)

文殊菩薩とは、智慧をつかさどる大乗仏教の菩薩です。普通の人間でも三人あつまれば、よい考えを生むことが出来るという意味で「三人寄れば文殊の智慧」と一般にもよく使われています。梵名をマンジュシュリーといい、音写して文殊師利(もんじゅしゅり)となり、文殊は略称です。また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいいます。その姿は、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持ち、獅子の背の蓮華座に結跏趺坐して乗っている造形が描かれることが多いです。単独で安置されることや、釈迦三尊の脇侍として、向かって右に安置されることや、禅宗においては、剃髪し坐禅を組む僧形の「聖僧」(しょうそう)...