人物 幸田露伴(こうだろはん) 小説家。本名は成行。別号に蝸牛庵、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸下谷生まれ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。 『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。生誕 1867年8月22日(慶応3年7月23日)命日 1947年(昭和22年)7月30日露伴居士<< 戻る 1947.07.30 人物
人物 西田幾多郎(にしだきたろう) 哲学者。京都大学名誉教授。京都学派の創始者。学位は文学博士(京都大学・1913年)。「西田哲学」と呼ばれる独創的哲学を打ち立てた哲学者である。また京大教授として、中村元、和辻哲郎など優れた学者を育成したことでも知られている。明治44年刊の『善の研究』など多数の著作を残す。生誕 1870年5月19日(明治3年4月19日)命日 1945年(昭和20年)6月7日曠然院明道寸心居士<< 戻る 1945.06.07 人物
人物 アドルフ・ヒトラー アドルフ・ヒトラーは、ドイツの政治家。ドイツ国首相、および国家元首であり、国家と一体であるとされた国家社会主義ドイツ労働者党の指導者。1933年に首相に指名され、1年程度で指導者原理に基づく党と指導者による一極集中独裁指導体制を築いたため、独裁者の典型とされる。生誕 1889年4月20日命日 1945年4月30日<< 戻る 1945.04.30 人物年表
人物 アンネ・フランク アンネ・フランクは、『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女である。反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるため、一家で故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した。隠れ家には、アンネがオランダ語でつけていた日記が残されていた。隠れ家住人の生活を支援していたミープ・ヒースがこれを発見し、戦後まで保存した。8人の隠れ家住人の中でただ一人戦後まで生き延びたオットー・フランクはミープからこの日記を手渡された。オットーは娘・アンネの戦争と差別のない世界になってほしいという思いを全世界に伝えるため、日記の出版を決意した。生誕 1929... 1945.03.05 人物
人物 河口慧海(かわぐちえかい) 黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。幼名を定治郎という。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。 中国や日本に伝承されている漢語に翻訳された仏典に疑問をおぼえ、仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意。日本人として初めてチベットへの入国を果たした。『西蔵旅行記』『在家仏教』をはじめとして数多くの著作を残している。生誕 1866年2月26日(慶応2年1月12日)命日 1945年(昭和20年)2月24日<< 戻る 1945.02.24 人物仏教を本気で学ぶ年表
人物 野口雨情(のぐちうじょう) 詩人、童謡・民謡作詞家。多くの名作を残し、北原白秋、西條八十と共に、童謡界の三大詩人と謳われた。「しゃぼん玉」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「船頭小唄」「波浮の港」など多数の作詞をしている。生誕 1882年(明治15年)5月29日命日 1945年(昭和20年)1月27日<< 戻る 1945.01.27 人物
人物 沢村栄治(さわむらえいじ) 三重県出身のプロ野球選手。 日本プロ野球史上に残る伝説の選手の一人でもあり、戦前のプロ野球界で、NPB史上初の最多勝利を獲得し、NPB史上初の最高殊勲選手も受賞。史上2人目のシーズン防御率0点台や、史上初の投手5冠に輝き、史上初のノーヒットノーラン達成など、様々な記録を打ち立てた。生誕 1917年2月1日命日 1944年12月2日<< 戻る 1944.12.02 人物
人物 島崎藤村(しまざきとうそん) 詩人、小説家。本名は島崎 春樹。信州木曾の中山道馬籠生まれ。 『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。生誕 1872年3月25日〈明治5年2月17日〉命日 1943年〈昭和18年〉8月22日文樹院静屋藤村居士<< 戻る 1943.08.22 人物
人物 山本五十六(やまもといそろく) 日本海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。生誕 1884年(明治17年)4月4日命日 1943年(昭和18年)4月18日大義院殿誠忠長陵大居士<< 戻る 1943.04.18 人物
人物 新美南吉(にいみなんきち) 児童文学作家。本名は新美正八。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。生誕 1913年7月30日命日 1943年3月22日釈文成<< 戻る 1943.03.22 人物
人物 森下博(もりしたひろし) 実業家、森下仁丹の創業者。広告宣伝を積極的に行って商品の名を広め、日本の広告王と称された。生誕 1869年12月5日(明治2年11月3日)命日 1943年(昭和18年)3月20日<< 戻る 1943.03.20 人物
人物 大谷光演(おおたにこうえん) 明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧、俳人、画家。法名は「彰如」(しょうにょ)。俳号は「句仏」。東本願寺第二十三代法主。真宗大谷派管長。伯爵。妻は、三条実美の三女・章子。『夢の跡』『我は我』『句仏句集』などの句集を残している。生誕 1875年(明治8年)2月27日命日 1943年(昭和18年)2月6日<< 戻る 1943.02.06 人物年表
人物 中島敦(なかじまあつし) 小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。生誕 1909年(明治42年)5月5日命日 1942年(昭和17年)12月4日<< 戻る 1942.12.04 人物
人物 北原白秋(きたはらはくしゅう) 詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉。 詩、童謡、短歌以外にも、新民謡の分野でも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並んで評される、近代の日本を代表する詩人である。生誕 1885年(明治18年)1月25日命日 1942年(昭和17年)11月2日<< 戻る 1942.11.02 人物
人物 与謝野晶子(よさのあきこ) 歌人、作家、思想家。 戸籍名は与謝野志やう。旧姓鳳。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹。雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となった。代表作『みだれ髪』(1901年)、『君死にたまふことなかれ』(1904年)生誕 1878年(明治11年)12月7日命日 1942年(昭和17年)5月29日白桜院鳳翔晶耀大姉<< 戻る 1942.05.29 人物
人物 南方熊楠(みなかたくまぐす) 博物学者、生物学者、民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていた。そうした調査に基づいて生態学を早くから日本に導入したことが注目される。生誕 1867年5月18日(慶応3年4月15日)命日 1941年(昭和16年)12月29日智荘厳院鑁覚顕真居士<< 戻る 1941.12.29 人物
人物 種田山頭火(たねださんとうか) 自由律俳句の俳人。山頭火とだけ呼ばれることが多い。佐波郡の生まれ。「層雲」の荻原井泉水門下。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝と改名。主要な著作『鉢の子』『草木塔』『山行水行』生誕 1882年(明治15年)12月3日命日 1940年(昭和15年)10月11日<< 戻る 1940.10.11 人物
人物 水上瀧太郎(みなかみたきたろう) 小説家、評論家、劇作家。代表作『貝殻追放』(1920-41年,随筆評論集)、『大阪』(1922年)、『大阪の宿』(1925-26年)、『銀座復興』(1931年)など多数。生誕 1887年12月6日命日 1940年3月23日賢光院智阿文徳章蔵居士<< 戻る 1940.03.23 人物
人物 根津嘉一郎(ねづかいちろう)- 初代 政治家、実業家で根津財閥の創始者。東武鉄道や南海鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わった。「鉄道王」と呼ばれることで有名。 現在の武蔵大学および武蔵中学校・高等学校の前身である旧制武蔵高等学校の創立者。生誕 万延元年6月15日(1860年8月1日)命日 昭和15年(1940年)1月4日<< 戻る 1940.01.04 人物
人物 大谷尊由(おおたにそんゆ) 浄土真宗本願寺派の僧侶、政治家。浄土真宗本願寺派第21世法主大谷光尊(明如)と側室・松原藤子の5男として京都市に生まれる。兄は第22世法主光瑞(鏡如)、木辺孝慈、妹は歌人の九条武子。光瑞と共に博識で知られ、後藤新平などが早くからその人物を評価していた。成人してからは御連枝として兄の宗政を助け、本願寺執行長、本願寺派護持会財団理事長、管長事務取扱(管長代理)などを歴任。この間、日露戦争に際し従軍布教の陣頭指揮にあたり、自身も中国各地を度々慰問している。数々の教団改革をすすめ、大谷探検隊を財政面から助けたが、後に多額の負債を教団に残すこととなった。1914年(大正3年)、疑獄事件により法主の座を退... 1939.08.01 人物
人物 岡本かの子(おかもとかのこ) 大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。漫画家・岡本一平と結婚し、芸術家・岡本太郎を生んだ。代表作は『母子叙情』『老妓抄』『生々流転』など。仏教に関するラジオ放送、講演、執筆を依頼されることが多く、『観音経を語る』、『仏教読本』などを刊行した。生誕 1889年3月1日命日 1939年2月18日雪華妙芳大姉<< 戻る 1939.02.18 人物
人物 北一輝(きたいっき) 戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。生誕 1883年〈明治16年〉4月3日命日 1937年〈昭和12年〉8月19日経国院大光一輝居士<< 戻る 1937.08.19 人物
人物 寺田寅彦(てらだとらひこ) 戦前の日本の物理学者、随筆家、俳人。吉村 冬彦、寅日子、牛頓、藪柑子の筆名でも知られる。高知県出身。生誕 1878年(明治11年)11月28日命日 1935年(昭和10年)12月31日<< 戻る 1935.12.31 人物
人物 忠犬ハチ公(ちゅうけんハチこう) 忠犬ハチ公は、東京・渋谷駅まで飼い主の帰りを出迎えに行き、飼い主の死去後も約10年にわたって通い続けたという犬である。犬種は秋田犬(あきたいぬ)で、名前はハチ。ハチ公の愛称でも呼ばれている。 渋谷駅ハチ公口前にはハチの銅像が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなっている。飼い主は上野英三郎、東京帝国大学農科大学(現:東京大学)の講師。生誕 1923年11月10日命日 1935年3月8日<< 戻る 1935.03.08 人物
人物 石川千代松(いしかわちよまつ) 動物学者。東京大学生物科卒業。ドイツに留学し、ワイズマンに師事。進化論を日本に紹介したことで知られる。 1909年には、琵琶湖岸の滋賀県水産試験場の池でコアユの飼育に成功し、全国の河川に放流する道を開いた。生誕 1860年1月30日(万延元年1月8日)命日 1935年(昭和10年)1月17日<< 戻る 1935.01.17 人物
人物 高村光雲(たかむらこううん) 仏師、彫刻家。幼名は光蔵。明治維新以後は廃仏毀釈運動の影響で、仏師としての仕事はなく、輸出用の象牙彫刻が流行したために木彫も衰え、光雲自身の生活も苦しかった。そのような中で光雲は木彫に専念、積極的に西洋美術を学び、衰退しかけていた木彫を写実主義を取り入れることで復活させ、江戸時代までの木彫技術の伝統を近代につなげる重要な役割を果たした。1889年(明治22年)から東京美術学校に勤務、翌年に彫刻科教授、同年10月2日、帝室技芸員に任ぜられる。1893年(明治26年)には『老猿』をシカゴ万博に出品。1900年(明治33年)には『山霊訶護』をパリ万博に出品。1926年(大正15年)に東京美術学校を退... 1934.10.10 人物
人物 竹久夢二(たけひさゆめじ) 画家・詩人。岡山県に生まれる。明治38年、22歳の時、『中学世界』にコマ絵「筒井筒」が一等入選。以来、美人画で一世を風靡した「大正ロマン」を代表する画家。生誕 1884年(明治17年)9月16日命日 1934年(昭和9年)9月1日竹久亭夢生楽園居士<< 戻る 1934.09.01 人物
人物 東郷平八郎(とうごうへいはちろう) 幕末から昭和時代初めの武士、海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。 日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。生誕 弘化4年12月22日(1848年1月27日)命日 昭和9年(1934年)5月30日<< 戻る 1934.05.30 人物
人物 新渡戸稲造(にとべいなぞう) 教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。 国際連盟事務次長も務め、著書『武士道』は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。東京女子大学初代学長。東京女子経済専門学校初代校長。生誕 1862年9月1日(文久2年8月8日)命日 1933年(昭和8年)10月15日<< 戻る 1933.10.15 人物
人物 宮沢賢治(みやざわけんじ) 詩人、童話作家。 仏教信仰と農民生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーブと名付けたことで知られる。代表作『注文の多い料理店』(1924年)「雨ニモマケズ」(1931年)「銀河鉄道の夜」(未定稿)『風の又三郎』(1934年)生誕 1896年(明治29年)8月27日命日 1933年(昭和8年)9月21日真金院三不日賢善男子<< 戻る 1933.09.21 人物
人物 今村恵猛(いまむらえみょう) 浄土真宗本願寺派のハワイ開教総長。 1900年ハワイに着任してから逝去まで33年間ハワイの開教に従事してハワイにおける仏教の基礎を築く。福井県生まれ。生誕 慶応3年5月27日(1867年)命日 昭和7(1932)年12月23日<< 戻る 1932.12.23 人物
人物 犬養毅(いぬかいつよし) 政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。 中国進歩党代表者、立憲国民党総理、革新倶楽部代表者、立憲政友会総裁、文部大臣、逓信大臣、内閣総理大臣、外務大臣、内務大臣などを歴任した。生誕 1855年6月4日〈安政2年4月20日〉命日 1932年〈昭和7年〉5月15日台光院殿沈毅木堂大居士<< 戻る 1932.05.15 人物