【仏教用語/人物集 索引】

「正法眼蔵」帰依仏法僧(きえぶっぽうそう)

投稿日:1255年6月1日 更新日:

禅苑清規曰、敬仏法僧否(仏法僧を敬ふや否や)。一百二十門第一
あきらかにしりぬ、西天東土、仏祖正伝するところは、恭敬仏法僧なり。帰依せざれば恭敬せず、恭敬せざれば帰依すべからず。この帰依仏法僧の功徳、かならず感応道交するとき成就するなり。たとひ天上人間、地獄鬼畜なりといへども、感応道交すれば、かならず帰依したてまつるなり。すでに帰依したてまつるがごときは、世々生々、在々処々に増長し、かならず積功累徳し、阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり。

おのづから悪友にひかれ、魔障にあふて、しばらく断善根となり、一闡提となれども、つひには続善根し、その功徳増長するなり。帰依三宝の功徳、つひに不朽なり。

その帰依三宝とは、まさに浄信をもはらにして、あるいは如来現在世にもあれ、あるいは如来滅後にもあれ、合掌し低頭して、口にとなへていはく、

我某甲、今身より仏身にいたるまで、
帰依仏、帰依法、帰依僧。
帰依仏両足尊、帰依法離欲尊、帰依僧衆中尊。
帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟。

はるかに仏果菩提を心ざして、かくのごとく僧那を始発するなり。しかあればすなはち、身心いまも刹那刹那に生滅すといへども、法身かならず長養して、菩提を成就するなり。

いはゆる帰依とは、帰は帰投なり、依は依伏なり。このゆゑに帰依といふ。帰依の相は、たとへば子の父に帰するがごとし。依伏は、たとへば民の王に依するがごとし。いはゆる救済の言なり。仏はこれ大師なるがゆゑに帰依す、法は良薬なるがゆゑに帰依す、僧は勝友なるがゆゑに帰依す。

問、何故、偏帰此三(何が故にか偏に此の三に帰するや)。
答、以此三種畢竟帰処、能令衆生出離生死、証大菩提故帰(此の三種は畢竟帰処にして、能く衆生をして生死を出離し、大菩提を証せしむるを以ての故に帰す)。
此三、畢竟不可思議功徳なり。

仏、西天には仏陀耶と称ず、震旦には覚と翻ず。無上正等覚なり。
法は西天には達磨と称ず、また曇無と称ず。梵音の不同なり。震旦には法と翻ず。一切の善、悪、無記の法、ともに法と称ずといへども、いま三宝のなかの帰依するところの法は、軌則の法なり。
僧は西天には僧伽と称ず、震旦には和合衆と翻ず。
かくのごとく称讃しきたれり。

住持三宝
形像塔廟、仏宝。
黄紙朱軸所伝、法宝。
剃髪染衣、戒法儀相、僧宝。
化儀三宝
釈迦牟尼世尊、仏宝。
所転法輪、流布聖教、法宝。
阿若憍陳如五人、僧宝。
理体三宝
五分法身、名為仏宝。
滅理無為、名為法宝。
学無学功徳、名為宝。
一体三宝
証理大覚、名為仏宝。
清浄離染、名為法宝。
至理和合、無擁無滞、名為僧宝。

かくのごとくの三宝に帰依したてまつるなり。もし薄福少徳の衆生は、三宝の名字なほききたてまつらざるなり。いかにいはんや帰依したてまつることをえんや。

法華経曰、
是諸罪衆生(是の諸の罪の衆生は)、
以悪業因縁(悪業の因縁を以て)、
過阿僧祇劫(阿僧祇を過ぐとも)、
不聞三宝名(三宝の名を聞かず)。

法華経は、諸仏如来一大事の因縁なり。大師釈尊所説の経のなかには、法華経これ大王なり、大師なり。余経、余法は、みなこれ法華経の臣民なり、眷属なり。法華経中の所説これまことなり、余経中の所説みな方便を帯せり、ほとけの本意にあらず。

余経中の説をきたして法華に比校したてまつらん、これ逆なるべし。法華の功徳力をかうぶらざれば余経あるべからず、余経はみな法華に帰投したてまつらんことをまつなり。この法華経のなかに、いまの説まします。しるべし、三宝の功徳、まさに最尊なり、最上なりといふこと。

世尊言、
衆人怖所逼、多帰依諸山(衆人所逼を怖れて、多く諸山)、
園苑及叢林、孤樹制多等(園苑及び叢林、孤樹制多等に帰依す)、
此帰依非勝、此帰依非尊(此の帰依は勝に非ず、此の帰依は尊に非ず)、
不因此帰依、能解脱衆苦(此の帰依に因りては、能く衆苦を解脱せず)。
諸有帰依仏、及帰依法僧(の仏に帰依し、及び法僧に帰依すること有るは)、
於四聖諦中、恆以慧観察(四聖諦の中に於て、恆に慧を以て観察し)、
知苦知苦集、知永超衆苦(苦を知り苦の集を知り、永く衆苦を超えんことを知り)、
知八支聖道、趣安穏涅槃(八支の聖道を知り、安穏涅槃に趣く)。
此帰依最勝、此帰依最尊(此の帰依は最勝なり、此の帰依は最尊なり)、
必因此帰依、能解脱衆苦(必ず此の帰依に因つて、能く衆苦を解脱す)。

世尊あきらかに一切衆生のためにしめしまします。衆生いたづらに所逼をおそれて、山神、鬼神等に帰依し、あるいは外道の制多に帰依することなかれ。彼はその帰依によりて衆苦を解脱することなし。おほよそ外道の邪教に従うて、

牛戒、鹿戒、羅刹戒、鬼戒、瘂戒、聾戒、狗戒、鷄戒、雉戒。以灰塗身、長髪為相、以羊祠時、先呪後殺、四月事火、七日服風。百千億華供養諸天、諸所欲願、因此成就。如是等法、能為解脱因者、無有是処。智者処不讃、唐苦無善報(牛戒、鹿戒、羅刹戒、鬼戒、瘂戒、聾戒、狗戒、鷄戒、雉戒あり。灰を以て身に塗り、長髪もて相を為し、羊を以て時を祠り、先に呪して後に殺す。四月火に事へ、七日風に服し、百千億の華もて諸天に供養し、諸の欲ふ所の願、此れに因りて成就すといふ。是の如き等の法、能く解脱の因なりと為さば、是の処有ること無けん。智者の讃めざる所なり、唐しく苦しんで善報無し)。

かくのごとくなるがゆゑに、いたづらに邪道に帰せざらんこと、あきらかに甄究すべし。たとひこれらの戒にことなる法なりとも、その道理、もし孤樹、制多等の道理に符合せらば、帰依することなかれ。人身うることかたし、仏法あふことまれなり。いたづらに鬼神の眷属として一生を渡り、むなしく邪見の流類として多生をすごさん、かなしむべし。はやく仏法僧三宝に帰依したてまつりて、衆苦を解脱するのみにあらず、菩提を成就すべし。

希有経云、教化四天下及六欲天、皆得四果、不如一人受三帰功徳(四天下及び六欲天を教化して、皆な四果を得しむとも、一人の三帰を受くる功徳には如かじ)。

四天下とは、東西南北州なり。そのなかに、北州は三乗の化いたらざるところ。かしこの一切衆生を教化して阿羅漢となさん、まことにはなはだ希有なりとすべし。たとひその益ありとも、一人ををしへて三帰をうけしめん功徳にはおよぶべからず。また六天は、得道の衆生まれなりとするところなり。彼をして四果をえしむとも、一人の受三帰の功徳のおほくふかきにおよぶべからず。

増一阿含経云、有忉利天子、五衰相現、当生猪中。愁憂之声、聞於天帝(増一阿含経に云く、忉利天子有り、五衰の相現じて、当に猪の中に生ずべし。愁憂の声、天帝聞えき)。
天帝聞之、喚来告曰、汝可帰依三宝(天帝之を聞きて、喚び来りて告げて曰く、汝、三宝に帰依すべし)。
即時如教、便免生猪(即時に教の如くせしに、便ち猪に生ずることを免れたり)。
仏説偈言(仏、偈を説いて言はく)、
諸有帰依仏(諸有、仏に帰依せば)、
不墜三悪道(三悪道に墜ちざらん)。
尽漏処人天(漏を尽くして人天に処し)、
便当至涅槃(便ち当に涅槃に至るべし)。
受三帰已、生長者家、還得出家、成於無学(三帰を受け已りて、長者の家に生じて、還た出家することを得て、無学を成ぜり)。

おほよそ帰依三宝の功徳、はかりはかるべきにあらず、無量無辺なり。
世尊在世に、二十六億の餓龍、ともに仏所に詣し、みなことごとくあめのごとくなみだをふらして、まうしてまうさく、

唯願哀愍、救済於我。大悲世尊、我等憶念過去世時、於仏法中雖得出家、備造如是種々悪業。以悪業故、経無量身在三悪道。亦以余報故、生在龍中受極大苦(唯願はくは哀愍して、我れを救済したまへ。大悲世尊、我等過去世の時を憶念するに、仏法の中に於て出家することを得と雖も、備さに是の如くの種々の悪業を造りき。悪業を以ての故に、無量身を経て三悪道に在りき。亦た余の報を以ての故に、生まれて龍の中に在りて極大苦を受く)。

仏告諸龍、汝等今当尽受三帰、一心修善。以此縁故、於賢劫中値最後仏名曰樓至。於彼仏世、罪得除滅(仏、諸龍に告げたまはく、汝等今当に尽く三帰を受け、一心に善を修すべし。此の縁を以ての故に、賢劫の中に於て最後仏の名を樓至と曰ふに値ひたてまつり、彼の諸仏の世に於て、罪、除滅することを得べし)。

時諸龍等聞是語已、皆悉至心、尽其形寿、各受三帰(時に諸龍等、是の語を聞き已りて、皆な悉く至心に、其の形寿を尽すまで、各三帰を受けたり)。

ほとけみづから諸龍を救済しましますに、余法なし、余術なし。ただ三帰をさづけまします。過去世に出家せしとき、かつて三帰をうけたりといへども、業報によりて餓龍となれるとき、余法のこれをすくふべきなし。このゆゑに三帰をさづけまします。

しるべし、三帰の功徳、それ最尊最上、甚深不可思議なりといふこと。世尊すでに証明しまします、衆生まさに信受すべし。十方の諸仏の各号を称念せしめましまさず、ただ三帰をさづけまします。仏意の甚深なる、たれかこれを測量せん。いまの衆生、いたづらに各々の一仏の名号を称念せんよりは、すみやかに三帰をうけたてまつるべし。愚闇にして大功徳をむなしくすることなかれ。

爾時衆中有盲龍女。口中膖爛、満諸雑蟲、状如屎尿。乃至穢悪猶若婦人根中不浄。臊臭難看。種々噬食、膿血流出。一切身分、常有蚊虻諸悪毒蝿之所唼食、身体臭処、難可見聞(爾の時に衆中に盲龍女有りき。口中膖爛し、諸の雑蟲満てり、状、屎尿の如し。乃至穢悪なること猶ほ婦人の根中の不浄の若し。臊臭看難し。種々に噬食せられて、膿血流出す。一切の身分、常に蚊虻諸の悪毒蝿に唼食せらるる有り、身体の臭処、見聞すべきこと難し)。

爾時世尊、以大悲心、見彼龍婦眼盲困苦如是、問言、妹何縁故得此悪身、於過去世曽為何業(爾の時に世尊、大悲心を以て、彼の龍婦の眼盲ひ困苦すること是の如くなるを見たまひて、問うて言はく、妹、何の縁の故にか此の悪身を得たる、過去世に曽て何の業をか為りし)。

龍婦答言、世尊、我今此身、衆苦逼迫無暫時停。設復欲言、而不能説。我念過去三十六億、於百千年、悪龍中受如是苦、乃至日夜刹那不停。為我往昔九十一劫、於毘婆尸仏法中、作比丘尼、思念欲事、過於醉人。雖復出家不能如法。於伽藍内敷施床褥、数数犯於非梵行事、以快欲心、生大楽受。或貪求他物、多受信施。以如是故、於九十一劫、常不得受天人之身、恆三悪道受諸焼煮(龍婦答へて言さく、世尊、我が今此の身、衆苦逼迫して暫時も停まること無し。設し復た言はんと欲ふも、而も説くこと能はじ。我れ過去三十六億を念ふに、百千年に於て、悪龍の中に是の如くの苦を受け、乃至日夜刹那も停まざりき。我が往昔九十一を為ふに、毘婆尸仏法の中に於て、比丘尼と作り、欲事を思念すること醉人よりも過ぎたり。復た出家すと雖も如法なること能はず。伽藍の内に床褥を敷施て、数数非梵行の事を犯し、以て欲心を快くして大楽受を生じき。あるいは他の物を貪求し、多く信施を受く。是の如くなるを以ての故に、九十一に、常に天人の身を受くること得ず、恆に三悪道にして諸の焼煮を受けき)。

仏又問言、若如是者、此中劫尽、妹何処生(仏又問うて言はく、若し是の如くならば、此の中の劫尽きて、妹、何れの処にか生ずべき)。

龍婦答言、我以過去業力因縁、生余世界、彼劫尽時、悪業風吹、還来生此(龍婦答へて言さく、我れ過去の業力の因縁を以て、余の世界に生まれ、彼の劫尽くる時、悪業の風吹いて、還た来つて此に生ずべし)。

時彼龍婦、説此語已作如是言、大悲世尊、願救済我、願救済我(時に彼の龍婦、此の語を説き已りて是の如くの言を作さく、大悲世尊、願はくは我を救済したまへ、願はくは我を救済したまへ)。

爾時世尊、以手掬水、告龍女言、此水名為瞋陀留脂薬和。我今誠実発言語汝、我於往昔、為救鴿故、棄捨身命、終不疑念起慳惜心。此言若実、令汝悪患、悉皆除瘥(爾の時に世尊、手を以て水を掬ひ、龍女に告げて言はく、此の水を名づけて瞋陀留脂薬和と為す。我れ今誠実に言を発して汝に語らん、我れ往昔に於て、鴿を救はんが為の故に、身命を棄捨しも、終に疑念して慳惜の心を起さざりき。此の言若し実ならば、汝が悪患をして悉皆に除瘥しむべし)。

時仏世尊、以口含水、灑彼盲龍婦女之身、一切悪患臭処皆瘥。即得瘥已、作如是説言、我今於仏、乞受三帰(時に仏世尊、口を以て水を含み、彼の盲龍婦女の身に灑ぎたまふに、一切の悪患臭処皆な瘥えたり。即に瘥ゆることを得已りて、是の如くの節を作して言さく、我れ今仏に於て、三帰を受けんことを乞ふ)。

是時世尊、即為龍女授三帰依(是の時に世尊、即ち龍女の為に三帰依を授けたまへり)。

この龍女、むかしは毘婆尸仏祖の法のなかに比丘尼となれり。禁戒を破すといふとも、仏法の神通塞を見聞すべし。いまはまのあたり釈迦牟尼仏にあひたてまつりて三帰を乞授す、ほとけより三帰をうけたてまつる、厚殖善根といふべし。見仏の功徳、かならず三帰によれり。我ら盲龍にあらず、畜身にあらざれども、如来をみたてまつらず、ほとけにしたがひたてまつりて三帰をうけず、見仏はるかなり、はぢつべし。世尊みづから三帰をさづけまします、しるべし、三帰の功徳、それ甚深無量なりといふこと。天帝釈の野干を拝して三帰をうけし、みな三帰の功徳の甚深なるによりてなり。

仏在迦毘羅衛尼拘陀林時、釈摩男来至仏所、作如是言云、何名為優婆塞也(仏、迦毘羅衛尼拘陀林に在しし時、釈摩男、仏の所に来至して、是の如くの言を作して云く、何をか名づけて優婆塞と為すや)。

仏即為説、若有善男子善女人、諸根完具、受三帰依、是即名為優婆塞也(仏即ち為に説きたまはく、若し善男子善女人有りて、諸根完具し、三帰依を受けん、是れを即ち名づけて優婆塞と為す)。

釈摩男言、世尊、云何名為一分優婆塞(釈摩男言さく、世尊、云何が名づけて一分の優婆塞と為すや)。

仏言、摩男、若受三帰、及受一戒、是名一分優婆塞(仏言はく、摩男、若し三帰を受け、及び一戒をも受くれば、是れを一分の優婆塞と名づく)。

仏弟子となること、かならず三帰による。いづれの戒をうくるも、かならず三帰をうけて、そののち諸戒をうくるなり。しかあればすなはち、三帰によりて得戒あるなり。

法句経云、昔有天帝、自知命終生於驢中、愁憂不已曰、救苦厄者、唯仏世尊(法句経云く、昔天帝有り、自ら、命終して驢中に生ぜんことを知り、愁憂已まずして曰く、苦厄を救はん者は、唯仏世尊のみなり)。

便至仏所、稽首伏地、帰依於仏。未起之間、其命便終生於驢胎。母驢鞚断、破陶家坏器。器主打之、遂傷其胎、還入天帝身中(便ち仏の所に至り、稽首伏地し、仏に帰依したてまつる。未だ起たざる間に、其の命便ち終りて驢胎に生ぜり。母の驢、鞚断たれて、陶家の坏器を破りつ。器主之を打つに、遂に其の胎を傷り、天帝の身中に還り入れり)。

仏言、殞命之際、帰依三宝、罪対已畢(仏言はく、殞命の際、三宝に帰依したれば、罪対已に畢りぬ)。
天帝聞之得初果(天帝、之を聞きて初果を得たり)。

おほよそ世間の苦厄をすくふこと、仏世尊にはしかず。このゆゑに、天帝いそぎ世尊のみもとに詣す。伏地のあひだに命終し、驢胎に生ず。帰仏の功徳により、驢母の鞚やぶれて陶家の坏器を踏破す。器主これをうつ、驢母の身いたみて託胎の驢やぶれぬ。すなはち天帝の身にかへりいる。仏説をききて初果をうる、帰依三宝の功徳力なり。

しかあればすなはち、世間の苦厄すみやかに離れて、無上菩提を証得せしむること、かならず帰依三宝のちからなるべし。おほよそ三帰のちから、三悪道をはなるるのみにあらず、天帝釈の身に還入す。天上の果報をうるのみにあらず、須陀洹の聖者となる。まことに三宝の功徳海、無量無辺にましますなり。世尊在世は人天この慶幸あり、いま如来滅後、後五百歳のとき、人天いかがせん。しかあれども、如来形像舎利等、なほ世間に現住しまします。これに帰依したてまつるに、またかみのごとくの功徳をうるなり。

未曽有経云、仏言、憶念過去無数劫時、毘摩大国徙陀山中、有一野干。而為師子所逐欲食。奔走墮井不能得出。経於三日、開心分死、而説偈言(未曽有経云く、仏言はく、過去無数劫時を憶念するに、毘摩大国徙陀山中に一野干有りき。而も師子に逐はれ、食はれなんとす。奔走して井に墮ちて出づること得ること能はず。三日を経るに、開心して死を分へ、而も偈を説いて言く)、

禍哉今日苦所逼(禍ひなる哉今日苦に逼られ)、
便当没命於丘井(便ち当に命を丘井に没せんとす)。
一切万物皆無常(一切万物皆な無常なり)、
恨不以身飴師子(恨むらくは身を以て師子に飴はざりしことを)。
南無帰依十方仏、表知我心浄無己(我が心浄にして己れ無きことを表知したまへ)。

時天帝釈聞仏名、肅然毛豎念古仏。自惟孤露無導師、耽著五欲自沈没。即与諸天八万衆、飛下詣井、欲問詰。乃見野干在井底、両手攀土不得出(時に天帝釈、仏の名を聞きて、肅然として毛豎ちて古仏を念へり。自ら惟へらく、孤露にして導師無く、五欲に耽著して自ら沈没すと。即ち諸天八万衆と与に、飛下して井に詣りて、問詰せんと欲へり。乃ち野干の井底に在りて、両手をもて土を攀づれども出づること得ざるを見たり)。

天帝復自思念言、聖人応念無方術。我今雖見野干形、斯必菩薩非凡器。仁者向説非凡言、願為諸天説法要(天帝復た自ら思念して言く、聖人応に方術無からんと念ふべし。我れ今野干の形を見ると雖も、斯れは必ず菩薩にして凡器に非ざらん。仁者向説する、凡言に非ず、願はくは諸天の為に法要を説きたまへ)。

於時野干仰答曰、汝為天帝無教訓。法師在下自処上、都不修敬問法要。法水清浄能済人、云何欲得自貢高(時に野干、仰いで答へて曰く、汝、天帝として教訓無し。法師は下に在りて自らは上に処る、都て敬を修せずして法要を問ふ。法水清浄にして能く人を済ふ、云何が自ら貢高ならんと欲得ふや)。

天帝聞是大慚愧(天帝、是を聞きて大きに慚愧せり)。
給侍諸天愕然笑、天王降趾大無利(給侍の諸天愕然として笑ふ、天王降趾すれども大きに利無し)。

天帝即時告諸天、愼勿以此懐驚怖。是我頑蔽徳不称、必当因是聞法要(天帝即ち時に諸天に告ぐらく、愼んで此れを以て驚怖を懐くこと勿れ。是れ我が徳を頑蔽して称げざるなり。必ず当に是れに因りて法要を聞くべし)。

即為垂下天宝衣、接取野干出於上。諸天為設甘露食、野干得食生活望。非意禍中致斯福。心懐勇躍慶無量。野干為天帝及諸天、広説法要(即ち為に天宝衣を垂下して、野干を接取して上に出しつ。諸天、為に甘露の食を設け、野干、食することを得て活望を生ぜり。意はざりき、禍中に斯の福を致さんとは。心に勇躍を懐きて慶ぶこと無量なり。野干、天帝及び諸天の為に広く法要を説きき)。

これを天帝拝畜為師の因縁と称ず。あきらかにしりぬ、仏名、法名、僧名のきき難きこと、天帝の野干を師とせし、その証なるべし。いま我ら宿善のたすくるによりて、如来の遺法にあふたてまつり、昼夜に三宝の宝号をききたてまつること、時と共にして不退なり。これすなはち法要なるべし。天魔波旬なほ三宝に帰依したてまつりて患難をまぬかる、いかにいはんや余者の、三宝の功徳におきて積功累徳せらん、はかりしらざらめやは。

おほよそ仏子の行道、かならずまづ十方の三宝を敬礼したてまつり、十方の三宝を勧請したてまつりて、そのみまへに焼香散華して、まさに諸行を修するなり。これすなはち古先の勝躅なり、仏祖の古儀なり。もし帰依三宝の儀、いまだかつておこなはざるは、これ外道の法なりとしるべし、または天魔の法ならんとしるべし。仏々祖々の法は、かならずそのはじめに帰依三宝の儀軌あるなり。

正法眼蔵帰依三宝第六

建長七年乙卯夏安居日、以先師之御草本書写畢。未及中書清書等。定御再治之時有添削欤。於今不可叶其儀。仍御草如此云。
弘安二年己卯夏安居五月廿一日在越宇中濱新善光寺書写之義雲

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