仏教を本気で学ぶ

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達磨忌(だるまき)

達磨忌とは、菩提達磨大師(ぼだいだるまたいし)の命日が10月5日であることから、特に禅宗の臨済宗や曹洞宗、黄檗宗では達磨大師の遺徳をしのぶ法要や坐禅会が行われます。年代は伝承に矛盾する点が多く、はっきりしないのですが、6世紀頃、達磨大師は洛陽の西にある熊耳山で10月5日に論敵の毒殺によって亡くなられたといわれています。<< 戻る
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教外別伝(きょうげべつでん)

教外別伝(きょうげべつでん)とは、お釈迦様の教えである経典のほかに別に伝わってきたものがあるわけではなく、師匠から弟子へと心に直接の体験として伝えることが大切だということを表現しています。弟子は師匠の姿を見ながら自己研鑽に努め、何事も自分の努力で体得して、はじめて自分のものにすることが出来るということです。▶ 菩提達磨大師<< 戻る
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往生(おうじょう)

往生とは、この世を去り、極楽浄土に往(い)って生まれることです。日常的には「亡くなる」や「困る」ことをさして使われています。 「大往生」「立ち往生」「往生しまっせ」「往生要集」往生の意味は、仏の国に往って生まれることなので、ただ極楽浄土に往くのではなく、仏になることです。往生とは極楽往生、浄土往生と言われるように、死んで仏の国に生まれるのだから、死後の往生の意味です。往生するその世界は仏の世界なので、そこに生まれることは成仏することだといわれます。一般的に、往生とは仏になることだと考えられ、さらに、死んだら仏になるという考え方が広まりました。特に老衰などの自然死によりなくなることを大往生と呼ぶ...
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仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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身・口・意の三業(さんごう)

食べる、寝る、座る、立つ、歩く、走る。身体で表すどんな動きも自分以外のものに影響を与えています。また、自分以外のものや環境から影響を受けて自分の身体が動いています。言葉で表すどんなことも正しく伝わっているか、伝えたつもりになっていないか注意します。言葉は何かを仮に表したもので、完全なものではありません。心に表れるどんな想い・考えも偏っていないか、その想い・考えに囚われていないか注意します。心に表れたことに囚われると、言葉になり、身体の動きになります。そのような行為のことを業(ごう)といいます。これらの、身体(身)、言葉(口)、心(意)を三業といいます。例えば、地震や大雨などの災害支援ボランティ...
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仏教三大聖木(無憂樹・菩提樹・沙羅双樹)

仏教三大聖木とは、ブッダ誕生の花である無憂樹(むゆうじゅ)、ブッダ悟りの木である菩提樹(ぼだいじゅ)、ブッダ入滅(にゅうめつ)の木である沙羅双樹(さらそうじゅ)のことをさします。<< 戻る
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七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)

諸悪莫作 (しょあくまくさ)   諸の悪を作すこと莫れ衆善奉行 (しゅぜんぶぎょう) 衆の善を奉行せよ自浄其意 (じじょうごい)    自ら其の意を浄うせよ是諸仏教 (ぜしょぶっきょう) 是れ諸仏の教えなり諸々の悪いことをせずに、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが諸々の仏たちの教えである。これは七仏通誡偈と呼ばれるものです。過去七仏が共通して教えてきたことを、この短い詩(韻文)の中につめています。七仏とは毘婆尸仏(びばしぶつ)・尸棄仏(しきぶつ)・毘舎浮仏(びしゃふぶつ)・拘留孫仏(くるそんぶつ)・拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)・迦葉仏(かしょうぶつ)・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)...
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お彼岸とは?お彼岸は日本独自の文化?

日本の古くからの風習では、ご先祖さまがいると考えられている世界(あの世、極楽、等々)を仏教的な考え方も加わり「彼岸(ひがん)」、いま私たちが生きているこの世界を「此岸(しがん)」といいます。「彼岸」という言葉は仏教の言葉で、 サンスクリット語の「パーラミター」の漢訳「到彼岸」の略です。「煩悩に満ちた現世である此岸(しがん)を離れて修行を積むことで煩悩を脱し、悟りの境地に達した世界である彼岸に到達する」という意味があります。平安時代、浄土思想が盛んになった頃、真西に沈む太陽を見て、西方極楽浄土を思い描く修行が盛んに行われました。この修行によって極楽浄土に行けると信じられていたことから、3月の春分...
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戒名(かいみょう)- 一般家庭の戒名について/戒名授与依頼

戒名とは、仏門に入ることを望む人が師僧(しそう)より戒を受ける受戒(じゅかい)を行う際に付けられる名前です。また、師僧が仏門に入ることを望む人へ戒を授けることを授戒(じゅかい)といいます。一例として、五戒を授けるという形式的な説明を見ることもありますが、戒名を持つことで、その戒名の文字の中にその人の人格や生き方が表されると考えます。受戒した証として、戒名がつけられますが、日本にはもともと、生まれたときの幼名、大人になる時に名前を変える、仕事に就くとき、引退するときなど、人生の中で大きな変化がある時に名前を変える風習がありました。戒名も日本の風習に組み込まれて伝統的に必要とされてきました。目次・...
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年回忌法要早見表(令和7年・西暦2025年)

年回忌法要早見表とは、その年の年回忌(法事)を一覧で表示するものです。年回忌は一般的に行われることが多いものを赤字で表示しています。それ以外の場合も祥月命日法要を行ったり、年回忌として行ったりする場合があります。年回忌法要早見表(令和7年・西暦2025年) ⇒ ご逝去年毎・年回忌表和暦没年 西暦没年 年回忌令和7年 2025年 (亡くなられた時が1回目の命日⇒中陰からの忌日表を確認する)令和6年 2024年 1周忌(2回目の命日)令和5年 2023年 3回忌(3回目の命日)令和4年 2022年 4令和3年 2021年 5令和2年 2020年 6令和元年/平成31年 2019年 7回忌平成30年...
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生前戒名(せいぜんかいみょう)/戒名、法名の授与依頼

戒名依頼1名2万円その他、生前戒名についての詳細はこのページ内容をご確認ください。戒名は本来「生前に授かるもの」だということを前提として話をしていきます。戒名と聞くと「亡くなられた後」お寺から貰う名前と思われている方が多いのではないでしょうか。ですから、ここではあえて生前戒名と呼びますが、生きているうちにいただく戒名のことです。また、遺族に心配をかけないようにと依頼したいという方も多いようです。・例(戒名)→○○○○信士・信女、○○○○居士・大姉、○○院○○○○居士・大姉、「○○○○」に俗名を入れ位号(居士など)を付ける形式等。・例(法名)→釋○○、釋尼○○、○○院釋○○・例(俗名)俗名のまま...
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十三仏信仰(じゅうさんぶつしんこう)

十三仏にはそれぞれ忌日があり、初七日忌から三十三回忌にそれぞれ不動明王から虚空蔵菩薩までが配されています。この中で初七日忌から四十九日忌までの七日ごとの経過は、既にインドにおいて成立して『倶舎論』にその記述が見られます。それ以降の百箇日忌から三十三回忌は、中国、日本で生まれたものです。十三仏信仰は、浄土信仰の十仏に大日如来の信仰が加わって今の形になったと考えられています。十三仏信仰について初めて書かれたものは『弘法大師逆修日記事』と思われ、鎌倉時代から始まったと考えられています。初七日から三十三回忌までの法要に合わせて13の本尊が配置されました。・初七日 不動明王・二七日 釈迦如来・三七日 文...
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地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

地蔵菩薩は、お地蔵さん、お地蔵様などとも呼ばれ、サンスクリット(梵語)では、クシティ・ガルバ・ボーディサットヴァといい、クシティとは「大地」の意味で、ガルバとは「胎内」「子宮」の意味で、大地のように広大な慈悲で生あるもの全てを救うという菩薩です。釈迦仏の入滅後56億7千万年後の未来に衆生を救済する為に出現する弥勒菩薩がこの世にいない間、六道で苦しむ衆生を教化・救済する菩薩で、日本では平安時代から広く信仰されるようになりました。姿の特徴としては、頭を丸めた僧形で、左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しやくじよう)を持物(じもつ)とする姿が多いようです。自ら六道を巡る菩薩として親しまれていることか...
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菩薩(ぼさつ/ボーディサッタ)

菩薩とは、初期仏教においては、悟りを開く前のお釈迦様のことをこのように呼びます。例えば誕生時には「無比のみごとな宝であるかのボーディサッタ(菩薩、未来の仏)は、もろびとの利益安楽のために人間世界に生まれたもうたのです、釈迦族の村に、ルンビニーの聚落に。」(スッタニパータ【第3 大いなる章】11、ナーラカ 683偈)、「アーナンダよ。ボーディサッタ(悟りを開く前のブッダ)が兜率天の身体から没して、念じ、よく気を付けて、母胎に入る時、その時この大地は動揺し、振動し、激しく震動する。」(ブッダ最後の旅【 第3章 】12、大地震に関連して 15偈)と記述されています。ボーディサッタを音写すると菩提薩埵...
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お線香(おせんこう)- あげ方、由来、宗派による違い

お線香とは、香を焚くための仏具のことで、寺院や家で日常的に使われる他、法事や法要を行なう際、線香に火をつけて香炉に立てて、あるいは寝かせて使います。お線香により自身の匂いを法要に相応しい香りにし、この香りがする時には亡き人を思い出すきっかけにもなります。また、ここで紹介する作法について、宗派や地域によって異なるものとご理解ください。三本立てる・真言宗、天台宗(身・口・意の三業を清める三本で、手前側に一本、仏壇側に二本と逆三角形になるように立てる)、・日蓮宗(仏・法・僧の三宝に捧げる、一本の場合もある)・曹洞宗、臨済宗(二本を「迎え線香」として左右離して立て、手前中央に一本)立てる一本立てる・浄...
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オショウライ(御精来・御精霊・御招来)/富山県のお盆の迎え火

(上市川の河川敷に並ぶ「におとんぼ」)2024年の読経は上市町仏教会の浄土系寺院による阿弥陀経でした。数年前は禅宗系の甘露門だったので、持ち回りの当番でやってるのかな??2022年、3年ぶりに上市の花火大会が開催され「オショウライ」「におとんぼ」との共演が見られました。2020年、2021年は上市の花火大会も新型コロナウイルスの影響で自粛して静かな8月13日を迎えました。2021年8月のお盆は全国的な大雨で上市町も例外ではなく、燃やされることなく晴れを待つ「におとんぼ」が雨の中に立っていましたが、2022年は台風の影響で夕立がありましたが、花火大会の時間にはやんでいました。(2022年8月14...
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地獄(じごく)

(1)最初期の仏教の頃より、地獄とはこの世に見られるものだということが示されています。・「凡夫は欲望と貪りとに執著しているが、眼ある人はそれを捨てて道を歩め。この世の地獄を超えよ。」(スッタニパータ 706偈)次の(2)(3)のようにこの世とは切り離された別の世界のこととして示されるのは学問的解釈、文学的解釈の広がりによると思われます。(2)地獄とは、仏教で説く六道世界の1つです。地下の牢獄を意味し、罪をおかした人間が苦しみ、なやむおそろしい世界が表現されています。紅蓮地獄。反対語としてよく使われるのは極楽(ごくらく)です。(3)キリスト教では、天国に対して地獄を亡失の国として、大罪をおかした...
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お盆(盂蘭盆会)

お盆(ぼん)、盂蘭盆会(うらぼんえ)とは日本で夏に行われるの祖先の霊を祀る行事です。日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した特色があります。現在、太陽暦の8月15日を中心とした期間に行われる(旧盆、月遅れのお盆、旧のお盆)ことが多いですが、都心部など地域によっては、太陰暦の7月15日を中心とした期間に行われていた名残で、現在でも7月15日を中心とした期間に行われています(新盆、新のお盆)。様々な都合により、場合によっては寺院の都合で、同じ地域であっても別々の日に「お盆を迎える」ということも珍しくありません。お盆はいつ?お盆の期間は?8月13日、盆入りの夕方には迎え火を先祖の霊が迷わないように焚きます...
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施餓鬼会(せがきえ)- おせがき

施餓鬼会とは、施餓鬼、施食会(せじきえ)とも呼ばれる寺院で行われる法会の名称です。修める時期に定めはありませんが、多くの地域・宗派では7月や8月のお盆前後に勤められており、この場合はとくに「盆施餓鬼」と呼ばれる場合もあります。一般的には「お施餓鬼」「おせがき」と呼びならわされています。施餓鬼会で行われていることは特定の先祖への供養ではなく、餓鬼道で苦しむ衆生(生命のある全てのもの)に食事を施して供養することです。また、その良いことをした功徳(くどく)を自分のものとせずに、先祖供養のために回向(えこう、振り向ける)する法要でもあります。施餓鬼会には施餓鬼棚(せがきだな)が設けられ、そこには花・ロ...
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来迎(らいごう)- 来迎図

来迎とは、臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来が二十五菩薩と共に白雲に乗って、これから往生をとげようとする念仏の行者を迎えに来て極楽浄土に引き取ることです。その様子を描いたものを来迎図(らいごうず・らいこうず)といいます。「阿弥陀三尊」「往生要集」(絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図・知恩院)絹本著色 145.1×154.5cm 鎌倉時代(13-14世紀)この知恩院の来迎図は特に「早来迎」と呼ばれます。その表現には、鎌倉後期仏画の特色が表れ、往生をとげようとする者が経巻を前に端然と坐すさまや、右上の虚空中に宝楼閣(ほうろうかく)が出現していることにより、往生の階梯の最上位である上品上生図(じょうぼんじ...
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ブッダプールニマー(2025年は5月13日/火曜日)

ブッダプールニマーとは、上座部仏教圏(南伝仏教)でお釈迦様の降誕の日ならびに成道の日、涅槃の日として祝福される日です。ヴァイシャーカ月(4月中旬~5月中旬/「第2の月」)の満月に祝福されることから、ヴェーサーカとも呼ばれる他、ブッダ・ジャヤンティーとも呼ばれます。ブッダプールニマーは、インド、ネパール、シンガポール、ベトナム、タイ、カンボジア、スリランカ、ミャンマー、バングラデシュ、インドネシアなど、上座部仏教の仏教徒が多く暮らす国々を中心に、世界中で祝福されます。多くの場合、祝日で休みになります。私がクシナガラに滞在していた時には、ブッダプールニマーに因み、涅槃堂近くに特設テントが設けられ、...
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灌仏会(かんぶつえ/花まつり・花祭・釈尊降誕会)

4月8日は灌仏会です。釈尊、お釈迦様、ブッダ、色んな呼び名で呼ばれることがありますが、一番初め、生まれた時につけられた名前はシッダッタといいます。シッダッタが生まれたのは現在、ネパールという国のルンビニという場所です。全てはそこからはじまったわけです。仏教の開祖・釈尊の生まれた日には、寺院などでは法要をしたり、地域の人を集めて花祭りをしたりします。また、地方によってはひと月遅れの5月8日に花祭りが行われる場合があります。また、上座部仏教圏(南伝仏教)ではヴァイシャーカ月(4月中旬~5月中旬/「第2の月」)の満月にお釈迦様が生まれた日と伝えられていて、その日をブッダプールニマーといいます。<< ...
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億劫(おっくう/おっこう)

億劫とは、一般的にめんどうで気が進まないさまを表します。例えば寒い日に「布団から出るのも億劫だ」と使われます。また、仏教では「おっこう」と読み、一劫(いっこう)の億倍を表す言葉です。「劫」あるいは「一劫」とは、経典によって解説が違うものの測ることも数えることもできないほど途方もなく長い単位を表わす古代インドにおける最長の時間の単位です。その「一劫」の億倍あるわけですから、仏教や古代インドでは非常に長い時間、永遠をも表すような意味で使われました。現在、一般的に使われる億劫には、時間的な「劫」の単位の考え方から、それをするには長い時間がかかるという意味で使われているようです。ちなみに、「おっこう」...
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五観の偈(ごかんのげ)

ひとつには こうのたしょうをはかり、一には功の多少を計り、かのらいしょをはかる。彼の来処を量る。ふたつには おのれがとくぎょうの二には己が徳行のぜんけっとはかって くにおうず。全欠を忖って供に応ず。みつには しんをふせぎとがを三には心を防ぎ過をはなるることはとんとうをしゅうとす。離るることは貧等を宗とす。よつには まさにりょうやくをこととするは四には正に良薬を事とするはぎょうこをりょうぜんがためなり。形枯を療ぜんが為なり。いつつには じょうどうのためのゆえに五には成道の為の故にいまこのじきをうく今此の食を受く。これは五観の偈という食事に際して自分が反省すべき心得を箇条書にしたものです。禅宗寺院...
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菩提樹(ぼだいじゅ)

菩提樹はインドで古くからピッパラと呼ばれ聖木として扱われてきた樹の一つです。シッダッタがこの樹下で、坐禅を組んで全宇宙の真理(菩提)を悟り、ブッダとなったことから、後に悟りの樹、菩提樹(ボーディ・ブリクシャ)と呼ばれるようになりました。また、三大聖木の一つです。この写真はブッダガヤにある菩提樹です。この菩提樹のことを知る人に詳しく聞きましたが、この菩提樹は4代目だそうです。仏教にとって聖なる樹であっても、異教徒にとってはそうでない場合もあり、切り倒されてしまったこともあったようです。今ではその周りには坐禅をする人、お経を唱える人、観光に来た人、あらゆる人が常にいました。ここが仏教にとっての聖地...
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極楽浄土(ごくらくじょうど)

極楽浄土とは、阿弥陀如来が住む西方十万憶仏国土をすぎたところにあると言われる、苦しみのない安楽な世界です。梵語でスカーヴァティーといい「幸福のあるところ」「幸福にみちているところ」の意味があります。須呵摩提(しゅかまだい)、蘇珂嚩帝(そかばってい)、須摩提(しゅまだい)、須摩題などと音訳され、安楽、極楽、妙楽などと意訳されました。浄土とは、一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のことで、大乗仏教の世界観を表現する言葉として使われていますが、平安後期以降に浄土教が広まると、浄土と言えは阿弥陀如来の西方極楽浄土をさすことが多くなったようです。また、...
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クシナガラについて

インド北部のヒマラヤ山脈とデカン高原に挟まれた場所にガンガーの流れる広大なヒンドゥスタン平原があり、そこにウッタル・プラデーシュ州(UP州)があります。この州はインド最大の人口を持ち、古くから農村地帯が広がり、稲作と畑作の混合地が多く、サトウキビや小麦などが作られてきた地域です。そんな農村地帯にクシナガラという町があります。(はじめの写真は2000年2月15日・涅槃の日に撮影)私がその場所に初めて行ったのが2000年2月でした。インドは年中暑いところだと思っていたので、意外と朝晩が寒くて驚いたのを憶えています。その後、この場所を何度も訪れることになるとは思ってもいないことでした。クシナガラへは...
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涅槃会(ねはんえ)

2月15日はブッダが涅槃に入られた日。涅槃会(ねはんえ)です。約2500年前、北インドを中心に教えを説いて歩き、多くの人々を救ったブッダはクシナガラの沙羅双樹の間で涅槃に入りました。今でもクシナガラは仏教の聖地に変わりありません。機会があれば行ってみてください。田舎町ですが、心が安らぐ場所です。まさしく涅槃の地であります。ちなみに日本では地方により、涅槃会の行事を旧暦に合わせて3月15日にする場合もあります。<< 戻る
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ブッダガヤ – ブッダが悟りを開いた地(仏陀伽邪)

ブッダガヤはブッダが悟りを開いた地として仏教の四大聖地および八大聖地の一つに数えられます。この一帯には悟りを開いた場所であるブッダガヤの菩提樹(マハーボディー寺院・大菩提寺境内)、苦行を放棄したあとに沐浴(もくよく)したネーランジャラー川(尼連禅河)、乳粥供養を受ける切っ掛けとなったスジャータ村のガジュマルなどの旧跡があります。また、ウルヴェーラの苦行林(前正覚山)はそこから北東約7kmほどという位置関係です。<< 戻る
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涅槃(ねはん)‐ ニルヴァーナ

涅槃(ニルヴァーナ)とは、煩悩の火が吹き消された心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地、悟りの境地、それらを示します。貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒が滅した状態が必要最低条件とされています。また、生命の火が吹き消されたということで、入滅、死去をも涅槃といいます。この場合、寂滅、滅度、円寂と漢訳されます。梵語(サンスクリット語) nirvana ニルヴァーナ巴語(パーリ語) nibbana ニッバーナ<< 戻る
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涅槃像(ねはんぞう)- クシナガラ

ブッダ入滅の地・クシナガラにある涅槃堂の涅槃像は足のつま先がずれています。これは入滅した(亡くなった)姿を表しているのです。その時80歳、悟りを得た後の45年の伝道の旅を終えた姿です。また、つま先が揃っているものは最後の説法をしている涅槃像です。(2001年撮影)(2017年8月撮影/邪魔な!?フェンスができています)この涅槃像は5世紀のクマラグプタ朝時代にハリバラという信者が寄進したものをマトゥラーからクシナガラへ運んできたものです。この時代、王をはじめとする仏教の信者はクシナガラに僧院や礼拝堂を建て、仏教は保護されていました。涅槃像の足の裏<< 戻る
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涅槃堂(ねはんどう)- ニルヴァーナテンプル

涅槃堂(Nirvana Temple)はクシナガラにあるブッダ入滅の象徴とされている建物です。世界各国から仏教聖地の巡礼に訪れる人、遠足で訪れる学生、ブッダをヒンドゥの神としてお参りする人等、目的は違っても多くの参拝者がいます。朝には涅槃堂の周りで坐禅・瞑想する人もいますし、6時過ぎから各国の僧侶が順番(決まりはないようです)にお経を唱えていきます。涅槃堂の内部はとても響きが良く気分が良くなります。本尊は涅槃像、境内には沙羅双樹(さらそうじゅ)があり、かつてインドで仏教が盛んであった頃の僧院跡が残されています。ただし、当時の仏教寺院の多くは木造であり、残っているものは土台だけです。このいくつか...