仏像便り

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涅槃像(ねはんぞう)- クシナガラ

ブッダ入滅の地・クシナガラにある涅槃堂の涅槃像は足のつま先がずれています。これは入滅した(亡くなった)姿を表しているのです。その時80歳、悟りを得た後の45年の伝道の旅を終えた姿です。また、つま先が揃っているものは最後の説法をしている涅槃像です。(2001年撮影)(2017年8月撮影/邪魔な!?フェンスができています)この涅槃像は5世紀のクマラグプタ朝時代にハリバラという信者が寄進したものをマトゥラーからクシナガラへ運んできたものです。この時代、王をはじめとする仏教の信者はクシナガラに僧院や礼拝堂を建て、仏教は保護されていました。涅槃像の足の裏<< 戻る
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七福神(しちふくじん)

七福神とは、福をもたらすといわれている7尊の神のことです。恵比寿神、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老神、布袋、それぞれがヒンドゥーであったり、仏教、道教、神道などに由来します。日本では室町時代末頃に七福神としてまとめられるようになったようですが、当初は必ずしも顔ぶれが一定しておらず、江戸時代にはほぼ現在の七福神に定まったと考えられています。なお、七福神めぐりとは、七福神を祀ってあるお寺を順番に参拝することで縁起を呼ぶといわれています。また、「七福神の乗った宝船の絵」は縁起物として親しまれています。(七福神・歌川国芳(1798–1861)浮世絵)<< 戻る
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恵比寿神(えびすしん)

恵比寿神とは、七福神唯一の日本で産まれた神で、イザナギとイザナミとの間に第三番目の子として生まれ、蛭子尊(ヒルノミコト)と名付けられました。幼少のころ、脚が立たず歩行困難のため、両親が意を決して葦舟(あしぶね)に乗せて海に流し、舟は摂津国西宮の浦に漂着し恵比寿神として祀られるようになりました。  初めは漁民の神でしたが、海産物の売買を通して商売繁盛の神となりました。商家や農家に信仰されるようになり、福徳をもたらす福神として他の地域の寺院にも祀られるようになりました。江戸時代の僧・天海の説によれば、恵比寿神は律儀(道徳と利益を得さしめる)、福徳(幸福)と収穫や良果(良い結果)との、三つの徳をたた...
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地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

地蔵菩薩は、お地蔵さん、お地蔵様などとも呼ばれ、サンスクリット(梵語)では、クシティ・ガルバ・ボーディサットヴァといい、クシティとは「大地」の意味で、ガルバとは「胎内」「子宮」の意味で、大地のように広大な慈悲で生あるもの全てを救うという菩薩です。釈迦仏の入滅後56億7千万年後の未来に衆生を救済する為に出現する弥勒菩薩がこの世にいない間、六道で苦しむ衆生を教化・救済する菩薩で、日本では平安時代から広く信仰されるようになりました。姿の特徴としては、頭を丸めた僧形で、左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しやくじよう)を持物(じもつ)とする姿が多いようです。自ら六道を巡る菩薩として親しまれていることか...
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烏芻沙摩明王(うすさまみょうおう)

烏芻沙摩明王はこの世の一切の汚れを焼きつくす神力を持つとされ、禅宗や密教では古くから東司(とうす。三黙道場の一つ。トイレ)の守護神とされ祀られている寺院は珍しくありません。そのため、烏芻沙摩明王は一般的にもトイレの守り神として有名でした。烏芻沙摩明王に祈りを捧げる時に唱える真言は「オン クロダノ ウンジャク ソワカ」です。「烏枢沙摩明王」等、違う表記もあります。近年、その名を広く若い世代にまで浸透させるきっかけをつくったのは、植村花菜さんの作詞作曲で、彼女の幼き日におばあさんから教わった言葉が、大人になっても忘れられないという「トイレの神様」という歌が人気になったからではないでしょうか。烏芻沙...
便り

便り

「便り」では、ウェブサイトやブログ、ツイッターなどのSNSで寺院のことが書かれた記事を「便り」に掲載して、「この地域の寺院情報を調べたい」「この宗派の寺院情報を見てみたい」「あの寺院のクチコミ的なブログ一覧を見てみたい」というニーズに答えます。登録タグは「お墓便り,お寺ヨガ便り,お盆便り,ライブ便り,仏像便り,仏前結婚式便り,体験便り,写経便り,初詣便り,動画便り,告知便り,坐禅便り,宿坊便り,寺フード便り,寺院センター便り,建築便り,御朱印便り,拝観便り,樹木葬便り,法要便り,法話便り,法話(mp3)便り,法話(動画)便り,盆踊り便り,精進料理便り,納骨堂便り,話題便り,諸宗派の寺院便り,護...
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仏の三十二相(さんじゅうにそう)

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帝釈天(たいしゃくてん)

帝釈天とは、バラモン教、ヒンドゥーの神であるインドラが仏教に取り込まれて、梵天(ぼんてん)と並ぶ天部の二大護法善神とされました。 武器である金剛杵(こんごうしょ)を手に持ち雷を操ります。インドラの正式名をサンスクリット語でシャックロー・デーヴァーナーン・インドラハ(「神々の帝王であるシャクラ」の意)のうち、「インドラ」を「帝」と意訳し、「シャックロー」を「釈」と音訳し、後部に「天」を加えて「帝釈天」としています。釋提桓因(しゃくだいかんいん/シャクラ)とも記述されます。須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住み、四天王などを配下として仏教世界を護っています。頭上に宝髻(ほうけい)を結び、大衣や天衣...
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弥勒菩薩(みろくぼさつ)

弥勒菩薩は、ブッダの次にブッダとなることが約束された菩薩で、そのことから、弥勒仏、弥勒如来とも呼ばれます。梵名をマイトレーヤ、パーリ名をメッテイヤといい、音写して、弥勒となりました。意味は「慈しみ」(梵: maitrī, 巴: mettā)を語源とするため、慈氏菩薩(慈しみという名の菩薩)とも意訳されます。ブッダの入滅(にゅうめつ)後56億7000万年ののち、仏になると約束された菩薩です。阿逸多菩薩、アジタと記述される場合もあります。現在は、兜率天(とそつてん)で菩薩として修行・説法してますが、ブッダの入滅後56億7千万年後の未来に至ると、ブッダにかわって衆生を救済する為に、この世に出現すると...
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寿老神(じゅろうじん)

寿老神とは、道教の神であり、中国の伝説上の人物です。道教の神・南極老人(南極老人星・カノープス)の化身を現わしていると考えられています。中国の寿星で、唐代、宋代の古画には、群仙の一人として扱われています。また、七福神に加えられています。その姿は老人で白髭を垂れ、身の丈三尺、長頭で鹿をともなっています。鹿は千五百才で、その肉を食べた者は、二千年の長寿が得られ、杖の先に結びついている軸物は、人の寿命の長短を記した帳簿といわれています。七福神の福禄寿と同体異名の神とされることもあり、より長寿の徳を強調しています。 (七福神・寿老人・橘守国画wikipediaより)<< 戻る
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二十五菩薩(にじゅうごぼさつ)

二十五菩薩とは、臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来と共に、これから往生をとげようとする念仏の行者を浄土へ迎えに来る25の菩薩の一団です(来迎)。源信の『往生要集』に二十五菩薩のことが書かれています。二十五菩薩は、阿弥陀来迎図のなかに描かれることが多いですが、仏像として表現される例もあります。蓮台をはじめとする飾りや音楽・歌舞によって往生を祝福し、守護するための持物がありますが、その菩薩単体で現わされるときの持物と一致するとは限りません。次の二十五菩薩一覧にある持物は『二十五菩薩和讃』に書かれるものです。・観世音菩薩(蓮台)・大勢至菩薩(合掌)・薬王菩薩(幢幡)・薬上菩薩(玉幡)・普賢菩薩(幡蓋)...
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勢至菩薩(せいしぼさつ)

勢至菩薩は、大勢至菩薩、得大勢至菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、マハースターマプラープタといい、智慧の光をもってあまねくいっさいを照らし、無上の力を得させるという菩薩です。勢至菩薩像は、如来像のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。姿の特徴としては、宝冠の前面に水瓶・宝瓶を表す場合が多く、それで見分ける人が多いです。手に蓮華を持つ姿や合掌する姿が多いようです。左肩から右側の腰にかけて条帛(じょうはく)という薄い帯状の布が掛けられ、また両肩から天衣(てんね)という細長い布が垂らされ...
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眷属(けんぞく)

仏教用語で使われる場合の眷属とは、仏・菩薩・天・明王などを取り巻くもののことをいいます。大乗仏教の世界で様々な仏・菩薩・天・明王などが登場するようになると、それぞれの場所で主となる仏・菩薩・天・明王を中心とした、親族のような関係性ができあがり、眷属となりました。薬師如来の十二神将、不動明王の八大童子、千手観音菩薩の二十八部衆、四天王の八部鬼衆などです。また、その眷属に、さらに眷属がいる場合もあります。例えば、十二神将にはそれぞれ7000の眷属が、二十八部衆にはそれぞれ500の眷属がいるとされています。<< 戻る
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八部鬼衆(はちぶきしゅう)

八部鬼衆とは、四天王に仕え仏法を守護する8種族の鬼神です。乾闥婆(けんだつば)、毘舎闍(びしゃじゃ)、鳩槃荼(くばんだ) 、薜茘多(へいれいた)、那伽(ナーガ、龍神)、富單那(ふたんな) 、夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)。もとは古代インドの鬼神でしたが、仏教に帰依して仏法の守護神となりました。また、どれも集団の名であり、個別の神をさすものではありません。<< 戻る
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夜叉(やしゃ)

夜叉とは、元々は神的存在、霊的存在を意味しており、一般名詞であり、個別の神をさすものではありません。インド神話においては夜叉には男と女があり、梵語で男はヤクシャ、女はヤクシーもしくはヤクシニーと呼ばれます。また、巴語ではヤッカといいます。後代、八部衆の一つに数えられ、また、四天王眷属の八部鬼衆の一つで、薬叉(やくしゃ)ともいい、勇健鬼(ゆうけんき)という訳名があります。また、捷疾鬼(しょうしつき)という異名もあります。顔かたちが恐ろしい上に、性質が猛悪なインドの鬼神として表されるようになりました。地夜叉・虚空夜叉・天夜叉の3種類があり、地夜叉以外は飛行します。大乗仏典では薬師如来の十二神将や、...
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護法善神(ごほうぜんじん)

護法善神とは、仏法および仏教徒を守護する主に天部の神・鬼神のことです。梵天 (ぼんてん) ・帝釈天 (たいしゃくてん) ・四天王・十二神将・十六善神・二十八部衆などに含まれる神・鬼神のことをさします。護法神(ごほうしん)、諸天善神(しょてんぜんしん)ともいいます。<< 戻る
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不動明王(ふどうみょうおう)

不動明王とは、梵語ではアチャラ・ナータと呼ばれ、アチャラとは山のように動かないこと、ナータとは守護者・尊のことで、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味を持ちます。五大明王・八大明王の一つに数えられ、大日大聖不動明王、無動明王、無動尊、不動尊ともいいます。また、ヒンドゥー教のシヴァ神の別名でもあり、大日如来の化身とされます。姿は肥満した童子形で憤怒相を示し、身色は赤・黄・青黒色のいずれかです(写真の不動明王は青不動)。右手に宝剣、利剣、三鈷剣などを持ち、左手に羅索(けんさく)を持つものが多いようです。頭頂を七莎髻(ななしゃけい)に結び、頂上に八葉の蓮花をのせ、左肩に一弁髪を下げ、牙を出していま...
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仁王像(におうぞう)

仁王像とは、寺院の山門内で本堂を背に正面を向き境内を守っている二体一対の金剛力士像のことです。二王と表記される場合もあります。向かって右が口を大きく開け金剛杵(こんごうしょ)を持っている金剛像(阿形像・あぎょうぞう)、左が口を閉じている力士像(吽形像・うんぎょうぞう)です。ただし、明確に分類しない場合もあり、左右が逆の場合もあります。東大寺南大門の仁王像の安置方法は先の例とは違い、門内で向きあって安置されている上、左右逆になっています。「仁王立ち」「阿吽の呼吸」(仁王像・日石寺・富山県上市町)<< 戻る
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如意輪観音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)

如意輪観音菩薩は、如意輪菩薩、如意輪観世音菩薩、大梵深遠観音、救世菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、チンターマニチャクラ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、チンターマニとは「全ての願いを叶える如意宝珠」、チャクラとは「煩悩を破壊する仏法の象徴である法輪」の意味です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像または半跏像で、片膝を立てる六臂の坐像とする姿が多いようですが、二臂の半跏像もあります。六観音の1つでも表さ...
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閻魔大王(えんまだいおう)

閻魔大王とは、仏教などの世界観でいうところの地獄、冥界の王として死者の生前の罪を裁く神とされています。日本では地蔵菩薩の化身とされ、再び罪をつくらせない為に恐ろしい顔で接していると考えられています。もともとは、古代インドより伝えられているヤマという神で、妹のヤミーと結婚し、最初の人類を生んだとされる神が仏教に取り入れられました。閻魔大王は、梵語および巴語のヤマの音訳が閻魔であり、ヤマラージャとも呼ばれ、ラージャは王の意味であることから音訳されて閻魔羅闍(えんまらじゃ)、意訳されて閻魔大王と呼ばれます。略して閻魔王、閻羅王(えんらおう)、閻羅、閻ともいいます。平安時代になって末法思想が広がるにし...
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十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

十一面観音菩薩は、十一面観音、十一面観世音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、エーカダシャ・ムカ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、本体の顔以外に10または11の顔を持つ菩薩です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。右手は垂下し、左手は蓮華を生けた花瓶を持っている姿が多いようです。六観音の1つでも表されています。多くの顔をもつ多面の十一面観音菩薩は、頭上の11面のうち、最上部の仏面は仏果を表し、衆生の無明煩悩...
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四天王(してんのう)

四天王とは、須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天の配下で、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で仏教世界を護る四神です。東方を護る持国天(じこくてん)、南方を護る増長天(ぞうちょうてん)、西方を護る広目天(こうもくてん)、北方を護る多聞天(たもんてん)からなります。また、四大王(しだいおう)ともいいます。甲冑(かっちゅう)を着た武将姿で、岩や邪鬼の上に立っている像が多いようです。それぞれ武器を持っていますが、広目天は筆と巻物を持っている作例もあります。像は須弥壇の四隅にそれぞれ配置されるか、向かって左から広目天、増長天、持国天、多聞天の順に置かれるのが通例です。『日本書紀』によれば、仏教をめ...
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釈迦三尊(しゃかさんぞん)

釈迦像を中心に、左右の脇侍(きようじ)として菩薩、天、もしくは羅漢を配した形式を釈迦三尊と呼びます。両脇侍には、向かって右に騎獅の文殊菩薩・向かって左に乗象の普賢菩薩の二菩薩を配する例が多いようですが、薬王菩薩・薬上菩薩の二菩薩、梵天・帝釈天の二天部、迦葉尊者(かしよう)・阿難尊者(あなん)の二尊者を置くこともあります。ちなみに、例にあげた画像の釈迦三尊像の脇侍は向かって右に薬王菩薩・向かって左に薬上菩薩と寺に伝えられているとのことです。(釈迦三尊像 法隆寺金堂)<< 戻る
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二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)

二十八部衆とは、千手観音菩薩の眷属のことで、東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつが配され、合計で二十八部衆となります。那羅延堅固(ならえんけんご)難陀龍王(なんだりゅうおう)摩睺羅(まごら)緊那羅(きんなら)迦楼羅(かるら)乾闥婆(けんだつば)毘舎闍(びしゃじゃ)散支大将(さんしたいしょう)満善車鉢(まんぜんしゃはつ)摩尼跋陀羅(まにばだら)毘沙門天(びしゃもんてん)提頭頼吒王(だいずらたおう)婆藪仙(ばすせん)大弁功徳天(だいべんくどくてん)帝釈天王(たいしゃくてんおう)大梵天王(だいぼんてんおう)毘楼勒叉(びるろくしゃ)毘楼博叉(びるばくしゃ)薩遮摩和羅(さしゃまわら...
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聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)

聖観音菩薩は、聖観音、正観音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、世間の出来事を自在に観察して、その苦悩から救済する菩薩です。聖観音菩薩像は、如来像のように出家者の姿ではなく、ブッダが出家をする前のインド貴族(王族)の姿が見本となっています。たくさんの装飾品をつけているのも特徴です。千変万化の相となる観世音菩薩のうち、一面二臂の姿で独尊として祀られる場合に、聖観音菩薩と呼ばれることが多いようです。六観音の一つともされています。姿の特徴としては、宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表す場合が多く、それで見分ける人が多い...
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阿修羅(あしゅら、あすら)

阿修羅は、インド神話やバラモン教における神族または魔族として、アスラと呼ばれていたものが仏教に取り入れられて、仏法の守護神となり成立したと考えられています。八部衆(天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆)の一つに数えられています。特徴としては、三つの顔に六つの腕を持つ三面六臂で描かれる姿が多いようです。また、その戦闘的な性格から五趣(地獄・餓鬼・畜生・人間・天上)の畜生と人間の間に追加され、六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)の一つである修羅道(阿修羅道)の主となり、須弥山の下の海底に住むとされています。奈良県・興福寺の八部衆像・阿修羅像(国宝・...
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八部衆(はちぶしゅう)

八部衆または天龍八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)とは、釈迦如来に仕え仏法を守護する8種族のことです。天衆(てんしゅう)、龍衆(りゅうしゅう)、夜叉衆(やしゃしゅう)、乾闥婆衆(けんだつばしゅう)、阿修羅衆(あしゅらしゅう)、迦楼羅衆(かるらしゅう)、緊那羅衆(きんならしゅう)、摩睺羅伽衆(まごらかしゅう)。仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に絶対の信頼を寄せて護法善神となったものです。【天衆】 梵天、帝釈天を初めとする、いわゆる「天部」の神格の総称です。(興福寺・乾漆八部衆立像・五部浄像・ごぶじょう)【龍衆】「竜」「竜王」などと称される種族の総称です。 蛇を...
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阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)

阿弥陀如来、阿弥陀仏について、このページでは主に造像さた仏像としての阿弥陀如来像、阿弥陀仏像、阿弥陀像について書きます。もともとの梵名は「アミターバ」あるいは「アミターユス」 といい、それを音写して「阿弥陀」、漢訳して無量光、無量寿とも呼ばれます。また、略して、弥陀仏とも呼ばれることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。衣服は全身を覆う一枚の衲衣(のうえ)や大衣(だいえ)の布を着て、装飾品は身につけず、持物は何も持っていません。例外もあり、一部には装身具を身につけたものもあります。頭部は螺髪(らほつ)と呼ばれる髪型で、中央部は頂髻相(ちょうけいそう)・肉髻(にっけい)を表していて盛り上が...
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アルカイックスマイル

アルカイックスマイルとは、紀元前5世紀頃に作製された古代ギリシアのアルカイク彫刻の中に見られ、無表情の中でも口角を上げ微笑に似た表情のことをいいます。日本では飛鳥時代の仏像彫刻の顔に同じような微笑が見られます。広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)、中宮寺の菩薩半跏像などもアルカイックスマイルと呼ばれ、ギリシアの特徴とよく似ていますが、両者の間に直接の関係はないと考えられています。(広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像)<< 戻る
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金剛力士(こんごうりきし)

金剛力士とは、寺院の山門内で二体一対で境内を守る仁王像のことです。梵語でヴァジュラパーニといい、「金剛杵を持っているもの」という意味で、手に金剛杵を持ち、忿怒相に表現されます。外敵を退け、仏法を守護する神で、執金剛神、金剛神などともいわれます。須弥壇の左右に安置されることもあります。(仁王像・日石寺・富山県上市町)<< 戻る
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摩睺羅伽(まごらか)

摩睺羅伽とは、仏教を守護する護法善神の一尊で、八部衆や二十八部衆に数えられます。梵語名のマホーラガは「偉大なる蛇」を意味し、身体は人間で首は大蛇、または、頭に蛇冠を戴いた人間の姿で描かれます。八部衆の緊那羅と同じく音楽の神とされ、琵琶を持っています。<< 戻る
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緊那羅(きんなら)

緊那羅とは、インド神話に登場する特に歌が美しいと言われる音楽の神々です。仏教では護法善神の一尊で、帝釈天の眷属とされ、八部衆の一つでもあります。半身半獣の姿とされるため、人非人ともいい、緊那羅王、緊那羅神、疑神、歌神、楽神、緊捺羅(きんなら)、甄陀羅(けんだら)、真陀羅(しんだら)ともいわれます。その像は、人頭鳥身、あるいは馬首人身などがあり、両手で鼓(つづみ)を打つ姿、笛を吹く姿、琵琶を持って歌舞する姿などにつくられます。<< 戻る